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しおりを挟む第一章 勇者とオマケのわたし
都会のビル群に囲まれた公園に、一台のキッチンカーが停まっている。
出店しているのはお弁当屋『箱弁小町』だ。
今日のおススメは、バターピラフとじっくり煮込んだリブ肉のお弁当、名物のチーズ入りハーブコロッケ付き。サイドメニューの野菜スープは、春キャベツと春雨の入ったヘルシーながら腹持ちがよいもので、スープだけを買う女性客も多い。
ここのお弁当は、ガッツリ食べたい男性客にはボリュームを、女性にはヘルシーかつしっかり栄養を摂れるメニューを提供し、繁盛している。
「日南子ちゃん。さっきの常連さんが、お釣りの三百円を受け取らずに行っちゃったのよ。追いかけてくれない?」
「はーい。任せてください!」
わたしは経営者の白瀬さんから三百円を受け取り、白瀬さんの目線の先にいるスーツ姿の男性を追いかける。
常連の若い男性で、この近辺の会社に勤めているらしい。いつも首から下げた社員証を胸ポケットに入れている。
そこそこ顔が良くて、明るい子犬のような元気のいい人だ。
人懐っこい性格のようで、お弁当待ちの行列でも近くの人とすぐに打ち解けて喋っている姿をよく見る。うちのお店でも常連として顔を覚えられていて、「息子に欲しいくらいの好青年」と言われている。
「お客さん。お釣りを忘れていますよ!」
信号待ちをしていた常連さんの背中をポンポンと叩く。すると、彼は後ろを振り向いたものの、目線をさまよわせる。
すみません。下ですよ……下。
わたし、七和日南子は残念ながら、背が低い。
百四十五センチの小学生並みの身長。口に入るものを扱う仕事のため、衛生を考えて化粧はしていない。肩までの黒い髪も、しっかり結んでいる。それもお洒落なシュシュなどではなく地味なゴムでだ。よって、とても幼く見える。
そんなわたしにようやく気づいて、常連さんは下を見てくれた。
まぁ、いつもはカウンター越しでしかやりとりをしないので、身長差に気づかなかったのだろう。キッチンカーから降りると低いのですよ……身長の高い常連さん、羨ましいことです。
「わっ! すみません! えっと、お弁当屋さん、どうかしましたか?」
「お釣りです。三百円、受け取り忘れていたそうですよ」
「あっ、そうだった! うわぁー、恥ずかしいな」
「はい。どうぞお確かめください」
わたしは小銭を常連さんに渡す。すぐに頭を下げて戻ろうとすると、常連さんに呼び止められた。
「七和さん! あのっ、お礼をさせてください!」
「え?」
なんでわたしの名前を? って思ったけど、エプロンに名札が付いているからか。常連さんなら毎日のように見ているだろうし、覚えてしまったのかな。
そんなことを考えつつ、「お礼をされるほどのことではないので」と笑うと、常連さんは所在なさげに手を動かして、眉を下げて口をモゴモゴさせる。
はて、どうしたのやら。
「俺、暁炎路っていいます! 七和さん、その……」
常連さんは胸ポケットから『暁 炎路』と書かれた社員証を出して見せてくれた。明るい彼に似合いの名前だ。まさに燃える熱血青年という印象を受ける。
そんな暁さんは顔を赤くして、わたしの手を握りしめてきた。
信号が赤から青に変わり、信号を渡る人たちがチラチラと見る。
恥ずかしいから手を離してほしい……しかし、お客さん相手に「離せ」とは言いづらい。
まるで告白でもするのかという雰囲気で、紛らわしいことはご遠慮願いたいところなのだけど。
「あの、わたし――」
わたしが「仕事に戻りますね」と言って切り上げようと口を開いた瞬間、暁さんの体が眩しい光に包まれた。思わず目を瞑ると、ぐにゃりと地面がなくなったような感覚がして、貧血でも起こしたかと焦る。
ぐらぐらとした感覚が収まって目を開けると――そこは、さっきまでの街ではなくなっていた。
外国映画で見るような、天井の高いダンスホール。壁は金色をはじめとした色彩豊かな装飾で彩られ、頭上には眩しいシャンデリアが輝いている。
そして周りにはどう見ても西洋系の顔立ちの人々が、中世の貴族のようなドレスやタキシードを着て立っていた。しかし、髪の毛はピンクだったり青だったりとつっこみどころが多い。
あのビルの建ち並ぶ街並みはどこへ消えてしまったのだろう?
