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第30話 優しさ

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 飲み屋には予想通り、お姉さんがいた。
 お姉さんはいつも平日仕事帰りにここに寄る。

「おー! スーツだ! 就活?」
「いや、実は、就職先決まりまして……」
「マジか! めでたい! お祝い! 飲もう! 飲みまくろう!」
「明日も早いので一杯だけ……」 
「早いの? 大丈夫? またブラックじゃない?」
「あ、そこは大丈夫です。はい」

 芸能事務所。ブラックといえばブラックなのだろう。そういうイメージがある。
 でも、瀬川さんたちとなら大丈夫。そんな根拠のない自信が私にはあった。

「じゃ、再就職祝い! かんぱーい!」
「かんぱい!」
「で、で、で。あのイケメンとはどうなった? プレミアムフライデー決め込んだ?」
「いや、それ、どういう意味でプレミアムフライデー使ってるんですか……」

 私はオブラートに包んで瀬川さんと付き合うことになった旨をお姉さんに伝えた。
 さすがにあの後、ホテル行きましたは言いづらかったのでボカす。

「ひゅー!」

 お姉さんは口笛を吹いて、ハイボールを飲み干した。

「めでたい! おかわり!」
「あはは」

 梅酒ロックをちびちびやりながら私はお姉さんの飲みっぷりに苦笑する。

「いやあ、やるねえ、いいねえ、恋も仕事も絶好調ってか!」
「いやあ、どうなんでしょ……上手くいけば嬉しいですね」
「どんな男? 服装の雰囲気から金は持ってそうだったけど」

 あの時それを見ていたのか。すごいなお姉さん。
 どんな男、か。困るな。瀬川さんはどういう人なのだろう……。

「金は知らないですけど……どんなと言われると……うーん……酔うと可愛いです」
「のろけか! かーっ!」

 お姉さんはさらに酒をあおった。

「で、仕事は何系? 前職と同じ系?」

 事務所では守秘義務について口を酸っぱくして言われた。
 事務所に勤めていること、までは行っても大丈夫だが、業務内容、そして出来れば担当タレントもなるべく明かさない方がいいと言われた。
 どこにファンがいて、過激なことをするか分からない……とのことだった。

「それが、えっと、三角アイドル事務所ってとこです」
「え! モラル藤原がいるとこじゃん!」

 お姉さんの目が輝いた。

「あ、モラル藤原さんご存じですか」
「私、お笑い好きなの。いいよね、モラル藤原、ピン芸人イチオシ」
「そうですか……」

 そういえば何度かそういう話をした気がする。
 何せ会話中8割くらいは酔っ払ってるのでいまいちどういう話をしたのかあんまり覚えてないのだ。

「マジか。会ったら応援してますって伝えといて、今度のライブも見に行きますって」
「了解です」

 お姉さん、ライブ見に行くタイプのガチ勢でいらした。



「えっと、それじゃ、私、明日早いので失礼します」
「気を付けて~」

 お姉さんと手を振り合って、自分の分のお会計をして、お店を出たら、そこには瀬川さんがいた。
 コンビニの前で缶コーヒーを飲んでいた。何故かメガネを外していた。

「え……」
「楽しかったですか?」
「か、帰ってないんですか!?」
「心配なので、送ろうと」
「…………」

 優しい。いや、これは優しさだろうか?
 過保護とか、やり過ぎとか、そういう言葉が私の脳をめぐる。

「……大丈夫です。帰れます。ここからなら電車一本ですから」

 そう、行きつけのお店だ。
 家までなんてすぐだ。そんなの瀬川さんだって分かるだろうに。

「心配なので」

 瀬川さんはその言葉を繰り返した。
 私は逆らえなくて、結局、瀬川さんに送ってもらった。

「それじゃあ、明日の朝はシュン拾ってから迎えに来ます。ちょうど進行方向なので気にしないでくださいね」
「はい……」

 それはスケジュールで確認していた。だから、驚かない。普通。
 でも、私がいつ出てくるか分からないのに飲み屋の前で待っているのは、普通?
 頭がグルグルするのをお風呂に入って洗い流そうとした。
 何も流せないまま、私は明日に備えて就寝した。



 翌朝、シュンくんがいっしょだからか、瀬川さんは私の部屋の前まで迎えに来なかった。
 アパートの階段を下りると、運転席に瀬川さん、後部座席に眠りについているシュンくんがいた。

「おはようございます」

 小声で声をかける。車のドアも静かめに閉める。

「はい、おはようございます」

 瀬川さんは朝から爽やかな笑顔で私に笑いかけた。
 笑顔に胸が高鳴った。
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