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八章

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 予選二日目が開幕して、既に十二時間。

 みんな一緒にゴールを目指す予選初目から一転、巨大な戦力とやる気を持ち込んだとあるギルドにより、対抗戦は一気に加速していた。

「アドラーの野郎め、余計なことを!」
 実力のあるギルドは怒りながらも、真剣勝負を楽しむ余裕がある。

「もう無理、付いていけない……一日中走るとか無理」
 良識的な団長が居るギルドはさっさと諦める。

「団長、右手が痛くて剣が持てません!」と訴えた団員に「左手でやれ」と無慈悲に告げる団長まで出た。

 そしてアドラー率いる”太陽を掴む鷲”は、本戦出場ラインをぶっちぎり、遂に次回のシード権を争うところまで来ていた。

 残りは五時間。
 夕食を摂ったところで、キャルルとブランカとバシウムは力尽きた。

 対抗戦に使命を燃やすアドラーも、流石に起こしたりはしない。
 疲れて眠る子供たちをリューリアに預け、最後は大人だけで戦う。
 三人の顔と手足だけでもと、リューリアが絞った布で丁寧に拭いて回る。

「リューリア、三人を頼むね。ひと稼ぎしてくるから」
「はい、いってらっしゃい。みんな気をつけてね」

 次女は素直に見送る。
 アドラーはもちろん、対抗戦大好きなミュスレアがようやく本気を出そうとしていた。

 並んで戦場に赴くミュスレアに、アドラーはそっと尋ねる。
「ミュスレアさん、午前中はずっとリヴァンナと話してたけど一体何を……?」

 槍を振り回していた長女は、珍しくいたずらっ子のような表情を作って、アドラーを見上げた。

「んふふ、それは内緒。けどようやく妥結したわ、二人の間で話が付いたの!」

 ミュスレアはそれだけ言うと、すっと体を寄せた。
 意味不明の話を聞かされ、さらに腕がぶつかる距離に詰め寄られたアドラーは見事に混乱する。

 妹弟が見てる前では、ミュスレアが直接的なアプローチをすることはない。
 そして稀に攻撃を仕掛けたとしても、大概は何かしらの邪魔が入るのだが、今日は割り込む者がいなかった。
 リヴァンナでさえ、すぐ後ろで舌打ち一つして黙っていた。

 ダルタスだけが「戦場では揺るがぬ団長が、おなごに密着されただけで動揺するとは……」と楽しそうに笑っていた。

 何故に二人のエルフの争いが収まったか、アドラーは知らない。
 そして知らぬが女神であった。

 ミュスレアとリヴァンナ、お互いの悪口にまで発展したいがみ合いは、アドラーが如何に自分に優しくしてくれたか自慢のあたりで風向きが変わった。
 好きな男の話をするうちに、北と南のエルフ娘の間には妙な友情が生まれていた。

 ――この日の午前中、ミュスレアがついぽろりと尋ねた。
「ねえ……なんでアドラーは、わたし達と距離を縮めるのを怖がってるのかな?」

 リヴァンナの答えは一言で明確だった。
「わたしたちがエルフだから」
「……寿命が違うから?」
「そう」

 ミュスレアにも思い当たる節はあった。
 ヒト族のアドラーが老いて死んでも、ミュスレアはさらに五十年から百年は生きる。
 エルフの血が濃いリヴァンナならば、二百年は楽に生きる。

「そんなこと、気にしなくて良いのに! 別れた後よりも、それまで過ごす時間が大事じゃない?」
「全くの同意。わたしは魂を呼べるけど」
「それ、なんかずるい」

 しばらく見合った二人のエルフは、今度は相談を始めた。
 まずミュスレアが要求する。

「死んだらあげるから、生きてる間はわたしにちょうだい?」
「駄目、絶対」

 様々な条件を突きつけ合う二人も、しばらくして気付く。
 そもそも、どちらかが選ばれる保証はないと。

「戦場では即断即決、頼りになるのに……」
「戦ってる時はかっこいい」

 再び意見があったところで、ミュスレアとリヴァンナは条約を結んだ。
 秘密分割トルデシリャス条約である。
 北の大陸ではリヴァンナが優先権を持ち、南の大陸ではミュスレアが優先権を持つ、もちろんアドラーに対して。

 どちらが選ばれても恨みっこなし、他の女が近づかぬようそれぞれの大陸での責任を持つ、まことに身勝手なアドラー分割条約であった。
 当然ながら、アドラーには知らせない。
 知れば逃げ出すのでは、と恐れたからだ――。

 予選最後の五時間は、記録的なものになった。
 シードを争う上位団、本戦進出を狙う中堅団と、直接殴り合いにならないのが不思議なほどの熾烈な競争が続く。

 僅かでも休んだギルドが置いていかれる。
 百余のギルドが争っていた64個のシード権は、残り三時間で八十に絞られた。

 最後の一時間で、十のギルドが四席を争う展開になった。
 安全圏になったと思われる六十のギルドも、惰性でポイントを稼ぎ続ける。

「進めー! 勝利まであと僅かだ! シード権さえ取れば、次回は楽できるぞ!」

 最後までシードを争う十のギルドとなったアドラーが、叫びながら剣を振り上げていた。
 確かに、シードを取れば次回の本戦出場は約束されるのだ。
 だがしかし、その次のシード権を賭けて予選を戦わねばならないと、アドラーでさえ失念していた。