ぽかーん、と口を開けていたわたしは、ハッと我に返り、握られたままだった暁さんの手を振り払う。暁さんも気づいたらしく、申し訳なさそうな顔をした。
「よくぞ参られた! 勇者殿! ……と、お付きの者か?」
気まずい空気のわたしたちにいきなりそう話しかけてきたのは、トランプのキングをそのまま現実にしたような、いかにも王様っぽい服装に王冠を被った中年外国人だった。
暁さんをにやにやと嬉しそうに見つめたあと、わたしに訝しげな目を向ける。
なんだろう? 値踏みされているような嫌な感じでムッとしてしまう。
「ゆ、勇者……?」
暁さんもようやく頭が回りはじめたのか、周りを見回してギョッとした表情をしている。
いや、まぁ、それよりもだ。
暁さんが勇者なら、わたしがお付きの者ってこと?
状況の掴めないわたしと暁さんに、トランプの王様の横にいた学者帽を被った老人が偉そうに説明してくれた。実際学者だというのだから、見た目通りである。ちなみにトランプのキングみたいな中年外国人は、やっぱり王様で間違いなかったらしい。
この世界はテスアロウという名前の世界で、地球ではない……らしい。
今いるこの国はニルヴァーナ。勇者召喚ができる唯一の国だと、学者の老人は誇らしげに言っていた。
でも、わたしは失笑してしまう。
勇者召喚というのは、異世界からこの世界へ、魔王を退治できる人を呼び出す儀式だというけれど、こちらは一般人。戦闘のエキスパートでもなければ、特別体を鍛えているわけでもないお弁当屋さんとサラリーマンだ。
「あの、俺も七和さんも、凄い力とかはないのですが……」
暁さんも同じ意見のようだ。
「召喚する人を間違えています。わたしたちは、どこにでもいる一般人ですよ?」
まぁ、わたしが間違いで召喚されたのは、わかっている。さっきから視線が「厄介者め」と言わんばかりに突き刺さっているからね。
「勇者というのは、伝説の武具の使い手が選ばれるのだ。本人の能力は関係ない」
王様はギロリとわたしを睨みつける。口を挟むなと言いたいのだろう。
彼らが召喚したかったのは暁さんで、わたしは暁さんに手を握られていたせいで巻き込まれただけ。初めからお呼びじゃないのはわかっている。
しかし、ここで押し黙る訳にはいかない。
「すみません! わたしは仕事があるので、すぐにでも帰してください!」
バッと手を上げたわたしに、暁さんもハッとして「俺も昼休みを過ぎると困る!」と声をあげる。
「いやいや、困りますなぁ。勇者殿には魔王を倒していただかなくては」
抗議するわたしたちを見て、王様が口端に笑みを浮かべる。わたしたちは不気味なものを感じて一歩下がった。
突然王様がバッと手を広げ、周りの人々が一斉に膝をつく。
「この通り、国民たちも勇者殿を待っていたのだ! 勇者ともあろう者が、苦しんでいる民を見捨てるなど、あってはならんことだろう?」
いやいや、そんなのわたしたちの知ったことではない。異世界人のわたしたちにとって見ず知らずのこの世界を、何故救わねばならないのか。
最近の若者は「ノー」と言えるのですよ!
「わかりました」
って、おいっ! 暁さん!?
わたしが暁さんを見上げると、彼は少し困った顔で笑う。そして決意したように握り拳を作りながら王様に言った。
「ただし、魔王を倒したらちゃんと、俺たちを元の世界へ戻してください!」
「ちょっ……暁さんっ!」
なんで「言ってやりましたよ!」って得意げな顔をしているわけ? わたしたちには関係ない世界の話だし、救うにしても、もっとキチンと交渉をすべきじゃないの!?
