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八、婚約者は居ない

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いつからだっただろう?

目の前で無防備に、図書館の机に伏せて眠るアイラを「守らなきゃ」と思うようになったのは。

ついアイラを気にかけてしまうのがいけなかったのか、嫉妬と怒りで婚約者だったシシーリアはすっかり人が変わってしまった。


表向きは変わらない彼女だが、初めてアイラのズタボロになった姿を見た時は驚いたし何処にも証拠や目撃者を残さずに自分の手を汚さないでそんな事が出来るのは身分的にも、実際の力加減でもシシーリアくらいだろう。

そう考えると心苦しいのと、元婚約者としての罪悪感からアイラに対しての使命感みたいなものが生まれて余計に側に居るようになった。



実際、シシーリア以外の女性になんて興味は無かったし彼女以外愛せる気がしない。そう思っていた。

なのにこのアイラという女性は不思議だ。


シシーリアに近づく者への嫉妬や、シシーリアに対しての幻滅や軽蔑、けれども好きな気持ちでぐちゃぐちゃになった頭を綺麗にしてくれる。


アイラの空色の瞳を見ると何故か安心して何でも話してしまうのだ。

彼女は不思議と欲しい言葉ばかりをくれるし、あれ程虐げられても決してシシーリアを恨むことは無かった。

(俺が、守ってあげないと)


ナミレアには俺が優柔不断だったからこうなったのだと責められた。

大好きだった頃のシシーリアを失ったと泣いていたナミレアにも、辛い思いをさせてしまったアイラにも申し訳なかった。


アイラのことは日に日に魅力的に感じるようになった。

シシーリアの事を考えるのは酷く疲れるようになった。

ただ自分のした事を反省して欲しかったんだ。


だからこそ別れる選択をしたのに……殿下がシシーリアの事をやたらと気にかけていることにもやもやする。

シシーリアもまた、自分では引き出せなかった表情を殿下に見せていてそれがまた胸をザクザクと刺されているような感覚だった。


「アラン様……どうしたのですか?」

「いや、何もないよ」

「これ……」

アイラが差し出したのは、いつか自分がシシーリアに贈った手袋だった。
ボロボロになっており、アイラ曰く捨てられていたとの事だった。

「そうか……」

実際にはそれが盗まれていたものだとは知らずにアランはシシーリアがのだと思い込んだ。


「アイラ、じゃあ俺は執務があるので今日は帰るよ」

「ええ、気をつけて帰って下さいね。あの……私ならきっと大切にします。きっと事情があったはずです!」

「優しな、アイラは。もう別れたんだし怒る筋合いはないよ」

「いつでも頼って下さいね?」



キラキラと輝く瞳でそう言ったアイラと今日は何故か上手く話せる気がしなくて曖昧に笑って「また明日」と帰った。


シシーリアに会ったのはほんとうに偶然だった。

帰るのだろうか、どことなく雰囲気の変わったシシーリアの手首を掴んでしまったのは無意識で思わず驚くと呆れた様子で「何故貴方が驚くんですか」と余所余所しい言葉が返ってきて胸がチクリとする。



「すまない……」

「では、失礼致します」

「ーっ手袋、あの君の名が刺繍されたものだ」

「あぁ、あれは……」

「捨てたそうだな」

「あれは盗まれたので……行方が分かりませんが?」

「……白々しいな。何故殿下に近づく?」

(逆だと思うけど、とは言えない雰囲気ね)

「……貴方は以前から私が殿下に近づくのを嫌がっていましたものね」

「そっ……それは、とにかくこれ以上妙な事を考えるな」


これ以上罪を重ねて欲しくなかった、本当に大きな罪になる前に考え直して欲しかった。

けれど、そんなアランをシシーリアは鼻で笑って頼りなく緩んでいる手を振り払った。

その後は拒絶するようにシシーリアを守る結界によってアランは触れる事すらままならない。

けれど、シシーリアを捕まえてどうするつもりだ?

説得するのか?何の為に?


自分でもよく分からない感情だった。


ただ、もう今を逃せば完璧に元には戻れない気がした。


「シシー、此処に居たのか」

「イヴァン様」

「殿下……!」


澄んだ声が聞こえて、最も簡単にシシーリアに触れる。

「ああ……とはちゃんと話せた?」

「イヴァン!」

「二人きりじゃない時にそう呼ぶのな珍しいねアラン」

「……」




「なにを焦っているの?」



そう言って悪魔のように笑ったイヴァンと、

自分など一切瞳に写さずにイヴァンの手を取ったシシーリアが遠く感じた。



「話がしたいだけだ……頼む」


自分で思っているよりもはるかに情けない声だった。


「あら、ずっと無駄だったじゃない。貴方達耳が聞こえたの?」


そう言ったシシーリアらしくない冗談にクスクス笑うイヴァン。



「シシー……、君はそんな人じゃなかった!」


「少なくとも貴方の婚約者ではないですね」

「ふふ、やられたねアラン。じゃあね」


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