30 / 69
拭えぬ違和感
しおりを挟むあれ以来、リヒトからの手紙は絶える事がなく、シエラもまたリヒトの手紙を破り捨てる事は無くなった。
決してリヒトとの間に恋人らしい関係が育まれているわけでは無く、無視できないのでとりあえず当たり障りのない返事を出していると言う感じであったが、リヒト自身はシエラの様子に変わりがないことが分かればそれで満足しているようで、ひとまず静かであった。
それにシエラは何故かリヒトを突き放せずにいる自分が居たのだった。
しかし、シエラに変わりがないかというとそうではなかった。
前回の人生同様に何故かシエラの悪い噂が様々な所から聞こえるようになっていた。
(前回よりもはるかに早い段階だわ…何が変わったのかしら)
前回に比べてなるべく目立たぬように心がけているシエラの評判は特別良いとは言えないものの、悪くもない筈にもかかわらず、悪評が飛び交う事に少しの不安を感じつつも、今のシエラならば前回のように簡単に貶められる事はないと自らに言い聞かせて心の中を落ち着かせると、書き終えた当たり障りのない手紙をリンゼイに手渡した。
不機嫌そうにソファで待つジェレミアを視界に捉えると、彼はバッと顔を上げて「終わった?」と食い気味に尋ねるので少し笑って頷く。
「姉様、心配しないで…根も葉もない噂なんて僕が捻り潰してやるから」
中身が気になるのか手紙を運んで行くリンゼイをチラリと目視してから、眉間に皺を寄せてそう言うジェレミアを見てじわりと心が温かくなった。
「ありがとう……でも、だめよ。暴君になってはいけないわ、貴方は皆に慕われて選ばれる皇帝にならなければならないの」
「…姉様、けれどこのまま放っておくなんて、」
「幸い、力ある者達ほど私を認めて下さっているわ。令嬢達の暇つぶしに付き合ってはその名誉も廃るわ……今はそっとしておくのよ」
シエラにとっては二度目の経験であるのだ。
少しズレが生じているとはいえ、最悪の事態を回避する事は容易い。
それ故にそれほど、この件を重要視していなかった。
一方、リヒトは婚約者という立場もあり毎日耳にするシエラの噂話や悪評を不自然だと感じていた。
(何か引っかかる……まるで誰かが意図してシエラを貶めているようだな)
けれども彼女からの手紙にはいつも当たり障りのない返事と、問題ありません。と言う言葉だけが書いてあり、リヒトが干渉する隙がないのだ。
強引にシエラを守る事は勿論、マッケンゼン公爵家としては容易い事であったが近頃のシエラの側にはぴたりとジェレミアが居ると仲睦まじい姉弟の様子もまた噂となっており、
ジェレミアの寵愛が上手くシエラを貶める者達への抑止力となっているのだ。陰口程度の噂話以上の被害はシエラには無かった。
リヒトが強引に動けば少なからず角が立つが、このように一見和やかな雰囲気で仲の良さを見せつけるやり方は巧妙で、
甘く、穏やかな口調で姉が大切だと、シエラに牙を剥く者はジェレミアにとっても敵なのだと認識させるその言葉もまた上手くシエラの後ろ盾となっていたのだった。
(悔しいが、ジェレミア殿下以上の適任者は居ないだろう)
暫く考え耽っていると、ドタバタと廊下を走る音が近づき使用人達の困り声が一緒に近づいてくる。