というか、巻き込まれただけなのだからわたしだけでも先に帰してくれないだろうか?
半目で睨むわたしを無視し、王様は暁さんの条件を呑んだ。
元の世界には戻す……ただし、『魔王を倒すこと』が絶対条件。
暁さんは、わたしにこの国で待つように言った。
「俺が魔王退治を終えるまでの間、七和さんをこの国で無事に生活させると約束してほしい」
「条件はそれだけですかな?」
暁さんは頷き、王様は約束を書類にした。
結局、わたしの意見はなに一つ聞かれることなく話は終わったのだった。
この世界に来た時点で、元の世界とは時間が切り離されているらしい。
元の世界へ戻る時は、来た時と同じ時間に戻される……つまりこの世界で過ごした分だけ年を取って帰ることになる。だから早く魔王を倒さないと、元の世界に戻った時に年寄りになっているかもしれない。
複雑ではあるけれど、それを聞いて、わたしは少しだけホッとする。
お店を少し出ただけのわたしと、休み時間にお弁当を買いに出ただけの暁さん。元の世界に帰った時、あれから何年も経っていました……となったら大変だからだ。行方不明事件として捜索されていそうだし、無事に帰れても社会復帰は難しいだろう。
暁さんは王様に勇者の武具を渡され、全身真っ白の鎧を装備した。更に白い柄の大剣に、白いマント……とても重そうなのに、暁さんは「軽い」と言っていた。
その伝説の武具は、どうやら勇者の筋力や魔力などを色々と強化してくれるらしい。
わたし? わたしは、お付きの者だからね……木綿のシャツにロングスカートという地味な服。
ドレスとか着せられたらどうしよー! って、一瞬でも期待したわたしが馬鹿だった。
この世界、オマケに厳しくない!? こっちは巻き添えくった被害者なんですけど! と、訴えたいところだ。
次の日、勇者様ご一行の出発を祝した宴が開かれた。
暁さんはドレスの群れに襲われ、なかなかのハーレム状態。「勇者殿には期待しています!」とかなんとか言われてチヤホヤされまくっている。
わたしは給仕のお仕事をしながらそれを見ていた。
ハハハ……わたしは勇者様のオマケなので宴を楽しむ資格などなく、『穀潰しにならないように働け』ということらしい。
わたしがこんな目に遭っていても、暁さんは申し訳なさそうな顔をするだけで、助けてくれない。
暁さんは絶対、結婚して妻が自分の母親に苛められても助けない夫になるタイプだ。こういう男性とは結婚したくない。
まぁ、暁さんの恩恵で城下町に家を貸してもらえることになり、仕事まで紹介してもらったのだから、文句ばかりではない。それもわたしの希望で働き先はお料理屋さんだ。
もちろん、この宴の給仕もお給金が出ている。
とはいえ日本円にして五千円……一日働いてこの金額である。王宮の給仕なのにケチ臭い。
働かせてもらえることになったお料理屋さんですら一日五時間勤務で五千円なのに、一日中働かせておいて五千円は安すぎる。
他の給仕さんにも聞いたけれど、「王宮はそんなものよ。噂の勇者様を見てみたいから引き受けたけど、普通の貴族の宴のほうがお給金は良いわ」とのことだ。
ちなみに、ここのお金の単位はシグル。
パンは一つで百シグルくらいだから、一円が一シグルという感じで物価も元の世界と変わらない。
小銭は百シグル硬貨が指の爪ほど大きさの黒いもので、千シグルは銀色の少し大きめの硬貨になる。覚えやすくて大変助かる。
硬貨は百万シグル硬貨まであるらしいけど、金色のものとしか説明されず、見せてさえもらえなかった。ケチ臭い王宮である。
「勇者様ぁ~ 無事にお帰りになったら、是非、一番初めにダンスを踊る栄誉をくださいませ」
おやおや、暁さん。美女に囲まれていますねぇ。何故かわたしに助けを求めるような目をしているけれど、給仕のわたしが助けたりしたら、あとが怖い。
暁さんは二十四歳だと言うし、危険な旅の前にいい思いをすればいいのではないかな?
