上 下
136 / 214
第七章

136

しおりを挟む

 死傷者が七割を超えたデトロサ伯の騎士団は、世代が巡らねば再建不可能なほどに壊滅した。
 
 ゴブリンも半数が死傷したが、誰の顔も明るく涙は見せない。
 しかも彼らは騎士を六騎も討ち取った、ゴブリン達にすれば歴史に残る大戦果である。

 父が戦死した若いゴブリンが、「団長さま、お疲れ様です」と澄んだ水を差し出す。

 アドラーが受け取ると、若者は何の屈託もない笑顔を見せていった。
「団長さまと共に戦った父は、自分の誇りです」と。

「みんなが道を塞ぎ、常に敵を引きつけてくれた。本当に助かった」
 アドラーの返事はお世辞でなく心からのもの、それが伝わった若者は嬉しさと誇らしさを混ぜた顔になる。

 戦いの後に一番忙しいのはリューリアで、まずアドラーとダルタスを看て卒倒しそうになる。

「アドラーは左肩にひび、切り傷や打ち身は多数。ダルタスは、肋骨と左腕が折れてる! 細かい傷は数え切れない! けど命に別状はないわ……後回しで良い?」

 二人の返事を聞いてから、若鹿のような足取りでリューリアは駆け回る。
 直ぐにも治癒が必要な者が沢山いた。

 アドラーとダルタスは、互いに包帯を巻きながら相談する。

「うーむ、次が来るとまずい。斧もなくなった」
「今日はもう来ないだろうが……明日来られてもまずいか」

 悩む二人の頭の上から、声と猫が降ってきた。

「もう来ないぞ。本隊らしきのは南へ引き上げ始めた」
「にゃあ!」

 マレフィカとバスティが戻ってきたのだ。

「バスティ、そっちは痛い!」
 アドラーは左肩に飛び降りた黒猫に苦情を言ったが、これで全員が揃う。

 空飛ぶマレフィカは南へ向かう歩兵集団とすれ違い、それからブランカが放った閃光を見たと語る。

 マガリャネスは、当然連絡を受けていたはずだが、あえて一騎打ちを挑んだ。
 最期のけじめで、滅びる主君より先に死ぬのが役目だとマガリャネスは考えたと、アドラーは思った。

「上手くいったんだ?」
 アドラーがマレフィカに聞いた。

「うん。ギムレットとの会話を録音編集して、ゴブリン奴隷を使って反乱資金を貯めてると思わせた。レオン国の王家は、巫女の一族らしく、バスティが姿を見せたら一発だったよ」

「神さまのふりをするのは大変だったにゃ」
 ”冒険と猫の女神”は、やれやれと前足を舐めて毛づくろい。

 王族は祖先から特別な力を受け継ぐことが多い。
 レオン王家に伝わるのは雨乞い、乾燥しがちなこの地域で王となったには理由がある。

 現れたバスティを見て、王の母は直ぐに神の一柱だと気付いた。

「あーこれを見るにゃ。うちは”猫とゴブリン”の守り神だにゃ、ゴブリンの扱いに憤慨して来たんだにゃあ」

 嘘つきな黒猫の首輪に映る、捏造された証拠を見た王母は狂喜した。
 目の上のたんこぶ、デトロサ伯フェリペと妹をこれで追い落とすことが出来ると。

 今はデトロサ伯領との境に諸侯が集結中、戦いはアドラーの手を離れた。

「なかなか酷い役割だぞ? うちはこれでも女神なのに!」
 バスティが、ざらざらの舌でアドラーの頬の傷を舐めた。

「い、痛いよ。ごめんね、バスティさん」
「まあ仕方ないにゃ。ゴブリンを救う為だにゃ……」

 ――これより七日後、この内戦で唯一の戦いが起きる。
 北へ南へと動き回ったデトロサ軍は脆く、初戦で総崩れになりほとんどが降伏する。
 国内最強の騎士団は三十騎しか姿を見せず、指揮を執れる者すらいなかった。

