初恋はクラーケン

道草家守

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嵐 2

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 王子の投げかけた疑惑を晴らすのは簡単だ、アーシェはクラーケンに会いに行ける。
 クラーケンに直接聞けばいい。
 クラーケンは問いかけたことなら答えてくれるのだから。
 だが、その翌日から海はしけ始め、次の日には嵐が海と街を襲い、漁にでることは愚か、家から出ることもままならなかった。

 嵐は数日収まらなかった。

 じりじりと焦燥に焦がされようやく嵐が過ぎ去った翌日、アーシェは一番船に乗った。
 嵐の後は海流が大きく動くから、海生石が多く流されてくる。
 海生石が大量にとれるチャンスなのだ。
 未だ波の高い中、持ち場についてすぐ、アーシェは起動詩を唱え終えるや否や海に飛び込んだ。
 胸のしこりを早く取り除きたかった。

 海の中はまだ荒れていたが、アーシェははやる気持ちを抑えて水を蹴って加速し、海底都市のほうへいく。

「クラーケン! どこ!?」

 泳ぎながら叫べば、あの断崖にたどり着く前に赤紫の触手が眼前に現れた。
 アーシェはひどくほっとしたのだが、まるで行く手を阻むようなそれに違和感を覚えながらも何時もの通りその触手にふれた。
 聞きたいことがたくさんあって、早く安心したかった。

「クラーケンに聞きたいことがっ……」
《アーシェ、今すぐ立ち去りなさい》

 勢い込んで話しかけたそれは、クラーケンのいかめしい思念によって遮られた。

「何で?」
《我の使命遂行に支障を来すからだ》
「私、邪魔なの? 迷惑になることをしたなら謝るからっ」
《速やかにこの領域からの退却を求めると同時に、無期限の立ち入りを禁ずる》

 クラーケンの無機質な思念に、アーシェは呆然と言った。

「それって、もう来るなって事?」
《……アーシェ。今までが不自然だったのだよ。君は陸の子だ。あるべき場所へ帰りなさい》

 その諭すような思念は、かえってアーシェの心をひっかき回した。
 どうして急にそんな事をいうのか全然わからなかった。 
 いやがおうにも王子の言葉を思い出す。
 魔法生物は危険。人の論理では推し量ることのできない生き物。
 不意に、周囲で揺らめいていた触腕が、アーシェに向かってくる。
 とっさに逃れようとしたが、あっという間に胴に巻き付かれ、拘束された。
 そのままぐんぐんと海上に向けて連れていかれる。
 急激な加速が苦しかった。

「待って、一つだけ教えてっ。昔、言ったよね。クラーケンは海底の都市を守るためにここにいるって」
 《肯定だ。我は都市とそれに付随するものに害をなす勢力の排除を使命としている》
「それは、今も昔も変ってないんだよね! クラーケンはこれからもクラーケンのままだよね!!」

 アーシェが必死に叫ぶと、一番ぐんぐんと海上に上っていく触腕の力が、少し弱まった。
 海の奥底にある銀色の瞳が、驚いたように動いたのが見えた。

《どういう意味だ》
「王子が言ったの。あなたが目撃されはじめた時期と、古代人がいなくなった時期が入れ違いなんだって。でもクラーケンは古代人に作られたっていってた。その人達から都市を守る役目をもらったんでしょ。魔法生物が役目があるから生きているんなら、都市の人にその……」
《王子は、我が都市の住民を滅ぼした、と考えているのか》

 核心的な問いにひるみつつもアーシェはうなずき、すがる様にクラーケンの返答を待った。

《否定はしない。都市は我が任につくのと前後して無人となった》
「それってどういう……きゃっ!!」

 衝撃と共に、アーシェの胴に巻き付いていた触腕がゆるんだ。
 とっさに身をひねって抜け出したアーシェだったが、そのとたん、体をさらわれる。
 先ほどまで支えていたものより格段に細いけれど力強いもの。
 見れば、いるはずのない王子だった。

「アーシェ、無事か!!」
「トヴィ様っどうして!?」
「話は後だっ。今は不意を撃てたが二度はない。早くここを離れるんだ!!」

 一体何のこと?
 アーシェはそこで、視界の隅に、見覚えのある赤紫色の触腕がちぎれて漂っているのが見えた。
 そこからあふれ出すのは青い液体。
 王子の片手に下げられているのは淡く燐光をまとう抜き身の剣。
 頭が真っ白になった。

「やっ! 待って、クラーケンっクラーケン!!」

 アーシェはクラーケンの姿を追おうともがいたが、王子の腕はびくともしない。
 見えていた巨大な陰にはまる銀の瞳も、ゆるりと瞬いた後、昏い奥底へと消えていった。






 大型の船の甲板へ引き上げられた瞬間、アーシェは王子の顔に平手を打った。
 海上に音が響く。王子は逃げなかった。

「何で彼の腕を切り落としたりしたの!!」
「君をあの怪物から助けるためだ」
「違うわ、私何もされてない!」
「違わない」

 動揺するアーシェの両肩を王子は両手でつかんだ。

「君たちが出発してすぐ、海で魔物に襲われた連中が帰ってきた」

 そのひどく真剣な若草色の双眸に、アーシェは息を詰めた。

「あの大時化を何とかのりこえてやってきた船団だが、ほんの一日前さらに濃霧に巻かれたそうだ。その中で突然船が蛸のような触手に襲われたという」
「……っ!?」
「船を沈められかねない勢いで揺さぶられたが、何とか大砲で追い払って、命辛々逃げてきたそうだ。
だが、一緒だったほかの船はまだ港にたどり着いてはいない」
「……触手の色は」
「赤紫、だったそうだ」

 くらりとめまいがして、倒れ込みそうになるアーシェを、王子の腕が支えた。

「アーシェ。わかってくれ。クラーケンは、危険だ」

 沈痛な王子の声が、頭の上を滑っていった。
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