下の階にはツキノワグマが住んでいる

鞠目

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マンションですごす二年目

冬の海は寒い

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「広いですねー」
「そうね。海は広いわね」
「風がしょっぱいですね」
「そうね。塩っぽいにおいがするわね」
「寒いですねー」
「そうね。冬の海はやっぱり寒いわね」
 ざざーん、ざざーんと穏やかなリズムが流れる冬の砂浜で、缶コーヒー片手にクマと私は海を眺めている。缶コーヒーはもちろんホットのやつだ。
 気温の変化が激しい10月が過ぎて、11月になると急に冷え込んだ。自動販売機でコーヒーを買う時、「あったか~い」の文字に吸い寄せられる私の右手の人差し指を見て、冬の訪れを感じた。
 私はミルクたっぷりカフェオレを、クマは微糖の缶コーヒーを飲んでいる。缶コーヒーよりもドリップコーヒーが好きだけど、冬に外で飲む缶コーヒーは嫌いじゃない。あったか~いが手と体の中にほんわりと広がるのを感じる。

「海に行きませんか?」
 それは何の前触れもないお誘いだった。休みの日に、クマと一緒にマンションの前の花壇を片付けていた時だ。枯れた朝顔たちの片付けをしていると、クマが「あ!」といきなり叫んだのだ。
「海?」
「はい、海です」
「いいけど、どうして? 寒いわよ?」
 私は寒い海に行くのに少し抵抗を感じ、枯れた朝顔たちのツルを回収する手を止めた。クマはそんな私を見ても気する様子もなく、ニコニコしながら「冬眠する前に海が見たいなーと思ったんです!」と言った。
「……そう。じゃあ行こっか」
 私はクマの「やったー!」と叫ぶ声を聞きながら小さくため息をつき、それから空を見上げた。穏やかな冬のお昼時、空には畑のうねのような、もこもことした細長い雲が整列して並んでいた。
 ずるい。クマはずるいと思う。冬眠前に、なんて言われて断ることができるやつがどこにいるだろうか。最近私はクマが天然なのか、策士なのか判断がつけられないでいる。まあ、どちらでもいいのだけれど。
「その代わり、私の分のリースもちゃんと作ってよね」
「任せてください!」
 私は少しむっすりしながら言ったのに、再びクマの大きな声がマンションの前に響いた。
 回収した朝顔たちのツルは捨てるのではなく、綺麗に丸めてリースにするらしい。丸めて形を整えて、しっかり乾かしてからまつぼっくりやどんぐりといった秋の木の実を飾り付けると、かわいいリースになるらしい。
「うちの分と、おばあちゃんの分、それからゆり子さんとゆり子さんのお母さんの分がいりますねー」
 そんなことを言いながらクマが、ふふんふふん、と鼻歌を歌いながらツルを回収するのを見て、私の中にあった不満がしゅるしゅると音を立てて消えた。こいつ、やはり策士なのかもしれない。そんな考えが一瞬顔を見せたけれど、私にとってはどちらでもいいことなので、瞬く間に消えてしまった。

 ざざーん、ざざーん。
 砂浜にビニールシートを敷いて、私とクマは何かをするわけでもなく、ただただ海を眺めている。電車に小一時間ほど揺られてやってきた海。幸い天候に恵まれたけれど、お昼だというのにやはり寒い。
 でも、ただただ海を眺めるのもいいな、と改めて思った。何もしない、何も考えないでただただ波の音を聞いて海を眺める。実際にやってみるとすごく心が落ち着いた。来てよかったかもしれない。そんなことを思いながら、私はぬるくなってきたカフェオレを飲み干した。
 砂浜には、私たちの他には、砂の城を作って遊ぶ親子連れ、のんびりとおしゃべりしているゴールデンレトリバーのおじいさんとシベリアンハスキーのおばあさん、走り込みをしている学生と思われる子たち、いろんな様子がちらほらと見えた。誰もいないと思っていたけど、案外冬の砂浜にもみんな遊びに来るようだ。たしかに私もまた来てもいいなと思う。
「いいわね、冬の海も」
 ちょっぴり悔しいけれど、私は素直にクマに言った。悔しかったから顔は見ずに海を見ながら言った。すぐに「でしょー!」と、にこにこしながら言われるんだろうなと思ってその返事を待ったけれど、クマからの返事はない。おや? と思いクマを見ると、クマは気持ちよさそうにうつらうつらと居眠りをしていた。
「ちょっと、クマ。こんなところで寝ないでよ」
 私はもやっとしてクマの右肩を軽く叩く。もふっとゆるい音がしてから一拍開けて、クマが「はっ!」と言って目を開けた。このクマは本当にもう……私は少し呆れてしまった。
「すみません、穏やかな気持ちになったら眠たくなっちゃって」
「もう、風邪ひくわよ」
「すみませ……あっ!」
 クマは大きな声を出すとむくりと立ち上がり、波打ち際を見つめた。何事かと思い、クマの視線を追いかけると大きな大きなウミガメがいた。
「ウミガメさん、お久しぶりです!」
 クマはそう言うと、にこにこしながらウミガメのもとに駆け寄った。そんなクマを見て、ウミガメはとっても驚いた顔をしている。
「おお! クマじゃないか。久しいなあ。元気だったかあ?」
「はい、元気です!」
 どうやらウミガメは、クマの知り合いのようだ。それから少しお話しした後、ウミガメは海へ戻り、クマはそれを見送ると、すたこらとこちらへ戻ってきた。
「知り合いなの?」
「はい、ウミガメさんは世界中を旅する旅亀さんなんですが、前にもここでお会いしたことがあるんです。先週からこの砂浜で休んでいたそうなんですが、今からまた次の街に行くそうです」
 旅亀という言葉を初めて聞いたなあと思いながら「そうなんだ」、としか私は言えなかった。まだまだこの世界には私が知らないことがたくさんあるようだ。ウミガメは次はどこの街へ向かうのだろう。少し気になる。

「ゆり子さん、塩ラーメンを食べに行きませんか?」
 私がウミガメが去って行った方向を眺めていると、クマが誘ってきた。
「塩ラーメン? どうしてまた急に。別にいいわよ、温かいのが食べたくなってたところだから」
「やったー! さっきウミガメさんが教えてくれたんですよ、この近くの美味しいラーメン屋さんを。そこの塩ラーメンがとっても美味しいそうです」
 世界中を旅するウミガメがおすすめする塩ラーメン。それは絶対美味しいやつじゃないか! 一体どんなラーメンなんだろう。私の頭の中は一気にラーメンでいっぱいになった。
「行くわよ」
 私はすぐに立ち上がりおしりを軽く払い、それからビニールシートをたたみ始めた。こうしちゃいられない、早く食べに行かねば。
「え? もう行くんですか?」
 戸惑うクマをシートから下ろし、私はビニールシートをたたみ終える。そしてクマの持つ大きなショルダーバッグに押し込んでから、忘れ物がないか確認した。
「さ、行くわよ!」
「はい!」
 道案内のためにクマに先頭を歩かせながら、私たちは早歩きでラーメン屋に向かった。やっぱり今日は海に来て正解だったようだ。
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