18 / 32
嵐 2
しおりを挟む
王子の投げかけた疑惑を晴らすのは簡単だ、アーシェはクラーケンに会いに行ける。
クラーケンに直接聞けばいい。
クラーケンは問いかけたことなら答えてくれるのだから。
だが、その翌日から海はしけ始め、次の日には嵐が海と街を襲い、漁にでることは愚か、家から出ることもままならなかった。
嵐は数日収まらなかった。
じりじりと焦燥に焦がされようやく嵐が過ぎ去った翌日、アーシェは一番船に乗った。
嵐の後は海流が大きく動くから、海生石が多く流されてくる。
海生石が大量にとれるチャンスなのだ。
未だ波の高い中、持ち場についてすぐ、アーシェは起動詩を唱え終えるや否や海に飛び込んだ。
胸のしこりを早く取り除きたかった。
海の中はまだ荒れていたが、アーシェははやる気持ちを抑えて水を蹴って加速し、海底都市のほうへいく。
「クラーケン! どこ!?」
泳ぎながら叫べば、あの断崖にたどり着く前に赤紫の触手が眼前に現れた。
アーシェはひどくほっとしたのだが、まるで行く手を阻むようなそれに違和感を覚えながらも何時もの通りその触手にふれた。
聞きたいことがたくさんあって、早く安心したかった。
「クラーケンに聞きたいことがっ……」
《アーシェ、今すぐ立ち去りなさい》
勢い込んで話しかけたそれは、クラーケンのいかめしい思念によって遮られた。
「何で?」
《我の使命遂行に支障を来すからだ》
「私、邪魔なの? 迷惑になることをしたなら謝るからっ」
《速やかにこの領域からの退却を求めると同時に、無期限の立ち入りを禁ずる》
クラーケンの無機質な思念に、アーシェは呆然と言った。
「それって、もう来るなって事?」
《……アーシェ。今までが不自然だったのだよ。君は陸の子だ。あるべき場所へ帰りなさい》
その諭すような思念は、かえってアーシェの心をひっかき回した。
どうして急にそんな事をいうのか全然わからなかった。
いやがおうにも王子の言葉を思い出す。
魔法生物は危険。人の論理では推し量ることのできない生き物。
不意に、周囲で揺らめいていた触腕が、アーシェに向かってくる。
とっさに逃れようとしたが、あっという間に胴に巻き付かれ、拘束された。
そのままぐんぐんと海上に向けて連れていかれる。
急激な加速が苦しかった。
「待って、一つだけ教えてっ。昔、言ったよね。クラーケンは海底の都市を守るためにここにいるって」
《肯定だ。我は都市とそれに付随するものに害をなす勢力の排除を使命としている》
「それは、今も昔も変ってないんだよね! クラーケンはこれからもクラーケンのままだよね!!」
アーシェが必死に叫ぶと、一番ぐんぐんと海上に上っていく触腕の力が、少し弱まった。
海の奥底にある銀色の瞳が、驚いたように動いたのが見えた。
《どういう意味だ》
「王子が言ったの。あなたが目撃されはじめた時期と、古代人がいなくなった時期が入れ違いなんだって。でもクラーケンは古代人に作られたっていってた。その人達から都市を守る役目をもらったんでしょ。魔法生物が役目があるから生きているんなら、都市の人にその……」
《王子は、我が都市の住民を滅ぼした、と考えているのか》
核心的な問いにひるみつつもアーシェはうなずき、すがる様にクラーケンの返答を待った。
《否定はしない。都市は我が任につくのと前後して無人となった》
「それってどういう……きゃっ!!」
衝撃と共に、アーシェの胴に巻き付いていた触腕がゆるんだ。
とっさに身をひねって抜け出したアーシェだったが、そのとたん、体をさらわれる。
先ほどまで支えていたものより格段に細いけれど力強いもの。
見れば、いるはずのない王子だった。
「アーシェ、無事か!!」
「トヴィ様っどうして!?」
「話は後だっ。今は不意を撃てたが二度はない。早くここを離れるんだ!!」
一体何のこと?