このマッケンゼン公爵邸でこのような無礼を働くものは一人しかおらず、その者は幼馴染であり、女の子には恵まれなかった両親が可愛がっていた所為もあって幼馴染の情というものか邪険にできずにいた。
ただ、それだけだ。
後にもきっと、この先にも女性としてシエラに誤解されるような関係をメリーと築くつもりは皆目無い。
それなのに、この間の一見ですっかり誤解されてしまった様子はリヒトにとってとても不利なことだった。
「折角、少し近づけたと思ったのに……」
ポツリと呟いてから思わず赤面する。
あれほどまでに、自分に熱のこもった視線を送るシエラに国王を重ねうんざりしていたのが嘘のようだった。
それどころか今は、そんな以前のシエラ以上にリヒトがシエラを愛おしげに見つめ、恋焦がれているのだから不思議な気持ちと一緒に唐突な恥ずかしさがリヒトを襲った。
そして、弱く守ってやらねばならない妹のような存在であるはずのメリーに対して、この間の行動と言い近頃の所作への不信感を感じていた。
「リヒト!!」
「……メリー、無作法だぞ」
「え……?」
今までのリヒトなら、先ずメリーに「何だ」と尋ねてくれてから注意しただろう。けれども彼はメリーが涙声で扉を開けたにも関わらず、何があったのか尋ねてこない上に、メリーに視線を上げる事もせずにどこか上の空のまま「無作法だ」とただ咎めたのだ。
メリーはそんなリヒトの反応が面白くなかった。
「……何だ」
「何があったか、聞かないの?」
「ここの所は頻繁だからな、大体予想がつく」
「だからって、心配してくれないのね。リヒトしか頼る人が居ないのに…っ」
「幼馴染として、心配はしている」
「だったら何で…っ、あんな人とまだ婚約なんて、」
幼馴染として、両親を失ってからリヒトの両親と友好関係にあったメリーの両親はリヒトを沢山気遣ってくれたし親切にしてくれた。
その上、両親が可愛がっていたメリーとは今も兄妹のように思ってはいるが近頃のメリーは不自然なほどにシエラを敵対視しているようにも見える。
度々リヒトの耳に入るメリーへのシエラからの嫌がらせの数々はどう考えても現実的ではない内容や、シエラにメリットのないものばかりで、どちらかといえばシエラは極力人との関わりを避け、目立たぬようにしている風にも見える、そんな彼女がそのような事をするとは考え難いものばかりだ。
「メリー、どうしても皇女がそのような稚拙な嫌がらせをするとは考え難いのだが…、何か誤解があるんじゃないのか?」
「…え?」
(リヒトがあの女の肩をもつなんて…!)
「皇女は噂よりも遥かに思慮深く聡明な方だ、メリーも彼女を知れば…」
「はぁ?彼女を知ればなんて…っ!私は皇女に虐げられているのよ?」
「直接されたのか….?」
「……いいえ。けれど皇女に指示されたと聞いたもの」
皇女とて暇ではない。一貴族令嬢を虐める為に忙しい時間を割いてわざわざ馬車に乗って茶会のたびに城から出てくる訳がない。
そうなると勿論、シエラではない他の令嬢にメリーは嫌がらせを受けた事になるが、その者達はあえてメリーに皇女から頼まれたからだと伝えるだろうか?
それに加えて、シエラ以外の実行犯がいるとしたら変だった。
メリーの話に出る名前はいつもシエラだけで、その他のどの令嬢の名も聞いたことがないのだ。
「……誰から?」
「……それはっ」
「それに、シエラ皇女に友人は居ない筈だが」
(えっ!?)
