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熱いキスと豚足
しおりを挟む動揺をしていた。
手が震えたのは、何故かはわかりきっていた。
月ヶ瀬に10年も思い続けていた彼女の存在と。
あの抱擁とキスの意味。
分からないことが多すぎる。
ホールから死角になる少し暗がりに入ると、そこで待ち構えていたのか力強い腕に後ろから抱きすくめられる。
私はこの腕が誰だかわかっていた。
「追ってくると思ってた。聞きたいことがあるんだろう?美玖」
「ここで本名は辞めて頂けませんか?私は小町です。修さん…」
あくまで、ここでの私は小町だ。
柴宮美玖ではない。
「…ややこしいな…面倒だ」
「では、話はしませんよ。ここは、お酒とひとときの夢を売る場所なので。リアルは持ち込んじゃいけませんって先輩が言ってました。そして、何で私が同一人物とわかったんです?美玖の時は気をつけて地味で目立たないようにしてたのに」
今までだって誰も気付かなかった秘密に月ヶ瀬は当たり前の様に踏み込んだのだ。
「俺は一週間前に資料を手渡されて病院内の人間は全て把握している。それに、初日からお前は大胆にドレスを脱いで胸元をさらけ出してたからな。確信したのは今さっきだが、声、体型、名前、傷、それぞれの特徴を繋ぎ合わせたら符合した」
「…忘れて下さいませんか?全て。指導医だからってプライベートに踏み込み過ぎです」
嫌味のように手の甲を軽く摘むと、あっさりと手が離れた。
「忘れたくても無理だな。お前、無意識に男を誘惑しすぎだ。それでは忘れるどころか印象に残るぞ」
「私は誘惑なんてしてるつもりもないです!」
「勝気なところも服従させたくなるな…お前、医者よりキャバ嬢向いてるんじゃないか?男を手玉に取るの上手すぎる。弘樹なんかお前にメロメロだぞ」
「貶してますよね、それ。これはあくまで副業ですから!」
「副業禁止だぞ、うちの病院は」
「うっ…!そ、そうでした…」
完全に弱味を握られている。
「副業なんてやらずに、当直入れまくればいいだろうが。お前の勉強にもなるし」
「…それはわかってます。でも、ここの方が時給がいいし。それに…当直で急患が来たら対応できる自信がありません…」
「それが本音か」
月ヶ瀬の呆れたような顔に、何故だか無性に腹が立った。
「そうですよ!私が人の生き死にを預かるなんて荷が重すぎます!命がかかってるんですよ!?」
「だったら、研究職にでもなればいいだろう。なんでまた外科なんかに来たんだ。お前が一番嫌な場所だろう?」
「…素直に言うと、貴方含めてあの病院が正直憎くて憎くて堪らない。嫌で嫌で堪らない」
月ヶ瀬総合病院は、父と母が働いていた場所だった。
そして、命が儚く消えた場所。
私はそこにどうしても行きたかった。
いないとわかっているのに、万有引力の法則の様に惹きつけられてしまう。
そこには家族がいないと再確認して、傷つくのは私なのに。
無意識に家族がいた証に縋りたいのかもしれない…
「でも、そんな感情はすでに消化しました。私は父の意志を継いだんです。父がいた場所で、同じ道を辿って、初めて理解することができた。あの時の選択肢で何が一番最優先だったか。貴方はそれを実践したに過ぎない」
「…消化しきれてるなら、何故お前は俺のことを仇でも見てるような眼で見るんだろうな。本当はいつでも燻っているんだろう?俺への感情が」
無理して押し込めていたのに、黒い感情を引き摺り出される。
もうやめてほしい。考えたくない。知りたくない。お願いだから!
心が悲鳴をあげる。
「…貴方は、私を煽って、何がしたいんですか!」
「決まっている。話がしたい、それだけだ。煽って無理矢理にでも聞く態勢にしないとすぐに逃げるからな。昼間に言っただろ?聞かなきゃ後悔するって」
「確かに言われましたが…」
「こんな所でしか話させないお前が悪い。まぁ、俺は別に場所はどこでもいいんだがな。聞かれて困るのは美玖だ」
月ヶ瀬は眼鏡のブリッジを上げながら言葉を続ける。
「俺は約束に従って、お前の全てを貰うために来た。恩師、柴宮壱久の遺言だ」
お父さんの遺言…?
私達が巻き込まれたのは車が何台も絡む大きな事故だった。
そんな遺言なんて、残す時間があったの…?
あの日、オペ室で何があったの…?
月ヶ瀬修は、父のオペを放棄したんじゃないの…?
当時、私の術後経過を担当していた八重島先生には、トリアージ(患者の重症度に基づいて、治療の優先度を決定して選別を行うこと)に失敗して指導医、柴宮壱久を死なせた研修医が病院を辞めて逃げたと聞いていた。
壱久のメモが本に紛れていたことから、その研修医は月ヶ瀬に間違いない。
私の知らない何かがそこにあるのは確実だった。
「その俺を殺したいと思う程憎いという感情も、その傷だらけの身体も心も、何もかも引き受けてやる。俺の事をずっと想って心病んだのには違いないだろう?10年もかかってしまったが、天国の柴宮先生に恥ずかしくないくらい、それ相応に腕も磨いた。離れていてもお前の事を忘れた事はないんだ。愛している、美玖」
---この愛は、歪んでいる。
「ふざけないで!何が遺言よ!私には覚えがないの!」
「お前がなくても、10年も前から胸にしっかり刻まれてる。美玖、俺のものになれ」
再び抱擁されそうになって、私は身を翻して捕まらないように避けた。
月ヶ瀬は完全に狂っている。
「断固拒否します」
「それも言ったはずだが。お前にはそんな権利はない。もう他の男に媚びを売る仕事はやめろ」
「この仕事は事情が事情なので辞められません!弘樹さんが待っているので失礼します」
「待て!話は終わってないぞ!」
その場の雰囲気に耐えられなくなって、私は引き留める月ヶ瀬に背を向けホールに戻る。
無邪気に手を振ってくれる真中先生に、私のささくれ立った心は多少救われたのだった。
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