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焦燥感と追う気持ち
しおりを挟む「ニナリア姫より言伝をお預かりしました故、僭越ながら参りました」
「……後にしてくれ」
ニナリアから言伝を頼まれた侍従は酷く困っていた。
やっとの思いでシヴァに追いついたものの、相変わらず表情のないシヴァからは何の感情も読み取れないと言うにも関わらず、至極鬱陶しそうにあしらわれているようにも感じた。
「あの……っでは、お約束だけでもっ!こちらに時間と場所が記されて……」
「俺が暇に見えるか?」
「ひっ!」
シヴァの赤い瞳に睨みつけられると思わず後ずさる。
多忙でアイズ達や、グレーシスともあまりすごせて居ないにもかかわらず、毎日のようにニナリアやその使いの者に追いかけ回される毎日にうんざりしていた。
やっとの思いで、グレーシスに意識して貰えるようになったし仕事も片付いてきたと言うのに妙な時期に留学してきた手の掛かる隣国の姫に時間を取られている内に、アイズとグレーシスに起きた出来事がシヴァの耳に入った。
「急いでいるんだ、すまないな」
「は、はいっ!」
縮こまるニナリアの侍従にチラリと視線を移してからすぐにまた前に向き直り足を進めた。
何処に居ても聞こえるのはアイズの告白にグレーシスが何と返事をするのかという噂話で、気持ちにこそ気付いていたものの、まさかアイズがそのような形で、ましてや皆の目の前で真っ直ぐな言葉で伝えてしまうとは思ってもいなかった。
だが、鈍感なグレーシスにとってそれほど効果的な方法もないだろうとひやりとした。
(もし、グレーシスが告白を受け入れたら?)
アイズはいい奴だ。それに大切な友人でもある。
アイズの素晴らしい所は外見だけではないと自分が一番知っているのだ、もしかしたらもう勝ち目はないのかも知れないと臆病になる。
それならばそうと、応援でも出来ればいいのだが思考と心はバラバラで居ても立っても居られずに足を進める自分に内心で溜息をつく。
ぐるぐると忙しなく回る思考のままひたすら足をすすめるとグレーシスの教室にたどり着く。
もう、授業も始まる頃なので皆が扉を開けたシヴァに注目する。
王太子としての建前や、王族としてのプライド等なにも気にならなかった。
ただ、何処に居てもすぐに視界に入る愛おしい青紫の瞳と目が合う。
彼女のラベンダー色の艶やかな髪が指通りの良いのだって誰よりもずっと前から知っている筈なのに、何故か遠く感じる微笑みに胸が騒つく。
安心したくて彼女の隣で足を止めるとすぐに彼女の髪を一節取って口付けた。一瞬だけ彼女は驚いた様子だったが流石にグレーシスだ。驚いた様子を感じさせないくらい自然な微笑みで「どうなさったのですか?」とシヴァに尋ねた。
シヴァは自分がこのような無礼を働いたからなのか、それかアイズに惚れてしまったからなのか分からぬままに、ひしひしと感じるグレーシスからの他人行儀な視線に耐えられずに視線を伏せた。
「……受け入れるつもりなのか?」
「殿下、どういう意味でしょうか?」
「その……、先程の」
「……混乱を招いてしまい申し訳ありません。今後あのような場所で騒ぎは起こしません」
グレーシスは少し考えてからそう答えた。
どうやら騒ぎになった事を咎められたと思ったらしく、「申し訳ございません」と申し訳なさそうに言ったが、勿論シヴァが聞きたいことは謝罪ではなく、彼女の心はもうあの美しい友人のものになってしまったのかどうかが知りたかった。
「そういう話ではない。グレーシスの心が何処にあるのかが知りたいんだ。もう何度も伝えているがグレーシスは俺の一番大切な人だから」
そう心の痛みを噛み砕くようにゆっくり伝えるシヴァの切ない表情を見つめるグレーシスの表情は次第に曇り、今まで見たこともない彼女の予想外の反応にシヴァは頭の中が真っ白になる。
しかし、すぐに堪えるようにグッと言葉を呑み込んだグレーシスから出た言葉は意外なものでシヴァは思わず反応が遅れた。
「……シヴァ殿下には婚約者候補の方がいらっしゃるでしょう。そのような言い方をされては誤解を招きます」
「何を、そんな話を承知した覚えはない」
「いいんです。知っておりますので。私などに構わず、殿下はどうかお幸せになって下さいませ」
シヴァにだけは分かる何となく泣きそうな悲しい雰囲気、何処か棘のあるその物言いはまるで……
「嫉妬、してくれているのか?」
「ーっ!そんな筈は……ただ私はっ」
珍しくもあからさまに狼狽える様子こそ、その答えを物語っているようだった。
潤んだ瞳は罰が悪そうに床を見つめて、赤くなった耳と頬がグレーシスの白い肌を彩った。
少し上ずった声は、彼女らしくないが初めて彼女の本音が公になった瞬間にも思えた。
グレーシス自身も混乱していた。
(嫉妬……?しているの?)
ずっと、シヴァに対しては家族のような愛情だと思っていた上に、シヴァがグレーシスを溺愛するのも、同じような理由だと思っていた。
けれども、ニナリアの言葉によってグレーシスの内心はチクチクと刺されるような痛みに苛まれ、全く知らなかった婚約者候補の存在とその存在がありながらグレーシスに愛を捧げるシヴァに確かに苛立っていた。
いや、悲しかった。
グレーシスはシヴァが誰かの婚約者になると知ると何故か胸が痛かったし、今までミハイルにさえ感じた事のないような黒々とした感情が湧きあがった。
(これが、嫉妬なの。私はシヴァを愛してるのね)
けれども彼は王太子。
いくらグレーシスといえども、婚約者と破談になった身。
謂わば傷モノ令嬢だ。
女っ気のない家系のバーナードはともかく、何故今までシヴァやアイズに婚約者が居なかったのかは分からないが、それでも傷モノのグレーシスよりもきっと他国の姫の方が彼の為になるだろう。
そう考えて、グレーシスは頭の中に浮かんだシヴァへの感情を否定した。
(いいえ……例えそうであっても私ではいけないわ)
それは、アイズに対しても言える事であった。
そうなると自ずと、心とは裏腹にすべき事が浮かんでくる自分の頭を今日だけは褒めてやりたいと思った。
「グレーシス……っ」
何も言わないグレーシスの頬に、不安気に手を伸ばしたシヴァをさりげなく躱すといつものように完璧な侯爵令嬢としての笑顔を浮かべた。
「大丈夫です、シヴァお兄様」
(近頃はシヴァと呼んでいた筈……)
「何か誤解があるのか、なら心配ない俺はお前だけを……」
「ーっ私も!」
「私もシヴァお兄様と同じように、家族のように大切に想っています。だから心配しないで」
「そう言う事じゃない、もう分かっているだろう」
「もう授業が始まっています、お戻り下さい」
「なら後で……」
「シヴァお兄様」
「……分かった」
いつも通りの筈のシヴァの背中が寂しげに感じた。
いつも通りの筈のグレーシスの笑顔が泣いているように見えた。
(ごめんなさい、シヴァお兄様。愛してると気づいてしまえば尚更あなたに伝えられないの)
(グレーシス、なんでそんな顔で否定するんだ。何がお前を苦しめているんだ)
((せめて、今すぐに愛してるとあなたを抱きしめられたら……))
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