ちなみにわたしは十八歳。調理専門の高等学校を卒業したばかりで、三年間は『箱弁小町』で修業して実務経験を積もうとしていたところだ。お金を貯めてキッチンカーを購入し、自分のお弁当屋さんを開くのが将来の夢だったりする。
自分の夢のためにも、この世界の料理を勉強して、盗める技は盗んで帰りたい。
どうせ暁さんが魔王を退治するまで帰れないのならば、いっそポジティブに楽しみたいところだ。
「アカツキ。我々と魔王を倒し、世界に平和をもたらそうじゃないか!」
暁さんと一緒に魔王退治に行く人たちも挨拶に来ているようで、暁さんは眉を下げて笑いながら、受け答えしている。この国の騎士団長や近隣の国の魔術師など、凄腕揃いという話だけれど、わたしには関係ない人たちだ。
しかし、この宴……ずいぶん長時間続くけれど、貴族って暇なの? 家に帰りなさいよ……
「はぁー……疲れたー……」
わたしはようやく暇を見つけて、バルコニーへ出る。
「お疲れ様。七和さん、大変そうだったね」
「……お仕事、ですから」
大変だと思うなら、少しは助けろ! と、思ってしまうけれど、魔王退治という訳のわからない使命を押し付けられている人だ。ここは、わたしが大人にならなきゃいけない。
「あのさ、こんなことに巻き込んで、申し訳なく思っているんだ。それでなんだけど……魔王退治が終わったらさ、お詫びに元の世界で、食事でもどうかな?」
「……まぁ、食事ぐらいなら」
「やった! 俺、絶対すぐに魔王を退治して、七和さんを連れて帰るから!」
なんだかこの人、犬みたい。わたしの頭の中に、ゴールデン・レトリーバーが元気に駆けていくイメージが浮かぶ。思わずクスッと笑うと、暁さんも照れたように鼻を擦ってから、笑った。
次の日、暁さんは馬車に揺られて旅立っていった。
訓練もなにもしていないのに、勇者の武具だけを頼りに旅に出るとは……命知らずだな。
そう思っていたけれど、わたしの予想とは裏腹に、一ヶ月もすると暁さんは勇者として名声を高め、気づけば『勇者アカツキ』の名前はニルヴァーナ国中に轟いていた。
第二章 獣人のお客様
暁さんが勇者として旅立って、二ヶ月ほど過ぎた頃だった。
その日は仕事が昼過ぎからだったので、わたしは貸家でのんびりと過ごしていた。
城下町のお城に近い家で、一人で暮らすには広く、キッチンとバストイレ完備の一戸建て。
赤い屋根に白い壁、狭いながらも庭付き。家の中はリビングにベッドルームが二つと書斎もある。ただ、わたしはまだこの国の文字が読めないので、書斎にある本は一切読めない。だから、書斎があっても意味をなさない。
オマケにしては、相当良い家を貸してもらえたものだと思う。家賃がいくらなのか気になったけれど、聞いていないし請求もされたことがない。暁さんが王様に言って用意させたのだから、無償なのかな? と、勝手に思っている。
わたしはキッチンで自分用のお昼ご飯を作る。
この世界で暮らすようになってから気づいたのだけど、困ったことに料理が不味い。ニルヴァーナ国だけなのか、この世界全体がそうなのかはわからないけれど……
素材はとても良いの。新鮮そのもの。
しかも、調味料や食材は異世界なのに地球のものとあまり変わらない。
それなのに、食材を乾燥させて、粉にしてから練り合わせるという……素材の新鮮さを台無しにする料理法がほとんどなので粉っぽいものが多い。なんでも、この国ニルヴァーナの伝統的な食べ方なのだとか……ニルヴァーナの王都付近は特にそういった料理を扱う飲食店が多い。
よってわたしは外食をほぼしない。自分で新鮮な食材を買って作る料理が一番美味しいという結論に達したのだ。
そんな訳で、わたしは自炊をしている。
今日のお昼ご飯は、『キノコと白身魚のバター蒸し』である。
