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第2章 石の花
第17話 めぐりあわせ
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雪が止み始めたある日のことだった。
凜凜は本当にたまたま雪英の部屋の前を通ってしまった。
その日はいつもは閉めきられている戸が、何の気まぐれか、開け放たれていた。
それは外の陽気に雪英を触れさせたいという誰かの思いやりだったのかもしれない。
しかしだとしたらそれはこの世で一番間の悪い思いやりだった。
中の雪英と目が合って、凜凜はそこに立ちすくんだ。
雪英はすっかりやつれていた。
元から細かった体は不健康なまでに細くなり、頬骨が浮いていた。髪は傷み、かさつきの目立つ唇に貼り付いていた。
瞳には生気がなかったが、凜凜を映した途端その目には光が灯った。
それはほの暗い、嫉妬の炎だった。
「せ、雪英様……」
凜凜の口から漏れた名前に雪英は顔を歪めて、寝台からふらりと立ち上がった。側に控えていた宮女がオロオロと雪英の体を留めようとするが、その手は振り払われる。
「お、央賢妃様!」
呼び名を改めながら、慌てて頭を下げた凜凜の頬を、衝撃が襲った。
雪英にぶたれたのだと、すぐにわかった。
その手にも、あまり力が入っていなかった。雪英はすっかり弱ってしまっている。それが凜凜の心をいっそう苦しめた。
ぶたれた衝撃で上向いた顔が雪英と見合う。
凜凜は気付いていなかったが、ふたりの美醜はすっかり逆転していた。
雪英の美しさは心痛にすっかり衰え、いつ皇帝からお呼びがかかってもいいようにと化粧の施された凜凜の顔は美しく咲き誇っていた。
雪英の前に凜凜の美しさは残酷に突きつけられた。
そんなことなどつゆ知らず、凜凜はただ雪英を心配する目で見つめた。
「お、お休みくださいませ。顔色が悪うございます。央賢妃様」
そう言いながら足を一歩前に進めると、雪英はそんな凜凜の胸元に何かを投げつけてきた。
やわらかく軽いものが胸元に当たって、ひらりと落ちた。
いつぞや凜凜が刺した六花の刺繍の手巾がくしゃくしゃにされていた。
「…………」
凜凜は言葉をなくしてそれを見下ろした。
「さぞやいい気分なんでしょうね」
雪英はようやくそう言った。あまりにとげとげしい物言いに、凜凜の心は凍るようだった。
こんな言葉は今まで雪英からかけられたことがない。凜凜は一気に泣きそうになった。
「主人を飛び越え、陛下の寵愛をこの後宮で唯一受ける気分はどう? さぞかし、私のことが惨めに見えるのでしょうね」
「そのようなことは……そのようなことはけっして……」
「さっさとそのゴミを拾ってどこかへいっておしまい!」
雪英の金切り声が凜凜の耳を突き刺した。
凜凜は言われたとおりに手巾を急いで拾い上げた。
「これ見よがしに陛下からいただいた伽羅の香りをまとって……!」
「こ、これは……」
これは違う。これは雪英との記憶の香りだ。くれたのは皇帝だが、凜凜にとっては雪英の香りだった。
そんな弁明すら許されない雰囲気が雪英にはあった。
「二度と私にその顔を見せないで……そんな、そんな……美しい顔で私を見ないで……」
どんな罵詈雑言よりも凜凜にはその一言が辛かった。
自分が美しくなったなどと凜凜は少しも思えなかった。
むしろどんどんと汚れていくような気すらしていた。
それに何より、自身の美しさを誇っていた雪英の心境の変わりようが辛かった。
雪英様、とその名を呼ぶことすらできずに、凜凜はフラフラと自室へ戻った。
雪英が泣き崩れる声が背中を追いかける。
雪英の声すべてがいつまでも耳に突き刺さり続けた。
凜凜は本当にたまたま雪英の部屋の前を通ってしまった。
その日はいつもは閉めきられている戸が、何の気まぐれか、開け放たれていた。
それは外の陽気に雪英を触れさせたいという誰かの思いやりだったのかもしれない。
しかしだとしたらそれはこの世で一番間の悪い思いやりだった。
中の雪英と目が合って、凜凜はそこに立ちすくんだ。
雪英はすっかりやつれていた。
元から細かった体は不健康なまでに細くなり、頬骨が浮いていた。髪は傷み、かさつきの目立つ唇に貼り付いていた。
瞳には生気がなかったが、凜凜を映した途端その目には光が灯った。
それはほの暗い、嫉妬の炎だった。
「せ、雪英様……」
凜凜の口から漏れた名前に雪英は顔を歪めて、寝台からふらりと立ち上がった。側に控えていた宮女がオロオロと雪英の体を留めようとするが、その手は振り払われる。
「お、央賢妃様!」
呼び名を改めながら、慌てて頭を下げた凜凜の頬を、衝撃が襲った。
雪英にぶたれたのだと、すぐにわかった。
その手にも、あまり力が入っていなかった。雪英はすっかり弱ってしまっている。それが凜凜の心をいっそう苦しめた。
ぶたれた衝撃で上向いた顔が雪英と見合う。
凜凜は気付いていなかったが、ふたりの美醜はすっかり逆転していた。
雪英の美しさは心痛にすっかり衰え、いつ皇帝からお呼びがかかってもいいようにと化粧の施された凜凜の顔は美しく咲き誇っていた。
雪英の前に凜凜の美しさは残酷に突きつけられた。
そんなことなどつゆ知らず、凜凜はただ雪英を心配する目で見つめた。
「お、お休みくださいませ。顔色が悪うございます。央賢妃様」
そう言いながら足を一歩前に進めると、雪英はそんな凜凜の胸元に何かを投げつけてきた。
やわらかく軽いものが胸元に当たって、ひらりと落ちた。
いつぞや凜凜が刺した六花の刺繍の手巾がくしゃくしゃにされていた。
「…………」
凜凜は言葉をなくしてそれを見下ろした。
「さぞやいい気分なんでしょうね」
雪英はようやくそう言った。あまりにとげとげしい物言いに、凜凜の心は凍るようだった。
こんな言葉は今まで雪英からかけられたことがない。凜凜は一気に泣きそうになった。
「主人を飛び越え、陛下の寵愛をこの後宮で唯一受ける気分はどう? さぞかし、私のことが惨めに見えるのでしょうね」
「そのようなことは……そのようなことはけっして……」
「さっさとそのゴミを拾ってどこかへいっておしまい!」
雪英の金切り声が凜凜の耳を突き刺した。
凜凜は言われたとおりに手巾を急いで拾い上げた。
「これ見よがしに陛下からいただいた伽羅の香りをまとって……!」
「こ、これは……」
これは違う。これは雪英との記憶の香りだ。くれたのは皇帝だが、凜凜にとっては雪英の香りだった。
そんな弁明すら許されない雰囲気が雪英にはあった。
「二度と私にその顔を見せないで……そんな、そんな……美しい顔で私を見ないで……」
どんな罵詈雑言よりも凜凜にはその一言が辛かった。
自分が美しくなったなどと凜凜は少しも思えなかった。
むしろどんどんと汚れていくような気すらしていた。
それに何より、自身の美しさを誇っていた雪英の心境の変わりようが辛かった。
雪英様、とその名を呼ぶことすらできずに、凜凜はフラフラと自室へ戻った。
雪英が泣き崩れる声が背中を追いかける。
雪英の声すべてがいつまでも耳に突き刺さり続けた。
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