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第34話 旅立ちの準備
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「サーヴィス領、ヘッドリー領、どちらも北側で今から向かうには寒いとまではいきませんが、恐らく涼しくはあると思います」
「旅なんて生まれて初めて……」
ベアトリクスはランドルフの胸にもたれながら、しみじみと呟いた。
「俺は二度目になりますね。故郷から王都への旅、そして帰路、か……」
「ランドルフの故郷……アルフレッドも連れて行ってあげたかったわ、あの子あんなに興味を持ってたもの……」
「いずれ、行けますよ、きっと。サーヴィス領はヘッドリー領にほど近い、サーヴィス領に婿入りされるのなら、いくらでもご招待できますよ」
「そうね……クレア・サーヴィス嬢が……アルフレッドと上手くいけば良いけど……どんな子かしらね」
「楽しみですね」
そう言ってランドルフはベアトリクスの頭を撫でた。
「……旅のお供、させてもらいます」
「ええ、ローレンスお兄様が何も言わなくたって連れて行かないなんてことはないわ」
ローレンス、その名にランドルフは少し体をこわばらせる。
ローレンスに言われたベアトリクスへの思いの告白。
それをランドルフは忘れていなかった。
ベアトリクスの心は自分に向いている。
それが分かっていても、ランドルフはどうしてもローレンス王のことが気にかかっていた。
それは自分より彼女との付き合いが長い男への嫉妬なのかもしれなかった。
そんなランドルフの心などつゆ知らず、ベアトリクスは無邪気に訊ねた。
「ヘッドリー領のお話しを聞かせてちょうだい。どんなところ?」
「前も言いましたけど……寒くて、厳しくて、険しくて……それ故に人と人が強固に協力し合う砦です。正直、姫様がいらして楽しいような所ではありませんが……でも、これから夏になりますから、気温という面では避暑に最適かも知れませんね」
「ああ、そうね……離宮の夏はね、とても暑いの。だから私、浴場でたらいに水を張ってね、水浴びしたりするのよ。池もあるけど、さすがに人前で水浴びははばかられるもの。子供の頃は無邪気に池で遊んだこともあったけど……、池、見たことあったかしら?」
「ございません」
「そう、じゃあ、朝になったら池を見に行きましょうか」
「楽しみですね。水遊びか……ヘッドリー領でも夏は川遊びくらいはしましたよ。あんまり暑くないから本当に足を浸す程度ですけどね」
「いいわね」
ベアトリクスは目を閉じる。
ヘッドリー領は未だにボンヤリとした輪郭を持って頭に思い描かれた。
「……冬にも行ってみたいわね、雪が降るのでしょう?」
「……ええ、それはもう、膝まで埋もれるほどの雪が降ります」
「ああ、想像するだけで……寒いわね」
そう言ってベアトリクスは目を閉じた。
「もう眠りましょう、姫様。明日は俺も朝からアルフレッド殿下に稽古を付ける日だ」
「ええ……そうね……」
すぐにベアトリクスは寝入った。
その頭を一撫でして、ランドルフはベッドから出た。
最近の彼はベアトリクスに乞われない日は衛士寮に戻るようにしていた。
隣の部屋に控えているだろうサラに頭を下げて、騎士は退室した。
翌朝、ランドルフがアルフレッドに稽古を付けるのを、ベアトリクスは見学していた。
アルフレッドの木剣の使い方は素人目に見ても上達しているように思えた。
そして、最近は鍛冶屋にあつらえさせた真剣を用いた稽古も始まっていた。
真剣はもちろん、人に向けて振るうわけにはいかない。
素振りをしたり、練習用の巻き藁を持ってきてそれに向かって振り下ろしたりしている。
「ああ……ああ……ハラハラするわ……怪我しないかしら? すっぽ抜けないかしら?」
「大丈夫です、姫様」
ベアトリクスの傍に控えながら、ジョナスが苦笑した。
「アルフレッド殿下の剣の握りはしっかりしております。事故はそうそう起きませんよ」
「そうやって油断するときが包丁でも何でも一番危ないって厨房係は言ってたわ!」
「あはは」
ジョナスは目を細めてベアトリクスを見た。
「まったく、姫様のアルフレッド殿下への心配性は相変わらずであられる……これはサーヴィス嬢も厳しい目を向けられますな……」
