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第四章 せめぎ合う光と闇

第六十一話 戦う理由〜その三〜

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 吸血鬼と人間では骨や筋肉の構造はほぼ似ているが、強靭さが倍以上異なる。
 吸血鬼の拳をまともに喰らって無事な人間はまずいない。
 骨折どころか内臓破裂で一発アウトだ。
 そのまま瞬時に致死量の血を吸いつくされてあの世へと送られてしまう。
 
 拳同士のぶつかる乾いた音が鳴り響いている。
 身長が二メートル近くあり、腕の太さと胸板の厚さを誇りにしているロセウス。
 百八十五センチメートルの身長で恵まれた骨格をした織田純之介。
 この二人が徒手空拳で勝負しているのだ。
 対決が始まってどれ位時間が過ぎたのだろうか。
 
 織田は自分に向かって飛んできた右ストレートを瞬時に避け、左脚を軸にして捻りを加えつつ相手の後ろに素早く回り、うねりのあるアッシュブロンドが舞う左側頭部を狙ってハイキックを加える。彼の渾身の一撃はロセウスの頭部へと確実にヒットしたが、相手はけろりとした顔だ。オレンジの地色にほのかにピンクの光が覗いている、甘く香りたつような深みのある色合いの瞳が余裕のある表情をちらつかせている。
 
「……!」
 
 織田が相手をしているのは屈強な吸血鬼。
 彼はこれまで拳だの蹴りといった攻撃を何度も加えているが、相手はびくともしない。
 相手に攻撃を与えているのみならず、当然受けてもいた。袖元から覗く腕や首元にあちこち青痣が薄っすらと見えており、唇の右端が切れて血が滲んでいる。それは避けきれなかったロセウスによる打撃の跡を物語っていた。

 織田が無事なのはひとえに芍薬神が生み出した霊玉、芍薬水晶のお陰だ。それはロセウスから与えられる衝撃を九割方和らげている。普通の人間では衝撃のあまり骨も肉も断たれ、ひとたまりもないだろう。昔習っていたボクシングの基礎が現在活かせていることに感謝した。
 
「お前中々やるな。面白い。どこまで保つか試してやろうか?」
 
「……」
 
 息一つ漏らすことがないロセウスに対し、織田は肩で息をし始めている。やや呼吸が荒い。
 幾ら芍薬水晶の加護があるといっても、所詮は人間だ。
 持久力の差までは縮められそうにない。
 
「!」
 
 そこへ風を切る音がした。
 スパーンッと軽快な破裂音が周囲へと響き渡る。
 アッシュブロンドの脳天へとめり込むように鉄扇が叩き込まれていた。それを持つのは、真ん丸い瞳を持ったショートボブヘアの少女だ。共に集中力が一瞬途切れる。
 
