上 下
53 / 88
三章

サキュバス?

しおりを挟む

「う、動けない……」
 ユークは必死で抵抗したが、ラクレアはびくともしない。
 重いのではなく、備えた腕力が桁違いだとユークは思い出した。

 ミュケナイ・ラクレア――出身はトゥルスの騎士家。
 女の騎士や冒険者は、珍しくない。
 加護に魔力、筋力以外にも重要な要素が沢山あるのだ。

 しかし、女性で素の力が優れた者は、やはり多くない。
 それゆえにトゥルスでは見過ごされていた。

 ラクレアは、間違いなくお嬢様だった。
 人口がニ百万を超えるトゥルスで、百に満たぬ騎士家の一人娘。
 花よ蝶よと大事に、同時に武芸も収め、宮中や後宮の女達に混じって育つ。
 そこで男同士の恋愛を描いたウース異本という、異端書にはまったりもした。

「大丈夫ですよー、痛くしませんからね」
 女の園で育っただけあり、ラクレアの知識は豊富だった。

 両手の使えぬユークに勝ち目はない、狩る者と狩られる者は、最初から明白だった。
 
「きゃあ!」と、ユークが悲鳴をあげる。
 包帯が邪魔で脱がせぬとみたユークの上着は、紙のように引き裂かれた。

 目前にぶら下がった巨大な釣り鐘を見て、ユークも覚悟を決める。
『これは、これで』と。
 もう本気で抵抗する気はなかった。

 むしろ、ラクレアの方が戸惑っていた。
 ここから先は、学んだ本では一足飛びだったのだ。
 ユークの胸から腹筋を指でなぞると、細かった体には厚い肉が付き始めていた。

 急に、酒精以外にもラクレアの顔に血液を押し上げる感情が生まれた。
 迷ったが、押し倒しておいて逃げたとあっては武門の血が泣く。
 ラクレアは、自分の上着にも手をかけた――。

「あれあれー? ヤっちゃうんですかー?」
 二人の上から、突然声が降ってきた。

『まさかアルゴ!?』と、二人揃って脇の馬を見たが、そんな訳がない。
 声の主は、非常識にも壁から生えていた。

 この辺りの特徴である褐色の肌に、長いまつ毛と低めの鼻。
 長い髪は黒というよりアメジストに近い。
 壁から突き出た上半身は、間違いなく女性、ラクレアと良い勝負だとユークは瞬時に判断する。

 切れ長の目で笑い、その弾みで鋭く尖った牙歯が口元からのぞく。
 笑った印象は思ったよりも若い。

 謎の女は、謎の言葉をもたらした。
「ヤっちゃうとー、せっかく貯めたものがパーですよ?」


 ミグは、旅の仲間を探していた。
 ノンダスは、おっさんばかりが集まって飲んでいる。

 他の二人、ユークとラクレアが見当たらない。
 あちこち探しに行く度に、手の中に抱える食べ物が増えた。

 両手いっぱいの食料を持って、とことこ探し回るミグの姿は微笑ましかったが、冒険者たちの多くは感づいていた。
『あのパーティも長くないな』と。

 男女混成パーティが崩壊する理由第一位――冒険者ギルド調べ――色恋のもつれ。
 男だけ女だけのパーティに比べ、混合パーティの寿命は極端に短い。
 冒険者の間では常識だ。

 突然、魔法使いの鋭い感覚がユークの危険を伝える。
『こっちね』と確信を持ち、迷わずアルゴの馬房へ足を向ける。
 女のカンは、正確無比だった。

 声もかけず、ノックもせずに扉を蹴破ると、予想の二倍は悪い事態が、ミグの瞳に飛び込んでくる。
 ラクレアが馬乗りになったユークの顔の上、そこへ見知らぬ女が落ちてきたところだった。


「うわっ!」
 いきなり落ちてきた謎の褐色に、ユークが咄嗟に目をつむる。

 ラクレアからは、壁に穴など確認できず、ついでにミグが飛び込んでくるのが見えた。
 ハムやチーズをぶち撒けながら叫ぶミグに、『あちゃー』と思ったものの、ラクレアは年長者らしく対応した。

「あなたはどなた?」
「うち? うちは……うーん…ヒトの呼び方だとサキュバス?」
 少し訛りのある喋りで、少女はこたえる。

「それはそれは。始めまして」
「こちらこそ」

 ユークは困惑していた。
 顔の上に褐色の足があり、体の上からのんびりとした会話が、片耳にはミグの怒鳴り声が聞こえる。

『なんとかしなければ』と両手をあげたところで、怪我をしてたのを思いだし、そっと下げた。
 人生で最大の窮地に遭遇し、若き英雄候補は目を閉じ息を殺し、死んだふりで乗り切ると決めた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

うっかり『野良犬』を手懐けてしまった底辺男の逆転人生

野良 乃人
ファンタジー
辺境の田舎街に住むエリオは落ちこぼれの底辺冒険者。 普段から無能だの底辺だのと馬鹿にされ、薬草拾いと揶揄されている。 そんなエリオだが、ふとした事がきっかけで『野良犬』を手懐けてしまう。 そこから始まる底辺落ちこぼれエリオの成り上がりストーリー。 そしてこの世界に存在する宝玉がエリオに力を与えてくれる。 うっかり野良犬を手懐けた底辺男。冒険者という枠を超え乱世での逆転人生が始まります。 いずれは王となるのも夢ではないかも!? ◇世界観的に命の価値は軽いです◇ カクヨムでも同タイトルで掲載しています。

神になった私は愛され過ぎる〜神チートは自重が出来ない〜

ree
ファンタジー
古代宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教…人々の信仰により生まれる神々達に見守られる世界《地球》。そんな《地球》で信仰心を欠片も持っていなかなった主人公ー桜田凛。  沢山の深い傷を負い、表情と感情が乏しくならながらも懸命に生きていたが、ある日体調を壊し呆気なく亡くなってしまった。そんな彼女に神は新たな生を与え、異世界《エルムダルム》に転生した。  異世界《エルムダルム》は地球と違い、神の存在が当たり前の世界だった。一抹の不安を抱えながらもリーンとして生きていく中でその世界の個性豊かな人々との出会いや大きな事件を解決していく中で失いかけていた心を取り戻していくまでのお話。  新たな人生は、人生ではなく神生!?  チートな能力で愛が満ち溢れた生活!  新たな神生は素敵な物語の始まり。 小説家になろう。にも掲載しております。

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する

高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。 手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。

処理中です...