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1巻
1-2
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「くっ…………ぐす……」
「シャルルさん!?」
「シャルル?」
俺の異変に気づいたフロルさんと父が慌てている。罪悪感と後悔と不安……。言葉では表せない感情が溢れ出すように涙がこぼれた。
――二度目の人生をやり直す大事な場面で、俺はなにをやっているんだ……
止まらない涙をシャツの袖で拭うと、震える俺の手に小さな手が重なる。
「シャルル兄さん。大丈夫ですか?」
涙で滲む視界に入ってきたのは、吸い込まれそうな深い紫色の瞳。ジェイドが、俺の手を握り心配そうに見上げてくる。
「……シャルル兄様」
ジェイドの背中に隠れてはいるが、リエンも心配そうだ。出会ったばかりの二人が、俺のことを心配してくれるなんて、驚きのあまり涙が止まった。
「シャルル、大丈夫か?」
「私がお母様の話をしたから、思い出させてしまったのね……ごめんなさい、シャルルさん」
父は俺の頭をポンと撫で、フロルさんはなにも悪くないのに謝った。
ジェイドは俺の手をずっと握ってくれて、その温もりがじんわりと俺の胸まで温かくしてくれる。
あぁ、早くみんなに謝らないと……
「ごめんな……さい」
一度目で言えなかった謝罪の言葉を、俺はようやく伝えることができた。
そのせいで気がゆるみ、また涙が溢れる。みんなは、俺が泣きやむまでずっとそばにいてくれた。
俺が泣き止んだあと、三人を歓迎するために準備した豪勢な夕食を『新しい家族』で初めて囲んだ。初対面で泣き出すという醜態を晒した俺は、挽回すべく必死になって盛り上げようとした。
空まわり気味の俺をフォローするように、フロルさんが相槌を打ち、話を広げてくれ、初めての食事は笑顔に包まれたものになった。
夕食をすませると、緊張の連続だった一日がようやく終わる。
一人部屋に戻り、大きなため息とともにベッドになだれ込んだ。
「最初から失敗しすぎだろぉ」
泣いてしまった場面を思い出し、枕に顔を埋める。ただ三人に謝れればいいと思っていただけに、ショックが大きい。
そして三人の優しさに触れ、俺の後悔は大きくなった。
一度目も、俺が少しでも三人を受け入れていれば、あんな結末をたどることはなかったはずだ……
神様が与えてくれた二度目の人生を失敗するわけにはいかない。
そのために、まずは三人のことを知っていく必要がある。
そして、三人が不自由なく生活していけるようにとにかく頑張らないと。
それは一度目で俺が三人に犯してしまった過ちの償いでもあるのだから……
「明日から、頑張るぞ」
こうして俺は、一度目とはまったく違う、二度目の人生を歩むことになった。
三人との良好な関係を築くにあたって、まずは日々の挨拶からはじめた。
なんてことない挨拶も、意識するとなんだか気恥ずかしい。
特に継母のフロルさんが相手だと緊張する。
朝、ダイニングに向かうと、フロルさんが使用人と一緒に食卓の準備をしていた。
俺と目が合うと、柔らかく微笑んでくれる。
「フロルさん。おはようございます」
「おはようございます、シャルルさん」
初めて名前を呼んでみたが、なんだかむず痒くてすぐに顔をそらしてしまった。
フロルさんは嬉しそうにしていたので、これでよかったのだろう。
遅れてダイニングへやってきたジェイドとリエンにも「おはよう」と、緊張しながら声をかけた。
ジェイドは礼儀正しく挨拶を返してくれるが、リエンは俺を見るとパッと目をそらし、フロルさんのほうへ走っていく。
「あ、こらリエン! シャルル兄さんにちゃんと挨拶しないか!」
リエンの行動をジェイドが叱る。
「大丈夫だよ、ジェイド。リエンはまだ、俺に慣れていないんだからさ」
そう言ってリエンを見ると、フロルさんにしがみつき、こちらの様子をうかがっていた。とはいえ、やはり挨拶をして返事がないのは悲しい。
しかし、一度目の俺はそれ以上のひどいことをしていたのだから、三人はもっと傷ついたはずだ。
「一度目のみんなはずっとこんな気持ちだったんだな……」
ポツリと呟く。だが、挨拶がなかっただけで悲しんでいる場合ではない。
俺は気持ちを切り替えて、みんなと朝食を囲んだ。
それからも毎日リエンに挨拶したが、やはり返事はなく、フロルさんやジェイドの影に隠れてしまう。しかし、少しずつだが俺と目を合わせる時間が長くなってきたような気がする。
挨拶の仕方を変えたら、リエンは返事をしてくれるだろうか?
そう思い、その日の朝は思い切ってリエンと目が合うようにしゃがんで挨拶してみた。
「リエン。おはよう」
「おはよぅ……ございます……」
驚かせてしまったようだが、初めてリエンが挨拶を返してくれた。
それが嬉しくて、思わず笑顔になる。
「あら、やっとシャルルお兄さんに挨拶できたのね」
「……うん」
フロルさんの言葉に、リエンも嬉しそうに微笑む。
一度目の時はいつも泣いていたリエンが笑顔を見せてくれて、ホッとする。
今日もあの頃とは違う一歩を踏み出せたことに安堵するが、俺がやるべきことは山積みで、気は抜けない。特に、まだ幼いリエンは気にかけてやらないと、いつ泣き出すかわからない。
できるだけそばにいて、声をかけてやって……。それからなにをすれば、リエンは俺のことを嫌わずにいてくれるだろうか?
義弟たちが来てから、いつも顔色をうかがうようにそんなことを考えてしまう。嫌われたあとの未来を知っているため、小さな頃のリエンですら俺にとっては恐ろしい。
一度目の人生で最後に見たジェイドとリエンの顔は、思い出すだけで背筋が凍る。
心の奥底にある二人への恐怖を隠しながら、俺は精一杯笑った。
それからも、互いの距離を縮めるように声をかけ続け、リエンは少しずつ心を開いてくれるようになった。懐きはじめたリエンは、俺のところに自らやってくるようになった。両手を広げ、柔らかな銀髪を揺らし、満面の笑みでこちらに駆け寄ってくる姿はなんとも可愛らしい。
学園の授業が早く終わった日は、リエンの部屋を訪れる。
ドアをノックし、部屋に入ると、退屈そうに使用人と遊ぶリエンの姿が目に入る。
「リエン、ただいま」
「シャルル兄様! どうしたの? 学園は?」
「今日の授業は午前中で終わったから、リエンと遊ぼうかなと思って」
俺の姿を見た瞬間、リエンはパッと顔を明るくした。そして駆け寄り、抱きついてくる。
「ハハ、リエンは元気だなぁ。今日はフロルさんも出かけているから、退屈だったよね。なにかしたいことはある?」
「ん~、お散歩に行きたい!」
「あぁ、いいよ。じゃあ行こうか」
「わ~い! シャルル兄様、大好き!」
満面の笑みを浮かべるリエンに手を差し出すと、小さな手で俺の手をつかんでくれる。こんなにも小さなリエンに、一度目の俺は怒りをぶつけて怖い思いをさせていたかと思うと、罪悪感がドッと押し寄せた。
それをうち消すように、俺はリエンの求める『優しい兄』を演じ続けた。
このまま平穏に過ごしていけば、俺の人生の結末も少しはマシになるのだろうか。
リエンたちと仲よくなって、それから俺はどんな未来をたどるのだろう。
未来に不安を抱きながらも、新しい家族と穏やかな日々を過ごしていく。
だが、二度目の人生も決して平穏なばかりではなかった。
その日、俺が学園から帰ると、屋敷は慌ただしい雰囲気に包まれていた。
使用人たちがリエンの名前を呼び、フロルさんとジェイドも心配そうに屋敷の中を歩きまわっている。
「フロルさん。一体どうしたんですか?」
「シャルルさん。実は、リエンが見当たらなくて……」
「え? リエンが?」
「そうなんです、兄さん。母上と私が帰ってきた時、部屋にリエンの姿がなく……使用人と遊んでいたそうなんですが、目を離した隙にどこかへ行ってしまったようです」
二人の不安そうな表情を見た瞬間、脳裏に一度目の記憶が蘇った。
一度目の俺は泣き虫のリエンが気に入らず、部屋に閉じ込めた。そしてリエンがいないことに気づいた継母やジェイドの慌てふためく姿を陰で見ながら笑っていた。
――今回はなにもしていないのに、一度目と似た出来事が起こっている……?
