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そこは夫婦の聖域じゃないの?
しおりを挟む彼は国中の女達の思考を止めて、視線を独り占めする。
うちの夫は、綺麗だし格好良くて可愛い。
高い背も長い足も着痩せする程よい筋肉質な身体も、
色っぽい目線も声も、いつも香るどこか危険な雰囲気のする甘い香りも
全部が五感を擽る。
意外と情に熱くて優しいところも、猫が好きな所も……
大好きで、愛してるから彼と結婚した。
彼の女癖の悪さは知っていたし、身分を含めた無駄に高いスペックが更にそうさせているのも分かった上で結婚したから今まで些細な事や自分の目に見えない限りは疑わない事にしていた。
「なんでリジュは浮気ばっかするの?」
って怒ったこともあったけど、何故か恍惚とした表情で「愛してるのはエルシーだけだよ」って言った彼を見て何故か話が通じていない気がして、ただ呆然とした。
彼の槿花色のサラサラの髪に、若紫の瞳に陶器のような白い肌は華やかな貴族の中でもより一層目立つ。
私エルシー・ローズドラジェの夫、リジュ・ローズドラジェは今日は公務で帰らない予定だ。
(ほんとかどうか知らないけど)
自慢とまではいかないが彼の為に毎日丁寧に手入れしている貴族ではありがちな金髪を何となく一束摘む。
ありがちな碧眼が馬車の窓に写ると溜息をついた。
(ありふれた貴族令嬢、なんで私だったのかしら)
声をかけたのも、求婚もリジュからだった。
女性ならば一度は恋焦がれてしまうだろう彼はパーティー会場で一直線に私に向かって来て「俺の恋人になって下さい、エルシー」と膝を着いた。
卒業してから一年間、私的な付き合いはした事がないし、学園に在籍している時も彼と特に深い関わりは無かったし「可愛い人だな」って思っている程度で友達と呼べる仲でも無かった。
ましてや彼はこの国の公爵で、私は伯爵令嬢。
貴族なんてそれなりに沢山居るしもっと名家の令嬢も、美しい令嬢も居るだろうに何で私なのかと尋ねたら「過小評価しすぎだよ」って細めた目がギラギラしててちょっと怖かったのを覚えている。
それでも、ずっと憧れていたリジュに告白されて断るなんて選択肢はなくて、好きになったきっかけなんてありすぎたけど彼にとっては些細ことだった筈だから未だそれについては伝えた事がない。
「少し、考えさせて下さい」と真っ赤な顔で言った私の手の甲に口付けて、甘えるような、誘惑するような表情で見上げた彼が、
「待てない、早く俺のになって」
って言うから会場が響めいたけど、すぐに「嘘、ずっと待ってる」って爽やかに笑って帰ってしまうものだから質問攻めに合う前にあの日は私も急いで逃げ帰った。
「考えさせて」とは言ったものの翌日正式に送られてきた公爵家からの手紙のせいでただの伯爵である父にも、その妻である母にも、私にも断るという選択肢は与えられなかったけれど。
素晴らしい人だが女泣かせだと不安がる父に「大丈夫だよ」って不安げな顔のまま笑った私を心配そうに抱きしめた母は「しっかりやりなさい」って真剣な顔で「女の闘いは過酷よ」って言ったから思わず三人で笑った。
元々小国の第三王女だった母もまた、交流会で出会った伯爵の父に降嫁するまでにはよくモテる天然タラシの父を手に入れる為に手を焼いたのだと教えてくれた。
(うん、大丈夫よリジュは公務に行ったのよ)
優しくて、気が利いて、少し変だけれど大切にしてくれるリジュは女性関係に奔放なところ以外はとても良い夫だし、仕事面でも少し怖い所はあるがいい公爵だ。
今日も一人で食事か……って気落ちしながら邸に帰ると使用人達の様子がやけに不自然で「誰か壺でも割ったかな」なんて思いながら先にお風呂に入ってから一度部屋に立ち寄ると聞こえる甲高い声に、急に冷や汗が出る。
「奥様、わ私共が確認して参りますっ」
「……いいわ。下がって頂戴」
カツカツと分かりやすく靴を慣らして寝室へと向かう。
どうかせめて足音に気付いて気の利いた言い訳でも考えててって思考回路は完璧に逃げ腰なはずのに、躊躇いなく開いた扉。
「リジュ様ぁ……!?」
「……あれ?エルシー、遅かったね」
「ーっ」
(何で、笑ってるの?)
開いた此処は確かに夫婦の寝室のはずなのに、
目の前の裸の男女は夫と見知らぬ女。
息ができなくて、悲しくて、一気に頭も心も冷えて行く気がした。
「リジュ様、このまま……頂戴?」
妻の目の前で夫に猫撫で声で擦り寄るデリカシーも良識もない女と、さっきまでの雰囲気が嘘みたいに冷たい笑顔で女を振り払うリジュ。
「あぁ君、もう帰っていいよお疲れサマ」
「え……でもまだ何も……っ」
「帰って?」
(訳が分からないし、言い訳もしないのね)
泣きながらベッドルームから飛び出る女に「忘れ物だよ」って放り投げるストッキング。
理解できないし、もう頭が混乱してとりあえず笑った。
「今日は貴賓室で寝るわ」
「じゃあ俺も……」
「ふざけないで、リジュ」
泣きそうになるのを堪えて、リジュを睨みつけると心底嬉しそうな顔を堪えているような表情で何が面白いのか分からないし腹が立ってもう何も話さないで急いで貴賓室に閉じ籠って鍵をかけた。
(もう限界よ、きっと都合がいい女が必要なだけなのよ)
明日は神殿に行って離婚届を取ってこようと心に決めてそのまま眠った。
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