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小梅の恋
ふられちまった悲しみに
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晴天の日もあれば、曇天の日もあろう。
色んな空模様のようなものが人生には多々ある。
神社に行く道すがら商い通りが軒を連ねる中で、茶屋から大雨と轟雷を轟かせるような泣き声が響いていた。
「千吉さんに女が! あたしと祝言を挙げると約束したのに! あんまりよ!」
「小梅、そりゃ千吉が悪い。お前に落ち度なんかありゃしないよ。だから、そうわんわん泣くもんじゃねぇ」
娘の小梅がこれ以上泣かないように、父親の佐平は千吉の肩は持たず、小梅の肩を持った。
自分の娘に落ち度などありはしないし、祝言の約束までしていた相手が居ながら、他に女が居たというのは頂けない。
「父ちゃんは黙ってて! 千吉さんを悪く言わないで!」
「おいおい、小梅……」
そりゃあないだろう? と、佐平が頭を指で掻くものの小梅の泣き声はおいおいと響いてやまない。
こんな時に娘の話を聞いてくれる母親でも居れば良いが、佐平の女房は残念ながら小梅が五つの時にこの世を去った。
それ以来、佐平の母親おいとが小梅の面倒をみていたが、おいとも三年前にぽっくりと逝ってしまった。
十六になる娘に父親はどう接して良いものか、近頃の悩みはそればかりである。
「もうあたしの事は、放っておいて!」
「小梅……」
泣きながら布団を入れている押し入れに、頭からすっぽりと上半身を入れると小梅は動かなくなってしまう。
子供の時から小梅は泣く時や収まりの悪い時は、こうして布団の間に頭を突っ込んでしまう癖がある。
佐平はどうしようもないとばかりに立ち上がって、小梅を残して部屋から出ていく。
娘にばかりも構っていられないのが、商い人の悲しいさがだ。
「はぁ、年頃の娘ってぇのは、わからんねぇ」
ぼやく佐平は茶屋の軒先にある長椅子に、足を組んで着物を着崩して座っている人相の悪い男を見やる。
男は懐から煙管を取り出し口に咥えて、佐平に片手をあげる。
「よう。佐平の旦那。けたたましい泣き声だなぁ。お梅が何かやらかしたのかい?」
にぃと笑って煙管の煙をくゆらせ、男は笑う。
年の頃は二十四、五といったところで、人相こそ悪いが性格は一本筋の通った町の相談役といった老舗の商い問屋【久世楼】の大店の若旦那、乕松だ。
「ああ、乕松の若旦那。小梅のやつが千吉に振られちまったんだよ」
「千吉ってぇと、寺子屋の息子の千吉かい?」
「そうですよ。あの青瓢箪、真面目だけが取り柄かと思ったら、とんでもねぇ。他に女が居たんだとかで」
「成程ねぇ。しかしまぁ、あの千吉がねぇ……ちょっとばかし、俺も探ってみようじゃねぇか」
「乕松の若旦那、どうせ茶化しに行こうってんでしょ? 暇なのかい」
乕松はにぃと笑って立ち上がり、長椅子の上に和紙で包んだ文を置く。
「振られちまったお梅に、なんか食わしてやんな。恋に破れちまった時にゃ、美味いもん食って忘れるこった」
「あっ! 若旦那!」
「じゃあ、またな」
片手をあげて歩き去る乕松に、佐平は残された和紙を開くと一朱金が一枚入っていた。
団子一つが十文とすれば、一朱金は団子三十個の価値がある。
「まったく、乕松の若旦那は気前がいいねぇ」
あれで人相さえよければ、乕松は引く手あまただっただろうにと、少しばかり佐平は思う。
しかし、乕松の顔あってこその神社通りでもあるのだ。
補足:一文=十六円程 一朱金=五千円程
色んな空模様のようなものが人生には多々ある。
神社に行く道すがら商い通りが軒を連ねる中で、茶屋から大雨と轟雷を轟かせるような泣き声が響いていた。
「千吉さんに女が! あたしと祝言を挙げると約束したのに! あんまりよ!」
「小梅、そりゃ千吉が悪い。お前に落ち度なんかありゃしないよ。だから、そうわんわん泣くもんじゃねぇ」
娘の小梅がこれ以上泣かないように、父親の佐平は千吉の肩は持たず、小梅の肩を持った。
自分の娘に落ち度などありはしないし、祝言の約束までしていた相手が居ながら、他に女が居たというのは頂けない。
「父ちゃんは黙ってて! 千吉さんを悪く言わないで!」
「おいおい、小梅……」
そりゃあないだろう? と、佐平が頭を指で掻くものの小梅の泣き声はおいおいと響いてやまない。
こんな時に娘の話を聞いてくれる母親でも居れば良いが、佐平の女房は残念ながら小梅が五つの時にこの世を去った。
それ以来、佐平の母親おいとが小梅の面倒をみていたが、おいとも三年前にぽっくりと逝ってしまった。
十六になる娘に父親はどう接して良いものか、近頃の悩みはそればかりである。
「もうあたしの事は、放っておいて!」
「小梅……」
泣きながら布団を入れている押し入れに、頭からすっぽりと上半身を入れると小梅は動かなくなってしまう。
子供の時から小梅は泣く時や収まりの悪い時は、こうして布団の間に頭を突っ込んでしまう癖がある。
佐平はどうしようもないとばかりに立ち上がって、小梅を残して部屋から出ていく。
娘にばかりも構っていられないのが、商い人の悲しいさがだ。
「はぁ、年頃の娘ってぇのは、わからんねぇ」
ぼやく佐平は茶屋の軒先にある長椅子に、足を組んで着物を着崩して座っている人相の悪い男を見やる。
男は懐から煙管を取り出し口に咥えて、佐平に片手をあげる。
「よう。佐平の旦那。けたたましい泣き声だなぁ。お梅が何かやらかしたのかい?」
にぃと笑って煙管の煙をくゆらせ、男は笑う。
年の頃は二十四、五といったところで、人相こそ悪いが性格は一本筋の通った町の相談役といった老舗の商い問屋【久世楼】の大店の若旦那、乕松だ。
「ああ、乕松の若旦那。小梅のやつが千吉に振られちまったんだよ」
「千吉ってぇと、寺子屋の息子の千吉かい?」
「そうですよ。あの青瓢箪、真面目だけが取り柄かと思ったら、とんでもねぇ。他に女が居たんだとかで」
「成程ねぇ。しかしまぁ、あの千吉がねぇ……ちょっとばかし、俺も探ってみようじゃねぇか」
「乕松の若旦那、どうせ茶化しに行こうってんでしょ? 暇なのかい」
乕松はにぃと笑って立ち上がり、長椅子の上に和紙で包んだ文を置く。
「振られちまったお梅に、なんか食わしてやんな。恋に破れちまった時にゃ、美味いもん食って忘れるこった」
「あっ! 若旦那!」
「じゃあ、またな」
片手をあげて歩き去る乕松に、佐平は残された和紙を開くと一朱金が一枚入っていた。
団子一つが十文とすれば、一朱金は団子三十個の価値がある。
「まったく、乕松の若旦那は気前がいいねぇ」
あれで人相さえよければ、乕松は引く手あまただっただろうにと、少しばかり佐平は思う。
しかし、乕松の顔あってこその神社通りでもあるのだ。
補足:一文=十六円程 一朱金=五千円程
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