顔採用の新人社員が部下になった。

Yuhきりしま

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萌えと飲み会(下)

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 正直なところ、神下部長が普段何を考えているのか分からない。静観することの多い神下部長が僕に話しかける理由……客観的に見ても明らかに僕と今井の距離感が近い。物理的に近いのは見てわかる通りで、メンタル的にも非常に近い。

 会社内での恋愛事情は別に禁止されている訳では無いと思うけれど、今ままで気にしたことも無かったから意識外である。

 そんな様子を曝け出している僕に神下部長は言った。

「休み明けに伝えようと思っていた。いい機会だから発注書の件を話そう」

 蓋を開ければ仕事の話だった。僕が神下部長と話を始めたので今井カナはチビチビとハイボールに手を出している。普段の神下部長なら飲み会で仕事の話は出て来ない。稀に少しだけ話題にあがるレベルで神下部長が企画する飲み会では雑談しか今まで無かった。

 その神下部長が刺し身に舌鼓を打ちながらフランクに話す。

「今井くんの言葉が的を得ている。君は優秀なイチ社員であり、我々の主戦力と言えよう」

 僕は褒められてしまった。仕事の過程と結果は把握されていると思う、僕よりも社会経験の長い神下部長が言うなら自信もつく。僕を上げた神下部長は当然のように落としに掛かる。

「だからこそ、君には仕事をして欲しくない」

 意味が分からない。優秀な社員だと評価した神下部長が仕事をして欲しくないと僕に対して考えている。僕がやれば会社の利益も上がるのに働かせない理由を少し考えてみるも思いつかない。

 なら、僕のやることは一つだ。

「仕事しなかったら売上も出ませんよ。つまり、何が言いたいんですか?」

 分からない事は尋ねれば良い、人に聞くのは悪いことではないと思う。答えが出ない問題に対して考え続ける方が悪い。

「……君にはひとりで仕事を回す力が十分に備わっている。だからこそ、周りに仕事をさせて欲しい。たとえば、側で休憩している今井くんだ」

 胡座をかく僕の膝に重みを感じていたが酔っ払いの今井が頭を乗せていた。いつの間にか枕にされている。

「今井を主戦力に置くってことですか? 新人にそんなプレッシャーを掛けても潰れるだけで意味が無いと思います。無理やり仕事を振ってもやる気が低下したら意味が無い」

 新人を表に立たせて責任を与える事で伸びる人も存在するとは思う。今井がその適正を持っているのか判断する情報は圧倒的に少ないので、僕としては避けたい。

「私もそこまで今井くんに任せようとは考えていない。寧ろ君だ」

 プレッシャーを与える相手は僕だった。

「君は今までの経験で円滑に仕事を行う事が出来る。周知の事実で認知されているのを感じていると思っている。だからこそ、新規で立ち上げた部署で経験者は君ひとり。新人の今井くんを下に付けている。君には現場で育てる能力を身に着けて貰いたい」

 適正のある無しはやらなければ分からない。今井がそのまま技術者として活躍できるかは本人の努力次第で僕が介入できる隙間は小さいはずだ。そして、僕にも同じことが言える。新人研修を行っている新垣でも無い僕が人材を育てる意識が薄い。

 もちろん分からない点を教える事は可能……今までの業務経験が僕を助けると思うが、人材育成は全くの別世界だ。

 その場で教えて解決するだけでは無く長期で成長させる仕組みから考えないと現状は難しい。

 ふと、自分の左手がさわり心地の良い物を撫でている事に気づいた。視線を送ると今井の頭を撫でている……よくある怖い人達のボスが猫を撫でているような感覚かもしれない。それにしても癖になるさわり心地だな。

「会議で君が作り上げた資料は良く出来ている。君の稼働が大きくなるスケジュールではあるも実現可能な線引だった。新規で立ち上げた部署にも関わらず社員数名で五千万の売上は目を見張る。でも、そうじゃなくていいんだ」

 神下部長はウィスキーを飲み干して話を続けた。

「赤字でもいい。これは挑戦である事を忘れるな、君の考える通り広い領域を事前に捕まえてしまえば『成果』としては良い物が出来るだろう。しかし、今井くんの手に負える範囲で仕事を受け、君の補助があれば売上を無視さえすれば難易度も下がる。そうだな……残業が必要ないレベルでのんびりとやれば良い」

 無理のない範囲で今井にプレッシャーを掛けて成長を促す計画だと感じた。何かあっても僕が居れば軌道修正も容易である。そして、今井のペースが分からないのと同じで僕にも出来るか分からない。慣れた内容なら腰も軽いが挑戦は常に気が重い。

 やってしまえば出来ると思うが、上手く行かなかった時はまた別の道を探す必要がある。

「例えば――」

 神下部長が今後の展望を語ってくれた。その間もすやすやガチで寝てる今井を放置しニヤニヤ顔で見守る睦月モエが気になりつつも真剣に話を聞く。

 そもそも神下部長が飲み会という場で仕事の話題を出した理由が分かりやすかった。僕は普通だと思ってしまっている働き方に対して今井が違和感を唱えたことだ。残業をして自分の体を計算に入れない僕が要注意人物と見なされている。

 僕の下についた今井も同じ様に残業で仕事を終わらせる癖をつけてはダメだと指摘された。理想論になるけれど、十分なスキルを発揮して仕事をこなして満足の行く給料を貰う事が出来れば生きていくのに困らない。問題は理想だけあって現実的に難しい事だ。

 満足できるだけの給料という額は個人差がある。人によってはいくら貰っても満足は訪れない。そして、お金を貰う為にはスキルを磨き結果を出さないと話にならない。

 そこで神下部長が描く未来の話はこうだ。

 僕の下にいる今井を一人前にすることが出来たら、順次人員を増やしていく。二名、三名といずれ二桁を超えた場合を考える。

 今回、粟乃さん達から頂いた案件を見積もった結果……今井を戦力外として僕一人で手に追える範囲でもそこそこな売上が見込めた。もしも今井が僕と同じくらいの実力を身に付けていたら単純な計算でもかなり見込める。それが十名のチームを作る事が出来たならば売上は億を超える。

 ハードルとしては人数が溢れない仕事を探し続ける必要がある。営業面の不安もあれば簡単に人は成長しない。緩やかに実力を付ける人もいれば急激に活躍出来る人もいる。そして、適正が無い人は大きな結果は見込めない。

 全てやってみないと分からないから難しい。特に人が多くても仕事が無ければ部署内で人数を抱えきれない。

 神下部長の展望も未定で絵空事である。そんな話を聞いて僕は方向性を掴むきっかけになるものの、そこが僕の進みたい道なのかは自分でも整理が付いていなかった。

 エンジニアとして身につけた技術を発揮し、自分が活躍する道を歩んでいたにも関わらず、神下部長の物語では表に出る事は少なくなる。恐らく今回の見積もり周りが主な仕事内容となり、手が空いたら部下の手助けが仕事になる。教える時間を確保するからには僕の受け持つ仕事量が現状と比較して極端に減るはずだ。

 管理工数が存在する為、人数が増えればその分だけ売上が上がらないのが現実だ。

「神下部長……多分、その方針なら今年の売上は五百万あれば良い方ですよ」
「ふっ、立ち上げた部署で黒字なら大成功だよ青年」

 休みが明けたら発注書の修正をすることにしようか。

「ねぇー、もう難しい話は終わった? ひとりで料理沢山食べてお腹一杯。そろそろ帰んない?」

 睦月の口に食べ物を入れ続ければ静かになるという新たな発見があった。今井も起こさなくてはならない。というか、個室とは言え上司の前で寝るのはいかがなものか。

「では、帰るとしよう」

 僕は今井の体を優しく揺するも蠢くだけで起きない。仕方がないので両手で左肩と右脇を抱えて体を起こすことにした。

「んー。あ、カオルおはよ」
「おはよう」

 頭を揺らしながら瞼をこすり周りを見渡す今井を見守った。

「あー、たしかモエさんと飲み会で……あぁ! 寝ちゃってたごめんなさい」

 僕としては気にしていない。さて、他の二人はどうだろう。

「今井くん。休みたい時は休むと良い」
「そうそう、何かあればカオルがどうにかしてくれるしー」

 全く気にしていないならいいかと僕達はお店を出た。お会計は全て神下部長が払い、解散の時が迫ってきる。

「おおっと、カナちゃん大丈夫?」
「はい。ありがとうございます」

 お店の外に出て夜風に煽られた今井がバランスを崩し、転びかけたみたいだ。幸いにも睦月が近くにいて良かった。

「不可抗力で、手がー」
「セクハラだぞモエ」

 モエの右手が支えると同時に胸へ忍び寄っていた。今井を酔っ払いが送る事になってしまったのは本当に心配である。

「あー、せんぱい。おやすみなさい」
「おやすみ。気をつけてね。特に隣の女に」
「んー。モエさんかえろっかー」

 僕達はその場で解散して駅まで神下部長と二人で歩いた。まだ騒がしい夜の街は意外と居心地がいい。殆どの場合が祭りみたいに笑顔で溢れているからかなーと考えていると神下部長が僕に言った。

「青年よ、慣れるまで大変だと思う。何かあれば声を上げてくれ」
「そっすね。会議の時に教えて貰えばよかったんじゃないっすか?」

 別に休み明けまで伸ばす必要は無かったと思う。それに、わざわざ飲み会で仕事の話をするのが神下部長らしくないと感じた。

 抱いた違和感の理由が見つけきれない。

「会議の前日に睦月くんから連絡が来てな。蓋を開けると今井くんが上司である西崎を心配しているじゃないか。暫く顔を出せていなかった私は判断が付かなかった。だが、今井くんが言いたい事を伝えたことで状況が分かった……あの場で話をするのが一番伝わるんじゃないかと思ってな」

 今井が睦月に要件があって探していた記憶はある。僕の様子を隣で見ていたからこそ思うところがあったんだろうと想像した。振り返ると食事を気にしてくれていたり、仕事中も気を使ってくれていたりと心当たりが少々ある。

「今井は視野が広いなぁ。僕は目の前にある仕事で手一杯だったや」
「うちの部署に来たのが今井くんで良かった。ところで、二軒目を考えているんだが……」

 既に僕の許容量ギリギリである。それでも僕は神下部長に付き合うと反射的に判断していた。

「もちろん神下部長の奢りですよねー」

 ニカっと健康な白い歯を見せて神下部長は僕の腕を引っ張り、深い井戸の中へ引きずり込むような勢いで夜の街へ誘った。
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