俺は怖くなり、ぎゅっと拳を握りしめた。
「俺も、リエンを捜すの手伝うよ」
「ありがとうございます、兄さん。屋敷の東側はみんなで捜したので、西側を捜しましょう」
「わかった」
ジェイドとともに屋敷の西側を捜してまわるが、リエンは見つからない。
時間だけが過ぎていき、辺りはすっかり暗くなった。
――リエン、一体どこに行ってしまったんだ。
屋敷の中をジェイドとともに歩きまわり、ふと使用人の休憩室の前で足を止めた。中からは、使用人たちの楽しそうな声が聞こえてくる。
「はぁ……、あのクソガキどこ行ったんだよ。子守りなんてやってられないっての」
「お前がおどかすからだぞ。まぁ、お前に手を上げられたら、大人の俺でもビビって逃げ出すがな。けど、あのガキの態度には俺も苛ついてたから、大人に逆らっちゃいけねえって思い知っただろ。それにしても、いい加減捜すフリするのは疲れたぜ。あんなガキ一人いなくなったところで、こんなに大騒ぎすることじゃないよなぁ」
「ほんとだぜ。そもそも子爵風情が侯爵家に入り込むなんて、身のほどを知らないよな。どうせ母親も体で侯爵をたらしこんだんだろ? 見てくれはいいからな」
「なぁ、あのクソガキも顔はいいじゃん? 一発やっちまえば俺たちに逆らえないんじゃないか?」
「げっ。お前の許容範囲の広さにはいつも驚くけど、あんなガキまでいけるのかよ」
ゲラゲラと使用人たちの品のない笑い声が響き、そばにいたジェイドは怒りで顔をゆがめている。俺自身も怒りが込み上げるのを感じた。
「お前たち。今話していたことは本当か」
「シャ、シャルル様……」
乱暴にドアを開けて中に入ると、俺の姿を見た使用人の男たちは顔を青くする。
「本当かと聞いているんだ。リエンに手を上げたのか」
「ち、違います! ただの冗談です! リエン様に手を上げるなど滅相もない!」
「冗談だとしても、そんな考えを持つような者をこの屋敷に置いておくことはできない。今すぐ荷物をまとめて出ていけ」
「そ、そんな! シャルル様、どうかお許しを!」
「私たちは長年侯爵家に仕えてきたんですよ!」
「二度も同じことを言わせるな。お前たちと顔を合わせるのはこれで最後だ」
許しを求める使用人を睨みつけ部屋の扉を閉めると、廊下で待っていたジェイドと目が合う。
「ごめん、ジェイド。嫌な思いをさせてしまって……」
「いえ、私は大丈夫です。シャルル兄さん、リエンのことで怒ってくださって、ありがとうございます。でも、よかったんですか? あの使用人たちは、長年ウォールマン家に仕えていた大切な使用人なんじゃ……」
ジェイドは申し訳なさそうに俺を見つめる。
「俺にとって大切なのは、ジェイドとリエンのほうだよ。二人は大切な家族だからね」
無理な笑顔でついた嘘を、ジェイドは俺の本心だと思ったのか、安心したように微笑む。
ジェイドやリエンに優しくするのは、罪悪感からだ。それに、二人に対する恐怖も消えたわけではない。
だからそんな表情を見せられると胸が痛むが……今はリエンを捜すのが先だ。
「さぁ、早くリエンを捜しに行こう」
申し訳ない気持ちを隠したまま、再びリエンを捜しに行く。だが、一向に見つからず、屋敷の中は捜し尽くしてしまった。
「シャルル兄さん。リエンは使用人に怯えて、外に出ていったんじゃないでしょうか?」
「そんなはずは……」
リエンはとても怖がりで、フロルさんやジェイドがいないと外に出ることはなかった。一度目の時も、遊んでやると言って無理矢理外に連れ出した時に大泣きされて、それで頭にきた俺はリエンを……
「もしかして……」
俺はある場所のことを思い出し、走り出す。
向かうのは、屋敷の東側にある物置部屋だ。
「シャルル兄さん、そこはもう調べて……」
「いや、きっとここなんだ」
部屋に入ると、埃が舞う。薄暗い部屋の奥にある壁は一見普通の壁だが、実は隠し扉がついている。そして、一度目の俺はそこに泣きじゃくるリエンを閉じ込めた。
一度目と同じようにその扉を開けると、奥にうずくまる小さな人影が見える。そして、目に涙をいっぱいに溜めたリエンがこちらを振り向いた。
「リエン……見つけた」
俺の声にリエンはくしゃりと顔をゆがませる。
「にいさま……」
「リエン、どうしたの? みんなが心配してるよ?」
「にいさまぁ、しゃるるにいしゃまぁぁ……」
リエンは目に溜めていた涙をポロポロとこぼし、こちらへ手を伸ばしてくる。その手を取り、小さな体を抱き上げ、抱きしめてやる。
「リエン。なにか怖いことがあったの?」
「にいしゃま……。あ、あのね……」
リエンは泣きながら、使用人にされたことや、これまでも使用人からひどい言葉をぶつけられていたことを話してくれた。
リエンの話をすべて聞いてやると、流れていた涙がようやく止まる。
「もう大丈夫だよ。俺が、リエンのことをちゃんと守るから」
「シャルル兄様、僕を守ってくれるの?」
「うん。もうリエンに辛い思いはさせない。だから、みんなのところに戻ろう?」
「……うん」
リエンは涙を拭い、コクリとうなずく。リエンを抱っこしたまま部屋を出ると、外で待っていたジェイドが駆け寄ってきた。
「リエン。なにも言わずにいなくなったらダメだろ? 母上もシャルル兄さんも、心配してたんだぞ」
「ごめんなしゃい……」
「私も、シャルル兄さんと一緒にリエンを守るから」
その言葉に、リエンは涙を浮かべて嬉しそうに微笑み、ようやくジェイドにも笑顔が戻る。
三人でフロルさんの部屋に戻ると、リエンはまた泣き出して、フロルさんに駆け寄った。フロルさんも涙をこらえながら、安心したようにリエンを抱きしめていた。
リエンの話で名前が上がった使用人たちは、後日、父が直接処分を下し、その大半が屋敷を去ることになった。それから残った使用人たちはジェイドやリエンへの態度を改めるようになり、その後リエンが泣くことはなくなった。
あの事件以降、リエンの笑顔は増え、今日も一緒に遊んでいる。
最近のリエンのお気に入りは、隠れんぼだ。
リエンはいつも上手に隠れるので捜すのが大変だが、見つけた時には嬉しそうに笑う。
どうやら見つけてもらうのが楽しいらしい。
「リエンは……ここかな?」
ダイニングのカーテンに膨らみを見つけてそっとめくると、笑顔のリエンが現れた。
「リエン、みーつけた」
「エヘヘ。また見つかっちゃった」
リエンはそう言って抱きつき、俺の胸元に顔を埋める。柔らかな銀髪を撫でてやると、嬉しそうにこちらを見上げた。
「シャルル兄様は、僕がどこにいたって見つけてくれるね!」
「そうかな? リエンは隠れるのが上手だから、今日も捜すのに時間がかかったよ」
「そんなことないよ。僕を見つけてくれるのは、シャルル兄様だけだから……」
リエンはまた俺の胸元に顔を埋め、ぎゅっと抱きついてくる。
一度目では知ることのなかった、リエンの甘えん坊で可愛らしい一面を知り、リエンに対する恐怖がうすらいだ気がした。
ジェイドとリエンが屋敷に来て二ヶ月が経ち、ジェイドが初めて学園に通う日を迎えた。
