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マンションですごす二年目
素敵な旅行になりそうです
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「温泉に行きたい」
食後の温かい日本茶をいただきながらぼんやり、そしてのんびりとクマの部屋でくつろいでいると、ひゅるりひゅるりと私の口から言葉が流れ出た。春だけどまだかなり寒いので、温泉に行きたいなとふと思ったのだ。
流れ出た声は煙のように軽く、ふわりと部屋の中を流れていった。私は自分の声が漂うのを感じながら、かなり突飛なことを口走ってしまったなあと後悔した。
「温泉ですか?」
クマが不思議そうな顔でお盆を持って、のそのそと歩いてきた。お盆の上には可愛らしい小さな桜餅が二つ、豆皿に載っている。
「お茶だけじゃ物足りないかなあと思って出しちゃいました!」
確かになにか甘いのが欲しいと思っていた。でも、これは気の利かせ過ぎだろう。「冷凍食品なんで、解凍しただけなんですけどね」と言いつつも、クマはまるで褒めてもらうのを今か今かと待っている子どものような顔をしている。
クマの期待通りに動くのもつまらないなと思った私は、「ふーん、ありがとう」と素気なく言って桜餅を口にした。桜の葉の塩加減と中のあんこの甘さが丁度良く、そしてこれがまた温かいお茶にもぴったりだった。私が大満足でお茶を飲んでいると、クマが少し落ち込んでいるようにも見えたけれど見なかったことにした。
春になりクマも起きた。寒いとはいえ春の気配も強まってきているし、こんな日に桜餅はぴったりだなあと思う。本当にクマはいい仕事をしてくれた。まあ、それは言ってはあげないんだけど。私は心の中でふふふと笑った。
「温泉に行くんですか?」
桜餅を食べ終えて私が食後の眠気に襲われていると、クマがきらきらした無邪気な目で私を見つめながら言った。その話は終わったと決めつけていた私は、クマの発言により一気に頭が覚醒した。
「寒いし温泉に行きたいなーと、ふと思っただけ。行くなんてまだ決めてないわよ」
なるべく落ち着いた口調で否定したものの、どうして私は慌てかけていたのかしらと自分自身不思議だった。まあ、そんなの些細なことだ。私は気にしないことにした。
「じゃあ温泉に行って、それから……狩りをしませんか?」
「狩り……え?」
クマの提案に私の頭の情報処理能力は僅か二秒でオーバーヒートした。狩り。クマは確かに今そう言った。狩りの前がうまく聞き取れなかったけれど、狩りってはっきり言った。
そうか、こいつツキノワグマだから狩りをするのか。いや、クマって狩りをするのか? クマの狩猟本能ってなんだ? 何を狩るんだ? どんぐりか? このクマが狩り? 本当に? いやいや、このクマに似合うのはキノコか紅葉狩りぐらいだろう。
私がぐるぐると頭を回しているうちにクマが何かを言っていたけれど、一言も頭に入ってこなかった。クマの発言なんてこの際どうでもいい。そんなことより、私はこいつの狩りの誘いを断らなきゃいけないと思った。
「狩りはしません」
私がびしっと言い切ると、クマはがたんと音を立てて椅子から立ち上がり、「えー!」と悲痛な声を上げた。クマの叫び声の後を追うように、ばたーんと椅子が倒れる音が部屋中に響く。「絶対にしません」と、私が念押しするとクマが「そんなー」と言いながら、ぺたんと床に座り込んだ。
「当たり前でしょう、狩りだなんてそんな。あんた一体何を狩るつもりよ」
私が呆れた声をクマの頭上から振りかけると、クマが耳をぴょこんと立てて私を見上げた。あ、クマの顔を上から見るとこんな感じなんだ。いつもと少し違って見える顔が新鮮だった。
「あの、ゆり子さん。いちご狩りですよ?」
クマの発言を聞いてから、私はその言葉の意味を理解するのに五秒ほど時間を要した。そして理解してから顔が赤くなるのが自分でもわかった。狩りっていちごだったのか。私は思わず自分の唇を噛み締める。ああ、これはやってしまった。
「……いちご狩り。いいわよ、行きましょ」
私はそう言うのが精一杯だった。恥ずかしくて、もうこの場から今すぐに立ち去りたいけれど、私はなんとかその衝動を我慢した。
「本当ですか!? やったー! 美味しいいちごが食べられる畑と、お料理が美味しい旅館を知ってるんです。じゃあ一緒に行きましょー」
いつの間にか旅館がいちご狩りとセットになっていて驚いたけれど、今更もうストップをかける余力はなかった。いちご狩りの勘違いにより、既に私のメンタルは限界だったのだ。
私は一度深呼吸をして、自分を落ち着かせることにした。
「ねえ、旅館ってどんなところ?」
落ち着いてから私はクマに聞いてみた。だってせっかく行くなら気になるじゃない。
「ご飯がおいしいです!」
「それから?」
「温泉が最高です!」
「それから?」
「クマ専用のお部屋があります!」
「ん? なにそれ?」
ご飯が美味しいのは嬉しい。それから温泉が最高、これも嬉しい。私は温泉がメインだからこれは外せない。でも、クマ専用のお部屋って何?
「えっと、タヌキのご夫婦の旅館なんですが、タヌキ用だけじゃなくて、色んな動物専用の部屋があるんです。もちろん人間用もありますよ!」
「それは何が違うの?」
「お部屋の広さ、布団の大きさ、それから内風呂の大きさです!」
なるほど、動物の大きさによって部屋のサイズが違うのか。たぶん部屋に設置されているアメニティや浴衣のサイズも違うんだろうな。
「じゃあクマ用のお部屋が一番大きいの?」
「いいえ、ゾウさんのお部屋の方が大きいはずですよ」
ぱおーん、とゾウの鳴き声が頭の中に響き渡る。ゾウ。ゾウかあ。
「おばあちゃんが知り合いのゾウさんと泊まった時に、ゾウさんも広々過ごせたって言ってました。あ、キリンさんも泊まれるらしいですよ」
「あ……そうなんだ」
私にはそれしか言えなかった。キリンも泊まれるってことは天井が高いのかしら。どんな旅館よ。それはちょっと聞いたことないぞ。行けばきっと私の頭の中の旅館のイメージが根底から覆りそうな、そんな予感がした。
「そう言えば、おばあちゃんってどこに住んでいるの?」
クマにおばあちゃんがいるのは知っていたけれど、どこに住んでいるのかは聞いてなかった。それどころかクマの家族構成ってどうなっているんだろう。実は私はクマのこと全くわかってない。
「旅館からさらに山を三つ超えた所にある小さな町に住んでいます」
「へー、旅館から行けるの?」
「行けますよ! バスを三本ほど乗り継ぐ必要がありますが」
「じゃあ、いちご狩りして旅館でゆっくりして、いちご持って遊び行かない?」
「へ? いいんですか?」
ん? 私、今変なこと言ったかしら。思いつきでぽんぽん話してしまった私は自分が何を言ったか咄嗟に理解できていなかった。クマのきょとんとした顔を見て私は自分が誘った内容を思い返し、そして赤面しそうになりなんとか堪えた。
「やったー! 行きましょう!」
クマがあんまりにこにこしながら喜ぶので、私はびっくりした。
「なに、どうしてそんなに喜んでいるの?」
「実は、前からゆり子さんにおばあちゃんと会ってもらいたいなーなんて思ってたんです」
クマは少し顔を赤らめながら、へへへと笑った。なんだ、このクマ。どうして照れてるんだ。照れるクマを見ていると私の顔も熱くなってきた。
「じゃあ、決まりね。ちゃんとおばあちゃんにも伝えておいてね」
「はい!」
マンションでの生活も三年目になる。この一年も素敵な毎日になる、そんな気がして私は自然と笑みが溢れていた。
食後の温かい日本茶をいただきながらぼんやり、そしてのんびりとクマの部屋でくつろいでいると、ひゅるりひゅるりと私の口から言葉が流れ出た。春だけどまだかなり寒いので、温泉に行きたいなとふと思ったのだ。
流れ出た声は煙のように軽く、ふわりと部屋の中を流れていった。私は自分の声が漂うのを感じながら、かなり突飛なことを口走ってしまったなあと後悔した。
「温泉ですか?」
クマが不思議そうな顔でお盆を持って、のそのそと歩いてきた。お盆の上には可愛らしい小さな桜餅が二つ、豆皿に載っている。
「お茶だけじゃ物足りないかなあと思って出しちゃいました!」
確かになにか甘いのが欲しいと思っていた。でも、これは気の利かせ過ぎだろう。「冷凍食品なんで、解凍しただけなんですけどね」と言いつつも、クマはまるで褒めてもらうのを今か今かと待っている子どものような顔をしている。
クマの期待通りに動くのもつまらないなと思った私は、「ふーん、ありがとう」と素気なく言って桜餅を口にした。桜の葉の塩加減と中のあんこの甘さが丁度良く、そしてこれがまた温かいお茶にもぴったりだった。私が大満足でお茶を飲んでいると、クマが少し落ち込んでいるようにも見えたけれど見なかったことにした。
春になりクマも起きた。寒いとはいえ春の気配も強まってきているし、こんな日に桜餅はぴったりだなあと思う。本当にクマはいい仕事をしてくれた。まあ、それは言ってはあげないんだけど。私は心の中でふふふと笑った。
「温泉に行くんですか?」
桜餅を食べ終えて私が食後の眠気に襲われていると、クマがきらきらした無邪気な目で私を見つめながら言った。その話は終わったと決めつけていた私は、クマの発言により一気に頭が覚醒した。
「寒いし温泉に行きたいなーと、ふと思っただけ。行くなんてまだ決めてないわよ」
なるべく落ち着いた口調で否定したものの、どうして私は慌てかけていたのかしらと自分自身不思議だった。まあ、そんなの些細なことだ。私は気にしないことにした。
「じゃあ温泉に行って、それから……狩りをしませんか?」
「狩り……え?」
クマの提案に私の頭の情報処理能力は僅か二秒でオーバーヒートした。狩り。クマは確かに今そう言った。狩りの前がうまく聞き取れなかったけれど、狩りってはっきり言った。
そうか、こいつツキノワグマだから狩りをするのか。いや、クマって狩りをするのか? クマの狩猟本能ってなんだ? 何を狩るんだ? どんぐりか? このクマが狩り? 本当に? いやいや、このクマに似合うのはキノコか紅葉狩りぐらいだろう。
私がぐるぐると頭を回しているうちにクマが何かを言っていたけれど、一言も頭に入ってこなかった。クマの発言なんてこの際どうでもいい。そんなことより、私はこいつの狩りの誘いを断らなきゃいけないと思った。
「狩りはしません」
私がびしっと言い切ると、クマはがたんと音を立てて椅子から立ち上がり、「えー!」と悲痛な声を上げた。クマの叫び声の後を追うように、ばたーんと椅子が倒れる音が部屋中に響く。「絶対にしません」と、私が念押しするとクマが「そんなー」と言いながら、ぺたんと床に座り込んだ。
「当たり前でしょう、狩りだなんてそんな。あんた一体何を狩るつもりよ」
私が呆れた声をクマの頭上から振りかけると、クマが耳をぴょこんと立てて私を見上げた。あ、クマの顔を上から見るとこんな感じなんだ。いつもと少し違って見える顔が新鮮だった。
「あの、ゆり子さん。いちご狩りですよ?」
クマの発言を聞いてから、私はその言葉の意味を理解するのに五秒ほど時間を要した。そして理解してから顔が赤くなるのが自分でもわかった。狩りっていちごだったのか。私は思わず自分の唇を噛み締める。ああ、これはやってしまった。
「……いちご狩り。いいわよ、行きましょ」
私はそう言うのが精一杯だった。恥ずかしくて、もうこの場から今すぐに立ち去りたいけれど、私はなんとかその衝動を我慢した。
「本当ですか!? やったー! 美味しいいちごが食べられる畑と、お料理が美味しい旅館を知ってるんです。じゃあ一緒に行きましょー」
いつの間にか旅館がいちご狩りとセットになっていて驚いたけれど、今更もうストップをかける余力はなかった。いちご狩りの勘違いにより、既に私のメンタルは限界だったのだ。
私は一度深呼吸をして、自分を落ち着かせることにした。
「ねえ、旅館ってどんなところ?」
落ち着いてから私はクマに聞いてみた。だってせっかく行くなら気になるじゃない。
「ご飯がおいしいです!」
「それから?」
「温泉が最高です!」
「それから?」
「クマ専用のお部屋があります!」
「ん? なにそれ?」
ご飯が美味しいのは嬉しい。それから温泉が最高、これも嬉しい。私は温泉がメインだからこれは外せない。でも、クマ専用のお部屋って何?
「えっと、タヌキのご夫婦の旅館なんですが、タヌキ用だけじゃなくて、色んな動物専用の部屋があるんです。もちろん人間用もありますよ!」
「それは何が違うの?」
「お部屋の広さ、布団の大きさ、それから内風呂の大きさです!」
なるほど、動物の大きさによって部屋のサイズが違うのか。たぶん部屋に設置されているアメニティや浴衣のサイズも違うんだろうな。
「じゃあクマ用のお部屋が一番大きいの?」
「いいえ、ゾウさんのお部屋の方が大きいはずですよ」
ぱおーん、とゾウの鳴き声が頭の中に響き渡る。ゾウ。ゾウかあ。
「おばあちゃんが知り合いのゾウさんと泊まった時に、ゾウさんも広々過ごせたって言ってました。あ、キリンさんも泊まれるらしいですよ」
「あ……そうなんだ」
私にはそれしか言えなかった。キリンも泊まれるってことは天井が高いのかしら。どんな旅館よ。それはちょっと聞いたことないぞ。行けばきっと私の頭の中の旅館のイメージが根底から覆りそうな、そんな予感がした。
「そう言えば、おばあちゃんってどこに住んでいるの?」
クマにおばあちゃんがいるのは知っていたけれど、どこに住んでいるのかは聞いてなかった。それどころかクマの家族構成ってどうなっているんだろう。実は私はクマのこと全くわかってない。
「旅館からさらに山を三つ超えた所にある小さな町に住んでいます」
「へー、旅館から行けるの?」
「行けますよ! バスを三本ほど乗り継ぐ必要がありますが」
「じゃあ、いちご狩りして旅館でゆっくりして、いちご持って遊び行かない?」
「へ? いいんですか?」
ん? 私、今変なこと言ったかしら。思いつきでぽんぽん話してしまった私は自分が何を言ったか咄嗟に理解できていなかった。クマのきょとんとした顔を見て私は自分が誘った内容を思い返し、そして赤面しそうになりなんとか堪えた。
「やったー! 行きましょう!」
クマがあんまりにこにこしながら喜ぶので、私はびっくりした。
「なに、どうしてそんなに喜んでいるの?」
「実は、前からゆり子さんにおばあちゃんと会ってもらいたいなーなんて思ってたんです」
クマは少し顔を赤らめながら、へへへと笑った。なんだ、このクマ。どうして照れてるんだ。照れるクマを見ていると私の顔も熱くなってきた。
「じゃあ、決まりね。ちゃんとおばあちゃんにも伝えておいてね」
「はい!」
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