材料は、キノコと白身魚、コショウ、玉ねぎ、ニンジン、バター、お酒。
作り方は簡単。キノコを食べやすい大きさに切って、玉ねぎは薄くスライス。ニンジンも細切りにして小指の長さくらいに切る。
フライパンに白身魚を置いて、コショウを振る。そこに切った具材を載せていき、一番上にバター、そして周りにお酒を流し込んで、蓋をして六分ほど弱火にかける。火を消したあとは蓋をしたまま、五分ほど放置すればしっかり蒸しあがる。
「はぁー……バターの香りがたまらない。これでお米があれば……最高なのにぃ」
残念ながらお米は見たことがない。日本人には厳しい世界である。
お皿に盛りつけて、作り置きのマッシュポテトをお皿に移せばお昼ご飯の完成。
「いただきまーす!」
キッチンの椅子に座って、作業台の上で食べはじめる。
「バターとお酒の風味が……んーっ、美味しい」
白身魚のホックリした感触が舌に心地良い。この国の素材は良いものが多くて、ニンジンは香り高く、玉ねぎも甘味があるし、キノコの匂いも食欲をそそる。
食べ終わったわたしは、いつものように白い綿のシャツに茶色いロングスカートに着替え、エプロンをつける。そして準備を済ませて家を出た。
石畳の道をコツコツと音を立てて歩きながら、お店へ向かう。
この城下町では、貴族や裕福な人たちの生活区域は石畳で舗装されていて、余り整備されていない砂利道が、庶民の生活区域とされている。
お店はわたしの家と同じ赤い屋根で、壁も白い。この国はお城以外、こうした外観の建物が主なようだ。
中に入ると板張りの床に、木のテーブルと椅子が置かれている。収容人数はざっと三十人ほどだろう。
「お疲れ様ですー」
わたしはお店のマスターに声をかけ、続いてマスターの奥さんにも挨拶した。
ここはマスターのご夫婦だけで回している店で、満席になることがほぼない。
「今日も頑張りなよ。オマケ」
「はぁーい」
オマケとは、私の通り名のようなものだ。
勇者様のオマケという、馬鹿にされているような呼び名だけど、快進撃を続ける暁さんのオマケなので、周りの人たちは、それなりに優しい。
日南子という名前が発音しづらいだけかもしれないけれどね。
カランッとお店のベルが鳴り、わたしは声を上げて、来客を迎える。
「いらっしゃいませー」
入ってきたのは、深緑の軍服のような詰襟を着た男性だった。
そのお客さんを見て、店内に居た数名のお客さんもわたしもポカンと口を開ける。
男性は腰の辺りまである銀色の長い髪をしていて、背丈は暁さんよりも高い……百八十センチはありそうだ。
目鼻立ちの整った人で、凛とした雰囲気がある。こういう人を『息を呑むような美しい人』と、表現するのだろうか? 切れ長の目はアイスブルーの光を湛え、この男性客の雰囲気そのものだと思った。
しかし、その人の特異な点はそれだけではない。
頭の上に銀色の三角耳、そして上下にゆっくりと揺れる尻尾があった。
この世界には様々な人種がいると聞いていたけれど、獣人族は初めて見た。
本物の獣耳……見上げて、首がゴキッと鳴ったことで、わたしは正気に戻る。
「お、お席にご案内しますね!」
いけない、いけない。お仕事を放棄して、お客さんに見入っている場合じゃなかった。
お客さんを案内して、メニュー表を指し示す。
「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」
わたしが頭を下げて立ち去ろうとすると、その人と目が合った。
整い過ぎた顔はどこか冷たい印象なのに、彼は口元に笑みを浮かべて、嬉しさをどう表現すればわからないとでも言うように表情を崩していた。眉を下げながら、目と口は喜びを隠しきれないといった雰囲気だ。
パタタタタと、尻尾が勢いよく揺れている。