アーシェはそこで、視界の隅に、見覚えのある赤紫色の触腕がちぎれて漂っているのが見えた。
そこからあふれ出すのは青い液体。
王子の片手に下げられているのは淡く燐光をまとう抜き身の剣。
頭が真っ白になった。
「やっ! 待って、クラーケンっクラーケン!!」
アーシェはクラーケンの姿を追おうともがいたが、王子の腕はびくともしない。
見えていた巨大な陰にはまる銀の瞳も、ゆるりと瞬いた後、昏い奥底へと消えていった。
大型の船の甲板へ引き上げられた瞬間、アーシェは王子の顔に平手を打った。
海上に音が響く。王子は逃げなかった。
「何で彼の腕を切り落としたりしたの!!」
「君をあの怪物から助けるためだ」
「違うわ、私何もされてない!」
「違わない」
動揺するアーシェの両肩を王子は両手でつかんだ。
「君たちが出発してすぐ、海で魔物に襲われた連中が帰ってきた」
そのひどく真剣な若草色の双眸に、アーシェは息を詰めた。
「あの大時化を何とかのりこえてやってきた船団だが、ほんの一日前さらに濃霧に巻かれたそうだ。その中で突然船が蛸のような触手に襲われたという」
「……っ!?」
「船を沈められかねない勢いで揺さぶられたが、何とか大砲で追い払って、命辛々逃げてきたそうだ。
だが、一緒だったほかの船はまだ港にたどり着いてはいない」
「……触手の色は」
「赤紫、だったそうだ」
くらりとめまいがして、倒れ込みそうになるアーシェを、王子の腕が支えた。
「アーシェ。わかってくれ。クラーケンは、危険だ」
沈痛な王子の声が、頭の上を滑っていった。
クラーケンに直接聞けばいい。
クラーケンは問いかけたことなら答えてくれるのだから。
だが、その翌日から海はしけ始め、次の日には嵐が海と街を襲い、漁にでることは愚か、家から出ることもままならなかった。
嵐は数日収まらなかった。
じりじりと焦燥に焦がされようやく嵐が過ぎ去った翌日、アーシェは一番船に乗った。
嵐の後は海流が大きく動くから、海生石が多く流されてくる。
海生石が大量にとれるチャンスなのだ。
未だ波の高い中、持ち場についてすぐ、アーシェは起動詩を唱え終えるや否や海に飛び込んだ。
胸のしこりを早く取り除きたかった。
海の中はまだ荒れていたが、アーシェははやる気持ちを抑えて水を蹴って加速し、海底都市のほうへいく。
「クラーケン! どこ!?」
泳ぎながら叫べば、あの断崖にたどり着く前に赤紫の触手が眼前に現れた。
アーシェはひどくほっとしたのだが、まるで行く手を阻むようなそれに違和感を覚えながらも何時もの通りその触手にふれた。
聞きたいことがたくさんあって、早く安心したかった。
「クラーケンに聞きたいことがっ……」
《アーシェ、今すぐ立ち去りなさい》
勢い込んで話しかけたそれは、クラーケンのいかめしい思念によって遮られた。
「何で?」
《我の使命遂行に支障を来すからだ》
「私、邪魔なの? 迷惑になることをしたなら謝るからっ」
《速やかにこの領域からの退却を求めると同時に、無期限の立ち入りを禁ずる》
クラーケンの無機質な思念に、アーシェは呆然と言った。
「それって、もう来るなって事?」
《……アーシェ。今までが不自然だったのだよ。君は陸の子だ。あるべき場所へ帰りなさい》
その諭すような思念は、かえってアーシェの心をひっかき回した。
どうして急にそんな事をいうのか全然わからなかった。
いやがおうにも王子の言葉を思い出す。
魔法生物は危険。人の論理では推し量ることのできない生き物。
不意に、周囲で揺らめいていた触腕が、アーシェに向かってくる。
とっさに逃れようとしたが、あっという間に胴に巻き付かれ、拘束された。
そのままぐんぐんと海上に向けて連れていかれる。
急激な加速が苦しかった。
「待って、一つだけ教えてっ。昔、言ったよね。クラーケンは海底の都市を守るためにここにいるって」
《肯定だ。我は都市とそれに付随するものに害をなす勢力の排除を使命としている》
「それは、今も昔も変ってないんだよね! クラーケンはこれからもクラーケンのままだよね!!」
アーシェが必死に叫ぶと、一番ぐんぐんと海上に上っていく触腕の力が、少し弱まった。
海の奥底にある銀色の瞳が、驚いたように動いたのが見えた。
《どういう意味だ》
「王子が言ったの。あなたが目撃されはじめた時期と、古代人がいなくなった時期が入れ違いなんだって。でもクラーケンは古代人に作られたっていってた。その人達から都市を守る役目をもらったんでしょ。魔法生物が役目があるから生きているんなら、都市の人にその……」
《王子は、我が都市の住民を滅ぼした、と考えているのか》
核心的な問いにひるみつつもアーシェはうなずき、すがる様にクラーケンの返答を待った。
《否定はしない。都市は我が任につくのと前後して無人となった》
「それってどういう……きゃっ!!」
衝撃と共に、アーシェの胴に巻き付いていた触腕がゆるんだ。
とっさに身をひねって抜け出したアーシェだったが、そのとたん、体をさらわれる。
先ほどまで支えていたものより格段に細いけれど力強いもの。
見れば、いるはずのない王子だった。
「アーシェ、無事か!!」
「トヴィ様っどうして!?」
「話は後だっ。今は不意を撃てたが二度はない。早くここを離れるんだ!!」
一体何のこと?
