下の階にはツキノワグマが住んでいる

鞠目

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はじめましての一年目

雨の日の植物園

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 クマの後ろを歩き続けていると植物園が見えてきた。いつもなら親子連れやカップルが多い時間帯だが雨のせいか人があまりいなさそうだ。
「植物園に入りませんか?」
 クマがのっそり振り向いて聞いてきた。目がキラキラしている。きっと植物園に行きたくて行きたくて仕方がないのだろう。
「いいわよ」
 私が「よ」の文字を言い切る前にクマは嬉しそうな顔をした。そしてすぐにどたどたと植物園に向かって一直線で走っていった。もちろん二足歩行で。

 私がゆっくり歩いて植物園に到着するとクマがチケットを二枚買って待っていてくれた。一枚は人間の大人用。もう一枚はクマの大人用。私の分のチケット代を払おうとするとクマは首を横にぶんぶんと振った。
「今日は私の奢りです」
 きっとウインクしようとしたのだろう。クマは両目でぱちりとまばたきした。
「ありがとう」
 素直にお礼を言うとクマは嬉しそうな顔をした。やっぱりウインクに失敗したことに気付いていないんだろうな。クマは再び両目で瞬きした後、何故か得意げな顔をした。そんなクマが可愛らしくて私は思わず笑ってしまった。
「なんでもない。行きましょう」
 クマが不思議そうな顔で私を見たけれど、ウインクのことは教えてあげないことにした。

 雨の日の植物園は人が少なくて静かだった。植物園の中には白い絵の具を水で薄めたようなぼんやりした景色が広がっていた。クマと私はふらふらと気ままに薄ぼけた植物園の中を歩く。
 相変わらず雨はざーざー降っている。傘から伝わる振動がなんとも心地よい。
「ゆり子さん、見てください!」
 クマが突然通路脇の水路に駆け寄った。見ると幅1メートルほどの石で作られた水路を水が勢いよく流れている。
「雨で水が増えてるわね」
「すごいですね。あ、ほら!」
 クマが嬉しそうに指をさす先を見るとかわいらしい小さな緑の葉っぱが二枚流れてくるのが見えた。
「葉っぱが競争しているみたいでかわいくないですか?」
「たしかに競走しているみたいね。でもそれにしても水がたくさん流れているわね。笹舟を流したらすぐに転覆しちゃいそう」
「ささふね? なんですかそれ?」
「笹舟よ笹舟。知らないの?」
「はい、初めて聞きました。舟ですか?」
「そう、笹の葉を折って作るかわいい舟のことよ。今度笹の葉があったら教えてあげるわ」
「本当ですか! やったー! 楽しみが増えました」
 嬉しそうに笑うクマの顔を見てなんだか私も嬉しくなった。

 名前の知らない広葉樹の木々の下を通り抜け、私たちは小さな池のある広場に入った。するとクマは少し小走りで池の横の屋根のあるベンチに座った。
「さ! ゆり子さんも!」
 私は促されるままにクマの横に座った。広場の周りには私たち以外誰もおらず、屋根に当たる雨の音しか聞こえない。しとしとと静かな音が私たちを包む。
「静かね」
「……そうですね」
 目を閉じて雨の音に身を委ねていると隣でもそもそと動く気配がした。気になって見てみるとクマがそわそわしている。顔もなんだかうずうずしているように見える。
「どうしたの?」
「もうちょっとなんです」
 クマは相変わらずすごくそわそわしている。
「なにかあるの?」
「えーっと、あ! 始まりますよ!」
「始まる?」
 クマが嬉しそうに池を見つめるのでつられて池の方を見た。すると池を囲む石の上に一匹のアマガエルがいた。カエルはきっちりと燕尾服を着ている。
「本日は、お足元の悪い中お越しくださり誠にありがとうございます」
 カエルはそう言うと礼儀正しくお辞儀をした。何か始まるみたい。隣を見るとクマが嬉しそうにぱちぱちと手を叩いている。
「これまでの練習の成果を発揮し、皆様の心に響く音色を目指したいと思います。短い時間ではございますが最後までごゆっくりお楽しみください」
 燕尾服を着たカエルが言い終えると同時に、池の中から白シャツを着たたくさんのカエルが出てきた。そして彼らは池を囲むように石の上に一匹ずつ並んだ。燕尾服を着たカエルは白シャツのカエルが並び終えるのを確認すると両手を上げた。
 池の周りの空気がしんと静まり返る。雨の音すら聞こえなくなった。
 数秒の静寂の後、燕尾服のカエルがゆっくりと指揮を始めるとカエルたちの合唱が始まった。カエルたちの歌は聞いたことのない優しい歌だった。聞いていて心がぽかぽかとする優しい歌。雨の音と合わさってとても心地よい。私とクマは静かに合唱を楽しんだ。
「ね、来てよかったでしょう?」
 クマが小さな声で話しかけてきた。横目で見るとクマはとっても楽しそうだ。
「そうね。本当に来てよかった」
 雨の日の散歩も悪くない。たまにはこんな散歩もいいな。私は心の中で「ありがとう」とクマに言った。直接言うのは少し照れ臭くて。
「どういたしまして」
 隣でクマが囁いた気がした。

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