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第一章

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 一つだけ幸運があった。
 ギルドハウスを解約すると残った3ヶ月分の家賃、金貨で9枚が返ってきた。

 一階に50人は集える木造2階建ての家賃が月に金貨3枚なのに、背負った借金が520枚。

 アドラーも『これは借金返済など無理だな……』と思ったが、ありがたく使うことにした。

「半年分の家賃が返ってきたんだ。半分こにしよう」
 ミュスレアに金貨9枚をしっかり握らせて、リューリアに頼む。

「長い旅になるけど、気をつけてね。ミュスレアが飲んでしまわない様にしっかり見ててね」

「そんなことするはずが……」ない、と言いたいミュスレアの語尾は弱い。
 エルフの血を引くくせに、彼女は大酒飲みだった。

 リューリアもキャルルも一時的にギルドの団員にしてから、身分証明書と旅券を出す。
 これがなければクォーターエルフの一家は何処にも行けない。

 アドラーが、一家のことを最優先にした事は伝わった。

「にいちゃん、ありがとね」
 キャルルは迷いなくアドラーに飛びついた。
 白皙に金髪、いずれはライデンきっての色男にもなる少年は、大粒の涙で別れを惜しんだ。

 リューリアもアドラーに抱きついてから別れの挨拶をした。
「食事だけは気をつけてね。お家もよろしくね。また、会えると信じてるからね?」

 年長のリューリアは、今生の別れになるかも知れないと分かっていた。

 ミュスレアは抱きつかはしなかったが、がっちりと握手をした。

「アドラー……その、一人にしてごめんね。わたしにはこの子達が一番大切なんだ……」
「分かってる、僕も同じだ。リューリアとキャルルを頼むよ」

「ああ、もちろん。何かあったら連絡を来れ、飛んで駆けつけるよ!」
 不可能なことだが、ミュスレアの心からの本音だった。

 一家は一度南へ出る、追手が無いのを確認してから東へ向かう。
 ヒトの文明圏を抜けてエルフの住処へ。


「さてと……」
 街の境界を抜け去りゆく3人を見送り、アドラーは仕事の締めにかかる。

「バスティ、落ちないように捕まっててね」
 ギルドの守り猫は、ミュスレア達に付いて行くのを嫌がった。
 アドラーの肩にしっかりと爪を立て、離れる気配もなかった。

『変わった猫だ』とアドラーは思う。
 動物好きだったアドラーも、前世でこんな猫は見たことがない。
 エジプトネコやシャムネコに似て、大きな耳にしなやかな体と黒い短毛だが、野性味のかけらもない。

 小動物や昆虫を捕らえてるとこなど見たことがないし、基本は人と同じ物を食う。
 しかも砂糖の入った菓子を好む。

 変わってると言えば、ロバのドリーも変わっている。
 愛嬌のある顔つきは間違いなくロバだが、蹄が二つに別れているのだ。

『まあモンスターと呼ばれる程、巨大な動物や昆虫が住む世界だしなあ』
 アドラーは、この世界の変わった生き物を一つ一つ調べて本にして、是非とも博物学者になりたいと思っている。

 だが、彼にはその前にする事があった。

 少し道を戻ると、十数人の集団を見つけて声をかけた。

「ここは通行止めだ。俺が相手をしてやる、そっちも用があるんだろう?」

 堂々たる売り文句に、男たちも低い歓声をあげる。
 獲物の方からやってきてくれたのだ。

 集団の一番奥で、一人の男がフードを取ると頬の垂れた顔が現れる。
 その男、シャイロックは一枚の紙切れを取り出して言った。

「これに署名すれば、お前は見逃してやるぞ? 殺しはなるべく避けたいからのう……」

 アドラーが察するに、また団長の移譲書だろう。
 アドラーがサインすれば、ミュスレア達を追いかけキャルルでも人質にして脅せば良い。

「バカを言うな。太陽を掴む鷲の団長様が相手してやるって言ってるんだ、こっちへ来い」

 シャイロックに雇われた十数名のならず者から、更に大きな歓声があがる。
 彼らはこういう調子に乗った手合が大好物だ。

 従わなければ殺す気だと、アドラーにも分かる。
 アドラーが死ねば前団長に借金がのしかかるのだから。

 それに……アドラーは久々に殺気に触れていた。

『良い事ではないが……懐かしいな、この感覚』

 19世紀のとある冒険家が書き残している。
 ――私の探検に必要な能力は全て軍に居た時に養われた、と。

 知力体力は言うに及ばず、地形を読み歩く能力、観察眼・忍耐力・判断力、そして有事に際しての戦う力。

 ”猫と冒険の女神”に拾われたアドラーは、ネコ耳こそ貰えなかったが最高の冒険者としての資質を貰った。
 それは即ち、最高の軍人としての生まれたのと同じだった。


 アドラーは、シャイロックを除く14人の持つ武器を確認する。
 厄介な武器もある。
 こっちの大陸は、アドラーが生まれた大陸よりも数世紀は進歩している。

 特に発達してるのが武器だ。
 魔法を道具に封じ込める技術は高く、中には筒の内部に加速の呪文を彫りつけ、銃の様に扱えるものまである。

 巨大な魔物の骨を砕くもので、人がくらえばひとたまりもない。

『だがまあ、何とでもなるさ』
 街道を外れ、人目に付かぬとこまで行く間にアドラーは準備した。

 メガラニカ大陸における集団での戦闘力は凄まじい。
 魔法の武器を操り、地球の近代さながらの火力を実現できるが……。

 アドラーの生地、アドラクティア大陸では個体の武勇を伸ばす方に進化していた。

 戦いに向いた個体に、倍率の高い強化魔法をかける。
 そして、アドラーは幾つものバフを自在に操ることが出来た。

『体が耐えるかまだ分からんなあ。まあ単純な攻撃加速と物理防御で良かろう』

 呪文を唱える事もなく準備を終えたアドラーは、雇われの男達に聞いた。

「お前ら、怪我をした場合はシャイロックが保証してくれる契約になってるか?」

 これから殺されるはずの男が発した言葉に、殺しに来た者達は声を揃えて笑う。

「心配するな。万が一のお手当まで、旦那がばっちり約束してくれたよ!」
 一人の男が威勢よく答え、それが合図になった。

「そりゃ良かった」
 肩の上で威嚇するバスティを後ろへ放り投げると、アドラーは重心を低くして男達に突っ込んだ。

 思わぬ特攻に男どもは一瞬だけ怯むが、「やっちまえ!」とそれぞれが武器を構える。
 しかしその武器の隙間を、アドラーは難なくすり抜けた。

 飛び道具を持つ者の腕が逆に曲がる。
「一つ」と、アドラーは自分にだけ聞こえる大きさで呟いた。
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