夜明けのムジカ

道草家守

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終曲3

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 この自律兵器がどのような経緯をたどってあの場所で眠っていたのかムジカには分からない。ラスが思い出さない限り、これから分かることもないだろう。だが、この人形が過ごしてきた月日は、本人が忘れていても確実に蓄積しているのだと感じられた。
 ラスはどこか幼げな表情のまま、ムジカに紫の瞳を向けた。

「ムジカは以前、俺に使用人型のような仕事をしたくないのか、という趣旨の質問をしましたね」
「そういえばそうだな」
「俺は自律兵器です。本来の用途以外には適さず、利用を推奨すべきではないと考えています。今も変わりません」

 言い切ったラスはしかし、ゆっくりと言葉を選ぶように続けた。

「ですが、ムジカが食事を喜ぶ時、敵勢力を制圧し終えた時と似た達成感を覚えました。本来の用途以外で役に立つのは奇械アンティークとして良いことなのでしょうか」

 良いことなのか、という曖昧な表現が出てくる時点で、ラスには決定的な変化があるように思えるムジカだが、少し考えてから言った。

「なあお前、あたしと出会ったとき。泣いてたよな」
「そうでしたか」
「泣いてた」

 綺麗だった、と付け足すのはこらえて、ムジカは続けた。

「何で泣いてたかは知らないけど、お前には泣くだけの心があるんだと、あたしは思う。だから良いか悪いかは自分で決めて良いんじゃねえか」

 自立兵器だったとしても。ムジカとは違うものだったとしても。
 あることは変えようがないのなら、押し込めるのも違うと思うのだ。

「少なくともこのスコーンはまた食べたい」

 そうしてまた一口、ムジカがスコーンを頬張れば、ラスは少しの沈黙の後あどけない仕草でうなずいた。

「わかりました。また作ります」
「んじゃあ次は、おやつじゃなくて、朝飯らしいもんを作れるようになろうぜ」
「……」

 硬直するラスの様子からして、今のいままで気づかなかったらしい。
 その様子がおかしくて、げらげら笑いながら最後のひとかけらを飲み込んだムジカだったが、ふと思う。

「というか、そもそも今更感があるよな、お前のそれ」
「それ、とは何でしょう」
「自分で判断して良いかっての。だってさ、あたしを歌姫として自分で選んだんだろ? もうはじめから自分で選んでるじゃないか」
「そう、ですか」

 神妙な顔で沈黙するラスにムジカは笑いをおさめつつ、ふと思い返す。
 そういえば、歌姫、という存在も未だによくわからない。
 指揮者ディレットとほとんど変わらない権限を有しているのは経験上分かったが、それ以上に。

「結局、歌姫ディーヴァって何なんだろうなあ」

 紅茶のティーカップを傾けながらのムジカの独り言に、ラスが反応した。

「歌姫についてもう一つ、思い出したことがあります」
「へえ、何だ」
「歌姫は俺が愛したい人間に譲渡する権限でもあります。その相手は声を聞いたときに分かるそうです。創造主はそれを一目惚れアムールと呼んでいました」
「は……?」

 ムジカあっけにとられて、ラスの紫の瞳に映る間抜け顔の自分を見つめた。
 こてり、とラスが銀の髪を揺らして首をかしげる。

「ムジカ、愛とはなんでしょう?」

 ムジカの頬に一気に熱が上った。
 熾天使という存在は、一目惚れをした人間にその称号を捧げるということにならないか。
 それをしたはずの本人は愛とはとは何だと質問するにも関わらず!

「わ、分かるかばーかそんなこっぱずかしいこと言うんじゃねえ!」
「なぜ怒っているのですか、ムジカ」
「うっせえ一生悩んでろ!!」

 椅子を蹴るように立ちあがったムジカは、自分の部屋へと逃げた。
 そう、逃げたのだ。

 心臓が勝手に早鐘のように打っている。頬に上がった熱が全く引かない。
 あの自律兵器は、ムジカを唯一として選んでいたのだ。愛なんて分からないくせに。なのに、それを悪くないと考えかけた自分がいることに動揺していた。

「うっそだろ……。何考えてんだよ奇械アンティークの父! 愛情なんて面倒くさいもの実装するなんて馬鹿だろ。そもそもほんとに愛なのかってあたしのほうが恥ずかしくねえ!? いやいやそれよりもあいつはペット……は言いすぎか、良くて家族みたいなもんだ。というかあれ無機物だぞ、うん友愛友愛大丈夫。冷静になれ、あたし……よし!」

 まだ知らなくて良い、自覚しなくて良い。
 ムジカの心の底で、愛されたかったと叫んでいた幼い自分は、穏やかに眠っている。だがそれでもようやく認められるようになっただけなのだ。踏み込むのは恐ろしい。
 だから言い聞かせ、平静を取り戻したムジカは、探掘道具をまとめた背嚢をつかんで勢いよく扉を開けた。
 案の定、扉のすぐそばに立っていた銀色と紫の青年人形に向けて言い放つ。

「行くぞラス! 今回の騒動で大赤字なんだ。もしかしたらお前が寝てた場所に行けるルートができてるかも知れねえし、真っ先にたどり着こうぜ!」
「はい、ムジカ。準備は万全です」

 アルトとテノールの中間。ラスの声が響く。
 言葉が返ってくることが普通になったのだと気づき、ムジカはおかしな気分になった。
 少し前までこの部屋には、独り言と静寂だけが響いていた。
 だが今はどうだ、部屋を見回すだけで随所にラスの影響がある。己の中にも。
 それを悪くないと思う自分が一番変わったのだ。
 そしてムジカは笑みをこぼして、金茶の髪とスカートを揺らし、変わらぬ日常へと進んだ。
 銀の髪と紫の瞳の青年人形が傍らにいることも、また日常となって。
 今日も鈍色の空の下に広がる遺跡へと潜る。
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