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二章 

夏の怪談は真夜中の厨房から

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 ポタリと厨房のシンクに水滴が落ちる音がする。
 そしてヒタヒタと足音が……バンッと、食堂の扉を開け電気を素早く点ける。
 明るくなった食堂内、厨房の中、冷蔵庫の前には怪しげな人影が居る。

「食堂での、盗み食いは、ご遠慮下さいッ!!」
「うわっ!」
「ヒッ!」
「っ!」

 飛び上がった人物達に、私は両手を腰に仁王立ちしてみせた。
 手に持った、明日の朝食用に漬け込んでいる浅漬けと、ハムに巻いたチーズが床に転がり落ちる。
 ついでに言えば、夕飯の残りのニンジンとほうれん草のゴマ和えを混ぜ込んだオニギリは、口から転がり落ちたようだ。

「食堂のおば……お姉さん。悪い悪い」
「今、オバサンって言おうとしましたね! まったく……」

 ここ数日の事なので、慣れたと言えば慣れた。
 この体の透けた幽霊達が、お腹を空かせて冷蔵庫を漁るという怪奇現象。
 亡くなってからも、お腹が空いてしまうのは、おおかみ宿舎が特別な場所で、生前の様に食欲等が戻って来てしまうらしい。
 大抵は、食事を用意して眺めていれば満たされる……らしいのだけれど、たまに、ポルターガイストの様に物を動かして実際に食べちゃう幽霊もいる。

「いい加減にしないと、食堂に塩を置きますからね?」

 彼等は申し訳なさそうな顔で笑い、「自分が死んだなんて思えないよなぁ」と言い合っている。生前の様に食べれたら、そう勘違いしてしまうかもしれないが、彼等の体はもう無いし、体は透けているのだから、まぎれもなく死んでいるのだ。
 田舎から都会へ働きに出て、亡くなってしまったのに、自分の故郷に帰れずに迷子状態な彼等は、宿舎に泊りに来ている妖が責任をもって、彼等を故郷へと送り届けるはずなのだが、担当の妖が、連れ帰る幽霊の一人が頑なに帰るのを拒否している為に、この三人と一緒に連れて帰れない状況にある。
 長い間、おおかみ宿舎の土地に居ると、生前のような行動がしやすくなってしまうらしい。

「お腹が空いたなら、盗み食いせずに起こしに来て下さい」
「いや、その、起こすのも可哀想かと……」
「時間が時間だしねぇ」
「せめて、我々も眠れたらいいのだけどね」

 時刻は夜中の二時。
 丑三つ時と呼ばれる、幽霊たちにとって一番活発に動ける時間帯が、この二時から二時半ぐらいの間らしい。
 
「別に良いですよ。こうして食い荒らされてしまうよりかは……」
「いやぁ、本当にすまん!」

 両手を合わせて謝るのは、二十代半ばのガッチリしたタイプのスポーツインストラクターだった男性、久我くげ直哉なおやさん。

「片付けまでしてくれたら、私も怒らないのですけどね」
「水物って、手からすり抜けちゃうのよね」

 自分の透けた手を不思議そうに見るのは、ギリギリ二十代だという少し派手めの顔をした女性、蒼井あおいめめさん。源氏名は『紗香さやか』さんと言うらしく、夜の商売をしていたのだという。
 食べ物は握れても、水の様な液体を扱うには、幽霊歴がまだ浅いという事らしい。幽霊歴って不思議な言い方だけれど、長く幽霊として土地に縛り付けられていると、色々出来るようになるのだそうだ。ただし、生前の記憶は段々零れ落ちて行き、話も通じないモノへと変貌してしまうから、早めに故郷へ帰して墓守に、毎年盆に帰れるように手配してもらう事が一番良いのだと言う話だ。

「食べてもお腹はいっぱいにならないのは、困りものですよね」
「そうなんだよ。ただ、お腹が空いたというより、口寂しい感じが治まらないという感じでね」

 そう言って、自分の胃の上を手で摩っているのは、三十代後半の尾瀬おぜかけるさん。
 サラリーマンで部長だったせいか、三人の中では一番落ち着いている人でもある。
 食べても満腹になる事が無いのは、死んでいるからに他ならない。
 早めに、この土地から出してあげなくてはならないのも、満たされない気持ちを残したままだと、幽霊から別の妖じみた物に変化してしまうからだ。
 御守さんは「食に思念が行き過ぎる幽霊は『餓鬼』になりやすい」と、言っていたから、本当に急がないといけないのではないだろうか? と、私は思っている。
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