「……いってぇな! 何だいきなり」
 
「純! 大丈夫!?」
 
 ロセウスは頭を撫でつつ、インペリアルトパーズの瞳を少女に向けると、にたりと口元を歪めた。
 
「……はっはーん。分かった。俺がこいつとばかり相手してるから妬いてるんだな? そんなに俺に構って欲しいのか小娘!」
 
「いちいちうるさいわねぇ! 加勢と言いなさいよ!」
 
 優美は軽いステップを踏みつつ素早く織田の背後へと回り、距離を取った。織田は荒い呼吸をしつつ、鉄扇を握り締め、構えをとる優美に穏やかな笑みを見せる。
 
「そう言えば、あんたこの前使った怪しい技、ひょっとして使ってない?」
 
「ああ、“破力波”のことか。今回は使う気がないから、安心しろ」
 
 想定外の返答に真ん丸の瞳をぱちくりさせて首を傾げた。
 
「何故? それ使った方があたし達を簡単に握り潰せるじゃないの?」
 
「お前等が面白いからな」
 
「……はぁ?」
 
 拍子抜けしてついつい声が大きくなる優美。その手前で織田は冷や汗が滝のように流れているのを感じた。
 
「ああいうのに頼りっぱなしになるほど俺は廃れちゃいないぜ。小娘。あれは俺が持って生まれた家系特有の技。余程じゃない限り使わねぇ代物だ」
 
「じゃあ、この前は何故?」
 
「“命令遂行”の為だ。この前はメインだったウィオラをサポートするのが俺の仕事だったからな。普段は使わねぇよ」
 
 それに、とロセウスは言葉を続けた。
 
「自分の戦いにズルはあまり使いたくねぇからな。正々堂々じゃねぇだろ?」
 
 ロセウスは想像していたより案外いいヤツなのかもしれない。織田はそう思った。目の前の吸血鬼は二人を眺めつつ、無精髭の生えた顎をぼりぼりとかいている。
 
「それにしてもお前等、良く粘るな。そんなにあの小娘が大切か?」
 
 わざとらしいその一言にカチンときた優美は声がつい大きくなる。
 
「当たり前よ! 彼女はあたしにとって大切な親友なの。あんた達を倒して絶対に助け出すんだから!!」
 
 彼女の脳裏にふと昔の記憶が蘇った。
 優美は中学時代にガラの悪い連中に絡まれて困ったことがあった。その時に傘を武器に颯爽と現れたのが茉莉だったのだ。
 高校生相手に怖じ気付くこともなく一気に叩きのめし、警察に付き出したのだから、当時から気が強くお転婆だったのだろう。それがきっかけで二人は友達になった。意気投合し、同じ高校にも見事受かり、いつも仲良しだった。
 その茉莉が窮地に陥っているのだから、何が何でも助け出すと息巻くのも無理はない。
 
 その前に立つ織田は少し落ち着いたのか、やや落ち着いた呼吸になっていた。
 
「ああ。彼女は守るべき俺の大切な後輩だ」
 
 (そして、彼女にしか頼めないことがあるのも事実だ)
 
 彼の脳裏に懐かしい思い出が蘇った。
 織田は紗絵と同様に白木と幼馴染みの友達だった。
 共に遊び共に学び、楽しい日々を過ごせたのは彼が一緒にいてくれたと言っても過言ではない。
 あと白木は普段織田を何かと良く助けてくれた。
 事件で彼を失い、何としてでも敵討ちをしたかった。
 本当は自分のこの手で討ちたいが、それは現実的に厳しい。ならば、討つ“力”を持つ茉莉に委ねるしか方法はない。
 
 そこで、織田は芍薬神から言われたことを思い出した。
 吸血鬼達を鎮静化させるのに必要とされる“核”を体内に持つ静藍。
 茉莉と静藍二人が揃わないと吸血鬼達に勝てない。
 だから何としてでも彼女を助け出し、勝ってもらわねばという思いがある。勿論、部活の後輩として守りたい気持ちはあるが、支えてやりたいという気持ちの方が大きい。
 
「彼女だけでなく、白木の為にも負けられないんだ。俺は」
 
 織田の瞳が紫色に光る。それを見たロセウスが瞳を妖しく光らせた。 それは長い時の流れを思わせる独特の深み、オレンジとピンクが混ざり合い、シェリー酒の甘い香りがただよってくるような色合いをしている。
 
「……良い目をしているな。続きをやるか。容赦しねぇよ」
 
「上等だ!」
 
 男二人は睨み合い、再び対峙した。
 
 ロセウスがかかとの浮いた右足を外側に捻り、一緒に腰を回転させて右ストレートを放った。それを芽にした織田は瞬時に身を屈めて直撃を避け、腰を捻りつつ反動をつけながら右の拳を一気に突き上げた。狙われた無精髭の生えた顎は寸前で掻き消え、目標を失った反動でついよろめく。疲労感が溜まっている為か、判断が一瞬鈍った。
 
 その瞬間を、シェリー酒のような瞳は見逃さず、すかさずその腕と太腿を両腕でむずと掴んだ。
 
「ふんっ!」
 
「!?」
 
 織田はあっという間に自分の身体が宙を浮くのを感じた。嫌な予感がするが、相手の力が強過ぎて振りほどこうにも振りほどけない。
 
 ロセウスは自分の肩の上に織田を仰向けに乗せ、顎と太腿を掴んだ。それから自分の首を支点として、その背中を弓なりに反らせる。アルゼンチンバックブリーカーを仕掛けられた織田は、まさに“人間マフラー”だ。
 
「うあああああああああっっっ……!!」
 
 身体が折り曲げられるほど背骨がミシミシ悲鳴をあげ、織田は苦悶の表情を浮かべた。
 
 筋骨隆々とした肩が織田の腰に突き刺さり、食い込んだ。 
 それは、自分の重みで更に増してゆく。
 そして、相手が自分の身体を折り曲げるほど更に食い込んでゆくのだ。
 
「ああああああああっっ……!!」
 
 額に脂汗が吹き出している。顔色が真っ赤だ。空いている両手を動かし、何とかしてこの状況を脱したいが、隆々とした屈強の腕によって極められている為身動きが出来ず、どうにもならない。このままでは板のように背骨を折られてしまう。織田は脳の片隅で「死」を覚悟した。
 
「止めて……っ!! 純を離してっ!!」
 
 優美は叫びながらロセウスを鉄扇で殴りに掛かった。
 出来れば延髄を狙いたいが、織田の身体がある為出来ない。
 彼女は鉄扇で隙だらけの太い首やら脇腹を狙い何度か攻撃を加えたが、屈強な吸血鬼は眉一つ動かさない。全く刃が立たないようだ。
 ショートボブの毛先が零れ落ちる細い肩がわなわなと震え出す。その瞳は怒りに震え始めた。保持している芍薬水晶が赤く光り出し、彼女の身体全体を包み始める。
 
「あんたねぇ! さっきあたしが言ったこと覚えてる!? あたしの彼氏殺したらぶっ殺すって……!!」
 
 その瞬間、涙がこぼれそうになる瞳が赤く輝いた。
 鉄扇を右斜め上から下へと力強く扇ぐと、彼女の目の前に赤い空気の渦が生じる。それはまるで竜巻のように周囲のものを引き寄せ始めた。
 
「何……!?」
 
 アッシュブロンドの吸血鬼は軸にしていた右足がその“竜巻”によって吸い込まれそうになり、身体が倒れそうになった。予想外のことに驚いた彼は、倒れないように自分の足や体幹へと意識を集中させた。その結果、織田の顎と太腿を固定していた両腕の力が緩んだ
 
 (今だ……!!)
 
 そのスキを見た織田はロセウスの肩の上で上体を起こした。そして相手の顎の先端を右肘関節の内側に引っ掛けるようにして、前腕部と上腕部で頸動脈を一気に挟み込んだ。身体中のみならず、その瞳は紫色に輝いている。彼自身が身に付けている芍薬水晶と呼応し始めたのだ。
 
「ぐっっ……!!」
 
 仕掛けた必死のスリーパーホールドにより、ロセウスの顔色がどんどん赤くなってゆく。

 やがて巨体がぐらりと傾いた時、隆々とした肩の上から転げ落ちるかのように織田の身体が降りてきた。優美はダッシュで受け止めにかかる。
 
 ズドオォオオオオオオ……ン……。
 
 優美が織田の身体を抱き止めたと同時に、物凄い地響きをたてて巨体が床へと倒れ込んだ。辺りは砂埃がもうもうと立ち上がっている。彼女が生み出した赤い竜巻はいつの間にか消え去っていた。
 
「優美……助かった……ナイスジョブだ」
 
 織田は安堵の笑みを浮かべた。その背中に腕を回した優美は無言でぎゅっと抱き締めた。
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