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1巻

1-3

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   ◇◇◇


 それから月日は流れ、十三歳の春を迎えた。
 リエンも八歳になり、心待ちにしていた学園生活に胸をおどらせていた。

「シャルル兄様! 学園についたら、一番に兄様のお気に入りの場所に連れていってね!」
「あぁ、わかったよ。ほら、リエン。シャツのボタンは上までめないと」
「えー。上までボタンをめると息苦しいから、好きじゃないなぁ」
「リエン。兄さんを困らせるようなことを言うんじゃない」

 ボタンをめるのを嫌がるリエンに、ジェイドは普段よりもきびしい顔を見せる。

「ハハ。気にしなくていいよ、ジェイド。でも、ネクタイをつけるならボタンはしっかりめたほうが、俺は格好いいと思うけどなぁ」
「そう? じゃあ、シャルル兄様がボタンをめてくれる?」
「あぁ、いいよ」

 リエンの機嫌をうかがいながらボタンをめていくと、胸元にチラリと銀色のチェーンが見える。
 ――これって、あの時のペンダントだよな……
 見覚えのあるそれに、俺は気まずい気分になった。
 一度目の記憶がよみがえりそうになった時、「シャルル兄様?」という声がして、ハッとする。

「ごめん、ボーッとしてたみたいだ」
「突然手を止めたから、なにかあったのかと思ったよ。ねぇ、シャルル兄様。ネクタイも結んでくれる?」
「構わないよ」
「やったぁ~!」

 嬉しそうに跳ねるリエン。
 準備が終わると、少し早いが学園へ向かう。三人で馬車に乗り込むと、リエンは俺の隣に座り、窓の外を見ながらいろんな質問をしてきた。
 学園に到着すると、ジェイドの時と同じように時間が許すまで案内した。そして園庭の奥にある秘密の場所へ連れていくと、リエンは嬉しそうに表情をほころばせる。

「すっごく素敵な場所だね!」
「そうだろ? ジェイドも初めてきた時、同じように喜んでいたよな」
「そうですね。なんだかなつかしく感じます」

 ジェイドとリエンは、楽しそうにしている。
 二度目の世界がはじまってから三年。
 まさか義弟たちと、こんなに仲のいい兄弟になるなど想像がつかなかった。このままの関係を続けていけば、俺が嫌われることはなさそうだ。
 それに、二人を『大切にしたい』という気持ちも少しずつ芽生えてきた。
 自分の心の小さな変化を感じながら、俺は義弟たちと楽しい時間を過ごしていった。


 リエンの初登校から一ヶ月が過ぎた頃。
 自分の部屋へ戻ろうと廊下を歩いていると、キラリと光る物を見つけた。

「あ、これは……」

 落ちていたのは、チェーンが切れた銀色のロケットペンダント。チャームを開くと、中には一人の男性の写真が入っている。
 その男性は、リエンとよく似ていた。

「リエンのペンダントだな」

 リエンは二歳の時に死んでしまった父親のことを忘れないようにと、ペンダントに写真を入れてずっと首に下げていた。
 このペンダントは、フロルさんが亡くなった旦那さんからプレゼントされた思い出の品でもある。
 一度目の俺は、リエンのペンダントが落ちているのを見つけて隠し持ち、泣きそうな顔で必死に捜すリエンを見て、ほくそ笑んでいた。最後はリエンを近くの湖に連れ出し、目の前で湖へ投げ捨てた。リエンはペンダントを拾いに湖へ入っていき、後をついてきたジェイドが必死に止めていた。
 深い湖の底に沈んだペンダントが見つかるはずもなく、リエンはずぶれになりながら泣きじゃくり、ジェイドも辛そうな顔でリエンをなぐさめていた。
 俺はそんな二人を見ながら、ケタケタと笑っていた。
 相変わらず最低で最悪な自分の行為を思い出し、ため息がれる。

