シンデレラと豚足

阿佐美まゆら

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あの人と豚足

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鳩羽君の手から逃れてタクシーから降りると、古いアパートの前でバッタリあの人に会った。


「こんばんは。今日はお疲れ様でした。明日は休みでしょう?ゆっくり休みなさい」


他人行儀の敬語と、嘘臭い笑みを顔に貼り付けたあの人は、私の事を意に介さず横を通り過ぎようとする。


「…待って!月ヶ瀬先生!」


咄嗟にその服の裾を掴んでしまった。
振り解こうと思えば直ぐにでも出来る力なのに月ヶ瀬はそれをしなかった。
ただ、軽く舌打ちされて心底嫌そうな顔をされたが。


「…なんだ。俺はこれから付き合いで行かなきゃならないんだが。急ぎじゃなきゃ、またにしろ」


彼は心底不機嫌そうな顔をして、私を睨む。
途端に必死に堪えていた涙が一気に溢れ出した。


「おい。何故急に泣く。俺が泣かしたみたいじゃないか」

「…だって…止まらないっ…んですも…んっ…!」


鼻水まで出てきて、私の顔は涙と色々な液体でグシャグシャで、鼻まですすってしゃくり上げる。


「……はぁ……仕方ない。俺の部屋、来るか?」


出掛けるのを諦めたのか、月ヶ瀬は自分の部屋に誘ってくれたが私は勢いよく首を振って、彼の腕を引っ張って歩く。
自分の部屋の前で鍵を開けると入るように促した。


「先生の部屋…ティッシュも何もないんでウチがいいです。…どうぞ入ってください」

「確かに切らしていたな。トイレットペーパーなら辛うじてあるぞ」

「トイレットペーパーじゃ鼻が痛くなるので却下です。私の部屋じゃ嫌ですか?」


月ヶ瀬は何かを探る様に私の目を見ていたが、やがてそっぽを向いた。


「…そう易々と男を家に入れるのはやめておけ。…アイツが怒るんじゃないのか?」

「いいから入って!」


私は強引に月ヶ瀬の背中を押して玄関に押し込むと、自分も入って扉を閉め、後ろ手で鍵をかけた。


「知ってるんですね」

「副院長室の窓からは駐車場がよく見えるからな」


暗に全てを分かっていると言われた気がする。


「…鳩羽君から改めて告白されましたが、お断りしました」

「なら何故、お前の首には跡が付いてるんだろうな?よろしくやってたんだろう?」


首?そういえば、あの時に首に噛み付かれた気がする。
あれが跡になってしまったらしい。
側から見たらキスマークだ。



月ヶ瀬は誤解している。



「…何も無かったと言えば嘘になります…。でも、最後までは…」

「最後まで、とは?まぁ、俺はお前の事を愛しているとは言ったが、お前が何処で誰と、何をしようと受け入れるつもりでいる。今までもそうだったからな」

「そんな…悲しい事言わないで下さい…」

「悲しいこと?笑わせるな。最大限に譲歩してやってるだろう?何が不満なんだ」


イラつきを隠そうともせずに、月ヶ瀬は語尾を強めた。


「不満なんか大ありです!もう、キャバ嬢も辞めます!もう誰にもなびきません!触れさせません!それでも覚悟が足りないというのなら、私は貴方以外のものは全て捨てる覚悟です」


多分、今言わないと一生すれ違ったままだ。
誤解を解かないときっと月ヶ瀬は私から離れていくだろう。
そんな予感がしている。


「覚悟が出来たらって…あの言葉は嘘ですか…?」

「嘘ではない。俺は嘘が嫌いだからな」


私の全てを受け入れると言いつつも、愛しているが故に離れていくのは、この人の愛の形なのかも知れない。
今までも、これからも、その形は変わらないと彼は言っているのだ。




ーー私が変わらない限り、この関係はこのままだ。




私はもう、それだけでは満足できなくなっていた。
気力を振り絞って、月ヶ瀬の胸にもたれかかる。
そして、なけなしの勇気を振り絞って精一杯の言葉を紡ぐ。


「だったら…私を貴方のものにして下さい」

「…」



ーーブーッブーッブーッ



一瞬の沈黙の後、部屋に携帯のマナー音が響く。
月ヶ瀬が懐から黒い携帯を取り出してボタンを押すと耳に当てた。


「はい、月ヶ瀬」


電話口から聞こえてくるのは相手が一方的に捲し立てている声。
私はそれをBGMとして聴きながら、自分で言った言葉を反芻してしまっていた。

我ながら、よくもあんな思い切った言葉が出たものだ。
穴があったら入りたい気分をこれほどまでに体感した事はない。


「あぁ、今日は行けなくなった。そうか…また明日、いくらでも愚痴は聞いてやる。わかった…じゃあな」


一頻り電話の相手の話を聞いた後に、月ヶ瀬は電話を切った。


「誰ですか…?」

「真中だ。今日はこれからあいつとエンゲージに行って、小町に会いに行く予定だったんだがな。いつまで経っても俺が来ないから焦れたらしく1人でキャバクラに行ってみたら、小町まで居なかったらしい」