俺と同じ紺色のブレザーに袖を通したジェイドは、鏡を見ながら自分の制服姿を確認している。
「ジェイド、ネクタイをつけないと」
学年カラーである白と黒のストライプのネクタイを手渡すと、ジェイドはそれを持ったまま、困ったように立ちつくす。
「どうした?」
「あの……ネクタイの結び方がわからなくて。教えてもらえないでしょうか」
「これまで教わらなかったのか? ネクタイは崩れることもあるから、自分で結べないと先々困るぞ」
「……すみません。そういったことを教わる前に、父が亡くなってしまったので……」
俺の疑問に、ジェイドは申し訳なさそうに答える。その言葉で、俺は失言に気づき、慌てて謝った。
「あ、ごめん……」
「いえ、大丈夫です」
ジェイドはぎこちなく笑ってくれるが、俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
俺も母と……そして、一度目では父とも死に別れ、肉親を失う辛さは痛いほどにわかる。
さっきの失言を挽回するためにも、ネクタイの結び方くらい俺が教えてやらないと。
「俺が教えるよ。ジェイドのお父上ほどうまくはないけれど、それでもいいかな?」
「いいんですか、兄さん?」
「うん。でも、うまくはないからね。俺のだって、少しゆがんでるしさ」
「そんなことないですよ。じゃあ、兄さん。よろしくお願いします」
ジェイドにネクタイを手渡され、俺は緊張しながらネクタイを結んでいく。教えるとは言ったものの、俺もネクタイを結ぶのは苦手で、一度目の人生では大人になっても使用人に結んでもらっていたので偉そうにはできない。
「えっと……どうかな?」
思ったよりも上手に結べたが、やはり少しゆがんでいる気がする。ジェイドは完成した自分の姿を鏡で見ながら、満足そうに口角を上げる。
「ありがとうございます、シャルル兄さん。また明日も教えてくれますか?」
「あぁ、もちろん」
俺の心配をよそに、ジェイドは嬉しそうだったので、まぁこれでよかったのだろう。
準備を終えると、ジェイドとともに馬車へ乗り込み、俺たちが通うリベルテ学園へ向かう。
リベルテ学園は貴族の子息が主に通う学園だ。自由な校風が売りで、貴族同士の交流を目的とする者もいれば、勉学に励む者もいる。
一度目の時もジェイドと同じ馬車で初登校したが、俺は終始不機嫌な態度で、馬車の中は気まずい空気が流れていた。
けれど、今度はそんな間違いは起こさない。
ジェイドに嫌われないためにも、義兄としてサポートしてやらないと。
気を引き締め、ジェイドに積極的に話しかけて知りたいことを聞いてはいろいろと教えてやる。
学園の建物が見えてくると、ジェイドは目を見開いた。
リベルテ学園の校舎は歴史ある建物として有名だ。ここに八歳から十六歳までの子供が通っている。俺も初めて学園に来た時は、その大きさと威厳のある雰囲気に驚き、怖いとさえ思った。
「ジェイド。学園は広くて迷いやすいから、俺が案内するよ」
「ありがとうございます」
馬車を降りて声をかけると、ジェイドは嬉しそうに俺のうしろについてくる。途中、クラスメイトに声をかけられたので「大切な義弟のジェイドだ。仲よくしてやってくれ」とジェイドを紹介する。
『大切な義弟』なんて大袈裟かもしれないが、学園は小さな貴族社会だ。今は再婚して侯爵家の一員となったジェイドだが、中には「元は子爵のくせに生意気な」と、一度目の俺のように嫌味を言ってくるやつもいるだろう。
俺が『義弟を大切にしている』とアピールすれば、そういうトラブルも少なくなりジェイドの学園生活も一度目よりは楽しいものになるかもしれない。
それに、俺がジェイドのことを嫌っていないことを知ってもらうためにも、このくらいがちょうどいい。
ジェイドははにかみながらも、いつものように立派に挨拶をしていた。
それから始業の鐘が鳴るまでジェイドを引き連れ、教室の場所や図書室、食堂などを案内し、最後に俺のお気に入りの場所へ連れていった。
校舎の裏側にある、手入れの行き届いた広い園庭の右奥には、小さな林がある。林の小道を進んでいくと、ポッカリと開けた野原のような場所にたどりつく。
そこには二人がけの小さなベンチが置いてあり、一息つくには最高の場所だ。
「わぁ、すごく素敵な場所ですね」
「そうだろ? ここは父様がこの学園に通ってた頃からあったみたいで、学園に入学する前日に教えてもらったんだ。サボるのにもってこいの場所があるぞって」
ベンチに腰かけ手招きすると、ジェイドは俺の隣に座った。
風の音や木々のざわめきを聞いていると、嫌なことを忘れられる。
一度目の時は、辛い時よくここに一人で来ていたことを思い出し、胸がクッと痛んだ。
「シャルル兄さんも、ここで授業をサボっているんですか?」
ジェイドの意外な質問に、思わずクスッと笑う。
「たまにね。辛くて苦しくてどうしようもない時には、ここに来てボーッと空を眺めてる」
「シャルル兄さんは、今も辛いことや苦しいことがあるんですか?」
緊張した面持ちで、ジェイドが俺を見つめる。
陽の光に照らされたアメジストの瞳が輝くが、俺はその色にまだ慣れない。
綺麗と思うよりも恐怖が強くて、視線をそらしながら返事をする。
「……そんなことない。今はフロルさんやジェイドとリエンがいるから……俺は幸せだよ。それに、ジェイドとこうやって一緒にこの場所に来られたのが嬉しいし、な?」
するとジェイドは安堵したように微笑んだ。その表情に、胸が痛む。
『幸せ』と言ったが、それは本心ではない。
一度目の人生の記憶がつきまとい、義弟たちに嫌われまいと奮闘する毎日。ジェイドとリエンが本当の俺に気づけば、今回の人生も辛く苦しい結末を迎えるかもしれない。
そんな不安と恐怖を隠すように、俺は笑顔を作る。
ジェイドはこの場所を気に入ったのか、終始笑顔だった。二人でベンチに座り、話をする。予鈴が聞こえたら、ジェイドを職員室まで送り、俺の役目は終わる。
ジェイドに「頑張ってな」と声をかけて職員室を出ると、ハァ……とため息が漏れた。
これからはジェイドを陰ながら見守り、傷つけようとするやつが現れたら牽制していかなくちゃならない。ジェイドが笑って過ごすためになにをすればいいか、考えだすとキリがない。だが、なにが原因でまた義弟たちに嫌われてしまうかわからない今、俺はできる限りのことをやるしかない。
「ひとつずつやっていくしかないな……」
よし! っと、気合いを入れ直し、俺は自分の教室へ向かった。
授業の終わる時間が違うので、俺は先に屋敷へ帰り着き、リエンのもとへ向かった。しばらくするとジェイドも帰ってきて、「おかえり」と声をかける。
「学園は楽しかった?」
「はい。とても楽しかったです。友達もできました」
「そっか。よかったね」
ジェイドの言葉にホッと胸を撫で下ろす。
「いいなぁ。ジェイド兄様、僕もみんなと一緒に学園に行きたい!」
「リエンも八歳になったら行こうな。その時は、シャルル兄さんに教えてもらった素敵な場所にも連れていってやるから」
「えっ! 素敵な場所ってどんなとこなの?」
「それは学園に入ってからのお楽しみだよ」
「楽しみ~!」
リエンとジェイドは、楽しそうに未来の話をする。
――このままいけば、本当にそんな未来がやってくるのかもしれないな……
義弟たちとともに仲よく学園に通う姿を想像して、俺は小さく口元をほころばせた。
◇◇◇
三人と家族になり、早いもので二年が経つ。
相変わらず三人から『嫌われない』ことを心掛けながらの生活。
はじめは不安と恐怖に押し潰されそうだったが、三人と暮らしていく間に少しずつ変化していった。
俺が声をかければ笑い、遊んだり手伝いをすれば、感謝してくれる。
ジェイドやリエンは、俺が困っているとすぐにやってきて、俺のほうが助けてもらう場面もあった。そうやってみんなと一緒に過ごしていると、一度目では見えなかった部分が見えてくる。
フロルさんは、明るくてとても優しい。人の気持ちに寄り添い、苦しむ人に手を差し伸べてくれる。きっと一度目の俺も、フロルさんには苦しんでいるように見えたのかもしれない。
ジェイドは真面目で頑張り屋の優等生だ。口数は少なく常に冷静に物事を見ている。俺なんかよりずっと大人で、困った時にはジェイドに意見をもらうこともある。
学園での成績は常にトップ。一度目の俺はジェイドと自分を比較し劣等感に駆られていたが、比較すること自体が間違いだった。
ジェイドの成績は努力の賜物だ。なにもしていない俺が敵うはずがない。そんなジェイドだが、甘いものが大好きという子供らしい部分もある。本人は隠しているようだが、甘いものを口にすると無意識に微笑む可愛い癖がある。あまりに可愛いので、たまにお菓子を持っていき、二人でお茶会をしている。
人見知りだったリエンは少しずつ成長し、初対面の人にも挨拶ができるようになり、泣くことも少なくなった。七歳になった今も甘えん坊なところは変わらずで、手を繋いで散歩をしたり、本を読む時にはピッタリと横にくっついたりしてくる。
以前はジェイドのうしろにひっついていたが、今は俺の近くにいることがほとんどだ。ジェイドと仲が悪いわけではなさそうだが、今の俺は少し戸惑ったりもする。
そして、平和な我が家の一日が今日もはじまる。
「兄さん。勉強でわからないところがあるんですが、教えてもらえませんか?」
「あぁ、いいぞ」
十歳になったジェイドは相変わらず真面目で、わからないことがあるとやってくる。
昔の記憶も駆使しながら、俺はジェイドの持ってきた課題と向き合った。
「えーっと、ここは、この方程式をあてはめて……そして、ん~……」
今日は俺の苦手な数学。ジェイドが解いているのは高学年でも難しい問題で、俺はジェイドに教えながら頭をひねっていた。ああでもないこうでもないと悩んでいると、ジェイドが突然スラスラとペンを走らせる。
「兄さん、こうですか?」
「あ、うん! そうそう!」
「なるほど。さすがシャルル兄さん。とてもわかりやすかったです」
「俺は少ししか助言していないから、ジェイドが自分で解いたようなものだろ?」
ジェイドは褒めてくれるが、はっきり言って俺の助言はあまり役に立っていない。ほとんどジェイドの実力だ。
「いえ、私一人では解けませんでした。シャルル兄さんのおかげです」
「そんなことない。ジェイドが努力した成果だよ」
俺の言葉に、ジェイドが口元をほころばせる。
「あの、兄さん。今日は……頭を撫でてくれないんですか?」
「そうだった。ジェイド、よくできました」
頭を撫でると、ジェイドははにかむように笑う。一度目の人生で、そんな顔は見たことがなかった。いつも冷たい表情のジェイドが自分を蔑んでいるように思えて、劣等感の塊だった俺は暴言を吐いていた。
あの時の自分が今のジェイドの笑顔を見たら、驚くだろうな……
「そういえば、新作のクッキーを焼いたんだ。あとで持ってくるね」
「はい! 楽しみにしています」
お菓子の話をすると、ジェイドは花が咲いたような笑顔になった。
勉強会が終わり部屋を出ると、リエンが「シャルル兄様~!」とうしろから抱きついてきた。
「今日も元気だね、リエン。どうしたの?」
「ジェイド兄様との勉強は終わり? 終わったなら、僕と遊んでほしいなって思って!」
「あぁ、いいよ。今日はなにして遊ぼうか?」
「ん~、本を読んでほしいなぁ!」
「リエンは本当に本が好きだね」
リエンの部屋に入ると、リエンは好きな本を持ってきて俺の膝に座る。
「じゃあ、今日のお話は……って、また難しい本を持ってきたね。『人間社会における平等と不平等』か……。こんな難しい本を読んで楽しいの?」
「うん! 楽しいよ!」
「そ、そっか。まぁ、楽しければなんでもいいか」
リエンにねだられなければ、俺の人生でこんな本を読むことはなかったかもしれない。そんなことを思いながら、俺は声に出して本を読んだ。
「じゃあ読むよ。『今私たちが生きている世界で、平等な生活を送れていると感じる人は……』」
難しい言葉や文字ばかりが並ぶ本を十五分ほど読み進め……ダメだ。話が難しすぎて眠たい。
強烈な睡魔が俺を襲う。
「現代における……現代に……」
「兄様、そこを読むのもう四回目だよ?」
リエンにクスクスと笑われ、恥ずかしくなりながら気を引き締めて再度本と向き合う。だが、難しい言いまわしや、何度も『平等』だの『不平等』だのと、まるで同じことを繰り返しているような内容で、頭がパンクしそうだった。リエンは内容を理解しているのか、うんうんとうなずいている。
リエンを満足させようと必死に目を開けて読み続けるが、文字はゆらゆらと揺れ、頭の中で『平等』『不平等』がぐるぐるまわる。
リエンが俺を起こそうと声をかけてくれるが、なんとか「うん……」と答えながら、いつの間にか睡魔の誘惑に負けていた。
……すっかり寝こけてしまった俺は、温かなものに包まれる感覚で目を覚ます。胸元はずっしり重く、俺に抱きつくようにリエンが眠っていた。いつの間にかジェイドも来ていたようで、俺の肩に寄りかかりすやすやと眠っている。
小さな寝息と、無防備な二人の寝顔はとても可愛らしい。
一度目の人生にはなかった穏やかな時間と温もりを感じながら、俺は再び目を閉じたのだった。
「シャルルさん!?」
「シャルル?」
俺の異変に気づいたフロルさんと父が慌てている。罪悪感と後悔と不安……。言葉では表せない感情が溢れ出すように涙がこぼれた。
――二度目の人生をやり直す大事な場面で、俺はなにをやっているんだ……
止まらない涙をシャツの袖で拭うと、震える俺の手に小さな手が重なる。
「シャルル兄さん。大丈夫ですか?」
涙で滲む視界に入ってきたのは、吸い込まれそうな深い紫色の瞳。ジェイドが、俺の手を握り心配そうに見上げてくる。
「……シャルル兄様」
ジェイドの背中に隠れてはいるが、リエンも心配そうだ。出会ったばかりの二人が、俺のことを心配してくれるなんて、驚きのあまり涙が止まった。
「シャルル、大丈夫か?」
「私がお母様の話をしたから、思い出させてしまったのね……ごめんなさい、シャルルさん」
父は俺の頭をポンと撫で、フロルさんはなにも悪くないのに謝った。