「早く返してやらないと」

 ペンダントを手にしてリエンの部屋へ向かうが、リエンの姿は見当たらない。屋敷の中を捜していると、不安な顔でキョロキョロするリエンの姿が目に入った。

「リエン」
「シャルル兄様……」

 俺の顔を見ると、リエンは顔をくしゃりとゆがめ、今にも泣き出しそうになる。

「探し物は、これだろ?」

 ペンダントを見せると、リエンは安心したように眉を下げてペンダントを受け取った。

「ありがとう、兄様」

 ペンダントをギュッと握り締めながら、リエンはいつもの可愛らしい笑顔を見せる。

「チェーンが切れているから、直してもらおうか?」
「大丈夫。このまま持っているから」
「そうか。もう落とさないように気をつけるんだぞ」
「うん!」

 嬉しそうにペンダントを見ていたリエンは、ポツリと意外な言葉をつぶやいた。

「父様に見つからなくて、よかった……」
「え? どうして?」

 リエンがつぶやいた言葉が気になって、たずねる。

「だって嫌じゃない? 前の父様の写真を持ち歩いてるなんて」
「……嫌じゃないよ。ねぇ、リエン。俺の部屋に、肖像画が飾ってあるだろう」
「うん」
「あれは俺の母様なんだ」
「そうなんだ」
「しかも、父様が描いたんだぞ」
「えっ! 父様すごい!」
「そうだろ? 母様が亡くなってしばらくして、父様にお願いしたんだ。父様が描いた肖像画を部屋に飾ってもいいかって」

 そして、母の絵を飾った次の日に再婚の話をされたから、俺は……

「シャルル兄様?」
「あ、ごめん。それでね、その時に父様が言ったんだ。亡くなった人を忘れないように想い続けることは、素敵なことだよって。だから、リエンが亡くなったお父様の写真を持っていても、父様は嫌な思いなんてしないよ」
「そっかぁ。ねぇ、シャルル兄様。父様が描いた肖像画を見に行ってもいい?」
「あぁ、いいよ」

 俺の部屋へ向かい、壁に飾られた母の肖像画の前に並んで立つと、リエンはじっと肖像画を見つめた。

「兄様は、お母様に似ているんだね」
「ん? そうかな?」
「うん! 水色の瞳と綺麗な顔は、お母様に似てる! 真っ黒でサラサラの髪の毛は、父様だね!」
「ありがとうリエン。リエンは、お父上によく似ているね。でも、笑った顔はフロルさんにそっくりだ」
「えへへ。ありがとう兄様」

 嬉しそうに笑うリエンの頭をでながら、肖像画の母を見つめる。
 忘れないように、想い続ける、か……
 一度目の人生で、父に向かって『母様を忘れた裏切り者』と俺は言ったが、本当に母のことを忘れていたのは俺のほうだ。
 フロルさんやジェイドたちへの憎しみに支配されて、母を思い出しなつかしむことなどなかった。
 ――母様、ごめんね。俺、母様のこと忘れてないから……
 微笑む母の姿に、俺は心の中で何度も謝り、その夜は母との思い出を思い出しながら眠った。
 それから数日後。俺は可愛らしくラッピングされた小さな箱を手に、リエンの部屋へ向かった。

「リエン。少しいいかな?」
「どうしたの、兄様?」
「実は、リエンにプレゼントがあるんだ」
「え! プレゼント!」

 箱を渡すとリエンは嬉しそうに開け、中身を見て「うわぁ……」とつぶやく。
 それは、新しいロケットペンダント。

「兄様、いいの?」
「うん。前のペンダントもチェーンを通せば一緒に使えるかと思って。でも、二個もつけたらやっぱり邪魔かな?」
「ううん! 全然邪魔じゃないよ! うわぁ、嬉しい! ありがとう兄様!」

 リエンは嬉しそうにペンダントを見たり触ったりしている。

「これ、写真が二枚入るの?」
「そうだよ。家族の写真と、これから出会うリエンの大切な人の写真を入れたらいいかなって」
「大切な人……」

 俺の言葉にリエンはキョトンとした表情になった。
 ――まだ幼いリエンには『大切な人』という言葉は難しかったかな?

「それって、好きな人ってことだよね?」
「まぁ似たような感じかな。もしかしてリエンはもう好きな子がいるのか?」
「うん。いるよ」

 リエンの答えに驚くが、八歳なら初恋を経験してもおかしくない年齢だ。

「シャルル兄様……」
「どうした?」
「……えへへ。なんでもないよ」
「なんだよ~」

 リエンの頭をわしゃわしゃっとでると「もう、やめてよぉ」と笑い声をあげる。
 俺がプレゼントしたペンダントには、どんな写真が入るのだろうか。
 リエンが心から大切に想い、愛する人は、一体どんな人なのだろう?
 そんなことを考えながら、俺は一度目とは違うリエンの明るい未来を想像した。


