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第26話 勝負の日

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 来たる新月の日、ベアトリクスは衣装を整えた。

 赤いドレスの首元は花飾りのチョーカーで彩られていた。
 大きく四角く開いた胸元は白く光る。

 カフスが広がった袖元には数段のレースが施されている。
 どう見ても食事を楽しむつもりのない袖だった。

 コルセットでぎゅうぎゅうに締め上げた腰はいつもよりか細い。
 ドレス全体にはレースと宝玉があしらわれている。

 そしてベアトリクスは髪を結い上げた。
 この国の風習で、未婚の女子は髪を下げる。それを破った。
 未婚と世間に知られている女子がその髪を上げる。
 それは自分はすでに結ばれている男がいる。そういう主張であった。

「よろしいのですね?」

 ダイヤモンドの髪飾りをつけながら、サラは念押しをする。

「よろしいのです」

 ベアトリクスはやや緊張した面持ちでそう答えた。

「……参りましょう」

 部屋を出る直前、ベアトリクスは机の上を見た。
 ランドルフが積んでくれた一輪の赤い花が咲き誇っていた。

 昨日、赤い花を持って現れたランドルフはやけに真剣な顔をしていた。
 昨夜二人は何もしなかった、別々に寝た。
 今日に響いてはいけないから。
 ベアトリクスはそれが寂しかった。



 その花に見送られ、彼女は離宮を出て馬車に乗り込んだ。
 アルフレッドが見送ってくれた。
 アルフレッドは姉の髪型を目に留め、何かを言いたげな表情をしたが、それを押し殺した。

「ローレンス陛下によろしくおねがいします」
「ええ、行って参ります、アルフレッド殿下」

 王宮に来るのは久しぶりだった。
 王宮では定期的に晩餐会や舞踏会が開かれる。
 しかしベアトリクスは16歳の時を境に王宮である集いにはほとんど参加しなくなった。

 16歳の時、着飾ったベアトリクスの前に現れたのは、国王ローレンスを射止めようと気合を入れる令嬢方だった。
 彼女たちの真剣かつ殺気立った様子にベアトリクスはすっかり参ってしまった。
 この国では従兄弟同士の結婚も珍しくはない。
 王族同士で婚姻をすることにあまり政治上の意味は無いが、ベアトリクスの場合、母の故郷が隣国だ。
 母が死んだ後、縁遠くはなっているが、婚姻して得られるものは大きい。

 そう、ベアトリクスは国王を射止めようとする令嬢達からライバル視されてしまったのだ。
 ベアトリクスにそんなつもりはなかったというのに。
 しかし彼女たちにしてみればベアトリクスの心持ちなど知ったことではない。

 居心地が悪くて、向けられる敵意が嫌で、ベアトリクスは王宮から遠ざかっていた。

 アルフレッドの将来を思えばここで人脈を作っておくべきなのは分かっていた。
 しかしそれはローレンスが妃をめとってからにしよう。
 そう思っていたのに、ローレンスは20になっても結婚どころか婚約すらしない。

 おかげでベアトリクスは深窓の姫君というレッテルまで貼られていた。

 しかし今日はそういった集いではない。
 ローレンスとベアトリクスが一対一で向かい合う機会だ。

 王の食卓につく。サラが後ろに侍る。

「陛下のお通りです」

 ローレンスが現れた。
 銀の髪に灰色の目。ローレンスは前王似だ。そして前王はベアトリクスの父にも似ていた。
 前王とベアトリクスの父は兄と弟だ。
 ローレンスを見る度、ベアトリクスは死んだ父のことを思い出す。

「やあ、ベアトリクス、久しぶり。元気にやってるかい?」
「……お久しぶりです、陛下。おかげさまで元気にやっております」

 ローレンスはベアトリクスの髪型にも驚いた様子はなかった。
 しごく淡々と会話をする。

「昔みたいにローレンスお兄様と呼んでくれよ、寂しいよ、ベアトリクス」
「畏れ多いことです」
「ふむ、なら命令。ローレンスお兄様と呼べ、ベアトリクス」
「……はい、ローレンスお兄様」