リヒトの疑うような目線、流石のメリーもこれ以上は無理があるだろうと感じた。奥歯をギリギリと噛み締め腹の底に煮えたぎるどす黒いなにかを堪えるようにそっと、そっと「私の勘違いかもしれないわね」と言うのが精一杯だった。
シエラへの憎しみだけがメリーの中で膨らみ、リヒトのため息だけが静かな部屋にやけに大きく聞こえた。
(絶対にリヒトを取り戻してみせるわ、シエラ皇女……許さない)
21
お気に入りに追加
1,121
あなたにおすすめの小説
毒を盛られて生死を彷徨い前世の記憶を取り戻しました。小説の悪役令嬢などやってられません。
克全
ファンタジー
公爵令嬢エマは、アバコーン王国の王太子チャーリーの婚約者だった。だがステュワート教団の孤児院で性技を仕込まれたイザベラに籠絡されていた。王太子達に無実の罪をなすりつけられエマは、修道院に送られた。王太子達は執拗で、本来なら侯爵一族とは認められない妾腹の叔父を操り、父親と母嫌を殺させ公爵家を乗っ取ってしまった。母の父親であるブラウン侯爵が最後まで護ろうとしてくれるも、王国とステュワート教団が協力し、イザベラが直接新種の空気感染する毒薬まで使った事で、毒殺されそうになった。だがこれをきっかけに、異世界で暴漢に腹を刺された女性、美咲の魂が憑依同居する事になった。その女性の話しでは、自分の住んでいる世界の話が、異世界では小説になって多くの人が知っているという。エマと美咲は協力して王国と教団に復讐する事にした。
悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます
綾月百花
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。
君のためだと言われても、少しも嬉しくありません
みみぢあん
恋愛
子爵家の令嬢マリオンの婚約者、アルフレッド卿が王族の護衛で隣国へ行くが、任期がながびき帰国できなくなり婚約を解消することになった。 すぐにノエル卿と2度目の婚約が決まったが、結婚を目前にして家庭の事情で2人は…… 暗い流れがつづきます。 ざまぁでスカッ… とされたい方には不向きのお話です。ご注意を😓
タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒―
私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。
「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」
その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。
※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
【本編完結・番外編不定期更新】
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます

悪役令嬢は間違えない
スノウ
恋愛
王太子の婚約者候補として横暴に振る舞ってきた公爵令嬢のジゼット。
その行動はだんだんエスカレートしていき、ついには癒しの聖女であるリリーという少女を害したことで王太子から断罪され、公開処刑を言い渡される。
処刑までの牢獄での暮らしは劣悪なもので、ジゼットのプライドはズタズタにされ、彼女は生きる希望を失ってしまう。
処刑当日、ジゼットの従者だったダリルが助けに来てくれたものの、看守に見つかり、脱獄は叶わなかった。
しかし、ジゼットは唯一自分を助けようとしてくれたダリルの行動に涙を流し、彼への感謝を胸に断頭台に上がった。
そして、ジゼットの処刑は執行された……はずだった。
ジゼットが気がつくと、彼女が9歳だった時まで時間が巻き戻っていた。
ジゼットは決意する。
次は絶対に間違えない。
処刑なんかされずに、寿命をまっとうしてみせる。
そして、唯一自分を助けようとしてくれたダリルを大切にする、と。
────────────
毎日20時頃に投稿します。
お気に入り登録をしてくださった方、いいねをくださった方、エールをくださった方、どうもありがとうございます。
とても励みになります。

【完結】前代未聞の婚約破棄~なぜあなたが言うの?~【長編】
暖夢 由
恋愛
「サリー・ナシェルカ伯爵令嬢、あなたの婚約は破棄いたします!」
高らかに宣言された婚約破棄の言葉。
ドルマン侯爵主催のガーデンパーティーの庭にその声は響き渡った。
でもその婚約破棄、どうしてあなたが言うのですか?
*********
以前投稿した小説を長編版にリメイクして投稿しております。
内容も少し変わっておりますので、お楽し頂ければ嬉しいです。

熱烈な恋がしたいなら、勝手にしてください。私は、堅実に生きさせてもらいますので。
木山楽斗
恋愛
侯爵令嬢であるアルネアには、婚約者がいた。
しかし、ある日その彼から婚約破棄を告げられてしまう。なんでも、アルネアの妹と婚約したいらしいのだ。
「熱烈な恋がしたいなら、勝手にしてください」
身勝手な恋愛をする二人に対して、アルネアは呆れていた。
堅実に生きたい彼女にとって、二人の行いは信じられないものだったのである。
数日後、アルネアの元にある知らせが届いた。
妹と元婚約者の間で、何か事件が起こったらしいのだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる