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第四章 せめぎ合う光と闇

第四十九話 夢の声

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 誰の声だろう?
 誰かが僕を呼ぶ声がする。
 気のせいではなさそうだ。
 
 静藍がふと顔を上げると、目の前に若者が一人立っていた。
 会ったことはないが、馴染みのある存在感を身近に感じる。
 彼を見てそんな印象を受けた。
 
 ルビーレッドのシルク・タフタで仕立てられたコートとウエストコートにブリーチズの三つ揃え。
 月光のように輝く美しい銀髪。
 さらりと背に流れるそれは、黒いシルクリボンで一つに結われている。
 表情はないが、目鼻立ちの整った秀麗な顔立ち。
 青白い肌に紅玉のような瞳が二つ収まっている。
 
 十八世紀ヨーロッパの上流貴族の出で立ちをした若者に、静藍は不思議と親しみを覚えた。
 
「僕を呼んだのは……あなたですか?」
 
「ああ。確かに呼んだ」
 
「あなたは……誰ですか?」
 
「俺か? 察しの良いお前なら分かるだろう?」
 
「ひょっとして……ルフス……?」
 
 少し口角を上げた口元から真珠のような犬歯が覗いた。
 
「ああ。ルフスだ。ルフス・ランカスター。お前の中にいる吸血鬼だ」
 
「初めてですね。あなたといつかお話ししたいと思っていました」
 
 静藍が怖じ気づくことなく堂々としているのを見て銀髪紅眼の若者は瞬きをした。少し驚いているようだ。
 
「風変わりな奴だな。そんなに俺に会いたかったか?」
 
「……ええ……とても」
 
 黒縁眼鏡の少年の瞳をじっと見つめていたルフスは静かに目を伏せた。サファイアと間違えてしまうほど、深い青の輝きを持つ瞳を見ていて、何か思うところがあったに違いない。
 
「ふん。まあ、当然といえば当然か。時々自分の身体を勝手に動かし、支配する奴がどんな奴なのか知りたいと思うのも無理はない」
 
 ルフスはそこでふうと溜め息を一つつくと、痛そうに少し目を細めた。
 
「俺がお前の中で覚醒したのは不可抗力だが……そのきっかけを作った原因の一つに俺もいるからな」
 
「……?」
 
 こくりと首を傾げた静藍の表情を見たルフスはすかさず言葉を続ける。 
 
「詳細は後で、だ。それよりお前、茉莉を助けたいだろう?」
 
「勿論です」
 
 突然話題を変えられた静藍はほぼ反射的に返事をした。
 灰簾石の瞳と紅玉の瞳。
 向き合う二人の間に、少し静寂が訪れた。
 
 長い睫毛を瞬かせたルフスが先に沈黙を破った。
 
「……彼女が連れて行かれた所は、恐らく俺の仲間達が拠点としている屋敷の筈。場所は俺が知っているから、案内してやる」
 
「本当ですか!? ありがとうございます!!」
 
 無意識だが、静藍の表情に笑顔がぱっと浮かんだ。素直な反応を示す少年を見たルフスはぶっきらぼうに答える。
 
「別に礼を言われるほどのことじゃねぇよ」
 
 静藍は左肩に重みを感じて視線をその方向に動かすと、ルフスの右手が乗せられていた。
 掌の大きさは自分とそう大差ないが、雪のように青白く、何て優美な指先なのだろうか。
 男の自分でもつい見惚れてしまいそうになる。
 
「お前に力をかしてやる。まずは俺の思考を無理なく読み取れるようにするから、好きなだけ情報を仕入れてくれ」
 
「え……!?」
 
 息を呑む静藍。
 相手の思考を勝手に見るなんて、日記を勝手に読むより遥かに罪深い。
 
 (彼はプライバシーを無視して踏み込めとでも言うのだろうか? 許可されていると言っても無茶過ぎる! )
 
 エレガントなパープルになったり驚くほど鮮やかなブルーに変わったりと、彼の瞳は様々な表情を見せている。
 困惑した空気をまとった少年を眺めながら、ルフスは言葉を繋いだ。
 
「俺はお前の思考から読み取る」
 
「!?」
 
 言葉の出ないタンザナイトブルーの瞳をルビー色の瞳は覗き込む。
 
「これから先は情報を共有した方がお前にとっても俺にとっても良いと思うからだ。共通認識があれば、意識が交代してもズレが最小限で無駄がないからな」
 
「……確かに……」
 
 これまで乖離していた為、自分が意識のない時の出来事は誰かに教えてもらわねばならなかった。自分で勝手に補填出来るならば他人に気を遣う必要性がなくなる。
 
「今まで悪かったな。俺達のことにお前を巻き込んでしまって」
 
「いえ……」
 
「その代わりと言っちゃあなんだが、お前の願いを叶える手伝いをしてやる。お前、茉莉のことが好きなんだろう?」
 
 突然出し抜けに指摘され、静藍は口から心臓が飛び出しそうになった。
 
「え……!? ……そ……それは……っっ!!」
 
 バイオレットブルーの瞳の少年は、頬をさっと赤らめて無言となってしまう。
 
「心を勝手に読んですまないな。もうこれでお前が俺の心や思考、記憶を読めるぞ。好きなだけ手に入れておけ。いいな」
 
「……は……はい……」
 
 妙に逆らえない雰囲気に静藍は首を二回縦に振った。
 
「ったく、あのお転婆のどこが良いのか俺には良く分からんが、確かにお前とお似合いだな。お膳立て位はしてやるから、頑張るんだな」 
 
「……はい」
 
「あとお前に頼みがある。あいつらの前では言えんが、不完全な俺では無理だと言うことが分かったからな」
 
 ルフスの瞳には、赤々と燃え盛る炎が揺らめいている。
 その表情は見ているこちらが切なくなる位必死だった。
 
「俺にも助けたい奴がいるのだ。神宮寺静藍。一世一代の願いだ。お前の手をかして欲しい」 
 
 ※ ※ ※
 
 静藍は目を覚ました途端、身を起こした。
 
「今のは……夢……?」
 
 見覚えのある天井。
 ブルーグレーのベッドとベッドカバー。
 椅子と勉強机。
 いつもと変わらない自分の部屋。
 
 心臓が激しく脈打っている。
 
 (ルフス・ランカスター……)
 
 自分の中にいる彼が、一体何を望んでいるのか。
 やはり、彼の記憶や思考を読ませてもらった方が手っ取り早いのだろう。
 本人許可済みとは言え、あまり良い気はしないが仕方ない。
 
 静藍に残された時間があまり残されていないからだ。
 
 (いち早く茉莉さんを助け出し、ルフスの望みを叶えたい。僕の限界が来るまでに……! )

 思考を内面に移しつつ、ちらりと時計を見るとまだ朝五時前だった。
 起きるにはまだ早過ぎる。
 もう一時間程はベッドの中で思考を巡らせることに集中することにする。
 机の上には二個の芍薬水晶が置いてある。
 藍色と桃色の水晶だ。
 それらが彼を静かに見つめていた。

 晴れていれば群青色の雲の一部分が赤く染まっている時刻だろう。
 しかし今日の天気は珍しく雨。
 暗い部屋の中、窓硝子を礫のように叩きつける雨音だけが響いている。 
 それは祈りにも似た雨で、まるで誰かの流した涙のようだった。
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