【アルファポリス恋愛小説大賞奨励賞いただきました】三人

浅野新

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 今日は部屋でお茶をしましょう、とさくらが言うので、俺は彼女が紅茶を用意してくれている間、彼女の仕事場で小さな丸テーブルをセットしていた。

 準備が済んで暇になると、何を見てもいいと言っていたから、本棚から彼女のスケッチ帳を何冊か取り出した。

ページを開くと鮮やかな花が描かれている。花、花、花、町の野良猫。行き来する通行人。ページを繰る内に、途中で手が止まった。

 ・・・聖司。

 上半身裸で、こちらを振り向く聖司を皮切りに、五,六枚彼のスケッチがあった。

 初めてここで、さくらの部屋で、聖司の存在を感じた。彼女の世界で。
 心がざわめきたつ。

 ふとさくらが背後に立っているのに気付き、何故だか俺は慌てた。慌てながらも、必死に平静を装う。
「・・・聖司、描いたんだ」
 ええ、と言って、さくらは探るように俺を見る。
「曜は、駄目だって言ったでしょう」
「・・・まあ、そうだけど」
 
 まあ、そうだけど。

 ひたすらじっとしているなんて俺には信じられない。何の目的もなく。話しながらならまだできそうだと思ったが、彼女はそれも駄目だと言うのだ。

「聖司向きだよな」
 いつまでもぼーっとしていても平気な、あいつ向きの。
 一枚、二枚、と絵をめくった。
 横を向いている聖司、上を向いている聖司。後ろ。こちらを向いている聖司。

 整った顔。長い手足。
 これはモデル向きだよな、見た目も体質的にも。
 そう自分で思ってむっとする。
 外見だったら俺だって負けてないんだ。ただ、違いだよな、個性の。

 だけど本当にあいつらしい、呆けた表情だな。こんな顔じゃ見た目が良くてもすぐモデル廃業だ。

 そう俺は少し笑ったが__心のざわめきはどうしても静まってくれない。それに、他にも何かが引っかかった。

「やけに多いんだな」

 何が、と後ろから覗いていたさくらが言う。
「聖司の絵」
「ええ、仕事で使おうと思って。高校生の男の子なんか、そうそう描けるものじゃないもの」
「でも、記録は残さないんだろ」
 さくらは、ええ、仕事が終わったら処分するわ、とさらりと答えた。

 彼女は誰と付き合う時でも記録に残る事を嫌う。写真はもちろん、手紙やメールでさえもこまめに消す。

 だから彼女の部屋には見事に男の痕跡がない。
 部屋にある物から彼女のアクセサリーや服まで男にもらった的な趣味の物は一切ない。
 昔、又は今の恋人を知られたくないから、と言う事ではなく、彼女が恋愛に関しては‘残る事’を信じていないから、らしい。

「どうせ、いずれは終わってしまうのにね」

 以前、そう言った彼女に、俺は絶望的に悲しくなりながら反論した。
「何だってそうだろう」
 彼女は、儚げに笑い、
「恋愛が一番早いのよ」
 と言った。

 何故だろう。
 俺を信じて、と言いたくなる。
 今までの男が言ったのかもしれない。そしてそいつは去って行ったのかもしれないけれど。
 俺を信じて、と。

 
 駄目だ。

 何かがすっきりしない。体の中を毒が巡るように、精神がとげとげしくなっていく。
 どうしたの、と言うさくらの落ち着いた言葉に、俺は思わずかっとなった。

「でも__、聖司を描くくらいだったら!! 」

 後が続かなかった。
 聖司を、描くくらいなら。

 俺を。

 彼女は、寂しそうな顔をして静かに告げた。
「別に、隠していたわけじゃないわ。聞かれなかったから、答えなかっただけ」

 そう。俺は聞きたくなかったのだ。さくらの口から、聖司の事なんて__。

 だから彼女といる時は聖司の話はした事がない。さくらからも彼の話をした事はない。

 彼女はいつも潔い。聖司がいた痕跡を隠しはしない。ただ自ら話さないだけなのだ。

 さくらはいつも正しい。

 正しくないのは__

「ごめん」
 俺は傍にいるさくらを抱き寄せた。

「ごめん」
 華奢な体を強く、強く抱きしめてゆく。彼女の頭に自分の顔を押し付けて。彼女の柔らかな細い髪は甘い匂いがした。

 曜、ちょっと痛いわ。さくらがつぶやく。俺は力を緩めないまま、

「俺・・・」
 つい言いかけて、辞めた。

これは言ってはいけないのだ。言えばこの関係は破綻する。

 さくらは腕の中でもぞもぞと動いた。探るように俺の顔を見上げる。彼女に分からないようにそっとため息をついた。

「俺、・・・好きなんだ」
 うん、とさくらが腕の中で頷く気配がした。
「好きなんだ」
 うん、私もよ。さくらが優しく言うので、俺は危うく涙が出そうになった。

 違う。
 きっと、さくらと俺の‘好き’は違う。

 でも。例えそうだとしても。
 この思いが、

 さくらの、俺の、二人の、思いが錯覚だとしても。

 先程言いかけた言葉を改めて飲み込む。

 俺を見ていて。頼むから。
 俺といる時は聖司の事は考えないで。
 俺だけを見ていて欲しいんだ。

 何で、何でこんなに寂しいのだろう。二人でいるのに。
 ここには二人しかいないのに。
 何故寂しいのだろう。

 しばらくして、ようやく俺はさくらから身を離した。
「ごめん」
 いいのよ、とさくらは微笑む。

 沈黙と気まずさから抜け出す為、俺はぎこちなく、開いたままのスケッチ帳をめくった。
そして俺はその時、ようやくその絵の違和感に気付いた。

 聖司は。彼の視線は。

 どのスケッチも、全くさくらの方を見てはいなかった。

 もし俺がさくらにスケッチしてもらったら、絶対彼女の方を見る。
 嬉しくて。真剣に自分を見る彼女の視線を捕らえたくて。

 どこを、見ていたのだろう。あいつは。
 思わず笑みがこぼれた。

「さくら、これ見た?聖司、ぼけた顔して、どこ見てるんだろうな」

 すると、彼女はたった今それに気が付いたかのように、食い入るようにスケッチを眺めた。真剣な顔でページをめくり、やがてぽつりと

「・・・そうね」
 とつぶやいた。


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