78 / 78
終曲3
しおりを挟む
この自律兵器がどのような経緯をたどってあの場所で眠っていたのかムジカには分からない。ラスが思い出さない限り、これから分かることもないだろう。だが、この人形が過ごしてきた月日は、本人が忘れていても確実に蓄積しているのだと感じられた。
ラスはどこか幼げな表情のまま、ムジカに紫の瞳を向けた。
「ムジカは以前、俺に使用人型のような仕事をしたくないのか、という趣旨の質問をしましたね」
「そういえばそうだな」
「俺は自律兵器です。本来の用途以外には適さず、利用を推奨すべきではないと考えています。今も変わりません」
言い切ったラスはしかし、ゆっくりと言葉を選ぶように続けた。
「ですが、ムジカが食事を喜ぶ時、敵勢力を制圧し終えた時と似た達成感を覚えました。本来の用途以外で役に立つのは奇械として良いことなのでしょうか」
良いことなのか、という曖昧な表現が出てくる時点で、ラスには決定的な変化があるように思えるムジカだが、少し考えてから言った。
「なあお前、あたしと出会ったとき。泣いてたよな」
「そうでしたか」
「泣いてた」
綺麗だった、と付け足すのはこらえて、ムジカは続けた。
「何で泣いてたかは知らないけど、お前には泣くだけの心があるんだと、あたしは思う。だから良いか悪いかは自分で決めて良いんじゃねえか」
自立兵器だったとしても。ムジカとは違うものだったとしても。
あることは変えようがないのなら、押し込めるのも違うと思うのだ。
「少なくともこのスコーンはまた食べたい」
そうしてまた一口、ムジカがスコーンを頬張れば、ラスは少しの沈黙の後あどけない仕草でうなずいた。
「わかりました。また作ります」
「んじゃあ次は、おやつじゃなくて、朝飯らしいもんを作れるようになろうぜ」
「……」
硬直するラスの様子からして、今のいままで気づかなかったらしい。
その様子がおかしくて、げらげら笑いながら最後のひとかけらを飲み込んだムジカだったが、ふと思う。
「というか、そもそも今更感があるよな、お前のそれ」
「それ、とは何でしょう」
「自分で判断して良いかっての。だってさ、あたしを歌姫として自分で選んだんだろ? もうはじめから自分で選んでるじゃないか」
「そう、ですか」
神妙な顔で沈黙するラスにムジカは笑いをおさめつつ、ふと思い返す。
そういえば、歌姫、という存在も未だによくわからない。
指揮者とほとんど変わらない権限を有しているのは経験上分かったが、それ以上に。
「結局、歌姫って何なんだろうなあ」
紅茶のティーカップを傾けながらのムジカの独り言に、ラスが反応した。
「歌姫についてもう一つ、思い出したことがあります」
「へえ、何だ」
「歌姫は俺が愛したい人間に譲渡する権限でもあります。その相手は声を聞いたときに分かるそうです。創造主はそれを一目惚れと呼んでいました」
「は……?」
ムジカあっけにとられて、ラスの紫の瞳に映る間抜け顔の自分を見つめた。
こてり、とラスが銀の髪を揺らして首をかしげる。
「ムジカ、愛とはなんでしょう?」
ムジカの頬に一気に熱が上った。
熾天使という存在は、一目惚れをした人間にその称号を捧げるということにならないか。
それをしたはずの本人は愛とはとは何だと質問するにも関わらず!