ジェイドは俺の手をずっと握ってくれて、その温もりがじんわりと俺の胸まで温かくしてくれる。
あぁ、早くみんなに謝らないと……
「ごめんな……さい」
一度目で言えなかった謝罪の言葉を、俺はようやく伝えることができた。
そのせいで気がゆるみ、また涙が溢れる。みんなは、俺が泣きやむまでずっとそばにいてくれた。
俺が泣き止んだあと、三人を歓迎するために準備した豪勢な夕食を『新しい家族』で初めて囲んだ。初対面で泣き出すという醜態を晒した俺は、挽回すべく必死になって盛り上げようとした。
空まわり気味の俺をフォローするように、フロルさんが相槌を打ち、話を広げてくれ、初めての食事は笑顔に包まれたものになった。
夕食をすませると、緊張の連続だった一日がようやく終わる。
一人部屋に戻り、大きなため息とともにベッドになだれ込んだ。
「最初から失敗しすぎだろぉ」
泣いてしまった場面を思い出し、枕に顔を埋める。ただ三人に謝れればいいと思っていただけに、ショックが大きい。
そして三人の優しさに触れ、俺の後悔は大きくなった。
一度目も、俺が少しでも三人を受け入れていれば、あんな結末をたどることはなかったはずだ……
神様が与えてくれた二度目の人生を失敗するわけにはいかない。
そのために、まずは三人のことを知っていく必要がある。
そして、三人が不自由なく生活していけるようにとにかく頑張らないと。
それは一度目で俺が三人に犯してしまった過ちの償いでもあるのだから……
「明日から、頑張るぞ」
こうして俺は、一度目とはまったく違う、二度目の人生を歩むことになった。
三人との良好な関係を築くにあたって、まずは日々の挨拶からはじめた。
なんてことない挨拶も、意識するとなんだか気恥ずかしい。
特に継母のフロルさんが相手だと緊張する。
朝、ダイニングに向かうと、フロルさんが使用人と一緒に食卓の準備をしていた。
俺と目が合うと、柔らかく微笑んでくれる。
「フロルさん。おはようございます」
「おはようございます、シャルルさん」
初めて名前を呼んでみたが、なんだかむず痒くてすぐに顔をそらしてしまった。
フロルさんは嬉しそうにしていたので、これでよかったのだろう。
遅れてダイニングへやってきたジェイドとリエンにも「おはよう」と、緊張しながら声をかけた。
ジェイドは礼儀正しく挨拶を返してくれるが、リエンは俺を見るとパッと目をそらし、フロルさんのほうへ走っていく。
「あ、こらリエン! シャルル兄さんにちゃんと挨拶しないか!」
リエンの行動をジェイドが叱る。
「大丈夫だよ、ジェイド。リエンはまだ、俺に慣れていないんだからさ」
そう言ってリエンを見ると、フロルさんにしがみつき、こちらの様子をうかがっていた。とはいえ、やはり挨拶をして返事がないのは悲しい。
しかし、一度目の俺はそれ以上のひどいことをしていたのだから、三人はもっと傷ついたはずだ。
「一度目のみんなはずっとこんな気持ちだったんだな……」
ポツリと呟く。だが、挨拶がなかっただけで悲しんでいる場合ではない。
俺は気持ちを切り替えて、みんなと朝食を囲んだ。
それからも毎日リエンに挨拶したが、やはり返事はなく、フロルさんやジェイドの影に隠れてしまう。しかし、少しずつだが俺と目を合わせる時間が長くなってきたような気がする。
挨拶の仕方を変えたら、リエンは返事をしてくれるだろうか?
そう思い、その日の朝は思い切ってリエンと目が合うようにしゃがんで挨拶してみた。
「リエン。おはよう」
「おはよぅ……ございます……」
驚かせてしまったようだが、初めてリエンが挨拶を返してくれた。
それが嬉しくて、思わず笑顔になる。
「あら、やっとシャルルお兄さんに挨拶できたのね」
「……うん」
フロルさんの言葉に、リエンも嬉しそうに微笑む。
一度目の時はいつも泣いていたリエンが笑顔を見せてくれて、ホッとする。
今日もあの頃とは違う一歩を踏み出せたことに安堵するが、俺がやるべきことは山積みで、気は抜けない。特に、まだ幼いリエンは気にかけてやらないと、いつ泣き出すかわからない。
できるだけそばにいて、声をかけてやって……。それからなにをすれば、リエンは俺のことを嫌わずにいてくれるだろうか?
義弟たちが来てから、いつも顔色をうかがうようにそんなことを考えてしまう。嫌われたあとの未来を知っているため、小さな頃のリエンですら俺にとっては恐ろしい。
一度目の人生で最後に見たジェイドとリエンの顔は、思い出すだけで背筋が凍る。
心の奥底にある二人への恐怖を隠しながら、俺は精一杯笑った。
それからも、互いの距離を縮めるように声をかけ続け、リエンは少しずつ心を開いてくれるようになった。懐きはじめたリエンは、俺のところに自らやってくるようになった。両手を広げ、柔らかな銀髪を揺らし、満面の笑みでこちらに駆け寄ってくる姿はなんとも可愛らしい。
学園の授業が早く終わった日は、リエンの部屋を訪れる。
ドアをノックし、部屋に入ると、退屈そうに使用人と遊ぶリエンの姿が目に入る。
「リエン、ただいま」
「シャルル兄様! どうしたの? 学園は?」
「今日の授業は午前中で終わったから、リエンと遊ぼうかなと思って」
俺の姿を見た瞬間、リエンはパッと顔を明るくした。そして駆け寄り、抱きついてくる。
「ハハ、リエンは元気だなぁ。今日はフロルさんも出かけているから、退屈だったよね。なにかしたいことはある?」
「ん~、お散歩に行きたい!」
「あぁ、いいよ。じゃあ行こうか」
「わ~い! シャルル兄様、大好き!」
満面の笑みを浮かべるリエンに手を差し出すと、小さな手で俺の手をつかんでくれる。こんなにも小さなリエンに、一度目の俺は怒りをぶつけて怖い思いをさせていたかと思うと、罪悪感がドッと押し寄せた。
それをうち消すように、俺はリエンの求める『優しい兄』を演じ続けた。
このまま平穏に過ごしていけば、俺の人生の結末も少しはマシになるのだろうか。
リエンたちと仲よくなって、それから俺はどんな未来をたどるのだろう。
未来に不安を抱きながらも、新しい家族と穏やかな日々を過ごしていく。
だが、二度目の人生も決して平穏なばかりではなかった。
その日、俺が学園から帰ると、屋敷は慌ただしい雰囲気に包まれていた。
使用人たちがリエンの名前を呼び、フロルさんとジェイドも心配そうに屋敷の中を歩きまわっている。
「フロルさん。一体どうしたんですか?」
「シャルルさん。実は、リエンが見当たらなくて……」
「え? リエンが?」
「そうなんです、兄さん。母上と私が帰ってきた時、部屋にリエンの姿がなく……使用人と遊んでいたそうなんですが、目を離した隙にどこかへ行ってしまったようです」
二人の不安そうな表情を見た瞬間、脳裏に一度目の記憶が蘇った。
一度目の俺は泣き虫のリエンが気に入らず、部屋に閉じ込めた。そしてリエンがいないことに気づいた継母やジェイドの慌てふためく姿を陰で見ながら笑っていた。
――今回はなにもしていないのに、一度目と似た出来事が起こっている……?
俺は怖くなり、ぎゅっと拳を握りしめた。
「俺も、リエンを捜すの手伝うよ」
「ありがとうございます、兄さん。屋敷の東側はみんなで捜したので、西側を捜しましょう」
「わかった」
ジェイドとともに屋敷の西側を捜してまわるが、リエンは見つからない。
時間だけが過ぎていき、辺りはすっかり暗くなった。
――リエン、一体どこに行ってしまったんだ。
屋敷の中をジェイドとともに歩きまわり、ふと使用人の休憩室の前で足を止めた。中からは、使用人たちの楽しそうな声が聞こえてくる。
「はぁ……、あのクソガキどこ行ったんだよ。子守りなんてやってられないっての」
「お前がおどかすからだぞ。まぁ、お前に手を上げられたら、大人の俺でもビビって逃げ出すがな。けど、あのガキの態度には俺も苛ついてたから、大人に逆らっちゃいけねえって思い知っただろ。それにしても、いい加減捜すフリするのは疲れたぜ。あんなガキ一人いなくなったところで、こんなに大騒ぎすることじゃないよなぁ」
「ほんとだぜ。そもそも子爵風情が侯爵家に入り込むなんて、身のほどを知らないよな。どうせ母親も体で侯爵をたらしこんだんだろ? 見てくれはいいからな」
「なぁ、あのクソガキも顔はいいじゃん? 一発やっちまえば俺たちに逆らえないんじゃないか?」
「げっ。お前の許容範囲の広さにはいつも驚くけど、あんなガキまでいけるのかよ」
ゲラゲラと使用人たちの品のない笑い声が響き、そばにいたジェイドは怒りで顔をゆがめている。俺自身も怒りが込み上げるのを感じた。
「お前たち。今話していたことは本当か」
「シャ、シャルル様……」
乱暴にドアを開けて中に入ると、俺の姿を見た使用人の男たちは顔を青くする。
「本当かと聞いているんだ。リエンに手を上げたのか」
「ち、違います! ただの冗談です! リエン様に手を上げるなど滅相もない!」
「冗談だとしても、そんな考えを持つような者をこの屋敷に置いておくことはできない。今すぐ荷物をまとめて出ていけ」
「そ、そんな! シャルル様、どうかお許しを!」
「私たちは長年侯爵家に仕えてきたんですよ!」
「二度も同じことを言わせるな。お前たちと顔を合わせるのはこれで最後だ」
許しを求める使用人を睨みつけ部屋の扉を閉めると、廊下で待っていたジェイドと目が合う。
「ごめん、ジェイド。嫌な思いをさせてしまって……」
「いえ、私は大丈夫です。シャルル兄さん、リエンのことで怒ってくださって、ありがとうございます。でも、よかったんですか? あの使用人たちは、長年ウォールマン家に仕えていた大切な使用人なんじゃ……」
ジェイドは申し訳なさそうに俺を見つめる。
「俺にとって大切なのは、ジェイドとリエンのほうだよ。二人は大切な家族だからね」
無理な笑顔でついた嘘を、ジェイドは俺の本心だと思ったのか、安心したように微笑む。
ジェイドやリエンに優しくするのは、罪悪感からだ。それに、二人に対する恐怖も消えたわけではない。
だからそんな表情を見せられると胸が痛むが……今はリエンを捜すのが先だ。
「さぁ、早くリエンを捜しに行こう」
申し訳ない気持ちを隠したまま、再びリエンを捜しに行く。だが、一向に見つからず、屋敷の中は捜し尽くしてしまった。
「シャルル兄さん。リエンは使用人に怯えて、外に出ていったんじゃないでしょうか?」
「そんなはずは……」
リエンはとても怖がりで、フロルさんやジェイドがいないと外に出ることはなかった。一度目の時も、遊んでやると言って無理矢理外に連れ出した時に大泣きされて、それで頭にきた俺はリエンを……
「もしかして……」
俺はある場所のことを思い出し、走り出す。
向かうのは、屋敷の東側にある物置部屋だ。
「シャルル兄さん、そこはもう調べて……」
「いや、きっとここなんだ」
部屋に入ると、埃が舞う。薄暗い部屋の奥にある壁は一見普通の壁だが、実は隠し扉がついている。そして、一度目の俺はそこに泣きじゃくるリエンを閉じ込めた。
一度目と同じようにその扉を開けると、奥にうずくまる小さな人影が見える。そして、目に涙をいっぱいに溜めたリエンがこちらを振り向いた。
「リエン……見つけた」
俺の声にリエンはくしゃりと顔をゆがませる。
「にいさま……」
「リエン、どうしたの? みんなが心配してるよ?」
「にいさまぁ、しゃるるにいしゃまぁぁ……」
リエンは目に溜めていた涙をポロポロとこぼし、こちらへ手を伸ばしてくる。その手を取り、小さな体を抱き上げ、抱きしめてやる。
「リエン。なにか怖いことがあったの?」
「にいしゃま……。あ、あのね……」
リエンは泣きながら、使用人にされたことや、これまでも使用人からひどい言葉をぶつけられていたことを話してくれた。
リエンの話をすべて聞いてやると、流れていた涙がようやく止まる。
「もう大丈夫だよ。俺が、リエンのことをちゃんと守るから」
「シャルル兄様、僕を守ってくれるの?」
「うん。もうリエンに辛い思いはさせない。だから、みんなのところに戻ろう?」
「……うん」
リエンは涙を拭い、コクリとうなずく。リエンを抱っこしたまま部屋を出ると、外で待っていたジェイドが駆け寄ってきた。
「リエン。なにも言わずにいなくなったらダメだろ? 母上もシャルル兄さんも、心配してたんだぞ」
「ごめんなしゃい……」
「私も、シャルル兄さんと一緒にリエンを守るから」
その言葉に、リエンは涙を浮かべて嬉しそうに微笑み、ようやくジェイドにも笑顔が戻る。
三人でフロルさんの部屋に戻ると、リエンはまた泣き出して、フロルさんに駆け寄った。フロルさんも涙をこらえながら、安心したようにリエンを抱きしめていた。
リエンの話で名前が上がった使用人たちは、後日、父が直接処分を下し、その大半が屋敷を去ることになった。それから残った使用人たちはジェイドやリエンへの態度を改めるようになり、その後リエンが泣くことはなくなった。
あの事件以降、リエンの笑顔は増え、今日も一緒に遊んでいる。
最近のリエンのお気に入りは、隠れんぼだ。
リエンはいつも上手に隠れるので捜すのが大変だが、見つけた時には嬉しそうに笑う。
どうやら見つけてもらうのが楽しいらしい。
「リエンは……ここかな?」
ダイニングのカーテンに膨らみを見つけてそっとめくると、笑顔のリエンが現れた。
「リエン、みーつけた」
「エヘヘ。また見つかっちゃった」
リエンはそう言って抱きつき、俺の胸元に顔を埋める。柔らかな銀髪を撫でてやると、嬉しそうにこちらを見上げた。
「シャルル兄様は、僕がどこにいたって見つけてくれるね!」
「そうかな? リエンは隠れるのが上手だから、今日も捜すのに時間がかかったよ」
「そんなことないよ。僕を見つけてくれるのは、シャルル兄様だけだから……」
リエンはまた俺の胸元に顔を埋め、ぎゅっと抱きついてくる。