「貴女の、おススメはありますか?」
メニューには目もくれず、わたしの顔を見て彼は問う。
「そうですね。ガレットはいかがですか? 薄く伸ばした生地にマッシュポテトとベーコン、卵を載せて焼いた料理です。上から粉チーズをかけて食べると美味しいですよ」
このお店で唯一まともなメニューといえば、これだろう。
マッシュポテトは粉状に乾燥させた芋を練り直したものだけれど、これは比較的マシな代物だ。
「では、それをお願いします」
「はい。では、少々お待ちくださいね」
マスターに注文を伝え、わたしはコップに水を注いで再びテーブルに戻る。
「お冷やをお持ちしました」
「あの失礼ですが、貴女はこのお店の娘さんでしょうか?」
「いいえ。ただの店員です」
「そうですか。深い意味はないのです。ただ、黒髪に黒目はとても珍しいので……」
まぁ、確かにピンクや緑などカラフルな髪の人が多い世界で、黒髪で黒目は珍しい。わたしに言わせてもらえれば、銀髪のほうが珍しいと思うけれど。
「そりゃ、オマケはあの勇者アカツキと同郷だからね。異世界人特有の色なんだよ」
「オマケ? 勇者アカツキ……?」
わたしたちの会話にマスターの奥さんが割り込んできて、彼は少し驚いたような顔でわたしを見た。
「この子ったら、勇者召喚でアカツキに付いてきちゃったんだよ。だからオマケって呼ばれているのさ」
いや、奥さん違いますってば……っ! それじゃ、わたしが暁さんに無理やりついてきたみたいじゃない? お客さんの前じゃなきゃ訂正していたところだけど、まぁ話の腰を折るのは申し訳ないから黙っておく。
「では、貴女はこの世界の人ではないのですか……?」
わたしがコクリと頷いたところで、「オマケ! ガレットあがったぞ!」というマスターの声が響いたので、取りに向かう。
厨房でガレットのお皿を受け取ると、スープとフォーク、スプーン、ナイフと共にトレイに載せ、テーブルへ運ぶ。
すでに奥さんは別のお客さんと話をしていて、男性はジッとわたしを見つめていた。
「お待たせいたしました。ガレットをお持ちしました。粉チーズと、伝票を置いておきますね」
テーブルに料理を載せると、彼はやはりわたしのほうを見つめてこう言った。
「私は、グーエン・テラスと言います。セスタ国のイグラシアという町で、陸地の警備隊長をしています。貴女の名前を伺ってもよろしいでしょうか? オマケが名前ではないでしょう?」
わたしは目をパチパチと瞬かせる。
オマケという通り名を揶揄わずに、本名を聞いてくれた彼に少しだけ好感を持った。
「七和日南子です。あっ、この世界だと名前が先だから、ヒナコ・ナナワになります」
「……ヒナコ。ヒナと、お呼びしても良いですか?」
そう尋ねる彼の尻尾はブンブンと勢いよく揺れていて、顔は期待に満ちた表情をしている。
はて? そんなに好かれるような要素がどこかにあっただろうか?
「ええ。どうぞ。ふふっ、でもわたしヒナって、呼ばれたのは初めてですよ。そういう愛称で呼ばれたことなんてなかったから、新鮮です」
「それは光栄です。……ヒナ。料理を持ってきてくださって、ありがとうございます」
「お仕事ですから、気にしないでください。グーエンさん」
「グーエンと、呼び捨てで結構ですよ」
「はい。では……グーエン。ゆっくりしていってくださいね」
わたしは人懐っこい笑みを浮かべるグーエンに、また好感度を上げていた。
料理を持っていくのは仕事だから当然だけど、それでも「ありがとう」の一言は心がホクホクと温かくなるし、嬉しいものなのだ。
グーエンは食事が終わると、すぐに店から出ていった。
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