「わ、分かるかばーかそんなこっぱずかしいこと言うんじゃねえ!」
「なぜ怒っているのですか、ムジカ」
「うっせえ一生悩んでろ!!」
椅子を蹴るように立ちあがったムジカは、自分の部屋へと逃げた。
そう、逃げたのだ。
心臓が勝手に早鐘のように打っている。頬に上がった熱が全く引かない。
あの自律兵器は、ムジカを唯一として選んでいたのだ。愛なんて分からないくせに。なのに、それを悪くないと考えかけた自分がいることに動揺していた。
「うっそだろ……。何考えてんだよ奇械の父! 愛情なんて面倒くさいもの実装するなんて馬鹿だろ。そもそもほんとに愛なのかってあたしのほうが恥ずかしくねえ!? いやいやそれよりもあいつはペット……は言いすぎか、良くて家族みたいなもんだ。というかあれ無機物だぞ、うん友愛友愛大丈夫。冷静になれ、あたし……よし!」
まだ知らなくて良い、自覚しなくて良い。
ムジカの心の底で、愛されたかったと叫んでいた幼い自分は、穏やかに眠っている。だがそれでもようやく認められるようになっただけなのだ。踏み込むのは恐ろしい。
だから言い聞かせ、平静を取り戻したムジカは、探掘道具をまとめた背嚢をつかんで勢いよく扉を開けた。
案の定、扉のすぐそばに立っていた銀色と紫の青年人形に向けて言い放つ。
「行くぞラス! 今回の騒動で大赤字なんだ。もしかしたらお前が寝てた場所に行けるルートができてるかも知れねえし、真っ先にたどり着こうぜ!」
「はい、ムジカ。準備は万全です」
アルトとテノールの中間。ラスの声が響く。
言葉が返ってくることが普通になったのだと気づき、ムジカはおかしな気分になった。
少し前までこの部屋には、独り言と静寂だけが響いていた。
だが今はどうだ、部屋を見回すだけで随所にラスの影響がある。己の中にも。
それを悪くないと思う自分が一番変わったのだ。
そしてムジカは笑みをこぼして、金茶の髪とスカートを揺らし、変わらぬ日常へと進んだ。
銀の髪と紫の瞳の青年人形が傍らにいることも、また日常となって。
今日も鈍色の空の下に広がる遺跡へと潜る。
ラスはどこか幼げな表情のまま、ムジカに紫の瞳を向けた。
「ムジカは以前、俺に使用人型のような仕事をしたくないのか、という趣旨の質問をしましたね」
「そういえばそうだな」
「俺は自律兵器です。本来の用途以外には適さず、利用を推奨すべきではないと考えています。今も変わりません」
言い切ったラスはしかし、ゆっくりと言葉を選ぶように続けた。
「ですが、ムジカが食事を喜ぶ時、敵勢力を制圧し終えた時と似た達成感を覚えました。本来の用途以外で役に立つのは奇械として良いことなのでしょうか」
良いことなのか、という曖昧な表現が出てくる時点で、ラスには決定的な変化があるように思えるムジカだが、少し考えてから言った。
「なあお前、あたしと出会ったとき。泣いてたよな」
「そうでしたか」
「泣いてた」
綺麗だった、と付け足すのはこらえて、ムジカは続けた。
「何で泣いてたかは知らないけど、お前には泣くだけの心があるんだと、あたしは思う。だから良いか悪いかは自分で決めて良いんじゃねえか」
自立兵器だったとしても。ムジカとは違うものだったとしても。
あることは変えようがないのなら、押し込めるのも違うと思うのだ。
「少なくともこのスコーンはまた食べたい」
そうしてまた一口、ムジカがスコーンを頬張れば、ラスは少しの沈黙の後あどけない仕草でうなずいた。
「わかりました。また作ります」
「んじゃあ次は、おやつじゃなくて、朝飯らしいもんを作れるようになろうぜ」
「……」
硬直するラスの様子からして、今のいままで気づかなかったらしい。
その様子がおかしくて、げらげら笑いながら最後のひとかけらを飲み込んだムジカだったが、ふと思う。
「というか、そもそも今更感があるよな、お前のそれ」
「それ、とは何でしょう」
「自分で判断して良いかっての。だってさ、あたしを歌姫として自分で選んだんだろ? もうはじめから自分で選んでるじゃないか」
「そう、ですか」
神妙な顔で沈黙するラスにムジカは笑いをおさめつつ、ふと思い返す。
そういえば、歌姫、という存在も未だによくわからない。
指揮者とほとんど変わらない権限を有しているのは経験上分かったが、それ以上に。
「結局、歌姫って何なんだろうなあ」
紅茶のティーカップを傾けながらのムジカの独り言に、ラスが反応した。
「歌姫についてもう一つ、思い出したことがあります」
「へえ、何だ」
「歌姫は俺が愛したい人間に譲渡する権限でもあります。その相手は声を聞いたときに分かるそうです。創造主はそれを一目惚れと呼んでいました」
「は……?」
ムジカあっけにとられて、ラスの紫の瞳に映る間抜け顔の自分を見つめた。
こてり、とラスが銀の髪を揺らして首をかしげる。
「ムジカ、愛とはなんでしょう?」
ムジカの頬に一気に熱が上った。
熾天使という存在は、一目惚れをした人間にその称号を捧げるということにならないか。
それをしたはずの本人は愛とはとは何だと質問するにも関わらず!
