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第五章
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しおりを挟むアドラーが二勝、ギムレットが五勝で、後がなくなった。
闘技場を挟んだ反対側で、ギムレットが笑いをこらえているのを、アドラーは見つけた。
だが、アドラーには策がある。
ゆっくりと視線をめぐらせ、観客席の貴賓席に目をやる。
そこには、エルフの友人ファゴットがいた。
『逃げ出す船の準備はいいか?』
『良いですが、諦めるには早いですよ!』
『そうは言ってもなあ……キャルルが残ってるんだ……』
手振りと視線でやり取りをする。
数日前、アドラーがファゴットに頼んだ時、エルフの貴族は即座に承知した。
しかし、彼なりの意見も述べた。
「ギルドのみんなが、あなたを置いて船に乗りますかね。全員が一緒なら迷わないでしょうけど。それに例え大借金があっても、アドラー、あなたと共に居たいって人も多いと思いますが」
アドラーにとって嬉しい言葉ではあった。
「だとしても、借金取りに追われる生活はとても辛い。それで心がバラバラになることもある……」
アドラーには、かつて友人の保証人になった苦い経験があった。
「それにだ、全員が消えれば即座に問題になる。けど団長が残っていれば、責任はそいつにある。町の司法官に訴え出て、俺の罪と処分が決まるまでにも時間がかかる。まあ、自由民の資格は剥奪されるが……二、三年して逃げ出せばもう追っ手もかからんさ」
今生の別れには、アドラーだってしたくない。
ブランカは故郷に連れてくと約束したし、三姉弟にもまた会いたい。
いっそのこと、南の地で冒険者稼業を再開するという手もあった。
「あなたのせいで、私は本国で異例の抜擢です。困ったことに、仕事が増えて酒も増えました。飲み友達が増えるなら、亡命者でも犯罪者でも大歓迎ですけどね」
借金を踏み倒し、なおかつ逃亡奴隷になったとしても、スヴァルト国は受け入れるとファゴットは断言した。
アドラーにとって一番の心配事、ギルドのみんなの安全は確保してある。
あとは、キャルルであった。
「兄ちゃん! あいつの弱点と、勝つ方法!!」
勇敢な男の子は、まったく諦めていない。
「相手は、ゴリアテか……」
この男も元幹部で、難しい相手だった。
アドラーもアドバイスに迷うほど。
先にミュスレアが声をかけた。
「キャルル、ゴリアテは技術が高いの。力任せの攻撃はほとんどない、受けてからの反撃を得意とするわ。剣を絡め取られないように気を付けなさい! いいこと、絶対に勝つのよ!」
マレフィカも、見てとった情報を伝える。
「キャルルくん、敵はもう激情と戦いの神の強化を発動してるわ。魔法が切れたら合図するから、まずは逃げ回って」
「キャルル……すまん、俺のせいで……」
ダルタスも声をかけた。
キャルルは、落ち込むオークの巨大な肩を小さな手で叩いていった。
「任せといて! 俺が師匠の仇を取るからね!」
この二ヶ月、キャルルの稽古の相手を一番沢山していたのはダルタスだった。
ダルタスは、キャルルの攻撃が良い時は身をもって受けてやる。
木の棒で殴られた程度、彼には何でもない。
「おお、今のは良いぞ。俺でなければ立ってられない一撃だ!」
そういって怖い顔でにやりと笑っていた。
バスティがキャルルの肩に乗る。
「おい、指を出すにゃ」
差し出されたキャルルの人さし指を、バスティが強く噛んだ。
「いてっ! 何すんだよっ!」
「猫と冒険の神からの贈り物にゃ。ちょっとだけスピードが上がる。今のわたしでは、それが精一杯。ギルドを守ってくれにゃ?」
ギルドの守り猫が、数百年かけて貯めた力を使った。
神さまとしては生まれたばかりのバスティでは、それが限界。
「早くしなさい」と、審判が呼びかける。
「キャルル、良く聞け。ゴリアテは、正統な剣術を習ってる。冒険者にしては珍しい。中段に構えて、攻防一体の剣をよく使う。無理にこじ開けようとするな、胴の鎧も叩くな。近い手足を狙いつつ、強化が切れるまで粘ること。焦るなよ?」
「わかったよ、兄ちゃん」
キャルルは軽い足取りで走り出た。
「がんばれー!」と、ブランカが明るく声をかけるが、リューリアは誰よりも緊張して声も出ない。
キャルルには黄色い歓声が飛ぶ。
少女からお姉さま、奥様まで一目で惹きつける笑顔を浮かべている。
「これは、かわいらしい相手だが。手加減はせんぞ?」
ゴリアテは油断なく少年の身のこなしを確かめる。
「本気で来なよ。その神さまの強化が切れた瞬間、ケリを付けてやるから!」
キャルルはあえて、手の内を知ってることをバラした。
試合が始まった。
ゴリアテは両手持ちの長剣
キャルルはエルフの剣ではなく、かつてアドラーが使っていた幅広の頑丈な短剣を持っていた。
名剣であってもエルフの剣は、まだキャルルに大きい。
少年は泣く泣くながらも、自分に合った武器を使う。
ゴリアテの攻撃に隙はなく、小さなフェイントを混ぜながら強い一撃を振り下ろす。
