ナイトステップ

内田ユライ

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第三章

白いクラゲと赤い金魚

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 国際客船のターミナル内にある、イベントが開催されているホールは正面がガラス製のウォールとなっていて海が見えた。

 木製の船をイメージしてデザインされているのかウッドデッキの床張りとなっており、採光もよいので開放感のある空間となっている。
 外に繋がる通路は野外イベントが出来る広場を兼ねていて、キッチンカーが何台かとめられ、客が数名並ぶ列ができているのが見えた。

 イベント広場を下層として、囲むようにすり鉢状の階段となっている。床と同じ木製で仕上げられているため、ベンチとしても腰掛けられる。座って、のんびりと飲食をする人の姿が数組いる。

 会場内に入ると長机が島型に並んでいた。ひとつのディーラーが半分を使用する形式で区切られているようだった。オリジナルのデザインの彫金、ロストワックスの鋳造作品、バーナーワークで作成されたガラス造形品と言った名称が並ぶ。作家ものだけでなく、海外から輸入したアクセサリーのパーツや様々な素材も販売されていた。

 梶山は「なんか年齢層高めな、高級志向のコミケみたいだ」と称したが、言いたいことは分からなくもない。

 個性が強い趣味人、身なりの良い年配者、子育ての終わった世代の者と言った数人のグループや個人が、テーブルの上を眺めながら通路に沿って回遊している。
 男性よりは女性の率が高い。ベビーカーを押す母親の姿も見かける。表情を輝かせながら作品を見ているのが印象的だった。

 その中を見回しつつ、目的のテーブル番号を探して進む。アカネもめまぐるしく周囲を見回している。

 目の端でちらちら動き回り、へえーすごーい、きれーい、などと感嘆している声が聞こえる。身につけられるわけでもないので、手に入れたい、欲しいといった欲は起こらないらしい。だが興味があって、惹かれているのはわかる。彼女がこういうものを好むとは知らなかった。

 梶山はチケットの数字と卓番を確認しながら歩いている。それらしい相手を見つけたらしく、隣にいた歩調が早くなった。

 あのひとだ、と親指で示す。想像していた婦人像とはずいぶん違っていた。品良く、大人しいイメージは、相手を認めるなり大きく覆った。

 金色に染めた明るく長い髪は波を描き、はっきりとした顔立ちを更に際立たせる化粧を施している。聞いていた年齢よりはかなり若い出で立ちに見える。対人の仕事を現役でこなしていれば、こんなふうでいられるのか、と感心した。

 ほうれい線こそ深いが、細めの体型に似合う明るい色のアウターとジーンズ、背筋を伸ばし、底の高い靴を履いて、溌剌とした生気を放つ。気軽におばちゃんとでも呼んだりしたら、笑いながら思わぬ反論を食らいそうな気がした。

 隣に並んで立つ、長身で化粧っ気のない黒髪の女性は、アカネより一回りくらい年上くらいだろうか。この人のほうが、須藤夫人より落ち着いた雰囲気があって作家らしく見える。
 どことなくふたりの顔が似ている気がする。母娘――にしては歳が近いから親戚かな、と考えた。

「あんまり変わってないな」と梶山が言う。

 十年前からあんな感じなのか、と衝撃を受けた。自分の身の回りにいないタイプだ。

 テーブルの上には、わずかに傾斜がつけられた板が置かれ、黒いベルベットの布が掛けられている。三センチほどの俵型のガラス玉が、個装の箱に収められ、いくつも並ぶ。女性側にはアクセサリーにしつらえた品がいくつか、見栄え良くきれいに陳列されている。

 梶山が相手に頭を下げて近づいていく。口を開く間もなく、相手が梶山を認めたとたん破顔し、歓待の声量を上げた。

「あらまあ!」

 声に驚いた周囲が振り返る。横の女性が「おねえさん……」と控えめに袖を引っ張る。
 回りの目に気づいたのか口を押さえ、すみませんすみません、と小声で言いながら誰ともなく頭を下げた。

「ごめんなさいねぇ」
 元気な笑顔で須藤夫人が言う。

「シンくんのお兄ちゃんよね、本当に立派になって。見違えちゃったじゃない。当時の写真を見返して思い出してたんだけど、ちゃんと面影残ってるものだわね」
 で、こちらがお友だち? と弾丸状態で話が飛んでくる。

「碓氷です。よろしくお願いします」
「はじめまして、私、須藤と申します」

 頭を下げ、隣の女性に「じゃ、ちょっと出てくるね」と言い置いて、バッグを取り上げる。
「あっちのロビーに喫茶店があるから、そこでいいかしら」
「あ、はい」

 梶山と修哉が頷くのを確認すると、先に歩き出す。その後をふたりで追う。

「お時間いただいてすみません。お一人残して、外出ちゃっても大丈夫なんですか?」
「目当てのある人は初日に来てるから……。午前中は比較的、人が回ってくるけど午後はね、購入と言うよりは観に来るのを目的にしてるのが多いの。今日はだいぶ客足ものんびりしてるんですよ」

「さっき、いっしょにいた方は――」
「ああ、あれ? 息子の嫁」
 振り返った横顔には、明るい笑顔があった。

「ふたりの息子のうち、次男のお嫁さんなんですけどね。元は教室の生徒さんだったんだけど、最近は私よりずっと腕の良い作品出してるの。本当に筋がよくて。だいぶ前から一緒に活動してるんです」

 通路を歩きながら、響く発声でしゃべる。

「よさそうなものを作り溜めてね、はじめてのお客さんとも直接お話できるのが出展のいいところね。この雰囲気は楽しくて忘れられないものだから」

 来訪者のほうが多く、ホールに向かう人波を避けつつ歩く。
 国際客船ターミナル内は空いていた。喫茶店は混み合っていたが、ちょうどまとまった人数が会計をはじめ、すぐに席につくことができた。

 大きな窓の横にいくつか四人がけのテーブルが整然と並んでおり、一カ所が空いていた。須藤夫人と対面の位置に梶山が陣取り、その左隣に修哉が座った。なんでもどうぞ、と須藤夫人に言われ、梶山はオレンジシュース、修哉はアイスコーヒーを頼んだ。

「それで? どんなご用件かしら」

 それぞれの飲み物がテーブルに届いて、一口つけてから須藤婦人が切り出した。
 喫茶店は観葉植物で仕切られており、遮る壁がなく、片側は窓で船が往来する海と明るい日差しが一面に広がる。

「それが……その」

 修哉が先に飛び出すかたちで話しはじめてしまったが、先を考えてなかった。助けを求めて梶山に視線を送る。
 ちらりと梶山が修哉を見た。眼鏡の奥の切れ長の目に、呆れた色が浮かんだ。

「実はこいつがですね、前に拾ったものがあるんです」

 早く出せ、と仕草で急かされ、慌てて修哉がバックパックのファスナーを開いて取り出す。和哉から受け取ったままのビニール小袋。中にちぎれかけたストラップと黄色のビーズ、欠けたガラスの細工玉が入っている。

 テーブルの上に置こうとしたら、梶山が横から取り上げて須藤夫人に渡してしまった。

「これなんですけど、見覚えありませんか」

 受け取った須藤夫人の顔が、見る間に変わっていった。目を見張り、信じられないものを見た表情を浮かべる。

「これ……、どこにあったの?」
「ずいぶん前ですけど、近所の川で拾いました」
「なんでそんなところに――」

 須藤侑永の住んでいた場所と河川の距離はさほど離れていない。通っていた小学校からは、ほんの数百メートルの距離にある。しかし川幅が広く、水量もあるから、一度落としたものを再び探し当てるのはまず不可能だと思う。

 梶山が、修哉の言葉を引き継いで話し始める。

「このストラップ、編み紐とビーズ、それと……このクラゲの下部に見覚えがあるんです。昔、見せてもらったことがあるんですよ。侑永が持ってたのと同じだと思うんです」

 須藤夫人は透明な袋を持ち上げ、目の前でまじまじと確認している。眺める両目が潤んで、目の周りと鼻がわずかに赤くなった。

「たしかにこれ、私があげたものですね」

 小さく洟をすすりあげる。目の端を手でぬぐう。須藤夫人は「これ」と蛍光の黄色いビーズを指さした。

「ウランガラスっていうんですよ。最近は手軽にロッド……自分で扱
えるガラス棒も手に入るようになってきましたけど、まだそうでもなかった頃に私が取り寄せた物でね、紫外線が当たるとちょっと不思議な感じに蛍光色を帯びて光るから、面白いと思ってパーツとして使ってた時期があったんです」

 侑永が気に入ったのよね、と小さく笑う。

「うちに遊びに来たときに、欲しがったトンボ玉といっしょに組んであげたんだけど、千加さん……侑永のお母さんがこう言うの、好きじゃなかったから」
「そうなんですか」

 相槌を打つ梶山に、須藤夫人は頷いた。すこし遠い目をして、あのひとはね、自分以外の人が楽しそうなのがつらかったみたい、と言葉を選んだ。

「そもそも響きがよくないでしょ、ウランガラスなんて。放射線が出てるのは事実だから、本当は渡したくなかったんだけどね。でも侑永は絶対欲しい、ランドセルにつけとくなら大丈夫でしょって言い張るから……放射線と言ってもほんの微々たるもので、人に影響を与えるものでもないから本当は気にすることでもないんだけど、千加さんは嫌がるだろうと思って」

 手に持っていたビニール袋をテーブルに戻す。

「もしかしたら、昔に千加さんが川に流したのかもしれないわね……想像でしかないけど、でも」

 少し声を潜め、
「もう確かめようがないものね」
 と須藤夫人は泣き笑いのような表情を浮かべた。

「それは……どういう意味ですか」

 やだ、と婦人が口を押さえる。
「よけいなことを言いましたね、私」

「あの、ご迷惑でなければ教えてもらえませんか。差し支えなければですけど。ついこのあいだ、こいつにたまたまこれを見せてもらって、十年経って子どものころを思い出して、僕ら、忘れてかけていたのが申し訳なくて」

 梶山の一押しに、修哉は身構えていた。
 口が上手いとはよく言ったものだ。いつのまにか壊れたストラップは須藤家の母親が捨てたことになり、梶山は話を合わせている。

「若い人たちは、明るい顔をしているほうがいいんですよ」
 須藤夫人は唐突にそう言った。「できるかぎり、暗い話題には縁がない世の中がいいんです」と続けた。

 一呼吸置いて、須藤夫人が告げる。
「千加さんは……侑永の母は、昨年に亡くなりました」

「――え?」
「急なことだったんですよ」
 須藤夫人は急にしゃんと背を伸ばして、固い口調になった。「務からの知らせで知りました。本当に寝耳に水で……まだ若いのに」

「ツトムさんって、侑永のお兄さんですよね」

 梶山の問いに、ええ、と婦人は答えた。
「あの子は千加さんと暮らしていましたからね。ふたりとも生活に口出しして欲しくない雰囲気があったので、最近は年賀状を交わすていどでしたけど、務は元気にしてるようでしたから安心してました。でも今年は喪中はがきが返ってきたんですよ。慌てて電話をかけたんです。そうしたら務が出て、どうしてるか尋ねたら、すでに務は千加さんの葬式を終えたと言ってきたので驚きました」

 ようやく落ち着いたと思ったら、あの子は家族全員を失ってたなんて、とこぼし、痩せてすこし皮膚のたるんだ腕の筋肉に、力がこもるのが分かった。両手が固く握られている。うつむいたまま、感情が溢れ出てこないように耐えているように見えた。

「せめてよければうちにおいでとも言ったんですけどね。断られてしまって。もう立派な大人だから、無理強いもできないし」

 兄は侑永とは歳が離れていて、当時すでに中学生だったと聞いた。今は二十代半ばを越えているはずだ。今さら親戚の家に身を寄せるほど、独立できない歳でもない。身の振り方は自分で考えたほうがよほど気が楽に違いない。

「もう務には、私たちが親族であるように思えないのかもしれませんね。千加さんはこちらの接触を避けていましたし、務ともなかなか顔を合わせる機会がないんです」

 そう言ってバッグからハンドタオルを取り出し、目と鼻を拭いた。年相応に目尻の下がった眼が、寂しげに窓の先にある海と街並みを眺める。

「ごめんなさいね、ちょっと昔を思い出してしまって」

 どうすればいいかわからず、神妙な顔で見守るしかなかった。

「あの……」
 梶山が須藤夫人の反応を窺う居ずまいになる。

「実は俺の弟がずっと借りっぱなしだったものがあるんです。あんなことがあって、会う機会もないまま須藤さんが転居されてしまって……もう十年も経ってるし、今さらとも思ったんですけど、こんな機会もないだろうから持参しました」

 言いながら、ショルダーバックのなかを探る。一センチの厚みもない、A4サイズほどの紙袋を取り出す。

「ぜひお返ししたいんですけど」
「これは……?」
「本です。侑永くんのか、お兄さんの物なのかはわかりませんが」
「そう……」

 須藤夫人はなにか考えている。畳みかけようと梶山が口を開きかけたそのとき、婦人が言った。

「あの、これ私がお預かりするのではなくて、あなたたちのほうから返してもらうようにお願いしてもいいかしら」

 こうなったら話を合わせるしかない。目の端に見える梶山に合わせて、軽くうなずく。

「――はい。べつにかまいませんが、どうしてですか」
「出来ればその本、あなたから務に返してあげて欲しいんですよ。たぶん、私が送っても、あの子、開けずに捨ててしまうか……よくてどこかに保管するだけになってしまいそうですから」

「え……?」

 須藤夫人の言葉に、梶山と修哉はちら、とお互いの顔を見合った。梶山の顔に、思い通りに進んだ、という期待と、どういう意味だろう、という疑問があった。同じものを、きっと梶山も修哉の顔に見たに違いない。

「手紙を何度か出しているんですけどね、なんの反応も連絡もなくて……ひとり暮らしになって、おそらく郵便物などろくに確認してないんじゃないかと思うんですよ。私からだと送ってもせっかくのお気持ちが無駄になるかもしれないと思うと申し訳なくて。あなた方から郵送されたものなら、もしかしたら昔馴染みのお友だちの名前で中を見てくれるかもしれないから」

 須藤夫人は弱々しく、小さな息を吐く。

「気にしてはいるんですけどね。何度か家に行っても、入れ違いになってしまってるみたいで会えずじまいなので」

 言外に避けられてるみたいだ、という響きが滲む。

「今日のことも、いい切っ掛けになるかもしれないと思ったんですよ。お手を煩わせてしまうけれど、どうかお願いしたいんです」

 丁寧に頭を下げられる。梶山はすこし前のめりになって答えた。
「僕は全然手間じゃないです。ひさしぶりですし、こちらからも手紙を添えて出しますよ」

 梶山の返事に、ありがとうございます、と婦人はさらに深く頭を下げた。
「住所は――」

 バッグから手帳を取り出す。めくって、記載してある文字を目で追っている。手帳の裏表紙に挟んであった大きめの付箋紙に、黒インクのペンで書き連ねていく。

 きれいな字だった。

「連絡先はここです。あと……」
 須藤夫人はテーブルの上に置いてあった、ビーズ入りのビニール袋を取り上げた。

「これ、直す時間をちょっともらってもいいかしら」
「え……? ええ、はい」
「一時間くらいあれば体裁を整えられますから、時間を潰していてもらえますか。いっしょに同封してもらえると助かります」

 あと送料を、と財布を取り出そうとするので、梶山と修哉は慌てた。いいです、大丈夫です、と固辞する。

 それじゃ後ほど、と言ってストラップの入ったビニール袋を持ち、テーブルに置かれてあった伝票を取り上げると須藤夫人は急ぎ足でイベント会場へと戻っていった。

 完全に姿が見えなくなるのを待って、修哉は梶山に尋ねた。

「その本が、奥の手ってか」
「まあね」

「誰のだよ、それ」
「シンのやつが、家で遊んでるときに侑永とよく読んでたって言ってたんだ」
「……どんな本だよ」
「正確には雑誌だな。親父の本棚から持ち出して来たんだ。中を確認されたらどう説明しようかと思ってたんだけど」

「なんだよ、いかがわしいもんじゃないだろうな」
「そんなわけねえだろ」

 紙袋から取り出して、表紙を見せる。鉄道旅行の文字と、赤い電車の先頭写真が目に入った。

「侑永はな、乗り物が好きだったんだってさ」
「へえ」
「親が共働きで家にいないし、あまり仲も良くなかったらしいから旅行にも出かけたことがなかったらしい。こういうのに興味があっても、手に取る機会もなかったんじゃないかな」

 ま、あんまりよくわからないけど、と梶山はもとどおりに雑誌をしまい込んだ。

「今回さ、コレを持ち出すときに親に聞いたんだ。そしたら、思い出したらしくて教えてくれたんだよ。侑永は見てもいいかってちゃんと許可を得てからシンの部屋に持ち込んだらしい。あんまり熱心に見てるから、うちの親が一冊あげるって言ったんだ。すごく嬉しそうにするんだけど、やっぱりいいって言うから理由を聞いたら、持って帰っても捨てられちゃうからって言ったらしいんだよ。なんかずいぶん放置っ子っぽいのに、過保護な親だなって思ったのを覚えてた」

 修哉は、須藤夫人の言葉を思い出していた。あのひとはね、自分以外の人が楽しそうなのがつらかったみたい、と言葉を選んだ。

 自分の思惑以外は許さない。そんな印象を受けた。

 それは、自分も回りの家族も息苦しくて、生きづらいんじゃないだろうか。あの家族、死んだ父親、侑永、そして生き残った兄の務。
 母親はなんで死んだんだろう。母親が死んで、やっと家族のしがらみから解放されたのかもしれない――と考えて、修哉はテーブルの上の飲み物へと目と向けた。

 氷が溶けかけて、上の方が薄まっている。
 なんだか、厭な感じだ。

 泥の色の濁流に流される感覚が思い出されて、背筋が寒くなる。

「小姑と嫁の関係って、うまくいかないものなのかしらね」
 アカネが耳元でそう囁くのを聞いた。

「須藤さん、いっしょに売り子やってた人とは仲良くやってるけど、侑永の母親とはうまくいかなかったのって、なんでだろうな」

 修哉は覗き込むアカネを飛び越して、梶山に訊ねた。

 一瞬、質問の意図をとらえられない顔で間が空いたが、梶山はすぐに口を開いた。
「それは……姉弟の嫁関係と実子の嫁じゃ年齢的に互いの対応も変わるだろうし、あとは相性じゃねえか? 世の中にはどんないい人でも、性格合わないのがいるもんだろ」

「そりゃそうだよな」
 親ですら、時折疎ましく思う時期もある。親族内でも酷けりゃ最悪の結末で警察沙汰、なんて話もニュースで聞く。

 親族というかたちで寄せ集まったとはいえ、もとは血の繋がらない他人同士、だれかが一方的に相性最悪だとすれば、どう対処しても無理かもしれない。
 まあそうなんだろうな、自分の友人関係をとってもそうだ。しかも婚姻で繋がった縁は、こじれればよけいに難しそうだ。

 無意識に眉根が寄って、顔が曇る。
「うまく合わせて、仲良くやっているように見えるだけなのかな。内心はどうなんだろうなあ」
「本当にダメなら、いっしょに行動したりしないだろ」

 梶山はすこし考えて「押しの強いのと、受け入れを許す大人しいタイプはわりと相性良さそうだよな。たぶんだけど、我先に立つタイプがふたりいて、両方が空気読めないとぶつかり合ってダメそうだ」と言った。

 友人ならまだ選べる。しかし、アルバイト先の先輩や店長といった上に立つ者だとすると厄介だ。それでも本当に耐えられないのなら、他人であれば仕事を辞めて距離を取るのも可能だ。

 血が繋がる家族ともなると、法も絡んで完全に縁を切るのはなかなかに難しい。
 他人が家族となり、親族となって人生の中途から参加する。友人以上の関係を構築する努力は、双方に理解がなければ大変なんだろう。たぶん。

「そう考えると、結婚ってのは知らん血縁関係と運試しをするようなもんだよなあ」

 メンドクセ、と梶山が軽く言い放つ。「人生の墓場なんて話もよく聞くし、仲いいほうが珍しいのかもしれないぜ」

「そんな家庭で育つのは大変だな……精神的にやられそうだし、とっとと家を出たほうがいいと思うけど」
「うまくいかない親子に限って縁が切れなくて、子どもに執着して絶対に離さないらしいぜ」

 うわ、と修哉は顔をしかめた。
「毒親かよ」

 いわば猛毒、喰らえば思考力が死に、逃げることも許されない。話には聞くが、そのような家庭で育った者と出会ったことはまだない。
 あたりまえの生活。そう思えるのは恵まれているのかな、と漠然と思った。

「なあ」と梶山がオレンジジュースに差したストローに口をつけながら言った。
「気になったんだけど……侑永の母親、死因はなんだったんだろうな」
「さあ……病気かな」

 修哉は無難な答えを告げた。本心は別にある。だが、どうにも口に出すのは憚られた。
 十年前に父親と弟が火事で死に、さらに十年経って母親を亡くした。不幸が続く。運が悪い、その一言で片づけるのは簡単だった。

 火事で父親と弟が焼死して、家も家族も無くし、いくら精神状態がまともでなかったとしても、通りすがりに他人を川へ投げ落とすような少年が、ただひとり生き残った。

 偶然でそんなことが有り得るのか。

 侑永の兄である務はこの十年の間、どんな人生を送っていたのだろう。

 梶山は頭の後ろで両手を組んで、猫背になっていた身体を伸ばした。大きく深呼吸をしてから、肩を下ろして言う。
「まあ……あの雰囲気じゃ聞けないよな」

 で、と言って、身体を前にかがめ、こちらを見る。
「これで一時間待って、そのあとどうする?」

 人差し指と中指の先で付箋紙を挟み、ひらひらと翻らせる。
「首尾よく、情報をゲットしたし」
「住所どこだよ」

 人差し指に付箋の粘着部分を留め、目の前に寄せる。それから修哉のほうに向けた。

「土地勘無いやつには、県下だとよく勘違いされる場所だな。ここからめちゃくちゃ遠いわけでもない」

 言いかたからして、行く気満々なのが伝わってくる。その気になるまでなんでも後回しにする修哉と比べ、梶山は決断も行動も早い。

 そのうえ、ひとたび手伝い出すといつまでもやる気が削げないのが梶山のすごいところだった。責任感が強いのか、時に面倒ごとを進んで引き受けたりする。そして梶山本人に抜けられると物事が動かないほどになってしまう。経歴から慕う者も数多い。

 煩わしくないのかと思うが、本人は大抵面白がっている。そんな信頼に厚いやつが、どうして自分とつるむのか不思議に思う。

 修哉は、テーブルの上のアイスコーヒーに手を伸ばした。ゆっくりと飲んで、胃と同時に頭を冷やした。

 生来、自分はコミュニケーションのスキルが高いとは言えない。梶山のように機転は利かないから、いつも後手に回りがちだ。
 それに幽霊相手にするのと違って、生身相手では対処の仕方が違う。もし、暴漢に襲われでもしたら。

 こちらはしがない一般人、生まれてこのかた誰かを殴ったことはない。相手を倒せる自信があるかと問われたら、やり返されて自分が大けがするほうに賭ける。逃げたほうが間違いないと答える。

 霊をぶっ飛ばしてるのはアカネだ。修哉は力を貸している、いや、一方的に吸い取られていると言ったほうがいいかもしれないが、実際はなにもしていないのと同じだった。

 圧倒的に不利。対峙する覚悟もできていない。
 須藤務の居住地まで行ったとしても、必ずしも本人と会うとも限らない。今日のところは場所だけ確認できればいい。

 むしろ、行くだけでそのまま戻ってきたい。そう考えて、臆しているのに気づく。

 だけど、ひとりで行くよりは――ふたりのほうがましだ。日を改めるとこっちの出方が伝わって、相手が逃げてしまう可能性もある。ならば、なおのこと今日のほうが好都合なのは間違いない。

 今から須藤夫人と約束を待ってから出発となると、ここを出るのは四時前ごろになるだろうか。
 修哉は梶山を見た。すっかり乗り気の表情がうかがえる。

「思い立ったらなんとやらってな」

 覚悟の溜め息をひとつ。修哉としては腹をくくるしかなくなった。こうなりゃしかたない。

「……わかった。行ってみよう」

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