一度目では知ることのなかった、リエンの甘えん坊で可愛らしい一面を知り、リエンに対する恐怖がうすらいだ気がした。
ジェイドとリエンが屋敷に来て二ヶ月が経ち、ジェイドが初めて学園に通う日を迎えた。
俺と同じ紺色のブレザーに袖を通したジェイドは、鏡を見ながら自分の制服姿を確認している。
「ジェイド、ネクタイをつけないと」
学年カラーである白と黒のストライプのネクタイを手渡すと、ジェイドはそれを持ったまま、困ったように立ちつくす。
「どうした?」
「あの……ネクタイの結び方がわからなくて。教えてもらえないでしょうか」
「これまで教わらなかったのか? ネクタイは崩れることもあるから、自分で結べないと先々困るぞ」
「……すみません。そういったことを教わる前に、父が亡くなってしまったので……」
俺の疑問に、ジェイドは申し訳なさそうに答える。その言葉で、俺は失言に気づき、慌てて謝った。
「あ、ごめん……」
「いえ、大丈夫です」
ジェイドはぎこちなく笑ってくれるが、俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
俺も母と……そして、一度目では父とも死に別れ、肉親を失う辛さは痛いほどにわかる。
さっきの失言を挽回するためにも、ネクタイの結び方くらい俺が教えてやらないと。
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「そんなことないですよ。じゃあ、兄さん。よろしくお願いします」
ジェイドにネクタイを手渡され、俺は緊張しながらネクタイを結んでいく。教えるとは言ったものの、俺もネクタイを結ぶのは苦手で、一度目の人生では大人になっても使用人に結んでもらっていたので偉そうにはできない。
「えっと……どうかな?」
思ったよりも上手に結べたが、やはり少しゆがんでいる気がする。ジェイドは完成した自分の姿を鏡で見ながら、満足そうに口角を上げる。
「ありがとうございます、シャルル兄さん。また明日も教えてくれますか?」
「あぁ、もちろん」
俺の心配をよそに、ジェイドは嬉しそうだったので、まぁこれでよかったのだろう。
準備を終えると、ジェイドとともに馬車へ乗り込み、俺たちが通うリベルテ学園へ向かう。
リベルテ学園は貴族の子息が主に通う学園だ。自由な校風が売りで、貴族同士の交流を目的とする者もいれば、勉学に励む者もいる。
一度目の時もジェイドと同じ馬車で初登校したが、俺は終始不機嫌な態度で、馬車の中は気まずい空気が流れていた。
けれど、今度はそんな間違いは起こさない。
ジェイドに嫌われないためにも、義兄としてサポートしてやらないと。
気を引き締め、ジェイドに積極的に話しかけて知りたいことを聞いてはいろいろと教えてやる。
学園の建物が見えてくると、ジェイドは目を見開いた。
リベルテ学園の校舎は歴史ある建物として有名だ。ここに八歳から十六歳までの子供が通っている。俺も初めて学園に来た時は、その大きさと威厳のある雰囲気に驚き、怖いとさえ思った。
「ジェイド。学園は広くて迷いやすいから、俺が案内するよ」
「ありがとうございます」
馬車を降りて声をかけると、ジェイドは嬉しそうに俺のうしろについてくる。途中、クラスメイトに声をかけられたので「大切な義弟のジェイドだ。仲よくしてやってくれ」とジェイドを紹介する。
『大切な義弟』なんて大袈裟かもしれないが、学園は小さな貴族社会だ。今は再婚して侯爵家の一員となったジェイドだが、中には「元は子爵のくせに生意気な」と、一度目の俺のように嫌味を言ってくるやつもいるだろう。
俺が『義弟を大切にしている』とアピールすれば、そういうトラブルも少なくなりジェイドの学園生活も一度目よりは楽しいものになるかもしれない。
それに、俺がジェイドのことを嫌っていないことを知ってもらうためにも、このくらいがちょうどいい。
ジェイドははにかみながらも、いつものように立派に挨拶をしていた。
それから始業の鐘が鳴るまでジェイドを引き連れ、教室の場所や図書室、食堂などを案内し、最後に俺のお気に入りの場所へ連れていった。
校舎の裏側にある、手入れの行き届いた広い園庭の右奥には、小さな林がある。林の小道を進んでいくと、ポッカリと開けた野原のような場所にたどりつく。
そこには二人がけの小さなベンチが置いてあり、一息つくには最高の場所だ。
「わぁ、すごく素敵な場所ですね」
「そうだろ? ここは父様がこの学園に通ってた頃からあったみたいで、学園に入学する前日に教えてもらったんだ。サボるのにもってこいの場所があるぞって」
ベンチに腰かけ手招きすると、ジェイドは俺の隣に座った。
風の音や木々のざわめきを聞いていると、嫌なことを忘れられる。
一度目の時は、辛い時よくここに一人で来ていたことを思い出し、胸がクッと痛んだ。
「シャルル兄さんも、ここで授業をサボっているんですか?」
ジェイドの意外な質問に、思わずクスッと笑う。
「たまにね。辛くて苦しくてどうしようもない時には、ここに来てボーッと空を眺めてる」
「シャルル兄さんは、今も辛いことや苦しいことがあるんですか?」
緊張した面持ちで、ジェイドが俺を見つめる。
陽の光に照らされたアメジストの瞳が輝くが、俺はその色にまだ慣れない。
綺麗と思うよりも恐怖が強くて、視線をそらしながら返事をする。
「……そんなことない。今はフロルさんやジェイドとリエンがいるから……俺は幸せだよ。それに、ジェイドとこうやって一緒にこの場所に来られたのが嬉しいし、な?」
するとジェイドは安堵したように微笑んだ。その表情に、胸が痛む。
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一度目の人生の記憶がつきまとい、義弟たちに嫌われまいと奮闘する毎日。ジェイドとリエンが本当の俺に気づけば、今回の人生も辛く苦しい結末を迎えるかもしれない。
そんな不安と恐怖を隠すように、俺は笑顔を作る。
ジェイドはこの場所を気に入ったのか、終始笑顔だった。二人でベンチに座り、話をする。予鈴が聞こえたら、ジェイドを職員室まで送り、俺の役目は終わる。
ジェイドに「頑張ってな」と声をかけて職員室を出ると、ハァ……とため息が漏れた。
これからはジェイドを陰ながら見守り、傷つけようとするやつが現れたら牽制していかなくちゃならない。ジェイドが笑って過ごすためになにをすればいいか、考えだすとキリがない。だが、なにが原因でまた義弟たちに嫌われてしまうかわからない今、俺はできる限りのことをやるしかない。
「ひとつずつやっていくしかないな……」
よし! っと、気合いを入れ直し、俺は自分の教室へ向かった。