   ◇◇◇


 二度目の人生がはじまり、四回目の夏が訪れた。
 十四歳になった今でも、フロルさんやジェイド、リエンとの関係は良好だ。
 フロルさんは再婚して以降、持病が悪化する様子はなく、義弟たちとも仲よくやっている。
 今のところ順調に進んでいると思っていたが、いろいろと気づいた点もあった。
 それは、一度目と同じ場面が繰り返されることだった。一度目の時と今とでは、俺を取り巻く環境は大きく異なる。それなのに、一度目で経験した場面を再現したような出来事が起こるのだ。
 繰り返されるのは、俺が一度目で誰かを傷つけた場面ばかりだった。
 リエンがいなくなった時や、ペンダントを落とした時。完全に同じではないものの、一度目の人生で起きたことをなぞるように、それは起こる。
 一度目の罪を忘れないようにという警告なのだろうか。
 ――十四歳の時、俺は三人になにをしただろう……?
 夕食が終わり、ボーッと考えていると、ジェイドが声をかけてきた。

「シャルル兄さん。週末、馬に乗って一緒に狩りに行きませんか?」

 いつもならふたつ返事で『行こう!』と答えるのだが、その言葉に一度目の記憶がよみがえる。

「あ、ええと、狩りは……苦手なんだ。ごめんな」

 俺はとっさに嘘をついて、ジェイドの誘いを断った。


 一度目の十四歳の夏。俺は乗り気ではなかったジェイドを無理矢理狩りに同行させた。
 狩りに夢中になっていた俺はジェイドが近くにいることに気づかず、放った矢がジェイドの乗る馬に刺さってしまった。馬は驚きと痛みで興奮し、ジェイドを振り落として森の奥へ走り去る。ジェイドは落馬した際に足をケガしてしまい、さすがの俺も助けを呼んでくるからと屋敷へ戻った。
 森の中に一人ジェイドを置いたまま……
 屋敷に戻る途中で天候が一気にくずれ、大雨が降りはじめた。屋敷へたどりつく頃には、外は嵐になっていた。父に事情を話すと、すぐに使用人を連れて森の中へジェイドを迎えに行った。
 しかし、父たちはジェイドを見つけられずに帰ってきた。
 天候の悪い中、これ以上夜の森を捜索するのは危険だと判断し、その日の捜索は打ち切られた。
 フロルさんは青ざめた顔をして、リエンは泣きじゃくり、ジェイドの無事を祈っていた。ジェイドにケガをさせてしまった俺は、森の中に置いてきたことに罪悪感を覚えつつ、雨風が吹き荒れる真っ暗闇の森を見つめることしかできなかった。
 次の日、雨がやむと父たちはジェイドを捜しに行った。しばらくして、森で倒れていたジェイドを抱きかかえ、父たちが帰ってきた。
 あの嵐の中、暗い森で一晩を過ごしたジェイドは高熱を出し、一週間寝込んだ。
 会えばなにか言われるのではないかとおびえた俺は、結局ジェイドに謝ることができなかった……
 その出来事を思い出すと、ジェイドと狩りにいくのは気が進まなかった。
 もし、また同じようなことが起こったら。
 今の俺がジェイドを一人置いていくことはないが、ケガをしてほしくない。そう思い誘いを断ったのだが、ジェイドは落ち込んでしまった。

「……わかりました」

 あまりにも落胆らくたんした様子のジェイドを見ると、なんだか申し訳ない気持ちになる。
 一度目の時は、俺が放った矢のせいで馬が暴れ出した。つまり、その原因となる狩りをしなければ問題ないのではないだろうか。

「なぁジェイド。狩りじゃなくて、馬に乗って森を散策するのはどうかな? それなら俺もできそうだからさ」
「はい! 私はそれで構いません!」

 俺の提案を聞いたジェイドは、パッと顔を上げる。

「じゃあ週末、楽しみにしているよ」

 嬉しそうに顔をほころばせるジェイドを見て、週末の散策は一度目とは違う、楽しい時間を過ごしてもらわなければと思った。
 週末、俺とジェイドは馬に乗り森へ向かう。出発前からジェイドはいつもより笑顔が多く、楽しそうだった。誘いを断らなくてよかったと思いながら、森の中へ入っていく。
 ジェイドはなにも教えずとも、馬を上手になずけていた。

