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プロポーズと決意と豚足
しおりを挟む今、この時ほど後悔した事はない。
「そんなに泣くな。俺は泣かせたかった訳じゃない」
涙を拭って巫鳥に濡れる私のカーディガンの袖口。それを慈しみ月ヶ瀬が握りしめる。
彼が語った"あの日"という過去は知れば知るほど、この人の愛の深さを思い知る。
知らなかった事すら罪だと思った。
「だって…先生はそんなに前から全部を背負って生きてきたのかと思うと…」
「別に誰のせいという訳ではない。俺が自分で決めたことだからな」
「貴方はこんなにも色々してくださったのに、私は先生を恨む事もありました。何故、父を救えなかったのかと…」
それは幼かった頃に抱いた感情で、人のせいにする事で孤独に押し潰されそうな自分を保っていた。
大人になるにつれて、人のせいばかりではなかったことに理解が追いつくのだが、それに伴って行き場のない憤りも増えていくのに、私はそんな感情を持つ自分が嫌いになっていった。
「私自身、医学を勉強していく中で仕方がなかった事と理解はしました。でも、父が生前よく言っていたんです。"今指導してる子は筋がいい、あの子は絶対いい医者になる"と。そんな人が父を見殺しにしたなんて八重島先生に言われて、信じられなかった」
「柴宮先生はそんな事を言っていたのか…」
私の口から語られる、私視点の話に月ヶ瀬は興味深く耳を傾けていた。
「はい、もうべた褒めでしたよ。次の私の誕生日パーティーに月ヶ瀬先生を呼ぶんだって張り切ってました。私も微妙な歳だったしやめてって言ったんですけど…。一人で張り切って、ウェディングケーキみたいな誕生日ケーキを作るんだって材料まで買い込んでました」
「ウェディングケーキか。柴宮先生らしいな」
派手なイベント事が大好きで、何もかも凝りに凝ってしまう人だった。
娘の写真もビデオも毎日撮って凝りに凝っていたから、壱久は昔からそういうのが好きだったのだろう。
「月ヶ瀬先生と私にケーキ入刀みたいな事をさせたかったみたいです。お父さんは私と月ヶ瀬先生を結婚させたがってましたから。アイツなら認めてやるとか何とか言って」
月ヶ瀬がオペ室で聞いたのは父の戯言かと思っていたのだろう。壱久の妄想話が、あの人の中で全て決定事項だったらしいのを聞いて、月ヶ瀬が苦笑を浮かべる。
「…本気だったんだな、あの人」
「お父さんは冗談言えない人ですから」
生きていた時の父を思い出して思わず笑みがこぼれると、月ヶ瀬が私を抱きしめてくれた。
彼の体温はとても心地よく、全てを預けてしまいそうになる。
「これからも俺は、全力でお前を守るから。柴宮先生が言っていたからではなく、俺がそうしたい。結婚しよう、美玖。俺とお前で幸せになろう」
月ヶ瀬の言葉はとても嬉しい。
だが、私はなかなか頷くことができなかった。
父の言葉と遺言にこの人は確実に縛り付けられいるのだろうから…もしそうなら、この呪縛から解き放ってあげたい。
私もまた、彼を愛しているから。
「…先生はそれでいいんですか?情とか罪の意識とかだったら辞めて下さい。今なら引き返せますよ…」
抱きしめる腕が、ジリジリと力を込めていく。
少し苦しくなってきたところで、月ヶ瀬が言葉を絞り出すように言った。
「10年も続くこの執着と執念を、愛と言わずして何と言う?愛しているんだ、この世の誰よりも。お前以外の何者もいらない、お前だけが俺の世界の全てなんだ」
締め付ける腕の強さが月ヶ瀬の執着を物語る。
私はそれに心ゆるび、今度こそしっかり頷いた。
「私も同じ気持ちです。先生がいなかったら、私の命もあの時すでに尽きていました。先生が私のために生きてきてくれた10年は、私もまた、貴方のために生きていたのかも知れません。幸せなりましょう…私も愛してます」
私は愛しい彼に全てを委ね、抱きしめ返した。
心臓の音がやけにうるさく感じる。
幸せとは、私の手から零れ落ちたあの日からもう二度と帰ってこないものだと思っていた。
それが今は私の胸の中で華やかに、息衝き初めている。
私は月ヶ瀬と幸せになるために、その後の人生も共に歩むのだと決心したのだった。
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