上 下
171 / 214
第七章

171

しおりを挟む

 アドラーは、一万近い軍人の集団を見下ろしていた。
 もう軍隊と呼べるギリギリの所まで弱っている。

「ねえ、ひょっとして病気?」
 アドラーの右手と胴体の間から、リューリアが顔を出した。
 ぴったりくっついて来たのは、甘えたいからでなくお願いがあるから。

「……何とかならないの?」
 綺麗な緑の目がアドラーを見上げる。

「リューは優しいなあ」
「もう、そういう事じゃないでしょ。わたし、女神パナシア様に誓ったの。病み傷つき苦しむ人を見捨てませんって……」

 アドラーは、周りの仲間達を見る。
 誰もリューリアに反対しなかった。

「あの連中がやられたのは、この辺りの湖の水だ」
 アドラーは皆に説明をする。

「えっ、ボクらも飲んだじゃん!」
 驚いたキャルルに、続きを説明する。

「体に悪いけど、毒ってわけでもない。手順を踏めば飲めるし、少量なら平気だ。新しい土地の水が合わなかったのさ、ここらの水は岩盤から染み出した超硬水だからね」

「ひょっとして、あの草の茎のストローか?」

「さすがマレフィカ」と、アドラーは褒めた。

 この辺りの湖は青く輝きとても美しいが、人の飲み水には適さない。
 ただし同時に自生する葦の茎で作ったストローを使えば、溶け込んだ鉱物を吸着して飲める水になる。

 アドラーも、アドラクティア大陸に住む人々も知っているが、よそ者の侵略者は知らなかっただけのこと。

「安静にして安全な水があれば回復する。だが、放っておけば下痢による脱水で一日か二日で死ぬ。目の前で死なれても寝覚めが悪いからな」

 アドラーは、付いてこようとするリューリアを押しとどめて一人で歩き出した。

 飲める水を見分ける魔法道具はあり、サイアミーズ軍は常備している。
 生物由来の毒には魔法が強いのだが、こういった水の質には無力。
 魔力よりも知識がものを言う場合がある。

 アドラーの姿を見つけたサイアミーズ軍は、重症者を中央に集めて動ける者で円陣を組む。

 一つの生命体に例えられる軍部隊の、最後の防御反応だった。

「脆く薄い。俺一人でも……崩せるかもしれんな」

 何とか全周を囲むだけの薄い殻から、二百歩の位置でアドラーは止まった。
『話がある』と、南の大陸の手信号を送る。
 敵軍は杖を水平に構えるが、攻撃はしてこない。

 近づくとアドラーにもよく分かる。
 連日連夜の魔物の襲撃と水に当たったせいで、軍の統率が保てているのが奇跡だった。

「わしが話す、武器を下ろせ」

 第三軍団の軍団長ビガードが、一人だけ魔術師を連れて進み出た。
 魔法攻撃をするつもりではなく、知識のある魔術師を参謀として使っていた。

「マルセル・ビガードと申す。今は一軍を預かる身。お名前をお聞かせ願いたい」

 ビガードは、この状態の部下をまだ軍だと言い張った。

「アドラクティア大陸のアドラーといいます。交渉に来ました」

「我らは必要とする物などない」と、ビガードはあくまで強気。

「嘘をつけ。放っておくと一晩で兵が半分死ぬぞ」
「う、うむぅ……」

 詰まったビガードの代わりに、付き添いの魔術師が口を開いた。
 生粋の軍人というのは交渉事には向いていない。

「アドラー殿は、兵が苦しむ原因がお分かりですか? 私どもは魔法反応が出ぬ未知の毒かと疑っております」

「そこまで上等なものではないな。知らぬ土地で好き勝手をした罰のようなものだ」

「肝に銘じておきます。ですが、これ以上の損害は、本国の苛烈な反応を呼ぶ可能性がこざいます。なにとぞ、ご教授いただければと」

 魔術師は、損が膨らむほど回収が激しくなると露骨に脅した。

「ふん。幾万で押し寄せようが、大地の神は侵入者の狼藉を許さぬぞ?」

 アドラーは、地球では嘘つきか詐欺師しか使わない神の怒りを持ち出した。
 だがこの世界の神さまは街に出没するし、実際に魔術師はあの光の柱を見た。

 青い顔色になった魔術師が絞り出す。
「や、やはり、あれは……!」

「待たぬか! 神が直接に人を罰したなど聞いたことがない!」
 ビガードが吠える。

 神は実在しても、天罰はない。
 何故なら神々は、ヒト同士の争いに口は出しても手出しをしない。

「この大陸では違う。それにあれも、ただ遺跡を吹き飛ばしただけだ。その気なら、軍団丸ごと光の中へ消し去ることも可能だった。あの一撃は、警告と受け取るが良い」

 アドラーは堂々と神の代弁者のふりをして嘘を付いた。
 長らく姿を見せぬ竜の存在が疑問符なのと、証拠を見せろと言われてブランカを出しても、多分誰も信じないので神を利用することにした。

