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第19話 考える。

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 次に静真が目覚めると夜だった。
 体はこわばっていたが、穢れはすべて祓われ、動くことに支障がないほどには回復していた。なにより己ではない術の気配を感じた。

「起きたかよ。大馬鹿野郎」

 張り巡らされた禊ぎの結界の中で静真が身を起こせば、すぐ近くに印を組む青年、久次が挑むように見ていた。

「もう少しで終わる、黙ってろ」

 久次がさらに札を追加して祝詞を上げれば、また静真の体が一段体が軽くなった。
 かなり集中を要していたのだろう、大きく息をつきながらぞんざいに使用済みの札を片付け始める久次に、静真はもぞりと感情が揺れる。

「あの娘はどうした」
「姉貴ならそこで寝てるよ。あんたが目覚めてほっとしたんだろう。さんざんあんたのせいで泣き疲れたみたいだしな」

 苦々しげな久次に促されるまま見れば、娘が健やかな寝息を立てているのに、静真はわずかに安堵の息を吐く。だが久次が当たり前のように静真がかぶった穢れを祓ったことに、大きな疑問を覚えた。

「なぜ、助ける。俺を忌避していたのではないのか」

 彼とはここで顔を合わせるたびに、容赦のない言葉のやりとりをしていた。娘を慕っている久
次は静真をよく思っていなかったはずだ。
 固い言葉で問いかける静真に、久次はぐっと不機嫌に苦々しく顔をゆがめた。

「俺はあんたが気にくわねえよ。天狗だからは関係ねえ。あんた自身をぶん殴りたくてたまらない。だがな、もっと気に食わねえのは、姉貴が好いているあんたが自分の価値をわかっていないことなんだよ」

 恐ろしく利己的に、姉と言う存在を第一に掲げる久次の言葉は娘の涙を思い出させて息を詰まらせる。
 久次は深くため息をついた後、不承不承という形でほおづえをついた。

「うちに両親がいないのは知ってんだろう。姉貴は両親が事故にあった日にいつまでも帰ってこない二人を待ち続けたことが心の傷になってんだ。助け癖が加速したのもその頃からだ。今回あんたは大事な存在がある日突然いなくなるっていう、姉貴のトラウマをえぐってるんだよ」

 娘が取り乱したのはそれが原因だったか。と静真は腑に落ちたと同時に、なんともいえない想いが腹の底で渦巻いた。がその理由を探る前に久次は言葉を続けた。

「だから、姉貴は妖人間問わず手をさしのべるけど、次の約束はしないんだ。シブローでさえ来てもいいように準備はしても言葉にはしねえ。そんな中の例外があんたなんだよ。にも関わらずだ、あんたはそれをちっともわかってねえのがイライラすんだよ」

 娘は帰り際には必ず「いつでも来てくださいね」と言った。返事をしなかったのは静真の方だ。久次から明かされる娘は静真の知らない一面ばかりだったが、ずっと疑問だった娘の源が垣間見えたような気がした。
 そして、静真は気づいた。久次の言葉は容赦がないが、佐徳をはじめとした天狗たちが静真に向ける言葉のように冷えた響きはない。鋭く切りつけられるようだが、なぜか奇妙に受け入れられた。
 息をついた久次は静真をにらむ。こちらを貫くような強い瞳だ。
 その瞳の強さは娘と似ているな、と静真は感じた。

「あんたは俺よりもずっと強い。俺が地べたを這いずっている間にも、空を飛んでいけるんだろう。ならより広い範囲をいくことができるんじゃないのか。なのにあんたは出て行こうとしない。その翼は一体何なんだ」

 この翼は静真にとって天狗の象徴だった。だから飛べることに誇りを持って優越感さえ得ていた。だが空を飛べるというのがただの選択肢に過ぎないというのであれば。
 自分は、何のためにこだわっていたのだろう。

 静真が妙に己の翼の重みを感じていれば、ふわ、とだしの香りがしてきた。
 みればいつの間にか久次が台所に立っており、やがて椀と皿を持ってくる。
 それは味噌汁と真白いにぎりめしだった。
 わかめとネギと豆腐、という単純な具が浮く味噌汁と、娘らしい端正な三角に握られた白い三角のにぎりめしがちょこんと鎮座しているのを見た静真は、急に腹が減っていることを思い出した。

「あんたがいつ目覚めてもいいように姉貴が作ったやつだ。食え。食わなきゃ無理矢理にでも食わせる」

 一瞬ためらった静真だったが、久次にすごまれて、おとなしく手を伸ばした。
 ず、と味噌汁をすすれば、少し熱い位のそれが舌から喉へ滑り落ちていく。
 これだけ熱いのは久しぶりだったが、もう飲めるようになっていた。そうしたのは娘だ。
 この味が欲しかったのだと否応なく自覚し、けれど飲むのがもったいなくて、にぎりめしにも手を伸ばす。
 あまり塩を効かせていないのは、静真が塩辛いものを好まないからだ。かじればほろりとご飯がほぐれ、かみしめるほどに甘みを感じた。
 娘が何を考えて作ったのか、わかるような気がして。
 おそらく、これが優しいというものなのだろうと静真は漠然と思った。

「ああなった姉貴はてこでも動かないからな。だからあんたも腹くくれ。次姉貴を泣かせたらぶん殴る」

 言い捨てた久次は片付けをはじめて、こちらには見向きもしなくなった。
 無性に、味噌汁が塩味が腹に沁みた。




 久次がコンビニに買い出しに行くと言い残して出て行く間に、静真は娘の部屋を後にした。
 たっぷりと睡眠をとったおかげで最近では一番よい体調となっていたからだったし、なにより起きた娘と顔を合わせることがどうしてもできなかったからだった。

 逃げたのだ、と静真は理解していた。

 どんな顔をすればいいのだ。あれほど泣かせてさんざん訴えかけられて。何も答えないわけにはいかないのに、静真の中にはあれほどの熱に応じられるだけの言葉が見つからないのだ。だが、腹に溜まった温かみが無視できない。
 少々鈍っていた翼をほぐすようにゆっくりと飛んで滝壺にたどり着くと、水を浴び直した。
 とにかく思考を平静にしたかった。
 修行を重ねて平静な思考を身につけたと感じていたにもかかわらず、ぐらぐらと揺らいでいた。
 真冬の水垢離は体に堪えるが、それくらいしないとだめな気がした。

 草むらが揺れる音に静真は勢いよく振り向いた。
 そこにいたのは大荷物を抱えた渋郎だった。

「静真のあにさんっ。病み上がりに何やってるんですかい!?」

 そういえば、ここで落ち合うこともそれなりにあったな、と静真は思いだし、水気を飛ばして上がれば、渋郎にカイロを押し付けられた。

「水気を飛ばしても、体が冷えてしまえばぶり返すことだってあるんですぜ。体を大事に為てくだせえ」

 静真はかいがいしく世話を焼く渋郎を見下ろした。
 まるで静真の行動を知っていたかのようなことだ。
 出会いこそ、静真が助けた形ではあったが、今では渋郎がもたらす情報に助けられているのは静真の方だ。それに肉体的には弱かろうと、静真の倍は生きているだろう彼は存外したたかだ。細やかな処世術を身につけているだろうに、なぜ静真の前に現れるのか。

「はい、こいつはカイロです。おなかは空いてやせんかい」
「……渋郎」

 静真がよべば、渋郎ははじかれたようにこちらを見上げた。
 静真があまり名を呼んだことがないからだというのはわかっている。

「俺に関わらずともお前は、生きてゆけるだろうに。俺に人界の歩き方を教え、関わり方を授けただろう。天狗もどきの使いっ走りだとののしられてまで、なぜ俺に関わる」

 静真はうすうす気づいていた。天狗は異界ではつまはじきものだ。確かに神通力は強力だがその強さを鼻にかけた高圧的で横暴な態度は遠巻きにされている。
 少し頭が働くものであれば、すり寄るよりも遠ざかる方が良いと思うのが当然だ。にもかかわらず、渋郎は出会ってからずっと静真と関わり続けていた。
 静真の顔を見上げていた渋郎はまん丸に目を見開いたあとやわりと表情を緩めた。
 娘が浮かべていた表情と似ている気がした。

「あのですな。あっしはあにさんに救われたのがはじめですし、あにさんの名の力を期待したのも本当ですけどね。静真さんがまじめで優しいお人柄を純粋に好ましく思っているんでさあ」

 気恥ずかしげに頭をかく渋郎を静真は落ち着かない気分で見下ろした。
 おそらく以前であればまじめで優しいと称されたとたん侮辱とっただろうが、今は戸惑いと困惑が先に立つ。
 向けられている感情が、好意であると理解できたからだ。娘が当たり前のように注いでくれたものによって。

 頭を掻いていた渋郎はぐっと顔を引き締めて静真を見上げた。

「だからですな、あっしはできるかぎりあにさんが自由でいられる手伝いをしたいんでさあ」

 静真は無言で渋郎を見下ろした。
 娘に向けられる想いとはまた違う柔らかいものだ。
 娘の言葉が頭の中でこだましている。
 いくら静真が考えないようにしていても、娘から向けられた感情が、渋郎のそれとは違うものくらいはわかる。
 愛情、と呼ばれるそれを静真は全くわからなかった。
 なぜならそのようなものを静真はずっと向けられてこなかった。自分で価値を示さねば、自分の居場所などどこにもなかのだから。
 静真は一人だ。そうずっと思ってきた。
 だがこうして目の当たりにしてなにが正しいのか、わからなくなってしまった。

「なあ、渋郎」

 そう、呼びかけることすら恐ろしいと思うのはおかしいだろうか。
 声が震えている気さえしたが、いつもの淡々とした声音だっただろう。

「俺は、どこに行ってもよいのだろうか」

 静真は自分でも何を言いたかったのかわからず、よくわからない問いかけになった。
 すぐに取り消そうとしたが、渋郎がぶわっと泣きだしたのにぎょっとした。

「あ、あ゛に゛さあああん!! いくらでも行きましょおおおお!!」

 涙と鼻水を垂れ流して大泣きする渋郎が静真の足に抱きついて揺さぶられて、困惑した。このように泣かれると困るのだ。
 だが、なにか、したいと思った。利害ではなく、損得ではなく、ただやりたいように。
 しかし渋郎の泣き声は非常にうるさかったため、静真は渋郎の額を指ではじいた。
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