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曖昧で不確かだけど確かな
しおりを挟むローズドラジェ夫人が王太子に大切にされていると二人の仲を噂する者、リジュを待つ健気なエルシー夫人を彼の親友として支えるエルディオを賞賛する者。
様々な憶測や噂話が飛び交う不躾な社交会の視線にも慣れつつあるエルシーは今日も同伴者を連れずに社交パーティーに出ている。
いつでもパートナーとして声をかけて欲しいと伝えてはいるが今だにエルシーから誘われた事は一度もない。
そもそもリジュの妻であるエルシーを好きになったのだから今更、傷ついたり落ち込んだりこそしないが、気丈に振る舞うエルシーがただ心配だった。
(あの者は確か……伯爵家の、)
わざとらしくエルシーの近くを通って声をかけた男を誰だったかと思い出しているうちに男は無礼にもエルシーとの距離を詰めた。
「エルシー私を覚えてないか?同級生だっただろ」
「覚えてないわ、そこを通してくれる?」
「そんな事言うなよ、旦那様も倒れて、ほら……ご無沙汰だろ?リジュ様って体力ありそうだもんな」
「それってつまり私の夜の世話をしたいって話?」
怒った表情のエルシーに気付いていないのか、強引に詰め寄るその男。
初めこそ表情を恐怖に染めていたが、こんな事にもすっかり慣れてしまったエルシーは着実に、ローズドラジェ夫人として成長している。
けれど、それが危うくも見えて頼まれても居ないのについ前に出てしまう私はリジュが居ればきっとアイツもそうするだろうと今日も言い訳する。
「聞いて居られないな」
「え、エルディオ殿下……っ、これは別に深い意味は……」
「ディオ殿下、いらしたのですね」
「先に居たんだが、少し席を外していてな」
顔色を無くした伯爵子息がエルシーと私の顔を交互に見て目を泳がせているのが滑稽だが、少しだけ困ったように眉尻を下げて振り返ると「助かりました」と小さな声で言う。
「で、エルシーに何か用だったか?」
「私は彼に用はありませんが」
「と、言っているが?」
「失礼します!!」
慌てて不恰好に歩いて行く男に呆れながらも、リジュが居ればそもそもこんな事は起きなかっただろうとも考えた。
エルシーとリジュが会場に足を踏み入れる瞬間、変わる空気。
一瞬で場を掌握する圧倒的な雰囲気と存在感。
今でも充分エルシーはその場を圧倒しているが、同時にリジュという脅威がない今はよくよく欲望を駆り立てる存在であるのだ。
そんなつもりはないが、品行方正。
そう言われる私ではリジュの代わりにはならないらしい。
美しいものや価値のあるものを手に入れようとするのは人の性でもあるのだから仕方がないとはいえ、その対象が親友の妻で自分の好きな人となると気分が悪い。
「君は相変わらず、無茶をするな」
「そうですね、これは治りませんね」
「はは、か弱い癖に気の強い所も、実直な所もエルシーの魅力だろう。好きに振る舞うといい。私が居る」
「ーーっ、」
「どうした?」
目を見開き此方を真っ直ぐに見つめる碧眼は潤んで、泣きそうな表情をどうにか隠そうとするエルシーの表情が痛々しい。
「ごめんなさい、リジュと同じ事を仰るので……っ」
「同じことを……」
「気が強すぎると、叱る癖にそこも好きだと笑うんです。蹴飛ばしたって首を刎ねたっていい。好きに振る舞えと、俺が守るからって、そういつも笑うんです」
「そうか」
今にも泣き出しそうなエルシーを連れてバルコニーへ出てカーテンを閉める。
「ありがとうございます、ディオ殿下」
「エルシー、君は立派な公爵夫人だよ」
「きちんとローズドラジェの名を守れているでしょうか」
「あぁ、エルシーなら王妃にだってなれる」
「ふふっ大袈裟ですよ」
悪魔のような美しい男も、品行方正な王太子も、エルシーの前ではただの男になる。
(品行方正だなんて、ほんと笑わせるな……)
親友が眠っているときに、その妻を口説くだなんて。
リジュの取り巻きだった女達もどう言う訳かエルシーを取り囲み親切どころか従順にエルシーを社交会の頂点として守っている。
あのローズドラジェの者達も皆、エルシーをきちんと主人として認めているし、貴族達からの評判も良い。
エルシーなら王太子妃であったって問題なかっただろうなと想像したことは近頃数えきれないほどあった。
思わず口に出てしまうだなんて、
冗談だと受け取ったのか、くすくすと涙もまだ乾かぬまま笑う姿に安心したと同時に少し悔しくなった。
「待つのが辛くなったら、私が居る」
「そんな利用するような事しません」
「私が、君を好きだとしてもか?」
「リジュを愛しています。そんな気持ちで貴方の心に触れてはいけない……ディオ様は私の知る中で一番の良い男なんですから」
(君こそ、リジュとよく似ているよ)
自分の知る中で一番良い男だとリジュは私によく言った。
エルシーにとってもそう見えるのだとしたら凄く嬉しいが……
きっとエルシーの中で一番良い男が、一番愛している男を意味しない。
リジュは悪い男だった。
不器用で、素直じゃなくて、酷い事をする。
けれど心に収まり切らないほど愛していた。
誰が見ても分かるほどに、エルシーだけを……
「それは、光栄だな」
切なげに微笑むエルシーが今にも消えてしまいそうに見えて、遠慮がちに手を伸ばしたが抱きしめる勇気がなくて、頬に触れるのが精一杯だった。
(お前なら、掻っ攫うんだろうなリジュ)
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