「ジェイドは馬の扱いがうまいんだな」
「父が元気だった時に、よく狩りについていっていたんです。その時に馬の乗り方や扱いも教えてもらいました」
「そうなんだ。俺も父様から何度か教えてもらったけれど、なかなか上達しなくてさ。たまに馬が勝手に動いちゃうんだよなぁ……」
「馬の気持ちをつかむのは、難しいですからね」

 そんなたわいのない話をしながら、俺たちは森の中を散策していく。
 天気もよく、獣道を馬でゆっくりと駆けていくと、ひんやりとした森の空気が頬をでた。

「気持ちがいいね」
「はい。今日は兄さんと来られて、本当によかったです」

 ジェイドは心から嬉しそうに笑い、俺もゆっくりと微笑み返す。それからしばらく森の中を進んでいると、来た時には青空だったのに、急に雲行きが怪しくなってきた。
 俺はなんだか嫌な感じがして、ジェイドに声をかける。

「ジェイド、雨が降りそうだ。早めに引き返したほうがいいかもしれない」
「そうですね……」

 ジェイドも暗くかげる空を見つめ、二人で来た道を引き換えそうとする。
 その時、茂みからガサッと音がして、獣が飛び出してきた。
 ジェイドの馬は獣に驚き、体を大きく跳ね上げる。その勢いでジェイドはづなを離してしまい、落馬する。

「ジェイドッ!」

 急いで駆け寄ると、ジェイドは苦痛の表情を浮かべていた。

「どこかケガをしたのか?」
「右足首を……くじいてしまったようです」
「足……」

 一度目の時もジェイドは足にケガをした。
 まさか、また一度目と同じことが……。ダメだ。今はそんなことを考えている場合じゃない。
 一度目のジェイドの姿がのうをよぎり、頭を軽く振って消し去る。
 ケガをしたという足首に触れると、ジェイドは顔をしかめた。

「ジェイド、立てそうか?」
「はい……」

 ジェイドの馬はまだ興奮した様子だが、今のところ俺の馬は落ち着いている。子供二人なら、どうにか乗せて走ってくれるだろう。

「ジェイド。俺の馬に一緒に乗って帰ろう。さぁ、俺の手をとっ……」

 ジェイドに手を貸そうとした時、辺りがカッとまぶしく光る。次の瞬間、体を揺さぶるような雷鳴が響いた。続いてバケツをひっくり返したような土砂降りの雨が俺たちをおそう。
 馬たちは雷鳴に驚き興奮している。あっという間に体中がびしょれになってしまった。足をケガしたジェイドを連れて、この雨の中森を歩くのは危険だ。
 俺は周囲を見渡し、どこか雨をしのげる場所がないか探す。
 少し先に、洞穴ほらあなを見つけた。

「ジェイド、あそこに洞穴ほらあながある。そこに一旦避難しよう。ほら、俺につかまって」
「すみません、兄さん……」

 ケガをしたジェイドに肩を貸し、激しい雨に打たれながら俺たちは洞穴ほらあなに避難した。
 中に入ってジェイドを座らせると、雷の音におびえる馬たちをどうにかなだめ、洞穴ほらあなへ連れてくる。

「ジェイド、足は大丈夫か?」

 座り込むジェイドは、大丈夫だと笑っているが、無理をしているようにも見えた。
 土砂降りの雨に打たれ、ぶるりと体が震える。雨で張りついた服がどんどん体温をうばっていく。

「体が冷えるから、服を脱いだほうがいいね」

 俺たちは上半身裸になり、ぐっしょりとれた服をしぼった。少しでも乾きが早くなるように、ジェイドの服と一緒に広げて岩場に干す。カバンに入れていたタオルで体を拭くといくらかマシになったが、初夏の森はまだ寒さが残っていた。
 外は相変わらず嵐のような雨と雷。足をケガしたジェイドを連れてこの雨の中を無事に帰るのは、どう考えても難しい。外を見つめ、どうしようかと悩んでいると、ジェイドが口を開く。

「あの、兄さん。ひとまず火をきましょう」
「火か……。でも、どうやって……」
「私のカバンの中に、火起こしの道具が入っています。兄さん、れていない細木を探してもらってもいいですか?」
「うん、わかった!」