 運営とは、悪魔の生まれ変わりか悪魔そのものである。

 アドラーに雇われたシャーン人は、文句一つ言わずに役割を果たし続ける。
 広く散らばり、モンスターが密集する地帯を見つけると素早く案内する。
 そこへアドラーとダルタスとミュスレアを先頭に、ギルドの大人達が襲いかかる。

 もう誘い込んで待つ余裕はなかった。
 広いダンジョンを走り回り、最速でモンスターを倒しポイントを稼ぐ。

 予選の半分しか参加してない”太陽を掴む鷲”に負けるものかと、他のギルドも死力を尽くす。
 予選終了の15分前には、モンスターが見当たらない状態にまでなった。
 魔物が居ないダンジョンなど、前代未聞である。

 最後の5分で、アドラーはようやく足を止めた。
 周囲に散ったシャーン人の誰からも『敵影なし』の合図が来る。
 魔力を使い切ったマレフィカとリヴァンナは、それぞれダルタスとイグアサウリオに背負われていた。

「うーん、六十四位に入ったかな?」

 アドラーは隣のミュスレアに語りかけた。
 冒険者ギルドで鍛えた二人はまだまだ動ける。
 それくらいでなければギルドの団長と副団長は勤まらない。

「さあ? 分からないわ、集計を待ちましょ。けど、みんな良くやったわよ」
「それは間違いない。本戦進出は確実だし、どれほど感謝してもしたりない」

 ようやく戦闘モードが抜けてきたアドラーの前へと、ミュスレアが移動した。
 目の前である、間違っても「え? 何か言った?」などと言われない場所。

「あのね、アドラー。わたしね、夢があるの」
「え? 対抗戦の個人ランクで1位を取ること?」

 思い切って見つめながら口を開いたミュスレアは、初めてアドラーを殴りたいと感じていた。

「違うわよ! なんでそうなるの、対抗戦から離れて! わたしの、将来のことよ!」

 ミュスレアは、自分の未来を考えたことが余りなかった。
 何故なら、常にキャルルとリューリア、自分よりも大事な弟妹のことを考えていたから。

「けどね、今は一つだけ夢があるの」
 絶対に逃さない覚悟で、ミュスレアは告げた。

「百年後でも百五十年後でもいいわ、孫やひ孫達にね、あなた達のお祖父ちゃんは、とても強くて優しかったのよって語るの。寂しくなんかないわ、どれだけ長く生きても一人じゃないもの。あなたの思い出と、わたし達の子孫に囲まれて生きるの……だめ?」

 理想的な場所ではない。
 つい昨日までは、何万もの魔物が蠢いていた地下迷宮のど真ん中。
 そこでミュスレアは勇気を出した。

 幾らアドラーでも、勘違いする余地も聞き間違えることもない。
 右手の手袋を外したアドラーは、そっとミュスレアの頬に触れようとする。
 前世も含め、人生で初めての告白を受けたアドラーも、男としてどう振る舞うべきか分かっていた。

 いきなり、ではない。
 この1年間、ギルドの父親役はアドラーで母親役はミュスレアだった。
 俺達は上手くやっていける、彼女は俺とずっと一緒に居てくれるかもしれないと、アドラーが考える時間は沢山あった。

 そして、アドラーの右手が頬に到達し、ミュスレアが目を閉じたところで……対抗戦の予選が終了した。

 アドラーの周り、あっちの道やこっちの森から次々と冒険者が出てくる。
 ここは地下ダンジョンのど真ん中、誰もがこの道を通って帰るのだ。

「おーい、ミュスレア! なにやってる? 一緒に戻ろう!」
 ミュスレアの友人”青のエスネ”が堂々と声をかけた。

「あっちへ行け!」とミュスレアが目で合図しても、エスネは引かない。
 もちろんエスネは、仔細の想像は付いていた、だからこそ邪魔をする。
 貴重な女冒険者で25歳を過ぎた友達を逃がすわけにはいかないのだ。

 アドラーの周りにも、冒険者友達がやってくる。
 皆、他人の幸せよりも死なない程度の不幸を願う良い奴ばかりだった。

「アドラー、何してる? さっさと上がって一杯やろうぜ?」
「そうそう、男同士でどんちゃんやろう!」

 北と南、二つの大陸で最高の冒険者は、汗と泥にまみれた屈強な男どもに、引きずられる様にして連れ去られた。

「……なんで、こんな事に」
 ミュスレアが、半分涙目でつぶやく。

「場所と時が悪い」と、青のエスネは友人に断言した。

 予選が終わり、次の日は休み。
 対抗戦に集まった四千人もの冒険者の、飲めや歌えの大宴会が始まる。

 その中央では、やけくそで盛り上がるミュスレアが、エルフの美声を披露していた。
 綺麗な良く通る美声を聞きながら、アドラーは酔いつぶれる。

 何時かきちんと返事をしようと決心はしたが、翌朝まで覚えているかは定かではなかった……。
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