「うっ……」
ジョナスには痛い所を突かれてしまった。
たしかに、クレア・サーヴィスのことは懸念であった。
アルフレッドにとっていい婿入り先となるのか、彼女自身はどのような娘なのか、しかしあまり小うるさく言っても仕方ない。
アルフレッドはクレア・サーヴィスが受け入れるのであれば婚約を受け入れると言っているのだ、姉の自分がそれをやたら厳しい目でダメ出しするのは、好ましいことではない。
「……口うるさい小姑にならぬよう、気を付けるわ……ああ、そうだ、ジョナス、私がいない間のことを話しておきたいのだけれど」
「ああ、小うるさい姉姫がいない隙を見計らって面倒な連中が離宮に押し寄せる可能性はありますからね」
ジョナスは顔をしかめた。
ローレンスの婚約決定はまだ大々的に報されていない。
おそらくベアトリクスが帰ってから、まとめて発表する心づもりだろう。
それはつまり、ローレンスの後継者問題はくすぶり続けると言うことであり、アルフレッドを次の王にと企む者たちが未だうごめくということだった。
「……サラを置いていこうと思います」
「姫様」
ジョナスは意外な発言に目を見開いた。
「サラはこの離宮でジョナス、あなたと並んで信頼の置ける人間です。そもそも私につけ続けたのがひとつの間違いですらあります。これはもうサラとは話し合いました」
ベアトリクスの横に控えていたサラが頷く。
「……姫様がそれでよいのなら」
ジョナスもうなずいた。
「承知しました。サラと二人、アルフレッド殿下を守って見せます。その代わりと言ってはなんですが、姫様の旅に衛士は選りすぐりの者たちをつけます。ランドルフは確かに腕が立ちますが、長旅の間、一人であなたを守れるとは到底思えませんから」
「ええ、そうね。人間には限界があるものね。私の侍女は二人だけにするつもり。あまり大所帯で押しかけるわけにもいかないからね」
「ふふ、サーヴィス領にしてもヘッドリー領にしても未来の親戚なのですから、そう遠慮しなくてもよろしいのでは?」
「……もうっ!」
ベアトリクスはジョナスを殴りつけるフリをした。
「ははは」
ヘッドリー領と親戚になる未来。
それはランドルフと正式に結ばれる未来だ。
ベアトリクスにはまだ上手く想像できなかった。
「……ロマンのない女」
ベアトリクスは自嘲の笑みをこぼした。
「旅なんて生まれて初めて……」
ベアトリクスはランドルフの胸にもたれながら、しみじみと呟いた。
「俺は二度目になりますね。故郷から王都への旅、そして帰路、か……」
「ランドルフの故郷……アルフレッドも連れて行ってあげたかったわ、あの子あんなに興味を持ってたもの……」
「いずれ、行けますよ、きっと。サーヴィス領はヘッドリー領にほど近い、サーヴィス領に婿入りされるのなら、いくらでもご招待できますよ」
「そうね……クレア・サーヴィス嬢が……アルフレッドと上手くいけば良いけど……どんな子かしらね」
「楽しみですね」
そう言ってランドルフはベアトリクスの頭を撫でた。
「……旅のお供、させてもらいます」
「ええ、ローレンスお兄様が何も言わなくたって連れて行かないなんてことはないわ」
ローレンス、その名にランドルフは少し体をこわばらせる。
ローレンスに言われたベアトリクスへの思いの告白。
それをランドルフは忘れていなかった。
ベアトリクスの心は自分に向いている。
それが分かっていても、ランドルフはどうしてもローレンス王のことが気にかかっていた。
それは自分より彼女との付き合いが長い男への嫉妬なのかもしれなかった。
そんなランドルフの心などつゆ知らず、ベアトリクスは無邪気に訊ねた。
「ヘッドリー領のお話しを聞かせてちょうだい。どんなところ?」
「前も言いましたけど……寒くて、厳しくて、険しくて……それ故に人と人が強固に協力し合う砦です。正直、姫様がいらして楽しいような所ではありませんが……でも、これから夏になりますから、気温という面では避暑に最適かも知れませんね」
「ああ、そうね……離宮の夏はね、とても暑いの。だから私、浴場でたらいに水を張ってね、水浴びしたりするのよ。池もあるけど、さすがに人前で水浴びははばかられるもの。子供の頃は無邪気に池で遊んだこともあったけど……、池、見たことあったかしら?」
「ございません」
