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この十年日本の文化はゴミのような創作物語を産み続けた。見た目が美しい物語だがすべて魂の抜けたた中身がスカスカでその空間はヘドロにまみれた死体とそれに湧いたウジがうごめいている。
カズ抜き用AIが作ったような言葉の羅列。二進数から得られる最適解のゴーストライター達。よく適合した読書たちはまるで生身の人間ではなく、電脳保持者のように思惑通りに感情が揺さぶられ電算結果通りのドーパミン放出が目的のドラマに、アニメやラノベは現実から逃げ出したい者たちの転生モノばかり、死屍累々の墓標が見えない地平線に立ち並ぶ。それも己を見据えない人格障害的無意識が織り成すダイナミクスによる自動処理、つまり乖離はすこぶる理にかなった日本的理想欺瞞社会のガイドラインに応じた文化的アウトプットだ。
しかし日本のすべては本音と建前の二層構造で出来てことを忘れてはならない。
建前上の社会は和と云うマジックワードによりすべてが善に目眩ましされる。実相は問題のすり替え極論詭弁すべてを労したチックを呈するもしくは薄ら笑いを浮かべた相対主義者たちが、地上波テレビ各局でよくアンダーコントロールされた誤魔化しまやかしどっちもどっちのナンセンスコメントを垂れ流し、今日もバラエティー番組は目くらましのガス抜き芸人がジャイアンをオダて、のび太をイジり倒し見事なスネ夫ぷりを発揮するだろう。
権力者は自分の都合の良いように捜査機関を操り、有名タレントの違法薬物事件をネタにほどよい頻度で煙幕をはり、国庫から支出されたクールジャパン機構の構成創作された異世界ナロウ系を寝る間に見ては脳内転生して、汚職裏金世襲政治実現党の現実及びマトモな人間性をそぎ落としてドープ社会の中毒者としての一構成員であること忘れておしまおうとの努力を惜しまない。
アニメは転生物でなくとも、原作はスマホのガチャゲーかギャルゲー、電車やバスを列をなし待つ者たちはお互いに無視し合いながら、前かがみにスマホをもちゲームでガチャして現実から目を背けている。その者たちは現実の社会に一見適応しているように見えるが、引きこもりや変へらと何ら変わらない。引きこもりやメンヘラを見下しあざ笑いながら、そのガチャゲーにハマる社会人の列の者どもは、自らの真意を「本音」というラベリングされた真空パックに入れて、建て前の「勝ち組」という自己欺瞞に引きこもる。現実の社会は堕落し衰退していっているというのに。
―――そのまま日本社会は変らずに、一億総スネ夫社会を理想として成就するかに思えた。
しかし日本社会は突然変わり始める。
欺瞞と踏愛の象徴であった、長期政権を築いた元総理大臣が暗殺されたのだ。カルト宗教の被害者だった若者の大いなる恨みを買ったのだ。元総理大臣はカルト宗教を利用して権力を維持するために票を得ていたのだ。WinWinの関係を気づいて選挙協力を得て、カルト教団は国家権力からの庇護を受け非合法に目をつむってもらっていたのだった。
しかし自らを「森羅万象を司る」と称し、さながら神のような振る舞いの権力者も、すべての事象をアンダーコントロールできるわけがない。もしかすると一億の人々を自分の意のまま都合の良いように扱うつもりだったのかもしれないが、そんなことを人間が出来ると考えるならば精神病院の閉鎖病棟に隔離したほうが本人の為であろう。
ともかく後に国葬されることになるその元総理大臣は、イレギュラーな予定で選挙応援に行き、そこで待っていた山上徹也の恨みが凝縮された手製の散弾によって心臓を貫かれあっけなく死んだ。
それを転機に世の中は変わり始めた。
欺瞞隠蔽の器が解き放たれ次々に嘘があらわになった。
しかしながらマスメディアから末端の庶民に至るまで、全員が騙されていたような態を装った。
国民は「自分は騙されていない」と思い込んでいるか、隠蔽が明らかになったこと自体を嘘だと否定した。つまり日本人は例外なく、誰かを騙しそして誰かの嘘を信じ騙されたというのが妥当だろう。
しかしその「自分だけは騙されていない」という思い込みが、かえって自分を騙していたのだ。多分元首相も、自分が嘘つきだという認識は皆無であっただろう。つまりは自己欺瞞の天才であったということだ。しかしながら時にそう言う人間がリーダーシップを発揮する。その嘘はその人物が中身が空っぽのくだらない人間ほどうまくいく。
そもそもなぜ、人は長いものに巻かれるのか?巻かれたがる者さえいる。
その長大な嘘に惑わされ、騙され続けていかなければならないのか?いや騙されている呈を装うことが正解であると思い込んでいるのだろうか?
人間とは本来そういう生き物と云うわけか?
嘘をつくことがうまければそれは本当になる。騙されたことも
騙されて生き残ることで、それは正解の選択出合ったことになる。つまり嘘をついて生きることを学習したと言える。
しかしならば、前提として嘘は何故いけないものとされるのだ?嘘つきは万人に嫌われる。
であるのに日本人は嘘のうまいリーダーを好み、嘘だらけの社会でいきることを受け入れている。
嘘を信じるのは、信じている間は幸せだと信じられるからかもしれない。
つまりこういうことかもしれない。
真実なんてものはないのだから。
真実なんてものはどうでもいいのもだから。
真実なんて知りたくもなおものだから。
そこで問おう、
そんななか日本人は何を信じ、何のために生きるのか?
カズ抜き用AIが作ったような言葉の羅列。二進数から得られる最適解のゴーストライター達。よく適合した読書たちはまるで生身の人間ではなく、電脳保持者のように思惑通りに感情が揺さぶられ電算結果通りのドーパミン放出が目的のドラマに、アニメやラノベは現実から逃げ出したい者たちの転生モノばかり、死屍累々の墓標が見えない地平線に立ち並ぶ。それも己を見据えない人格障害的無意識が織り成すダイナミクスによる自動処理、つまり乖離はすこぶる理にかなった日本的理想欺瞞社会のガイドラインに応じた文化的アウトプットだ。
しかし日本のすべては本音と建前の二層構造で出来てことを忘れてはならない。
建前上の社会は和と云うマジックワードによりすべてが善に目眩ましされる。実相は問題のすり替え極論詭弁すべてを労したチックを呈するもしくは薄ら笑いを浮かべた相対主義者たちが、地上波テレビ各局でよくアンダーコントロールされた誤魔化しまやかしどっちもどっちのナンセンスコメントを垂れ流し、今日もバラエティー番組は目くらましのガス抜き芸人がジャイアンをオダて、のび太をイジり倒し見事なスネ夫ぷりを発揮するだろう。
権力者は自分の都合の良いように捜査機関を操り、有名タレントの違法薬物事件をネタにほどよい頻度で煙幕をはり、国庫から支出されたクールジャパン機構の構成創作された異世界ナロウ系を寝る間に見ては脳内転生して、汚職裏金世襲政治実現党の現実及びマトモな人間性をそぎ落としてドープ社会の中毒者としての一構成員であること忘れておしまおうとの努力を惜しまない。
アニメは転生物でなくとも、原作はスマホのガチャゲーかギャルゲー、電車やバスを列をなし待つ者たちはお互いに無視し合いながら、前かがみにスマホをもちゲームでガチャして現実から目を背けている。その者たちは現実の社会に一見適応しているように見えるが、引きこもりや変へらと何ら変わらない。引きこもりやメンヘラを見下しあざ笑いながら、そのガチャゲーにハマる社会人の列の者どもは、自らの真意を「本音」というラベリングされた真空パックに入れて、建て前の「勝ち組」という自己欺瞞に引きこもる。現実の社会は堕落し衰退していっているというのに。
―――そのまま日本社会は変らずに、一億総スネ夫社会を理想として成就するかに思えた。
しかし日本社会は突然変わり始める。
欺瞞と踏愛の象徴であった、長期政権を築いた元総理大臣が暗殺されたのだ。カルト宗教の被害者だった若者の大いなる恨みを買ったのだ。元総理大臣はカルト宗教を利用して権力を維持するために票を得ていたのだ。WinWinの関係を気づいて選挙協力を得て、カルト教団は国家権力からの庇護を受け非合法に目をつむってもらっていたのだった。
しかし自らを「森羅万象を司る」と称し、さながら神のような振る舞いの権力者も、すべての事象をアンダーコントロールできるわけがない。もしかすると一億の人々を自分の意のまま都合の良いように扱うつもりだったのかもしれないが、そんなことを人間が出来ると考えるならば精神病院の閉鎖病棟に隔離したほうが本人の為であろう。
ともかく後に国葬されることになるその元総理大臣は、イレギュラーな予定で選挙応援に行き、そこで待っていた山上徹也の恨みが凝縮された手製の散弾によって心臓を貫かれあっけなく死んだ。
それを転機に世の中は変わり始めた。
欺瞞隠蔽の器が解き放たれ次々に嘘があらわになった。
しかしながらマスメディアから末端の庶民に至るまで、全員が騙されていたような態を装った。
国民は「自分は騙されていない」と思い込んでいるか、隠蔽が明らかになったこと自体を嘘だと否定した。つまり日本人は例外なく、誰かを騙しそして誰かの嘘を信じ騙されたというのが妥当だろう。
しかしその「自分だけは騙されていない」という思い込みが、かえって自分を騙していたのだ。多分元首相も、自分が嘘つきだという認識は皆無であっただろう。つまりは自己欺瞞の天才であったということだ。しかしながら時にそう言う人間がリーダーシップを発揮する。その嘘はその人物が中身が空っぽのくだらない人間ほどうまくいく。
そもそもなぜ、人は長いものに巻かれるのか?巻かれたがる者さえいる。
その長大な嘘に惑わされ、騙され続けていかなければならないのか?いや騙されている呈を装うことが正解であると思い込んでいるのだろうか?
人間とは本来そういう生き物と云うわけか?
嘘をつくことがうまければそれは本当になる。騙されたことも
騙されて生き残ることで、それは正解の選択出合ったことになる。つまり嘘をついて生きることを学習したと言える。
しかしならば、前提として嘘は何故いけないものとされるのだ?嘘つきは万人に嫌われる。
であるのに日本人は嘘のうまいリーダーを好み、嘘だらけの社会でいきることを受け入れている。
嘘を信じるのは、信じている間は幸せだと信じられるからかもしれない。
つまりこういうことかもしれない。
真実なんてものはないのだから。
真実なんてものはどうでもいいのもだから。
真実なんて知りたくもなおものだから。
そこで問おう、
そんななか日本人は何を信じ、何のために生きるのか?
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