授業の終わる時間が違うので、俺は先に屋敷へ帰り着き、リエンのもとへ向かった。しばらくするとジェイドも帰ってきて、「おかえり」と声をかける。
「学園は楽しかった?」
「はい。とても楽しかったです。友達もできました」
「そっか。よかったね」
ジェイドの言葉にホッと胸を撫で下ろす。
「いいなぁ。ジェイド兄様、僕もみんなと一緒に学園に行きたい!」
「リエンも八歳になったら行こうな。その時は、シャルル兄さんに教えてもらった素敵な場所にも連れていってやるから」
「えっ! 素敵な場所ってどんなとこなの?」
「それは学園に入ってからのお楽しみだよ」
「楽しみ~!」
リエンとジェイドは、楽しそうに未来の話をする。
――このままいけば、本当にそんな未来がやってくるのかもしれないな……
義弟たちとともに仲よく学園に通う姿を想像して、俺は小さく口元をほころばせた。
◇◇◇
三人と家族になり、早いもので二年が経つ。
相変わらず三人から『嫌われない』ことを心掛けながらの生活。
はじめは不安と恐怖に押し潰されそうだったが、三人と暮らしていく間に少しずつ変化していった。
俺が声をかければ笑い、遊んだり手伝いをすれば、感謝してくれる。
ジェイドやリエンは、俺が困っているとすぐにやってきて、俺のほうが助けてもらう場面もあった。そうやってみんなと一緒に過ごしていると、一度目では見えなかった部分が見えてくる。
フロルさんは、明るくてとても優しい。人の気持ちに寄り添い、苦しむ人に手を差し伸べてくれる。きっと一度目の俺も、フロルさんには苦しんでいるように見えたのかもしれない。
ジェイドは真面目で頑張り屋の優等生だ。口数は少なく常に冷静に物事を見ている。俺なんかよりずっと大人で、困った時にはジェイドに意見をもらうこともある。
学園での成績は常にトップ。一度目の俺はジェイドと自分を比較し劣等感に駆られていたが、比較すること自体が間違いだった。
ジェイドの成績は努力の賜物だ。なにもしていない俺が敵うはずがない。そんなジェイドだが、甘いものが大好きという子供らしい部分もある。本人は隠しているようだが、甘いものを口にすると無意識に微笑む可愛い癖がある。あまりに可愛いので、たまにお菓子を持っていき、二人でお茶会をしている。
人見知りだったリエンは少しずつ成長し、初対面の人にも挨拶ができるようになり、泣くことも少なくなった。七歳になった今も甘えん坊なところは変わらずで、手を繋いで散歩をしたり、本を読む時にはピッタリと横にくっついたりしてくる。
以前はジェイドのうしろにひっついていたが、今は俺の近くにいることがほとんどだ。ジェイドと仲が悪いわけではなさそうだが、今の俺は少し戸惑ったりもする。
そして、平和な我が家の一日が今日もはじまる。
「兄さん。勉強でわからないところがあるんですが、教えてもらえませんか?」
「あぁ、いいぞ」
十歳になったジェイドは相変わらず真面目で、わからないことがあるとやってくる。
昔の記憶も駆使しながら、俺はジェイドの持ってきた課題と向き合った。
「えーっと、ここは、この方程式をあてはめて……そして、ん~……」
今日は俺の苦手な数学。ジェイドが解いているのは高学年でも難しい問題で、俺はジェイドに教えながら頭をひねっていた。ああでもないこうでもないと悩んでいると、ジェイドが突然スラスラとペンを走らせる。
「兄さん、こうですか?」
「あ、うん! そうそう!」
「なるほど。さすがシャルル兄さん。とてもわかりやすかったです」
「俺は少ししか助言していないから、ジェイドが自分で解いたようなものだろ?」
ジェイドは褒めてくれるが、はっきり言って俺の助言はあまり役に立っていない。ほとんどジェイドの実力だ。
「いえ、私一人では解けませんでした。シャルル兄さんのおかげです」
「そんなことない。ジェイドが努力した成果だよ」
俺の言葉に、ジェイドが口元をほころばせる。
「あの、兄さん。今日は……頭を撫でてくれないんですか?」
「そうだった。ジェイド、よくできました」
頭を撫でると、ジェイドははにかむように笑う。一度目の人生で、そんな顔は見たことがなかった。いつも冷たい表情のジェイドが自分を蔑んでいるように思えて、劣等感の塊だった俺は暴言を吐いていた。
あの時の自分が今のジェイドの笑顔を見たら、驚くだろうな……
「そういえば、新作のクッキーを焼いたんだ。あとで持ってくるね」
「はい! 楽しみにしています」
お菓子の話をすると、ジェイドは花が咲いたような笑顔になった。
勉強会が終わり部屋を出ると、リエンが「シャルル兄様~!」とうしろから抱きついてきた。
「今日も元気だね、リエン。どうしたの?」
「ジェイド兄様との勉強は終わり? 終わったなら、僕と遊んでほしいなって思って!」
「あぁ、いいよ。今日はなにして遊ぼうか?」
「ん~、本を読んでほしいなぁ!」
「リエンは本当に本が好きだね」
リエンの部屋に入ると、リエンは好きな本を持ってきて俺の膝に座る。
「じゃあ、今日のお話は……って、また難しい本を持ってきたね。『人間社会における平等と不平等』か……。こんな難しい本を読んで楽しいの?」
「うん! 楽しいよ!」
「そ、そっか。まぁ、楽しければなんでもいいか」
リエンにねだられなければ、俺の人生でこんな本を読むことはなかったかもしれない。そんなことを思いながら、俺は声に出して本を読んだ。
「じゃあ読むよ。『今私たちが生きている世界で、平等な生活を送れていると感じる人は……』」
難しい言葉や文字ばかりが並ぶ本を十五分ほど読み進め……ダメだ。話が難しすぎて眠たい。
強烈な睡魔が俺を襲う。
「現代における……現代に……」
「兄様、そこを読むのもう四回目だよ?」
リエンにクスクスと笑われ、恥ずかしくなりながら気を引き締めて再度本と向き合う。だが、難しい言いまわしや、何度も『平等』だの『不平等』だのと、まるで同じことを繰り返しているような内容で、頭がパンクしそうだった。リエンは内容を理解しているのか、うんうんとうなずいている。
リエンを満足させようと必死に目を開けて読み続けるが、文字はゆらゆらと揺れ、頭の中で『平等』『不平等』がぐるぐるまわる。
リエンが俺を起こそうと声をかけてくれるが、なんとか「うん……」と答えながら、いつの間にか睡魔の誘惑に負けていた。
……すっかり寝こけてしまった俺は、温かなものに包まれる感覚で目を覚ます。胸元はずっしり重く、俺に抱きつくようにリエンが眠っていた。いつの間にかジェイドも来ていたようで、俺の肩に寄りかかりすやすやと眠っている。
小さな寝息と、無防備な二人の寝顔はとても可愛らしい。
一度目の人生にはなかった穏やかな時間と温もりを感じながら、俺は再び目を閉じたのだった。
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