好いたの惚れたの恋茶屋通り

ろいず

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繭の恋

兄と妹

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 繭の見合いが差し迫った頃合いに、【久世楼】では見合いの席を作る為、客間の大掃除をしていた。
 年末前の大掃除をついでにやってしまえと、女将が言うものだから、従業員はてんやわんやで忙しく物を動かして走り回っていた。
 
 暇をしているのは、乕松と繭ぐらいなものだ。
 二人は、乕松の部屋で静かに向かい合っていた。

「私なんかの為に、申し訳ないですね」
「お蝶が生きていたら、同じようなもんだったさ」

 お蝶は、とても小さな妹だったと、乕松は記憶している。
 『あんちゃん』と舌ったらずな声が、今も乕松の耳には残って、それは繭の舌ったらずな声にもよく似ていた。
 繭は乕松が幾ら「俺を兄と呼べ」と言っても、頑なに拒んだ。
 『若様』と、繭は呼ぶのだ。それは乕松としては、寂しいやら距離を置かれているやらで、繭にとって、自分は【久世楼】の人間としか見られていないのかと、しょぼくれてしまうのだ。

「なぁ、繭よ」
「なんですか? 若様」
「繭の名前、元の名前はなんていうんだ? そろそろ教えてくれても良いんじゃねぇか」

 乕松が繭にそう問いかけると、繭は目を伏せて「忘れました」と静かに答える。
 繭が【久世楼】に連れてこられた時、名前を言わなかったものだから、乕松がつけてやったのだ。
 妹のお蝶が戻ってきた気がして、いつかこの子供も『お蝶』になるだろうと、繭と……
 九歳の乕松は、名前は替えられるものだと思っての命名でもあった。
 そして繭は、生みの親に付けられた名など、捨ててしまいたかったものだから、言うつもりは最初からない。
 
「漢字で書けるようになったか?」
「ええ。それはとっくの昔に」
「そうかい。そりゃあ、良かった」

 繭は乕松から手渡された、薄緑に蝶の柄が描かれた着物をそっと手で撫でる。
 とても上質な着物は、乕松が見合いにと用意してくれたものだが、小柄な繭に合わせて作ってあることから、このニ、三日で出来合いの着物が手直しされて見繕われたとは思わない。
 乕松が前々から用意していたのだろう。
 なんの為に用意してあったものなのか、それを聞く勇気は繭には無かった。

「私が文字の読み書きが出来るまでは、このお店にいさせてくれる。そういう約束でしたものね」

 親に売られた子供で、【久世楼】にも売られてきたのだと怯える繭に、乕松は小さな頭を使って色々と提案したのだ。
 その一つが、「文字の読み書きが出来りゃあ、働く場所の幅が広がる。いいか、繭。繭って字は難しい字なんだ。それが書けるまでは、お前はここの家の子だ」そう言って、繭がもし自分から居なくなっても、誰かに売られても生きて行けるように、乕松は一生懸命に繭に文字書きを教えた。

「ああ、そうだったなぁ」
「若様のおかげで、小難しい読み書きも覚えました。だから、安心してくださいな」
「そうかい。俺の妹は二人共、どっかへ行っちまうんだな……」

 喜ばしい事ではあるはずなのに、手放さなくてはいけないと分かった瞬間、惜しくもなるものだ。
 乕松が無理に笑うと、繭も眉間にしわを寄せて泣くまいと笑う。

「兄上様、今までありがとうございました」
「……今更、俺を兄貴呼ばわりかい?」

 頭を下げて、顔を上げない繭の肩が震え、乕松は泣いている繭に伸ばそうとした手を引っ込めた。
 妹離れをしなければいけないのだと、無理やり自分に言い聞かせるしかなかった。
 そう、乕松は、繭の兄なのだから。
 
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