 俺は洞穴ほらあなの中に落ちていた細木を集め、ジェイドは火起こしの道具を準備する。ジェイドが慣れた手つきで火種を作ると、俺の持ってきた細木に火が燃え移る。

「うわぁ。すごいな、ジェイド!」
「死んだ父が言っていたんです。森に入る時はいつでも火を起こせるよう準備をしておけって」
「そっか。ジェイドのお父上に感謝だな」
「はい」

 ジェイドがつけてくれた小さな炎は寒さをやわらげ、安心感を与えてくれる。動ける俺は火を絶やさないように枯れ枝を集めたり、ジェイドが不安にならないようにずっと声をかけたりし続けた。

「よし! これだけあったらしばらくは大丈夫かな」

 枝の山を積み終えてジェイドのほうへ視線を向けると、ジェイドは腕で体を抱いてカタカタと震えていた。

「ジェイド! 大丈夫か? 体が冷えてしまったな」
「兄さん、私は大丈夫ですよ」

 無理に笑顔を作るジェイドを見ていると、いても立ってもいられず、背後からギュッと抱きしめる。

「に、兄さん!?」
「服が乾くまで、くっついてたほうがあったかいだろ?」
「あ……、えっと……。そう……ですね……」

 俺より一まわり小さなジェイドの背中は冷たくて、早く温まるようにと肌を密着させる。
 外は変わらず嵐のような大雨。だが、パチパチ燃えるき火を見ながらジェイドを抱きしめていると、不安な気持ちがやわらぐ。

「早く、雨やむといいな」
「そう……ですね」

 ジェイドも不安なのか、俺の手をギュッと握り締めてくる。

「シャルル兄さん、今日は迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ありませんでした……」
「気にしなくていいよ。ジェイドが悪いわけじゃないんだからさ」
「でも、私はいつも兄さんに助けてもらってばかりです。今日だって本当は兄さんに楽しんでもらいたくて誘ったのに、私はこんな状態で……結局、迷惑をかけてしまいました」

 ジェイドが悲しげにうつむくので、心配するなと強く抱きしめ、落ち込まないように明るく声をかける。

「確かに雷や大雨は少し怖かったけど、こうやってジェイドと二人きりで過ごす時間は、すごく楽しいよ。もしジェイドがいなかったら、怖くて寂しくて、辛かっただろうし」

 ふと一度目のジェイドのことを思い出し、胸が痛む。あの時のジェイドは、孤独と恐怖の中、一人嵐の夜を耐えしのいだのか……

「ジェイドが一緒にいてくれて、本当によかった」

 一度目のあの時。俺はこうやって一緒にいてやらなきゃいけなかったんだ。
 今のジェイドを、一度目のジェイドと重ねて強く抱きしめる。

「シャルル兄さん……。兄さんは、どうしてこんなに優しいのですか?」

 ジェイドの言葉に、俺は笑顔を浮かべゆっくり口を開く。

「だって、俺たちは家族じゃないか。血は繋がってなくても、俺にとってジェイドは大切な弟だ」

 そう答えると、ジェイドはクッと下唇を噛み締め、アメジスト色の瞳をうるませ俺に抱きついてくる。

「私も兄さんのことを大切に思っています。……大好きです、シャルル兄さん」
「うん。俺も大好きだよ、ジェイド」

 ジェイドの言葉や抱きしめる腕の強さに、俺のことを兄として、家族としてしたってくれているのを感じる。
 それから俺たちはやまない雨の中、抱き合ったまま長い長い夜を過ごした。


 朝方になるとようやく雨がやみ、真っ暗闇だった森はゆっくりと明るくなっていく。
 洞穴ほらあなから顔を出し、外の様子をうかがう。昨日の雨で土はぬかるんでいるが、馬に乗れば帰れそうだ。

「ジェイド、体調は大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」

 ジェイドはそう言うが、くじいた右足首は赤くれ上がり、見ているだけでも痛そうだった。

「このまま父様たちが助けに来るのを待つか? 足、痛いだろ?」

 俺の提案に、ジェイドは首を横に振る。

「私なら大丈夫です。それより早く帰らないと。父上たちも心配しているでしょうし、なによりシャルル兄さんの体調が心配です」
「え? 俺の?」
「はい。ひどく疲れた顔をしています」

 心配そうに俺の顔を見つめるジェイド。
 確かに、昨日はあんな嵐の中眠れるはずもなく、ジェイドを抱きしめたまま一晩を明かした。
 だが、一度目のジェイドのことを考えれば大したことではない。