「わ、分かるかばーかそんなこっぱずかしいこと言うんじゃねえ!」
「なぜ怒っているのですか、ムジカ」
「うっせえ一生悩んでろ!!」
椅子を蹴るように立ちあがったムジカは、自分の部屋へと逃げた。
そう、逃げたのだ。
心臓が勝手に早鐘のように打っている。頬に上がった熱が全く引かない。
あの自律兵器は、ムジカを唯一として選んでいたのだ。愛なんて分からないくせに。なのに、それを悪くないと考えかけた自分がいることに動揺していた。
「うっそだろ……。何考えてんだよ奇械の父! 愛情なんて面倒くさいもの実装するなんて馬鹿だろ。そもそもほんとに愛なのかってあたしのほうが恥ずかしくねえ!? いやいやそれよりもあいつはペット……は言いすぎか、良くて家族みたいなもんだ。というかあれ無機物だぞ、うん友愛友愛大丈夫。冷静になれ、あたし……よし!」
まだ知らなくて良い、自覚しなくて良い。
ムジカの心の底で、愛されたかったと叫んでいた幼い自分は、穏やかに眠っている。だがそれでもようやく認められるようになっただけなのだ。踏み込むのは恐ろしい。
だから言い聞かせ、平静を取り戻したムジカは、探掘道具をまとめた背嚢をつかんで勢いよく扉を開けた。
案の定、扉のすぐそばに立っていた銀色と紫の青年人形に向けて言い放つ。
「行くぞラス! 今回の騒動で大赤字なんだ。もしかしたらお前が寝てた場所に行けるルートができてるかも知れねえし、真っ先にたどり着こうぜ!」
「はい、ムジカ。準備は万全です」
アルトとテノールの中間。ラスの声が響く。
言葉が返ってくることが普通になったのだと気づき、ムジカはおかしな気分になった。
少し前までこの部屋には、独り言と静寂だけが響いていた。
だが今はどうだ、部屋を見回すだけで随所にラスの影響がある。己の中にも。
それを悪くないと思う自分が一番変わったのだ。
そしてムジカは笑みをこぼして、金茶の髪とスカートを揺らし、変わらぬ日常へと進んだ。
銀の髪と紫の瞳の青年人形が傍らにいることも、また日常となって。
今日も鈍色の空の下に広がる遺跡へと潜る。
0
お気に入りに追加
17
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
ゾンビのプロ セイヴィングロード
石井アドリー
SF
東京で営業職に三年勤め、youtuberとしても活動していた『丘口知夏』は地獄の三日間を独りで逃げ延びていた。
その道中で百貨店の屋上に住む集団に救われたものの、安息の日々は長く続かなかった。
梯子を昇れる個体が現れたことで、ついに屋上の中へ地獄が流れ込んでいく。
信頼していた人までもがゾンビとなった。大切な屋上が崩壊していく。彼女は何もかも諦めかけていた。
「俺はゾンビのプロだ」
自らをそう名乗った謎の筋肉男『谷口貴樹』はロックミュージックを流し、アクション映画の如く盛大にゾンビを殲滅した。
知夏はその姿に惹かれ奮い立った。この手で人を救うたいという願いを胸に、百貨店の屋上から小さな一歩を踏み出す。
その一歩が百貨店を盛大に救い出すことになるとは、彼女はまだ考えてもいなかった。
数を増やし成長までするゾンビの群れに挑み、大都会に取り残された人々を救っていく。
ゾンビのプロとその見習いの二人を軸にしたゾンビパンデミック長編。
鋼月の軌跡
チョコレ
SF
月が目覚め、地球が揺れる─廃機で挑む熱狂のロボットバトル!
未知の鉱物ルナリウムがもたらした月面開発とムーンギアバトル。廃棄された機体を修復した少年が、謎の少女ルナと出会い、世界を揺るがす戦いへと挑む近未来SFロボットアクション!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる