下の階にはツキノワグマが住んでいる

鞠目

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はじめましての一年目

実家に行ってみる

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「どうして来ちゃったんだろう」
 本当にそれしか言いようがない。私はぼんやりと目の前の小さな一軒家を見つめた。子どもの頃を過ごした家。もう二度と来ることはないと思っていた家。
 家を出て何年になるだろう。あまり考えたくはない。最後に見てからかなりの時間が経っているというのに見た目は全く変わっていない。家も、そしてその周りの景色も。

 年末の大掃除をした時に実家の鍵が出てきた。ずっと見ていなかったので捨てたと思っていた。だから普段あまり使わない鞄のポケットの奥から出てきた時は本当に驚いた。
「鍵は不燃ゴミかしら……」
 そんな独り言を言いながらゴミ箱に捨てようとして踏みとどまった。今の私なら行けるような気がする。そう思った私は鍵をテーブルの上に置いた。そしてそのまま年が明けた。
 また今度、また今度の休みの日に行こう。そう先延ばしにしているうちに時は流れ気がつけば2月になっていた。このまま春を迎えようかとも思ったけれど考えた結果やめた。頭の端にクマの顔がチラついたから。
 行ってやろうじゃないの。そう思った私は今朝、覚悟を決めて家を出た。
 今の家から電車で2時間。これだけ移動時間があれば少しぐらい心に余裕ができると思っていた。でもその考えは甘かった。2時間の電車旅は知らぬ間に終わっていた。
 私はそわそわした気持ちのまま電車を降り、そのままここまで歩いて来た。そして今、実家に来てしまったことを若干後悔している。
 表札の名前も変わっていない。唯一変わったことと言えばベランダに干された洗濯物の量くらいだろう。私がいない分少なくなっている。

 インターホンを鳴らす。反応はない。もう一度鳴らす。やはり反応はない。留守みたいだ。少し悩んだけれど私は家に入ってみることにした。
 鍵を回す。私の緊張に反して鍵は難なく開いた。そっとドアを開けて玄関に入ると懐かしい光景が目に飛び込んできた。小さな下駄箱、壁にかかった時計。そうだ、こんな感じだった。
 廊下を進みリビングへ向かう。びっくりするぐらい家の中は何も変わっていなかった。家具の位置も匂いも。あの頃のまま。
 懐かしいと思った。そして懐かしいと思っている自分に驚いた。私にもこんな感情があったんだなあとしみじみ思う。
 家の中を見て周り、最後に私の部屋だったところに来た。思い切ってドアを開けてみる。
 私の部屋は私が家を出た時から時間が止まっていた。置いて行った本、筆記用具、勉強机にいたるまで全てがそのままだった。埃が溜まっていることもなく綺麗な私の部屋。思わず目が潤んだ。
 母は私が出て行った後もずっと綺麗にしていてくれたんだ。出て行ってもう何年も経っているというのに。私は母に嫌われていなかったんだと今更だけれど気がついた。
「また来よう」
 心の底からそう思った。思ったら言葉が溢れていた。涙が頬を伝うのを感じた。

 家にいたのは30分ほどだったと思う。
 満足した私は家を出た。そしてもう一度家の外観を眺めた。子どもの頃を過ごした家。もう二度と帰ることはないと思っていた家。でもこうしてまた帰ることができた家。勇気を出してよかったと思う。
「今度は電話をしてから帰ってこようかしら」
 ちょっと背伸びをして言ってみた。口に出したらできるようになる気がして。いつになるかはわからないけれど絶対にそうしようと思う。
 家を後にして少し歩いた時、背後で何かが落ちるような音がした。買い物袋が落ちるような大きな音。私は無意識に立ち止まっていた。そしてなんとなく察した。
「ゆり子なの?」
 やっぱりそうだ。この声。もう何年も経っているけれどやっぱり変わってない。私は一度深呼吸をすると思い切って振り返った。思った通り家の前に母が立っていた。
 母は変わっていなかった。いや、変わっていないと言えば嘘になる。少し老けていた。当たり前のことだけれど改めて時の流れを感じた。母のすぐ右側にはレジ袋が落ちていた。
「ただいま」
 頑張って笑って言おうとした。でもダメだった。ぼそぼそと情けない声が母との間に流れる。
「近くに来たからちょっと寄ってみたの」
 母は驚いた顔のまま私を見つめている。何かを言おうとしているみたいだ。でも口はわなわなしたままで母からの言葉はない。
「私は元気でやってるよ。今日はもう帰るけれどまた帰ってきてもいいかな?」
 少し笑いかけながら言えた。母に対する緊張がほんのちょっぴりほぐれたのを感じた。
「もちろん。またいらっしゃい。ここもあなたの家なんだから」
 母は一言一言噛み締めるように言った。家を出る時に見た怒った顔なんかじゃない。少し強張っているけれど優しさを感じる顔だった。
「ありがとう。そうだ、今度来た時お母さんの親子丼が食べたいんだけどだめかな?」
「親子丼?」
 私の突飛なお願いに母は不思議そうな顔をした。
「そう、お母さんの親子丼がなんだか食べたくなっちゃって」
「いいわよ。今度来る時は前もって連絡してちょうだい。ちゃんと用意しておくから」
 そう言う母の顔からは緊張の色は消え、優しい笑顔が溢れていた。
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