「大丈夫だよ、ジェイド。きっと顔が汚れてそう見えるだけ」
「そうでしょうか?」
「うん。すごく元気。だから、俺のことは気にしなくていいよ」
「……わかりました。でも、これ以上シャルル兄さんに迷惑をかけたくありませんから。早く出発しましょう」
「そっか、わかった。それじゃ、もし体調が悪くなったり、足の痛みがひどくなったりしたら、無理せずに言うんだぞ」
「はい、兄さん」

 生乾きの服にそでを通し、き火の後始末をして、俺たちは洞穴ほらあなを後にした。
 ジェイドを俺の前に乗せ、背後から抱きしめるようにづなを持ち、森の中を進んでいく。二人で馬に乗るのは初めてなのでバランスを取りにくいが、なんとかいけそうだ。ジェイドの足に負担をかかけないようゆっくり進んでいくと、見慣れた景色が広がる。

「ジェイド! 屋敷が見えたぞ!」

 遠くに屋敷が見えると嬉しさとあんで胸がいっぱいになる。互いに微笑みを交わし、ペースを上げて屋敷を目指した。
 門が見えると、玄関前で父と使用人たちが出発の準備をしていた。きっと、俺たちを捜しに行くところだったんだろう。使用人の一人が俺たちの姿を見つけると、父たちが駆け寄ってくる。
 なにがあったのかと聞かれて事情を話し、早くジェイドの治療をしてほしいと伝えた。
 父がジェイドを抱きかかえ、一緒に屋敷に入ると、目を赤くらしたフロルさんとリエンが駆け寄ってくる。

「あぁ、二人とも無事に帰ってきてくれて……本当に、よかったわ……!」
「フロルさん……」

 フロルさんは目に涙をいっぱい溜めて俺を抱きしめる。フロルさんの優しい香りと温かさに包まれ、今までの緊張が一瞬でけていった。そして体の力が抜け……目の前がぼんやりとゆがむ……

「……シャルルさん? シャルルさん!? まぁ、大変! ひどい熱だわ!」
「兄さん!?」
「兄様!!」

 みんなの声が遠くなり、俺はフロルさんの腕の中に倒れ込んでしまった……


 ――ひんやりして気持ちいい。
 そう感じて重いぶたを開くと、心配そうにうつむくジェイドの顔が見えた。

「ジェイド……?」
「兄さん! あぁ……よかった」

 俺を見つめるジェイドは目を細め、あんの表情を浮かべる。
 どうやら俺は帰ってきてすぐに高熱で倒れ、そのまま寝込んでいたようだ。
 体がだるく、動かすのも辛い。

「ジェイド、足、大丈夫か?」
「大丈夫です。それよりも兄さん、喉は渇いていませんか?」
「うん。水が飲みたい」

 うなずくと、ジェイドが水差しを持って、ゆっくりと俺の体を起こし水を飲ませてくれる。

「ありがとう」
「他に、なにかしてほしいことありませんか?」
「大丈夫だよ」

 そう言って笑いかけると、ジェイドはほっとしたように息をつく。

「兄さん、まだ熱が高いので、無理せずに休んでくださいね」
「あぁ、そうするよ」

 まだ熱で頭がボーッとしている俺は、一度目の時のことを思い出す。
 ――あの時のお前は、一人でこんなに辛い思いをしていたんだな。なのに俺は……
 部屋から出ていこうとするジェイドを見て、その服のすそを思わずギュッとつかんだ。

「どうしました兄さん?」
「なぁジェイド……。あの時は……一人にして、ごめんな……」
「えっ?」
「ごめん、ジェイド……。ごめん……ごめんな……」

 ジェイドは俺がなぜ謝っているのかわからず、戸惑っているようだ。今のジェイドに謝っても意味がないのはわかっている。だがあの時のジェイドが感じた恐怖や辛さや痛みを身をもって体感すると、謝らずにはいられなかった。
 俺が何度も何度も謝っていると、ジェイドは俺の手を握った。

「兄さんが謝る理由はわかりませんが、ちゃんと聞いていますよ。だからもう、謝らないでください」
「ジェイド、ごめん……」
「ほら。また謝ってます。もう『ごめん』は終わりですよ」