「そう、じゃあ、朝になったら池を見に行きましょうか」
「楽しみですね。水遊びか……ヘッドリー領でも夏は川遊びくらいはしましたよ。あんまり暑くないから本当に足を浸す程度ですけどね」
「いいわね」
ベアトリクスは目を閉じる。
ヘッドリー領は未だにボンヤリとした輪郭を持って頭に思い描かれた。
「……冬にも行ってみたいわね、雪が降るのでしょう?」
「……ええ、それはもう、膝まで埋もれるほどの雪が降ります」
「ああ、想像するだけで……寒いわね」
そう言ってベアトリクスは目を閉じた。
「もう眠りましょう、姫様。明日は俺も朝からアルフレッド殿下に稽古を付ける日だ」
「ええ……そうね……」
すぐにベアトリクスは寝入った。
その頭を一撫でして、ランドルフはベッドから出た。
最近の彼はベアトリクスに乞われない日は衛士寮に戻るようにしていた。
隣の部屋に控えているだろうサラに頭を下げて、騎士は退室した。
翌朝、ランドルフがアルフレッドに稽古を付けるのを、ベアトリクスは見学していた。
アルフレッドの木剣の使い方は素人目に見ても上達しているように思えた。
そして、最近は鍛冶屋にあつらえさせた真剣を用いた稽古も始まっていた。
真剣はもちろん、人に向けて振るうわけにはいかない。
素振りをしたり、練習用の巻き藁を持ってきてそれに向かって振り下ろしたりしている。
「ああ……ああ……ハラハラするわ……怪我しないかしら? すっぽ抜けないかしら?」
「大丈夫です、姫様」
ベアトリクスの傍に控えながら、ジョナスが苦笑した。
「アルフレッド殿下の剣の握りはしっかりしております。事故はそうそう起きませんよ」
「そうやって油断するときが包丁でも何でも一番危ないって厨房係は言ってたわ!」
「あはは」
ジョナスは目を細めてベアトリクスを見た。
「まったく、姫様のアルフレッド殿下への心配性は相変わらずであられる……これはサーヴィス嬢も厳しい目を向けられますな……」
「うっ……」
ジョナスには痛い所を突かれてしまった。
たしかに、クレア・サーヴィスのことは懸念であった。
アルフレッドにとっていい婿入り先となるのか、彼女自身はどのような娘なのか、しかしあまり小うるさく言っても仕方ない。
アルフレッドはクレア・サーヴィスが受け入れるのであれば婚約を受け入れると言っているのだ、姉の自分がそれをやたら厳しい目でダメ出しするのは、好ましいことではない。
「……口うるさい小姑にならぬよう、気を付けるわ……ああ、そうだ、ジョナス、私がいない間のことを話しておきたいのだけれど」
「ああ、小うるさい姉姫がいない隙を見計らって面倒な連中が離宮に押し寄せる可能性はありますからね」
ジョナスは顔をしかめた。
ローレンスの婚約決定はまだ大々的に報されていない。
おそらくベアトリクスが帰ってから、まとめて発表する心づもりだろう。
それはつまり、ローレンスの後継者問題はくすぶり続けると言うことであり、アルフレッドを次の王にと企む者たちが未だうごめくということだった。
「……サラを置いていこうと思います」
「姫様」
ジョナスは意外な発言に目を見開いた。
「サラはこの離宮でジョナス、あなたと並んで信頼の置ける人間です。そもそも私につけ続けたのがひとつの間違いですらあります。これはもうサラとは話し合いました」
ベアトリクスの横に控えていたサラが頷く。
「……姫様がそれでよいのなら」
ジョナスもうなずいた。
「承知しました。サラと二人、アルフレッド殿下を守って見せます。その代わりと言ってはなんですが、姫様の旅に衛士は選りすぐりの者たちをつけます。ランドルフは確かに腕が立ちますが、長旅の間、一人であなたを守れるとは到底思えませんから」
「ええ、そうね。人間には限界があるものね。私の侍女は二人だけにするつもり。あまり大所帯で押しかけるわけにもいかないからね」
「ふふ、サーヴィス領にしてもヘッドリー領にしても未来の親戚なのですから、そう遠慮しなくてもよろしいのでは?」
「……もうっ!」
ベアトリクスはジョナスを殴りつけるフリをした。
「ははは」
ヘッドリー領と親戚になる未来。
それはランドルフと正式に結ばれる未来だ。
ベアトリクスにはまだ上手く想像できなかった。
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