 昔はそうだった。
 無邪気に慕い、兄のように思っていた。
 次第に相手が弟にとって政敵だと気付いた。
 それからはこうして距離を取っている。

「……ローレンスお兄様? 今日はどのようなご用件で?」
「その前に食事にしよう、ベアトリクス。君の好物を用意させたよ」
「……ありがとうございます」

 料理が運ばれてくる。
 前菜は海老のサラダ。海老は好きだ。昔から。

「……よく覚えておいでですね、ローレンスお兄様」
「あはは、忘れるものか。君が海老が好きすぎて庭に植えたら海老が成るんじゃないかと言ったこととか……」
「忘れてくださいませ」

 ベアトリクスは冷たく言葉を放った。

「あはは」

 ローレンスは人なつこい顔で大笑いをした。
 このような笑い方をローレンスは人前ではしない。
 こういう態度を見せていれば令嬢達もまだ気楽にアピールできただろうに。

「…………はあ、変わりませんね、ローレンスお兄様は」

 昔とは多くのことが変わった。
 母も、前国王も、ローレンスの母も死んでしまった。
 ベアトリクスはアルフレッドを守るのに必死になり、かたくなになった。
 それに対してこの従兄王の変わらなさと言ったら。

「まるでいつまで経っても子供みたいで……だからお妃様もお取りにならない?」
「ああ、君までその話をするかベアトリクス」

 ローレンスは不快さを隠さなかった。
 しかしまだ踏み込める。ベアトリクスは続ける。

「……国政の安定は王の責務ですわ。いくらアルフレッドがいるからってあなたが継嗣を作ることを怠って良いわけがありません」
「ああ、君は正論を吐く。他の者と同じように」

 ローレンスはため息をついた。

「でも、ベアトリクス、想像してみてくれ。もし俺に思い人がいるとしたら? それが決して結ばれない相手だとしたら? たとえば庶民の少女だとしたら?」
「愛人にでもすればよろしい」

 きっぱりと言い切ったベアトリクスの脳裏にはランドルフの顔が浮かんだ。
 愛人であることを受け入れてくれたランドルフ。

「女の一人や二人、愛せずして何が王でしょう」
「あはは、サラ、我が従妹はずいぶんと苛烈に育ったな」

 ローレンスは唐突にベアトリクスの背後のサラに声をかけた。
 サラは無言で礼をする。
 給仕以外の用事で使用人に話しかけることは正式な晩餐の場ではまずないことだ。
 客の前なら無礼と言ってもいい。
 もちろんベアトリクスはサラに話しかけられることを無礼と断じる気はない。
 しかし、勝手に自分の使用人に話しかけられたことを無礼と怒ることはできた。

「王であるなら……王族であるなら……義務を果たし……それに付随する権利を甘受する……」

 ベアトリクスのそれは母の教えであった。

「なるほど、君がそうしたように、と」

 ローレンスの目はベアトリクスの上げた髪に注がれた。
 心に決めた男がいると示す上げてまとめられた金の髪。

「ええ」

 ベアトリクスは怯まずうなずいた。

 折良く主菜が運ばれてきた。
 シカのロースト、ベリーソース添え。
 副菜にはスープに小鳥の焼き物。
 彩り豊かだ。

 アルフレッドは今、何を食べているだろう。
 ランドルフは何を食べているだろう。
 豪華な食事を前に、ベアトリクスは違うところへ思いを馳せた。

「いい男かい?」
「懐の広い方です。実直で生真面目で馬鹿正直で……そして私を愛してくれる」
「のろけか」

 ローレンスは深い笑みを浮かべた。

「君は今、幸せなんだね、ベアトリクス」
「はい」
「そんな君に、話をしなければならない……聖女の話を」
「……はい」

 ベアトリクスは決意に満ちた顔でうなずいた。
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