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第八章
無音の横断歩道
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後日、たまたま火事のあったアパートの前を通ったとき、かすかな煙のにおいがした。
修哉がふと目を向けると、アパートの敷地に入るアーチの下にもやのような影がふたつ並んでいるのが視えた。
淡い灰色の影はどこに顔を向けているのかもはっきりしないのだが、しっかりと手を繋いでいた。
小さい影が風に吹かれて姿が揺らぐ。大きい影も空気の流れに逆らえず、ぼやけて消えかける。
修哉は、父親のほうと思われる、大人の大きさの影が消える間際に、深くお辞儀をするように前に身体を倒すのを視たような気がした。
「アカネさん、視ました?」
アカネはアパートの出入り口を眺めていたが、興味なさそうに目線を逸らした。
「だから、前にも言ったでしょ? あたし、あのふたり見えないのよ」
「そうですか」
アカネがふくれっ面を作って、あからさまに不平を言い放つ。
「まったく迷惑なもんよね。やってほしいことはちゃんと伝えてくれなきゃわかんないわよ。最初から告げといてくれたら、あんな面倒にならずにすんだのに」
「まあ、今さら言ってもしかたないですよ」
そんなのは、あの家庭が壊れてしまった時点でわかっていたことだ。家族であっても、心の中が見抜けるわけじゃない。それぞれが別々の人間だ。察してもらおうとしてもわかるわけがない。
大切なことは、きちんと口に出さなければ伝わらない。だが彼らに言ってももう遅い。だから、声に出さずに内心にしまう。
歩く先の十字路は、歩行者用の信号が赤になっていた。立ち止まり、待っているあいだに思いついたことがあった。
スマートフォンをポケットから取り出す。
ブラウザに表示されているのは、アカネが見せてくれたSNSのプロフィールページだった。
「なあに? なにをするの?」
アカネが覗き込むのを気にせずに、リプライ欄に入力する。
彼女のアカウントのフォローとフォロワー数はゼロだ。ただ愚痴をどこかに吐き出したくて登録しただけだから。だれかに反応してもらいたかったわけじゃない。アカネはそう言った。
社会人になってから家を出て、ひとり暮らししてたの。遅くに帰ってきて、誰とも話をしないでいると滅入るのよ。なんか自分だけ取り残された感じ。
せめて見えるかたちで感情を表に出さないと、ひととしてだめになってしまう気がする。回りは大半が人生のステージを上がってしまった。うまくいかない。ずっとひとりでいるのはもういや。
そんな叫びが画面のなかに残っている。
もはやだれが見るともわからない。このつぶやきはもうだれも見ないかもしれない。
そんな彼女があのとき、あの場所で、自らの正義を貫いて動いてくれた。
画面上で指を滑らせ、フリック入力を続ける。
あなたが助けてくれたおかげで、無事な日々を送っています。
感謝しています。
書き込んだ文章の下にある、送信ボタンに指を置く。
「ねえ、それなんの意味があるの?」
嫌みではなく、単に純粋な疑問として不思議そうに訊ねてくる。
「んー、けじめ、ですかね。十年間の」
ふうん、とアカネはわかっているのかいないのかわからない生返事をした。
ちらりと目を落とす。更新されたページに、自分のコメントが反映されている。そして、画面表示をオフにする。
歩行者用の信号が青に変わった。
なにもなかったかのように、ジーンズの後ろポケットにスマートフォンをしまう。
修哉は、無音の横断歩道へと一歩を踏み出した。
了
修哉がふと目を向けると、アパートの敷地に入るアーチの下にもやのような影がふたつ並んでいるのが視えた。
淡い灰色の影はどこに顔を向けているのかもはっきりしないのだが、しっかりと手を繋いでいた。
小さい影が風に吹かれて姿が揺らぐ。大きい影も空気の流れに逆らえず、ぼやけて消えかける。
修哉は、父親のほうと思われる、大人の大きさの影が消える間際に、深くお辞儀をするように前に身体を倒すのを視たような気がした。
「アカネさん、視ました?」
アカネはアパートの出入り口を眺めていたが、興味なさそうに目線を逸らした。
「だから、前にも言ったでしょ? あたし、あのふたり見えないのよ」
「そうですか」
アカネがふくれっ面を作って、あからさまに不平を言い放つ。
「まったく迷惑なもんよね。やってほしいことはちゃんと伝えてくれなきゃわかんないわよ。最初から告げといてくれたら、あんな面倒にならずにすんだのに」
「まあ、今さら言ってもしかたないですよ」
そんなのは、あの家庭が壊れてしまった時点でわかっていたことだ。家族であっても、心の中が見抜けるわけじゃない。それぞれが別々の人間だ。察してもらおうとしてもわかるわけがない。
大切なことは、きちんと口に出さなければ伝わらない。だが彼らに言ってももう遅い。だから、声に出さずに内心にしまう。
歩く先の十字路は、歩行者用の信号が赤になっていた。立ち止まり、待っているあいだに思いついたことがあった。
スマートフォンをポケットから取り出す。
ブラウザに表示されているのは、アカネが見せてくれたSNSのプロフィールページだった。
「なあに? なにをするの?」
アカネが覗き込むのを気にせずに、リプライ欄に入力する。
彼女のアカウントのフォローとフォロワー数はゼロだ。ただ愚痴をどこかに吐き出したくて登録しただけだから。だれかに反応してもらいたかったわけじゃない。アカネはそう言った。
社会人になってから家を出て、ひとり暮らししてたの。遅くに帰ってきて、誰とも話をしないでいると滅入るのよ。なんか自分だけ取り残された感じ。
せめて見えるかたちで感情を表に出さないと、ひととしてだめになってしまう気がする。回りは大半が人生のステージを上がってしまった。うまくいかない。ずっとひとりでいるのはもういや。
そんな叫びが画面のなかに残っている。
もはやだれが見るともわからない。このつぶやきはもうだれも見ないかもしれない。
そんな彼女があのとき、あの場所で、自らの正義を貫いて動いてくれた。
画面上で指を滑らせ、フリック入力を続ける。
あなたが助けてくれたおかげで、無事な日々を送っています。
感謝しています。
書き込んだ文章の下にある、送信ボタンに指を置く。
「ねえ、それなんの意味があるの?」
嫌みではなく、単に純粋な疑問として不思議そうに訊ねてくる。
「んー、けじめ、ですかね。十年間の」
ふうん、とアカネはわかっているのかいないのかわからない生返事をした。
ちらりと目を落とす。更新されたページに、自分のコメントが反映されている。そして、画面表示をオフにする。
歩行者用の信号が青に変わった。
なにもなかったかのように、ジーンズの後ろポケットにスマートフォンをしまう。
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了
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