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迷い猫

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 カツン――厚底ブーツの足音で僕は神下部長が来たと察した。

「おはようございます」

 扉が開くと同時に僕は挨拶をする。遅れて今井も続いた。

 神下部長は帽子の隙間から僕達を見ると力強く頷いて『おはよう』と言った。今日から本格的に案件が始動するから神下部長も来たんだろうと僕は考えた。午後に会議を予定している。こちらからは主に三人――僕と今井に神下が出席する。

 そして、相手側は二人だ。

「今日は私も会議に出よう」

 自分の席について神下部長は作業を始めた。この人は神出鬼没で普段のお仕事まで僕は把握していない。

 僕は気に留めず午後の会議に向けて準備を始める。

「部長!」

 僕と違い久々に出勤した部長に今井は興味津々の様子。

「今井くん。どうかしたかね?」

 鋭い目線を今井に送るも、瞳の億が優しい神下部長に今井は指をさした。

「ジャケットのボタンが外れかけてますよー」
「おや、本当だ。ふふっ教えてくれてありがとう」

 今井は手首のボタンが外れかけているのに気づいたらしい。カバンの中をガサゴソと漁る今井は小さな裁縫セットを取り出した。僕の価値観だとそういう物を持っている事に驚く。

「貸してください。ぱぱっと直しちゃいますね」
「……頼む事にしよう」

 上着を脱いで神下部長はジャケットを今井に手渡した。年齢の割に肉体は鍛えられて僕よりも一回り以上太い腕があらわになる。

「任せてください」

 午後から始まるリプレイス案件の話は別室で行われるので、僕はその間に会議室の予約を確認した。必要な資料を纏めて会議室に持ち運ぶ……その為にはデータを運ばなくてはならない。

 新部署に用意されているパソコンは主にデスクトップで持ち運びに向いていない。ノートパソコンを設備科から調達する必要が浮かんだ。僕は設備科にノートパソコンを借りる申請書の作成に取り掛かる。

「今井くんは普段から裁縫道具を持ち歩いているのかい? 今日は偶然かな?」

 神下部長の疑問は僕も抱いた。用意周到にも程がある。

「最近のわたしはスーツスタイルなのです。この前ボタンが外れちゃって困っちゃったから持つようにしました。お外でも直ぐ直せるように持参ですー」
「不器用な私には真似できないな。ボタンが外れている事にさえ気づかなかった。今井くんは細かいところに目が届く」
「部長は大雑把過ぎですよー。流石にボタンが外れたら気付きますよね先輩!」

 唐突に振られた。僕も気付かなかったと口が裂けても言えない。

「……今井は凄いなぁ。細かいところに目が届く」
「あ、先輩も気付かなかったんだ。まったくもうー」

 ぷぅっと口を膨らませて不満を表しながら今井はボタンの修理に取り掛かった。

 細かいところに気付く特性を今井は持っていると再認識した。人間の才能――僕なりに優れた人材と評価する基準を持っている。まず一つ目にあがるのが僕と同じ事が出来る人だ。仕事を頼んで僕と同じ視点で出来る人材が居れば仕事を任せやすい。そして、次に僕が持っていない能力を持つ人だ。

 僕に出来ない事が出来る人……後天的に能力を磨けば身につくかもしれないが、既に持っている人材が居るだけで頼りになる。

 事実として技術面で今井は僕より現状劣っている。しかし、優れている点が既に見つかっているのは大きな強みだ。

「神下部長は午後の会議に来る人達と面識はあるんですか?」
「勿論。彼等とは一度、食事に行っている」
「分かりました」

 部長が初対面じゃないだけ会議もやりやすいだろうと考えながら僕は資料のチェックに取り掛かった。

 それから数時間。

 部長も今井が直したジャケットに袖を通し終えている。あと少しで会議の時間が訪れる頃に睦月モエが来訪した。

「失礼します」

 申請したノートパソコンを手にキリッとした表情でモエが立っている。

「西崎さん。申請があったノートパソコンをどうぞ」
「ありがとうございます」

 僕と睦月モエのやり取りを見て大きくあんぐりと口を開けて目を見開いた今井カナがそこに居た。

「だ、だ、誰ですか? 私の知ってるモエさんじゃない……寝る前に連絡取ってるいつものモエさんは何処に……」

 アレから知らないウチに同期が後輩と仲良くなっていた。僕の知らないところで連絡を取っている……まぁ、モエは変なことを吹き込んだりしないから安心だ。

 ちらっと睦月を見ると視線に気付いた同期がウィンクしてきた。

 安心しろ今井。お仕事モードの睦月モエはめちゃくちゃそっけないんだ。

「こんにちは、今井さん」

 営業スマイルに丁寧なお辞儀で今井が圧倒されていた。

「こ、こんにちは」

 初対面のようにぎこちないお辞儀を今井が返していた。

「神下部長もお元気そうで何より。また今度、飲み会に呼んでくださいね」
「分かった」

 では、失礼しますと席を外そうとした睦月モエを僕は呼び止めた。そして、更に仕事を頼む。

「今井にはノートパソコンを先に会議室へ持って行って貰いたい。場所を案内してくれ睦月」
「承知致しました」

 今井は睦月からノートパソコンを受け取って部屋から出ていった。その直後に二人で笑い合う声が響いて聞こえる。

 睦月モエは設備科で色々な場所に足を運ぶ。だから、本社の構造も把握しているし顔が効く。僕よりも多くの社員と関わっているのは確実だ。飲み会の様子を知っている僕からすると丁寧な仕事っぷりが好評という噂が信じられなかった。

 誰にでも砕けた様子で話す訳では無く基本的に硬い。ガードの固さもあり一部ではプライベートを見せないミステリアスな社員として認識しているらしい。一部――神下部長の企画した飲み会に参加していたメンバーならば睦月がどんな奴か分かっている。

 暫く時間が経ち今井が帰ってきた。

「先輩。迷子を拾いました」

 今井よりも背が低く中学生のような風貌の女の子を連れて後輩が帰ってきてしまった。
 
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