威力は、闘技場の床を砕くほど。
「攻撃に乗ったか」
アドラーは敵の攻撃力が五割ほど強化されてるのに気付く。
観客の女性の悲鳴が途切れない程の猛攻が続くが、キャルルは見事に避ける。
少年の師匠は三人。
長女とオークとアドラー、それと同門の兄弟弟子が一人。
キャルルはブランカと一緒に修行を受けていると思っている。
竜の娘からすれば遊び相手だったが。
時によっては、アドラーでも手こずるスピードを持つブランカに、毎日のように木の棒で殴られたキャルルには相手の剣がよく見えたいた。
「やっぱり、兄ちゃんとうちの団員ってどっか変だよなあ……」
冒険者ではトップクラスの剣技を躱しながら、キャルルは溢れそうになった笑いを抑え込んだ。
ゴリアテは、見事な足さばきでキャルルを隅に追い詰めようとする。
速さに優る相手でも焦る様子はない。
「んなっ!?」
初めてゴリアテが驚きの声をあげた。
闘技場の端へ追い込んだと思ったら、エルフの少年が脇の下をくぐり抜けたのだ。
カキンッ! と、すり抜けざまにキャルルの剣がゴリアテの鎧に当たった。
思わぬ反撃に「おおおっ!」と観衆が沸く。
「あとどれくらい?」
アドラーはマレフィカに聞いた。
「やっと半分だよー」
ゴリアテの持つ神授魔法は、効果時間の半分を過ぎたとこ。
アドラーには一時間にも感じたが、まだ五分ほどしか経ってない。
「もう見てられないっ!」
リューリアが目を閉じて姉にしがみついた。
彼女にとって、この世で唯一守るべき存在が弟。
万が一にもミュスレアに何かあれば、何をしてでも自分が弟を育てる覚悟だった。
今は、アドラーや頼れる大人が増えて肩の荷を下ろしているが、自分以外が弟を殴るどころか剣を向けるなど、とても耐えられない。
「わたし達の弟だもの、大丈夫よ!」
ミュスレアは根拠はないが自信を持って妹を励ます。
「キャルルはよくやってるにゃ」
バスティが肉球でリューリアを撫でる。
「バスティの加護、あの子に効いてるの?」
「まあ、気休め程度だにゃ」
実際のところ、速度強化なんて魔法はアドラーも初めて見た。
身体強化の中でも貴重、効果量は一割から二割程度に見えたが、今のキャルルにとてもよく合っていた。
「キャルルくん! 切れたぞ!」
珍しくマレフィカが大声を出した。
十分を超える一方的な攻撃を凌ぎきり、ゴリアテの剣が鈍る。
疲労も出て、息が荒くなっていた。
「へへっ、ボクの番かな?」
まだまだ身軽なキャルルが、自分の間合いに踏み込んだ。
「うわっ、あぶねっ!?」
間一髪でキャルルが飛び退くと、顔のあった空間を速い一撃が横切った。
ゴリアテは息を切らすほどバカではなかった。
それからしばらく、見事な攻防と言ってよい状況が続く。
キャルルの手数も増えたが、どうしても一歩か二歩遠い。
鎧を着込んだ相手に、キャルルは決め手がなかった。
隙間を突くほどの技術もない。
じわりじわりと追い詰められ、中段からの三段突きで、キャルルは短剣を落とす。
後ろに飛んだキャルルが、ポケットから何かを取り出した。
「小僧、貴様が拾い集めてるのに気付かぬと思ったか」
砕けた床の石、それと紐。
ゴリアテの額を狙ったキャルルの投石を、剣を立ててあっさりと弾いた。
「うぬっ!?」
ゴリアテの視界を砂煙が包む。
石だと思ったのは泥団子、キャルルが何年もかけて育てて磨いた宝物。
そして次の瞬間、右手に激痛を感じたゴリアテが剣を取り落とした。
森を遊び場にする少年は、両手で投石紐を扱える。
これで小鳥を落としては、持ち帰るのだ。
ゴリアテは、戦場でなら正しい判断をした。
足元にある自分の剣とキャルルの短剣を、同時に蹴り飛ばす。
武器のない少年に、自分を倒すことは出来ないと思っていた。
「ゴリアテ! 走れ、武器だ!」
宮殿に住まう獅子の席から、怒声が飛んだ。
キャルルは迷わずにゴリアテの武器を追いかけていた。
素早く拾い上げ、勝利条件を満たす為に走る。
「小僧!!」
短剣を拾ったゴリアテは、走る小さな背中に向けて投げつけた。
キャルルはクォーターエルフだが、エルフの特徴が一番良くでている。
長い耳は風を切って飛んで来る何かに気づく。
前のめりに倒れたキャルルの真上を、アドラーから貰った短剣が通り過ぎた。
「勝利は太陽を掴む鷲!」
箱に敵の武器を収めたキャルルが勝った。
「えっ、勝ったの? どうやって?」
やっと目を開いたリューリアが姉に聞いた。
どさくさに紛れてマレフィカがキャルルに抱きつき、ブランカが噛み付く。
バスティが爪を立てて、ダルタスの抱擁は潰す勢い。
「いたいっ! 痛いよ!」と笑う少年の頭を、アドラーも思い切り抱きしめた。
二戦続けての大番狂わせに、審判のバルハルトは渋い顔。
「えー、審判のバルハルトです。次の九回戦から、武器を奪っての決着はなしに致します。九回戦は、”若干十五歳、帝室魔術顧問ラーンディル家の神童”アスラウと”森の魔女”マレフィカ!」
半切れ気味の声で、バルハルトが告げた。
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