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三章
サキュバス?
しおりを挟む「う、動けない……」
ユークは必死で抵抗したが、ラクレアはびくともしない。
重いのではなく、備えた腕力が桁違いだとユークは思い出した。
ミュケナイ・ラクレア――出身はトゥルスの騎士家。
女の騎士や冒険者は、珍しくない。
加護に魔力、筋力以外にも重要な要素が沢山あるのだ。
しかし、女性で素の力が優れた者は、やはり多くない。
それゆえにトゥルスでは見過ごされていた。
ラクレアは、間違いなくお嬢様だった。
人口がニ百万を超えるトゥルスで、百に満たぬ騎士家の一人娘。
花よ蝶よと大事に、同時に武芸も収め、宮中や後宮の女達に混じって育つ。
そこで男同士の恋愛を描いたウース異本という、異端書にはまったりもした。
「大丈夫ですよー、痛くしませんからね」
女の園で育っただけあり、ラクレアの知識は豊富だった。
両手の使えぬユークに勝ち目はない、狩る者と狩られる者は、最初から明白だった。
「きゃあ!」と、ユークが悲鳴をあげる。
包帯が邪魔で脱がせぬとみたユークの上着は、紙のように引き裂かれた。
目前にぶら下がった巨大な釣り鐘を見て、ユークも覚悟を決める。
『これは、これで』と。
もう本気で抵抗する気はなかった。
むしろ、ラクレアの方が戸惑っていた。
ここから先は、学んだ本では一足飛びだったのだ。
ユークの胸から腹筋を指でなぞると、細かった体には厚い肉が付き始めていた。
急に、酒精以外にもラクレアの顔に血液を押し上げる感情が生まれた。
迷ったが、押し倒しておいて逃げたとあっては武門の血が泣く。
ラクレアは、自分の上着にも手をかけた――。
「あれあれー? ヤっちゃうんですかー?」
二人の上から、突然声が降ってきた。
『まさかアルゴ!?』と、二人揃って脇の馬を見たが、そんな訳がない。
声の主は、非常識にも壁から生えていた。
この辺りの特徴である褐色の肌に、長いまつ毛と低めの鼻。
長い髪は黒というよりアメジストに近い。
壁から突き出た上半身は、間違いなく女性、ラクレアと良い勝負だとユークは瞬時に判断する。
切れ長の目で笑い、その弾みで鋭く尖った牙歯が口元からのぞく。
笑った印象は思ったよりも若い。
謎の女は、謎の言葉をもたらした。
「ヤっちゃうとー、せっかく貯めたものがパーですよ?」
ミグは、旅の仲間を探していた。
ノンダスは、おっさんばかりが集まって飲んでいる。
他の二人、ユークとラクレアが見当たらない。
あちこち探しに行く度に、手の中に抱える食べ物が増えた。
両手いっぱいの食料を持って、とことこ探し回るミグの姿は微笑ましかったが、冒険者たちの多くは感づいていた。
『あのパーティも長くないな』と。
男女混成パーティが崩壊する理由第一位――冒険者ギルド調べ――色恋のもつれ。
男だけ女だけのパーティに比べ、混合パーティの寿命は極端に短い。
冒険者の間では常識だ。
突然、魔法使いの鋭い感覚がユークの危険を伝える。
『こっちね』と確信を持ち、迷わずアルゴの馬房へ足を向ける。
女のカンは、正確無比だった。
声もかけず、ノックもせずに扉を蹴破ると、予想の二倍は悪い事態が、ミグの瞳に飛び込んでくる。
ラクレアが馬乗りになったユークの顔の上、そこへ見知らぬ女が落ちてきたところだった。
「うわっ!」
いきなり落ちてきた謎の褐色に、ユークが咄嗟に目をつむる。
ラクレアからは、壁に穴など確認できず、ついでにミグが飛び込んでくるのが見えた。
ハムやチーズをぶち撒けながら叫ぶミグに、『あちゃー』と思ったものの、ラクレアは年長者らしく対応した。
「あなたはどなた?」
「うち? うちは……うーん…ヒトの呼び方だとサキュバス?」
少し訛りのある喋りで、少女はこたえる。
「それはそれは。始めまして」
「こちらこそ」
ユークは困惑していた。
顔の上に褐色の足があり、体の上からのんびりとした会話が、片耳にはミグの怒鳴り声が聞こえる。
『なんとかしなければ』と両手をあげたところで、怪我をしてたのを思いだし、そっと下げた。
人生で最大の窮地に遭遇し、若き英雄候補は目を閉じ息を殺し、死んだふりで乗り切ると決めた。
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