「…今日は無断欠勤ですから。それに、もう辞めます。必要でしたら今から電話します」

「…お前はそれでいいのか」

「かまいません」

「…何をそんなに焦っている?」


月ヶ瀬の手が私の首筋に手を差し込むのに、ビクリと肩が震える。


「無理はしなくていい。俺は10年も待ったんだ。これからも待てるし、今更焦って答えを出す必要もない。こんなに怯えてるんだ。どれだけ男が怖いか実感したんだろう?俺はお前を傷付けたい訳じゃない」


優しい手付きで髪の毛を撫でられて、少し力が抜けた。
手の震えも収まった気がする。

月ヶ瀬の手は、魔法の手みたいだ。

暖かくなる魔法をかけられたみたいに、私の心もほんわかと火が灯った。

私は、この感触を知っている。

どこか、遠い遠い昔にも同じ様な事があった。もう、思い出せないくらい遠い記憶。


きっと、この記憶はあの日の出来事に通じている。


私は、いつかは向き合わなければならないだろう。
それが、どんなに辛いことであろうと…受け入れると決めた。


「元々訳ありの人間です。今更ひとつくらい傷が増えても大差ないです。それに、先生は受け入れてくれるんでしょ?」



ーーだから傷付けて下さい。



言葉の裏にそう含ませて、私は目を瞑る。



それが私の覚悟。



「それがお前の出した答えか…。俺のものになる覚悟が出来たという事なら、容赦はしないぞ。お前が逃げられなくなるくらい束縛して雁字搦めにしてやる。それでもいいのか」


私は力一杯頷いた。


「…そろそろ鼻水くらい拭け。ムードのカケラもない」


月ヶ瀬は何かを思い出したかのように背広のポケットから何かを出した。
手渡されたのは、他のキャバクラのポケットティッシュ。
目を開くと、綺麗な女の子の写真が笑顔でこちらを向いていた。


「…ムードがないのはどっちですか」

「たまたまだ。この前、お前のキャバクラに行く前に色んな奴に声かけられからな。ティッシュもその時のだ」


繁華街にはたくさんのライバル店があるから、営業用ティッシュが配られていても不思議ではない。
私は月ヶ瀬からティッシュを受け取ると、全部使って鼻をかんだ。


「鼻が赤くなってるぞ」

「うるさいですね。ちょっと黙ってて下さいよ。恥ずかしいんですから!」

「…鼻水もだが、涙も止まったようだ。もう大丈夫だな?俺はそろそろ自分の部屋に戻る。そこを退いてくれ」


月ヶ瀬は容赦はしないと言う割にはどこか余所余所しい。
それどころか私の事を見ようともしない。
それに焦れて、私はドアの前で仁王立ちした。


「行かないで下さい。お布団、1つしかありませんが…泊まって下さい」

「おい。それがどういう意味かくらいわかる年齢だろう?頼むから誘惑しないでくれ。今そんな事になったらお前を壊してしまいそうだから」


ブルーの瞳の奥に、明らかに燻る欲の色に全身が粟立つ。




ーーこれだ




月ヶ瀬に出会ってすぐに感じた、私の知らない何か。
知ってはいけないモノとその時は形容したが、今はその先を知りたくて堪らない。

怯みそうになる身体を、私は自身の言葉で捩伏せた。


「壊して下さい。全て。貴方ならいい」


そして、また一から作り直そう。


「貴方が好きみたいです。気付いたのは今さっきですが。私も、貴方の全てを受け入れる覚悟です。なので…」




私を愛して下さい。




言葉は最後まで言わせて貰えなかった。
噛み付くように唇が塞がれたから。

吐息さえも喰われる感覚に陥りながら息苦しさに口を割ると、舌を甘噛みしながら口腔内を貪られた。
キスだけで意識を手放しそうになると、月ヶ瀬に足元から掬われる。


「後悔するなよ?」


思いの外、余裕のなさそうな声に私は月ヶ瀬の背中にキツく腕を回す事で答えた。





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