 ジェイドはそう言うと、柔らかな笑顔を向けてくれる。

「さぁ、シャルル兄さん。ゆっくり休みましょう」
「うん……」

 ジェイドは寝かしつけるように俺の頭を優しくでた。
 これじゃあ、どっちが兄かわからない。
 ジェイドの指先にうながされるように目を閉じると、ゆっくりと眠りに落ちていく。

「おやすみなさい。シャルル兄さん……」

 ジェイドの声が聞こえたあと、柔らかななにかがそっと頬に触れた気がした。


「ん……」

 喉の渇きと、じっとりとれた体の気持ち悪さで目が覚めた。
 部屋はランプの光でぼんやりと照らされていて、まだ朝は来ていないようだ。
 ジェイドがベッドサイドに置いてくれた水差しを取ろうと体を起こすと、まだ頭はふわふわしているが、体のだるさはだいぶ軽くなっているのがわかった。
 それにしても、汗でぐっしょりとれた服が気持ち悪い。

「着替えようかな」

 そう思いベッドサイドに腰掛けると、部屋のドアが少し開いた。小さな誰かが俺の様子をうかがっている。

「ん? リエン? どうしたんだ、こんな夜中に」
「あ……。勝手に入ってごめんなさい、シャルル兄様。物音がしたから、気になって……。兄様、体調は大丈夫?」
「心配かけたな。熱も下がって、少し元気になったよ」

 心配そうにこちらを覗き込むリエンに笑いかけ、近くに行こうと立ち上がったが、ふらついてしまう。

「あっ! 兄様! 危ない!」
「おっと。ごめんな、リエン。まだ本調子じゃないみたいだ」
「もう! 体調が悪いんだから、無理しちゃダメだよ、兄様」

 ふらつく俺の体を支えようと慌てて駆け寄ってきたリエンに怒られた。

「まだ体が熱いね」
「そうだね。でも、汗をかいて少し熱は下がったんだよ。今から着替えようかなって思って」
「あ! 服は僕がとってくるから待ってて!」

 リエンはクローゼットに向かい、服と一緒に、フロルさんが準備してくれたれタオルも持ってきてくれた。

「着替えと、れたタオルも持ってきたよ! あ、タオルは温かいほうがよかったかな?」
「いいや、まだ少し体が熱いから、冷たいほうがちょうどいいよ。ありがとう、リエン」

 リエンにお礼を言って汗でれた服を脱ぎ、タオルで体を拭いていく。ひんやりとしたタオルは気持ちがよくて、心も体もスッキリする。前を拭き終え背中を拭こうとしていると、リエンが声をかけてきた。

「兄様。背中は僕が拭くよ」
「いいの? じゃあ、お願いしようかな」

 リエンの気持ちが嬉しくて、つい笑顔になる。
 リエンにタオルを渡すと、優しく背中を拭いてくれた。

「リエン。すごく気持ちいいよ」
「へへ。よかった」

 丁寧に背中を拭いてもらい、着替えをすませると、爽快な気分になる。

「すごくサッパリしたよ。ありがとうリエン。さぁ、夜も遅いし、もうおやすみ」
「うん。あのね、兄様。最後に兄様が早く元気になるように『おまじない』かけてもいい?」
「おまじない? じゃあ、お願いしようかな」

 可愛らしい発言に心がなごみ、リエンの『おまじない』をお願いする。

「じゃあ兄様、目をつむっててね」
「あぁ。わかったよ」

 言われるがまま目を閉じると、リエンは俺の前髪をそっとかき上げ……額に、ちゅっとキスをする。

「おまじない……終わったよ」

 可愛らしくはにかむリエン。
 くすぐったい感触や、リエンが俺を心配してくれる気持ちが嬉しい。

「ありがとう、リエン。なんだか元気が出てきたよ」
「エヘヘ~」

 おまじないがキスだなんて、絵本にでも書いてあったのだろうか。

「じゃあ、俺からもリエンが元気でいられるように、おまじない」
「え……?」

 キョトンとした顔のリエンに微笑みかけると、前髪を横によけ、リエンの額に口づけをする。

「じゃあ、おやすみリエン」
「おや……しゅみなしゃい……。シャルル兄さま……」

 リエンはさっきよりも恥ずかしそうにしながら部屋を出ていく。
 小さな訪問者に心も体もいやされた俺は、再びベッドへ潜り込み、また眠りについた。


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