 もちろんこれで天罰などない。

「ビガード団長、我等の為すべきことを。仔細持ち帰れば、判断するのは本国です」
 魔術師は冷静だった。

「ぬぬ……何が望みか」

「この大陸で人を殺すな、奪うな、攫うな。どの種族に対してもだ。隣国の民と同じように接することだ。さもなくば……」

 アドラーは、身につけた法術魔法を発動させる。
 攻防三倍、個人の持つものとしては最上位の強化魔法がアドラーを包む。

 ビガードも魔術師も、穏やかで地味な男の空気が変わったのを感じる。
 思わず腰の剣に手を伸ばし、魔術の杖を構えそうになる程。

「まだだ」
 アドラーが持つ、”猫と冒険の女神”から授かりし特殊強化も発動させた。

 後ろで見守っていた他の魔術師達も異様な魔力反応に気付き、歴戦の兵士達も気配を感じ取る。

「この大陸には、大規模な軍はない。だが優れた戦士は幾人も存在する。敵対するならば……ここで証明して見せよう」

 アドラーは、ビガードの後ろに座り込む1万人の兵士達を見た。

 交渉の行方次第でと、アドラーは覚悟を決めていた。
 軍団長を一閃で殺し、死体を盾に一気に攻め寄ると。
 残りは体力の落ちた兵士と病人ばかりで、二個軍団が全滅――文字通りの死者一万二千人――となれば、サイアミーズ軍はもう動けない。

 リューリアは泣いて責めるだろうが、仕方がないと……。

「選べ。平和か死かだ」

「死、死は恐れぬ……」
 ビガードが恐怖に耐えながらいった。

「どうせ本国に戻れば処刑を待つ身だ。しかし部下を巻き添えには出来ん……。軍団長の裁きには、王国の高官が臨席する。時には陛下へ申し開きを述べる事が出来る。そこで、この大陸に手を出すことの無謀を説く。お主の言葉と神の怒りを伝えると約束する……」

 一軍人の精一杯の条件だと、アドラーは受け取った。

「良かろう。必ず伝えてもらうぞ」

 アドラーは、水を安全に飲む方法を教える。
 葦と水を鍋に入れ、一度沸かして塩を混ぜて飲ませろと。

「そ、それだけで!?」
 魔術師は驚いた。

「この地に住む者の知恵さ。貴様らは、受け継いだ知恵と知識を台無しにしかねないからな」

 アドラーの言葉を聞いたビガードが、静かに顔を上げた。

「この先、北へ二日ほどの所まで友軍が来ておる。だがそこでバルハルト率いる帝国軍と遭遇した。双方一歩も譲らず、既に戦端は開かれた。わしが知る最新の情報はそれだけだ」

 軍機を漏らした軍団長に、魔術師は聞かぬふりをしていた。
 
「そうか、感謝する。いよいよ大詰めだな」

 アドラー達は、病人と怪我人の集団を追い越す。
 アドラクティア大陸の歴史にない、人族同士の戦争が始まっていた。

 止めるべきか潰し合いを見守るか、アドラーはまだ決めてない――。
しおりを挟む
感想 28

あなたにおすすめの小説

異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜

KeyBow
ファンタジー
 間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。  何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。  召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!  しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・  いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。  その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。  上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。  またぺったんこですか?・・・

俺は善人にはなれない

気衒い
ファンタジー
とある過去を持つ青年が異世界へ。しかし、神様が転生させてくれた訳でも誰かが王城に召喚した訳でもない。気が付いたら、森の中にいたという状況だった。その後、青年は優秀なステータスと珍しい固有スキルを武器に異世界を渡り歩いていく。そして、道中で沢山の者と出会い、様々な経験をした青年の周りにはいつしか多くの仲間達が集っていた。これはそんな青年が異世界で誰も成し得なかった偉業を達成する物語。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

セーブポイント転生 ~寿命が無い石なので千年修行したらレベル上限突破してしまった~

空色蜻蛉
ファンタジー
枢は目覚めるとクリスタルの中で魂だけの状態になっていた。どうやらダンジョンのセーブポイントに転生してしまったらしい。身動きできない状態に悲嘆に暮れた枢だが、やがて開き直ってレベルアップ作業に明け暮れることにした。百年経ち、二百年経ち……やがて国の礎である「聖なるクリスタル」として崇められるまでになる。 もう元の世界に戻れないと腹をくくって自分の国を見守る枢だが、千年経った時、衝撃のどんでん返しが待ち受けていて……。 【お知らせ】6/22 完結しました!

ユーヤのお気楽異世界転移

暇野無学
ファンタジー
 死因は神様の当て逃げです!  地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。

レベルを上げて通販で殴る~囮にされて落とし穴に落とされたが大幅レベルアップしてざまぁする。危険な封印ダンジョンも俺にかかればちょろいもんさ~

喰寝丸太
ファンタジー
異世界に転移した山田(やまだ) 無二(むに)はポーターの仕事をして早6年。 おっさんになってからも、冒険者になれずくすぶっていた。 ある日、モンスター無限増殖装置を誤って作動させたパーティは無二を囮にして逃げ出す。 落とし穴にも落とされ絶体絶命の無二。 機転を利かせ助かるも、そこはダンジョンボスの扉の前。 覚悟を決めてボスに挑む無二。 通販能力でからくも勝利する。 そして、ダンジョンコアの魔力を吸出し大幅レベルアップ。 アンデッドには聖水代わりに殺菌剤、光魔法代わりに紫外線ライト。 霧のモンスターには掃除機が大活躍。 異世界モンスターを現代製品の通販で殴る快進撃が始まった。 カクヨム、小説家になろう、アルファポリスに掲載しております。

処理中です...