 自業自得というに相応しく、デトロサ伯フェリペは更に十日ほど領内を逃げ回った挙げ句に、自殺に追い込まれる。


 騎士団との戦いが終わった夜、アドラーは寝れなかった。
 大陸最高の冒険者は、屈強な騎士を三十近くも切り倒した。

 その事に後悔はない、数千のゴブリンの命がかかった戦いだったのだ。 
 だが、何事もなく安眠できる程でもない。

 仲間達もゴブリンも寝静まり、炭になる焚き火を見つめていたアドラーの隣に一人やって来た。

「眠れない? 何処か痛む?」
 何時になく優しい声と表情をしているのはミュスレア。

「痛みは……ないよ」
「嘘ね。アドラーは優しいから」

 心が痛い、などと平凡な返しはせずに、アドラーは薪を一本継ぎ足した。
 最初だけ火が暗くなり、薪が燃えだすとまた明るくなる。

「何時も、大変なことは任せてばかりね?」
「うーん……団長だからね」

「もう、そういう返事が聞きたいんじゃないの!」
 眠る団員を起こさぬよう、小さく怒ったミュスレアが自分の毛布を半分アドラーにかける。

 昼の戦いのせいで、アドラーの反応はとても鈍い。
 心も体も硬直しかけていたのだが……アドラーは、自分がとても柔らかいものに包まれていると気付く。

 胸にアドラーの頭を抱き寄せたミュスレアが、幼子をあやすように背中にも手を回してゆっくりと叩く。

「何時も何時も、あなたがわたし達を守ってくれてるのは分かってるわ。だから、辛いことがあればわたしには言ってね?」

 頭に向かって囁くように語ったミュスレアの言葉は、アドラーの体にすっと入ってきた。

 代わって、昼間の緊張と興奮と闘争心が、女の体に吸い取られるように男の体から抜けていった。

 アドラーは、ようやく自然に目を閉じる事が出来た。

 力が抜けた団長を、長女はしばらく抱きしめていた。
 そして思い切って聞く。

「あ、あのね、アドラーは、わたしのことどう……思ってるの? わたしは、あなたの事を……あ、あいし……ん?」

 穏やかに眠る団長の頭を膝に移したミュスレアは、ぶつけようの無い思いを手近な薪にぶつけた。

 綺麗に真っ二つになった木の枝が、焚き火へと放り込まれる。

「ま、今日は怒ったりしないわよ。悪い夢を見ないよう、わたしが付いててあげるから」


 それから二日、遂にアドラー達は”アルフォンソの道”の北端へ着いた。
 千二百での砂漠越えは難事だが、思わぬ救援がやってくる。

「やあアドラーさん、お久しぶりです。水臭いですね」
「ルーシー国は、そういえばここより東だったか」

 やって来たのはアストラハンと”鷲の幻影”団の面々。
 ”太陽を掴む鷲”、唯一の同盟ギルド。

「帰りが遅いから、ライデンのギルド本部から様子を見てくれと」
 優秀な受付嬢テレーザの計らいだった。

「手伝ってくれる? ちょっと大人数なんだが」

 アドラーはとても控えめに言った。
 千二百のゴブリンを見渡したアストラハンは、快諾する。

「また面白そうなことしてますね。報酬は、今回の冒険話で良いですよ」

 ギルド対抗戦で出来た仲間の助けを借りて、”アルフォンソの道”から砂漠へと踏み出した。


 少し先の話になる。
 デトロサ伯爵領が滅亡した後、デトロサ伯アルフォンソが作った道の名前は変わった。

 ゴブリンの祟りを恐れる――実際に神がやってきたと信じた――レオン王家は”ゴブリンの涙道”と名付けようとして、伝え聞いたゴブリン族から猛反対される。

 新しい名前は”ゴブレオン街道”
 ゴブ砂漠と都市レオンを結ぶ道で、謝罪の意味も込めてレオン王家が名前の先を譲った。

 この名は長く長く使われ、交易路として繁栄することになる。
しおりを挟む
感想 28

あなたにおすすめの小説

能力値カンストで異世界転生したので…のんびり生きちゃダメですか?

火産霊神
ファンタジー
私の異世界転生、思ってたのとちょっと違う…? 24歳OLの立花由芽は、ある日異世界転生し「ユメ」という名前の16歳の魔女として生きることに。その世界は魔王の脅威に怯え…ているわけでもなく、レベルアップは…能力値がカンストしているのでする必要もなく、能力を持て余した彼女はスローライフをおくることに。そう決めた矢先から何やらイベントが発生し…!?

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

異世界転生はどん底人生の始まり~一時停止とステータス強奪で快適な人生を掴み取る!

夢・風魔
ファンタジー
若くして死んだ男は、異世界に転生した。恵まれた環境とは程遠い、ダンジョンの上層部に作られた居住区画で孤児として暮らしていた。 ある日、ダンジョンモンスターが暴走するスタンピードが発生し、彼──リヴァは死の縁に立たされていた。 そこで前世の記憶を思い出し、同時に転生特典のスキルに目覚める。 視界に映る者全ての動きを停止させる『一時停止』。任意のステータスを一日に1だけ奪い取れる『ステータス強奪』。 二つのスキルを駆使し、リヴァは地上での暮らしを夢見て今日もダンジョンへと潜る。 *カクヨムでも先行更新しております。

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

神になった私は愛され過ぎる〜神チートは自重が出来ない〜

ree
ファンタジー
古代宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教…人々の信仰により生まれる神々達に見守られる世界《地球》。そんな《地球》で信仰心を欠片も持っていなかなった主人公ー桜田凛。  沢山の深い傷を負い、表情と感情が乏しくならながらも懸命に生きていたが、ある日体調を壊し呆気なく亡くなってしまった。そんな彼女に神は新たな生を与え、異世界《エルムダルム》に転生した。  異世界《エルムダルム》は地球と違い、神の存在が当たり前の世界だった。一抹の不安を抱えながらもリーンとして生きていく中でその世界の個性豊かな人々との出会いや大きな事件を解決していく中で失いかけていた心を取り戻していくまでのお話。  新たな人生は、人生ではなく神生!?  チートな能力で愛が満ち溢れた生活!  新たな神生は素敵な物語の始まり。 小説家になろう。にも掲載しております。

転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。

ユーヤのお気楽異世界転移

暇野無学
ファンタジー
 死因は神様の当て逃げです!  地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。

レベルを上げて通販で殴る~囮にされて落とし穴に落とされたが大幅レベルアップしてざまぁする。危険な封印ダンジョンも俺にかかればちょろいもんさ~

喰寝丸太
ファンタジー
異世界に転移した山田(やまだ) 無二(むに)はポーターの仕事をして早6年。 おっさんになってからも、冒険者になれずくすぶっていた。 ある日、モンスター無限増殖装置を誤って作動させたパーティは無二を囮にして逃げ出す。 落とし穴にも落とされ絶体絶命の無二。 機転を利かせ助かるも、そこはダンジョンボスの扉の前。 覚悟を決めてボスに挑む無二。 通販能力でからくも勝利する。 そして、ダンジョンコアの魔力を吸出し大幅レベルアップ。 アンデッドには聖水代わりに殺菌剤、光魔法代わりに紫外線ライト。 霧のモンスターには掃除機が大活躍。 異世界モンスターを現代製品の通販で殴る快進撃が始まった。 カクヨム、小説家になろう、アルファポリスに掲載しております。

処理中です...