アーシェはそこで、視界の隅に、見覚えのある赤紫色の触腕がちぎれて漂っているのが見えた。
そこからあふれ出すのは青い液体。
王子の片手に下げられているのは淡く燐光をまとう抜き身の剣。
頭が真っ白になった。
「やっ! 待って、クラーケンっクラーケン!!」
アーシェはクラーケンの姿を追おうともがいたが、王子の腕はびくともしない。
見えていた巨大な陰にはまる銀の瞳も、ゆるりと瞬いた後、昏い奥底へと消えていった。
大型の船の甲板へ引き上げられた瞬間、アーシェは王子の顔に平手を打った。
海上に音が響く。王子は逃げなかった。
「何で彼の腕を切り落としたりしたの!!」
「君をあの怪物から助けるためだ」
「違うわ、私何もされてない!」
「違わない」
動揺するアーシェの両肩を王子は両手でつかんだ。
「君たちが出発してすぐ、海で魔物に襲われた連中が帰ってきた」
そのひどく真剣な若草色の双眸に、アーシェは息を詰めた。
「あの大時化を何とかのりこえてやってきた船団だが、ほんの一日前さらに濃霧に巻かれたそうだ。その中で突然船が蛸のような触手に襲われたという」
「……っ!?」
「船を沈められかねない勢いで揺さぶられたが、何とか大砲で追い払って、命辛々逃げてきたそうだ。
だが、一緒だったほかの船はまだ港にたどり着いてはいない」
「……触手の色は」
「赤紫、だったそうだ」
くらりとめまいがして、倒れ込みそうになるアーシェを、王子の腕が支えた。
「アーシェ。わかってくれ。クラーケンは、危険だ」
沈痛な王子の声が、頭の上を滑っていった。
0
お気に入りに追加
110
あなたにおすすめの小説
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
【完結】そんなに側妃を愛しているなら邪魔者のわたしは消えることにします。
たろ
恋愛
わたしの愛する人の隣には、わたしではない人がいる。………彼の横で彼を見て微笑んでいた。
わたしはそれを遠くからそっと見て、視線を逸らした。
ううん、もう見るのも嫌だった。
結婚して1年を過ぎた。
政略結婚でも、結婚してしまえばお互い寄り添い大事にして暮らしていけるだろうと思っていた。
なのに彼は婚約してからも結婚してからもわたしを見ない。
見ようとしない。
わたしたち夫婦には子どもが出来なかった。
義両親からの期待というプレッシャーにわたしは心が折れそうになった。
わたしは彼の姿を見るのも嫌で彼との時間を拒否するようになってしまった。
そして彼は側室を迎えた。
拗れた殿下が妻のオリエを愛する話です。
ただそれがオリエに伝わることは……
とても設定はゆるいお話です。
短編から長編へ変更しました。
すみません
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました
結城芙由奈
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください>
私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい
棗
恋愛
婚約者には初恋の人がいる。
王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。
待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。
婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。
従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。
※なろうさんにも公開しています。
※短編→長編に変更しました(2023.7.19)
御機嫌ようそしてさようなら ~王太子妃の選んだ最悪の結末
Hinaki
恋愛
令嬢の名はエリザベス。
生まれた瞬間より両親達が創る公爵邸と言う名の箱庭の中で生きていた。
全てがその箱庭の中でなされ、そして彼女は箱庭より外へは出される事はなかった。
ただ一つ月に一度彼女を訪ねる5歳年上の少年を除いては……。
時は流れエリザベスが15歳の乙女へと成長し未来の王太子妃として半年後の結婚を控えたある日に彼女を包み込んでいた世界は崩壊していく。
ゆるふわ設定の短編です。
完結済みなので予約投稿しています。
亡くなった王太子妃
沙耶
恋愛
王妃の茶会で毒を盛られてしまった王太子妃。
侍女の証言、王太子妃の親友、溺愛していた妹。
王太子妃を愛していた王太子が、全てを気付いた時にはもう遅かった。
なぜなら彼女は死んでしまったのだから。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる