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第二章
早朝の河川敷で
しおりを挟む「なんで嫌なの?」
そうアカネに訊ねられても、厭なものは厭だからとしか答えようがなかった。
軽く朝食をとったあと、ちょっと出かけてくる、と自宅を出た先は、長く避け続けていた場所だった。
まだ太陽光に勢いがない時刻。自宅から十五分ほどの、市街を流れる大きな川を目指して歩き、たどり着いた。河川敷には少年野球やテニス、ゲートボールなどの練習場、ドッグランとして自由に使用できる整備された場所があるため、生活道路とは別に遊歩道を利用する者は多い。
自生した木々は数日の間に勢いよく茂り出し、新緑が柔らかな影となってアスファルトの歩道に落ちている。
今月に入って、さすがに厚手のコートを着る機会は減ってきた。そのうえ今日は季節外れの暖かさになると、朝の時間帯のニュースで気象予報士が告げていた。
「だって、なにか理由があるんでしょ」
「言っても無駄なの分かってますから」
ええ、とアカネが不満そうな顔になる。
「なんでそんなに頑なに話したがらないの?」
ねえねえ、と興味津々になっている。
「試しにひとりごとのつもりで話してみない? お姉さんが聞いてあげるから」
気分が晴れるかもしれないわよ、と左肩から食い気味に覗き込んでくるアカネの態度に、修哉が苦り切る。
散々、周囲の反応を見てきた。好奇心で知りたがる他人のために、理由はすべて後から用意した。厭なもの、嫌いなもの、本能的に避けたいもの――、しかし、駄目なものは駄目、本心はただそれだけだ。
真実はろくな反応を招かない。正直に話したところで、結局は理解されないと学習しただけだった。
河川へと目を向ければ首の長い水鳥が二羽、滑るように泳ぎ、穏やかな水面に曳き波を作っている。太陽光が水面に反射して、きらきらと光る。このところ晴れ続きで、おまけに河口につながる海が引き潮の時刻なのか水位は低く、川底の泥が見えている。
前後を気にしながらさりげなく会話をするものの、すれ違う人の数はまばらだった。対岸を見ると、市民のマラソンコースとなっているのか、色とりどりのウェアを身につけたランナーが行き交い、走り去っていく。
あれ、と指を差して、アカネが注視を向けるのがわかった。
「ねえ、あそこには行かないの?」
「上から現場を見るなんて冗談じゃないですよ」
修哉は顔をしかめて、絶対いやです、と言い捨てた。
前方には、対岸から渡された鉄橋があった。百メートルほどの幅を向こう岸の堤防から繋ぐ橋。その下を、コンクリート壁で両岸が整備された一級河川が流れる。両岸に河川敷がある。堤防の上と、下の河川敷に一本ずつ、アスファルト敷きの遊歩道が設置されている。
治水が進み、暴れ川も過去の話となった。この周辺は県下でも人口が増加する人気地区である。
鉄橋の上に二車線の車道と横断歩道が通る。行き交う車と人影の往来が見えた。
あら、とアカネが意外そうな顔になった。
「シュウ、高所恐怖症だっけ?」
「違いますよ。でも、あの場所だけは上流から下流まで全体が見通せるから、足場が安定しない感じがして厭なんだ」
ふうん、とアカネが釈然としないようすで生返事をする。
「また、ずいぶんと深手なのねえ。こだわりの強さって、生きててもそうでなくても変わらないのかしら」
「その感想、よくわからないんですが……ちなみにどのあたりが変わらないのか訊いてもいいですか」
そうねえ、と応じ、しばし考え込む。
「他人からするとどうということもない、なにかひとつの事象に縛られてるとこ? かしら」
それは逆なんじゃないかと修哉は思った。生きてるときからこだわってるから、死んでもなお縛られ続けているんだろう。
そして、朝方にグレと交わした会話を思い出した。
ちょうど、自室を出るときだった。
グレが「私はここで失礼します」と言った。何故か、ついてこないと言う。
たしかに、霊体なんぞ複数を引き連れて歩けば、そのぶん降りかかる面倒は増えるだろうと容易に想像がついた。ならば、無理に連れ回す必要もない。
「それにしてはグレさん、いやにあっさり引き下がったけど、……昨晩の現れ方からしてもっとしつこく絡んでくるかと思ったのに」
「あれはもう、あんまり強い執着が無いんだもの」
上がってしまってもおかしくないくらい、とアカネは屈託なく言い放った。同類――霊の居場所には興味を持つのに、そうなった原因はどうでもいいらしい。
「むしろ今は上がらないことに執着してるのよ、あのヒト。おかしなものよね、土地からの縛りがなくなったら生きた人から奪えるほどの影響力も消えちゃったみたいだし、思い残しもないからそんなに現世での関わり合いにこだわらないっぽいわ」
なんで居残ってるのかしらね、とアカネは呆れた。
じゃあ、アカネさんの思い残しって何だろう、と修哉は考えた。他の霊に取られたくない、そんな単純な感情だけの問題ではないのはわかる。
奪われれば存在が脅かされるから、守る行動を取る。だがそれは真の目的、いや、執着ではないはずだ。
修哉は思い出していた。昨晩、グレはアカネの執着を探ったほうがいいと言った。放置すればオレの命に関わる、らしい。あまり現実味はないけれど。
アカネは何故、自分といるのか。それもいつからか。これまでアカネに真面目に問いかけたこともない。
一体、過去のどこに、自分との接点があると言うのか。
「ね、どうして川がいやなの? シュウは水が苦手なの?」
アカネの言葉に、修哉は顔をしかめた。
「オレが生活で水を触っても問題ないのはアカネさんも見てるからわかるでしょう。ぜんぶ駄目ってのじゃなくて、オレが嫌いなのは大量に流れるやつ。しかも勢いがある濁流」
「濁流?」
「正直、記憶が曖昧なんです。知り合いの家から、たまたま夜に一人で帰ったときがあって。覚えてるのは真っ暗闇の中、川に流されてて溺れて意識が無くなって、気がついたら病院だったってのだけ」
母親が独身時代に同僚だった友人が、結婚してから隣の学区に越してきた。ちょうど弟と同学年の男児がいた。その家族とも疎遠になってしまった。あんなことがなければ、いまだに交流も続いていたのかもしれない。
自然と足が向かなくなってしまった。向こうも察したのか連絡してこなくなった。今もなんとなく気がかりがある。
足元をぼんやり眺めて歩く。
「海とかデカい河川もそんなに得意じゃないけど……でも、きれいな水で動かない、貯水されてるのはそうでもないんだ。だから風呂とかプールはわりと平気。体調悪くもないのに、水泳の授業休むわけにいかないし。でも――」
深く息を吸って吐く。「一度だけ、屋外のプールに入ってるときに雨が降ってきたらダメだった。……ガキん時に、過呼吸起こして倒れたことがある」
忘れていたのに、話しているうちに記憶が解凍されるかのように、そのときのことを思い出してきた。
身体は水の外に出ているのに、雨に叩かれて息が出来なくなりそうだった。せわしく息をしていたら、だんだん全身が痺れて頭の中が混乱してきて、恐怖でどうにもならなくなった。
周囲が気づいて大騒ぎになり、余計に焦ってしまい、どうしようもなくなって、なにが怖いのかも分からなくなってパニックを起こし、――その先は、今さら思い出したくもない。
一度開いてしまうと、記憶の蓋はどうにも閉じる手立てがない。容赦なく、忘れていた過去があとからあふれ出る。
違うんだ、と記憶の底に押し込めていた自分が告げている。知ってる、覚えてる。だけど、認めたら自分が保てない。
修哉は全身の血が引いていくのを感じた。静止した姿を見て、あら、とアカネが口もとを手で押さえた。
呼吸が乱れる。アカネの顔が近づいて、左耳に囁く。届く声。穏やかに響く。
だいじょうぶ、いまはこわくない。あなたは平気、ここは安全だから。
なだめる声に、早鐘のようだった動悸がすこしずつ落ち着いてくる。
ふいに過去が色づいて舞い戻ってきた。事実が重たくて、足場がゆるゆると融けて沈み込むように思える。貯めまないように、思い出した光景を声に出していた。
「本当は……濁流のなか、死にそうになってもがいてるときに、すげえおっかないものにしがみつかれたんだ。あれがなにかわからないけど、すごい怖かった。濁流のなかに引き込まれて、浮き上がれない。逃げようとしても逃げられない。本当に――」
恐くて、と言葉を切る。ちょうどそのとき、真横をランニング中の二人連れが後ろから追い抜いていった。
いちいち説明のたびに記憶を掘り起こして思い知る。厭な思いをした、という過去の記憶が、いかに大きな傷となって自分の内に刻み込まれているかを。
幻影が訪れる。なんともない、と言い聞かせて、やせ我慢を続けるのも限界がある。自分の心が萎れて枯れて、すこしずつ死んでいくように思えた。
忘れようとしていたのに、アカネと出会ってから思い出す機会が増した。後回しにしてきた問題が、過去と向き合えと全速力で追いかけてきた気分だった。
河川敷に自生した茂みから、雀の群れが鳴きながら慌ただしく飛び立っていく。
「いま、この川穏やかだし水は少ないし、きれいとは言えないけど魚が泳いでるのが見えるくらいには澄んでるのに、それでも駄目?」
食い下がるアカネに、修哉は川面に目を向けた。
「それくらいは平気。夜じゃないし。でもあの橋の上は厭だ。あそこを通ったら息が出来なくなって倒れたことがあるから」
アカネは神妙な顔で言った。「本当に大変だったのね」
ふう、と修哉が大きく息を吐く。
「子どもの頃の厭な記憶ってのは案外、時間が経ってもデカい影響力があるんだと思う。もう大丈夫だと思ってても、好きじゃないという感情はどうにもならないんだよ」
わかる? とアカネに訊ねる。納得したのかしないのか、アカネは小首を傾げ、こちらを見つめていた。
「わかってるのに駄目なんだよな、情けないけど」
あの頃の自分とは違う。訊かれるがままに、なんでもかんでも話す必要もないと学んだ。忘れた、と言えばいい。便利な言葉だ。
ふうん、とアカネが唸り、なにか考えている。
「それ、子どものころの話でしょ」
「そうですけど」
「今まで詳しく聞いたことなかったから考えもしなかったけど、その……シュウが言う、しがみつかれた怖いのって」
左肩の定位置からするりと伸び上がり、上から逆さに覗き込んでくる。
「ねえ、それ――あたしじゃないかしら」
アカネの放った言葉の意味が、一瞬とらえられなかった。数秒おいてから、間抜けた声が出た。
「え?」
「だって、そう考えるのが自然でしょ? あたしがシュウと一緒にいるようになったのもその頃だと思うし」
「……って、えっ? あれが?」
あんな地獄から這い出したかのような幻影が、目の前の女と同一だと――? 思い出すのも恐ろしいものと目の前のアカネでは、外見だけでなく性質もまるで違う。
「まあ、見せたい姿って本来の姿じゃなかったりするから。ずいぶん印象違ってても変じゃないのよね」
「見せたい姿?」
あら、知らなかった? とアカネが返す。
「理想と現実は違うってやつ。グレの時にも見たでしょ? 血塗れになったり、バラバラの轢死体になったり。あれが本来の姿なのよ。話が通じるくらいの理性があれば生前の姿で現れるけど、妄執が強すぎると見た目なんかどうでもよくなって死期の姿そのままになっちゃう」
あっけにとられる。恐ろしい表情で襲いかかってくる、血みどろのグレの姿が脳裏に浮かんだ。思いも寄らなかった。
正気を保てなくなるとあんな姿になるのか。まともに話ができない霊は、それほどに恐ろしいんだ。
つまり、あのときの恐怖の対象が――アカネの本性なのか。身震いが起こる。
「霊も、姿かたちを……気にするんだ」
そりゃそうでしょ、とアカネは言った。「驚かすつもりで死期の姿を見せたほうが効果的ならそうするだろうけど、近づくまえに生きてるヒトが逃げ出しちゃったら意味ないもん」
ただでさえ死んだときの不本意な姿なんて他人に見られたくないじゃない、と逆さになったまま、修哉の顔先に人差し指を上下に振っている。
「理性が残ってたらよけいに、きれいなままを見て欲しいわ」
「意外に……デリケートなんですね」
「気を使ってるって言ってよ。冷静でいられるなら、生きてたときの常識? みたいなものはそれなりにあるんだからね」
「あれ――が、アカネさん……だっていうのはちょっと……衝撃、だな」
地獄の淵から見上げる、恐ろしい表情。濁流にぼんやりと淡く浮かぶ、傷ついた青白い顔、乱れて貼りついた髪、濁流に洗われる見開かれた目、叫ぶ口からは泥水があふれて言葉にならない。
あのね、とアカネが口を開いた。
「記憶のなかの姿とじっくり見比べないで欲しいんだけど」
不満げなアカネの声と、記憶の中の音が重なるようだった。
空気を求めて必死にもがく。ひどい泥の味を飲み込み、鼻の奥が強く痛む。耳の中まで水が流れ込み、くぐもった大音響で水音が騒ぎ立てる。
濁流の底から手を伸ばしてくる。
激しく咳き込んでも、容赦なく泥水が流れ込む。息の出来ない闇の底へと何度も引きずり込まれる。暴れても沈む。足がつかない。心臓が早鐘のように打ち、息ができなくなって、死が見える。
呼吸を忘れそうになっていた。
大きく息を吸って吐く。
「もしかしてアカネさん、あのときオレを殺そうとしてた?」
問いかけに、アカネが妙に中途半端な表情を浮かべる。笑うような困惑の顔。
「あの頃のことは覚えてないから、絶対そうじゃないとは言い切れないかな。たぶん、水の中から出してもらいたかったのね。だから流されたシュウが救いに見えたのよ。きっとね。あなたは闇夜の灯台みたいに光り輝いて見えるから。あたし、必死にすがりついちゃったんだと思うわ」
アカネは自身のことをまるで他人事のように話す。なにひとつあてにならない。
「おっかないこと言ってくれますね」
「嘘つくよりマシでしょ」
「そんなふうに言われると、いつ豹変するかと不安になりますよ」
やあねえ、とアカネは明るく笑った。
「信用ないのね、あたし」
逆さまになった位置から、くるりと回転して地面の上に立つ。修哉の両頬にそっと両手を添えてきた。
「でも……もう怖くないでしょ?」
両目が近づき、覗き込まれる。ひんやりとした感触が頬にある。アカネの向こう側がうっすらと透けて見える。
「まだ水が怖い?」
「どうでしょう……だけど梶山に言われるまで最近は忘れてたし、昔より平常心でいられるのは事実です」
目の前にある顔が、ふっと柔らかく笑み崩れる。
「変なのが近づいてきても、あたしが追っ払うから大丈夫よ」
協力しあうって約束したでしょ、と言って、アカネは修哉から手を離した。ふたたび重力を無視した身体で空中を漂い、左肩の定位置に収まる。
修哉は川のほうへと目を向けた。
「オレが流れ着いたのは、そのあたりですよ」
指を差す。「発見されたとき、その辺に倒れてたらしい」
あの夜は、上流で予想外の大雨が降って、川はいつになく増水していた。
護岸の上部まで水量が上がり、黒くよどんだうねりとなって、滅多に聞かない水音を立てて流れていく。今まで見たことのない水量に、ちょっとこわいなと思いながらも吸い込まれるように眺めていたのを思い出す。
連休だしもう一晩、泊まれば良いよと言われて弟は承知したものの、こんなことになると思っていなかった修哉には、翌日に友達との約束があった。
だから、夕方になって雨が弱まり始め、夜になって星が見えるようになったから帰ろうと思い立ったのだった。
まだ塾帰りの子どもが帰るくらいの時間だから平気だ、と大人たちには説明して、ひとりで帰った。
あのとき、素直に翌日の約束を断り、もう一泊していたら。
いろんな通過点を経たとしても、現状は異なっていただろうか。
記憶のなかでは秋の夜を思い出しているが、現実の視界は早春の朝を映している。
季節柄か、芽吹いた雑草が勢いよく成長をはじめている。茂みの間から、コンクリート製の護岸壁の縁がわずかに見える。
アカネがなにかに気づいて、あたりを見回している。
「どうかしましたか」
うーん、とアカネが唸る。
「なんか……」と眉をひそめて「違和感」と声に出す。
ふんふんとにおいを嗅いでいる。
「香る」
「においがわかるんですか?」
それもそうか。酒の味がわかるのだから、別に不思議でもないのか。つられて嗅いでみるが、周囲の土と川の水、草の青いにおいがするばかりでアカネの言うにおいはしなかった。
「オレにはわからないな」
「残り香かしら」
「残り香って――」
霊の、と訊ねようとしたときに、アカネが「あ、あっちから!」と言い放った。
目を細め、こらしている。左肩から乗り出して、ふわりと風上に伸び上がり、指を差している。
「かすか……だけど、流れてきてる」
なんか、お線香焚いてるみたいと戸惑い気味に話す。指差された先を見ると、こちらと対岸を繋ぐ大きな鉄橋が視界に入る。
人と車の往来が見えるが、アカネの言う煙らしきものはどこにもない。
「オレには感じない」
「そう、じゃあ半分貸してあげる」
左側頭部にアカネの右頬をこすりつけられる。ぞわ、と顔の皮膚に電気のような刺激が来た。左目の端から色が変わっていく。
顔の左側が痺れる。感覚が遠くなって、自分のものではないように感じる。酔ったような揺らぎがある。
右目と左目で視界が違ってしまっていた。右目は明るく、早春の輝きで満ちているが、左目はどこか霞んでいて、曇りの日のようにぼんやりと灰色を帯びている。見えているのに、どこか遠い。どちらか片方だけの視界だと差に気づかないが、並べてみるとずいぶん違う。
ただでさえ、個人の視界の色味は他人とは違うと聞いたことがある。瞳の色が違うだけで見える世界は違うらしい。ならば、生者と死者で見える世界は異なっていても不思議はないのだろう。
大気が粘り気を帯びているように感じる。片方の肺だけで呼吸しているようだった。
橋の中央あたりに、黒いものが立ち昇っている。遠いせいか、墨で細い筆を使って直線を引いたように見える。空に向いた黒い線は、見上げた先に淡く薄くなっていく。
鼻先に、無かった嗅覚が届く。アカネは線香と例えたが、修哉には焦げた臭いがした。焚き火のような煙に混じって、化学物質を燃したかのような身体に悪そうな刺激臭がする。
「どう?」とアカネに訊かれ、修哉は頷いた。
「あっちからかな……流れてきてるみたいだ」
そう答えると、左顔面の違和感がするりと抜けていった。
それにも気づかないくらい、考えにとらわれていた。連想したのはひとつだけだった。最近聞いた情報を思い出していた。
重ねていた顔を引き抜いたアカネが、修哉の顔を覗き込む。
「なぁに? なにか引っかかることでもあるの?」
「え? ああ、うん……ちょっと」
上空を見上げていたが、橋のほうへと目を戻す。
「やっぱり、避けては通れないか……」
そうこぼすと、腹をくくって前方へと歩みを進める。
「え? シュウ、どこに行くつもり?」
「橋の上」
「えっ?」とアカネが驚いて、修哉の顔を覗き込む。
「一体、どういう心境の変化?」
答えはしないが、決意が表情に表れる。修哉は立ち止まることなく、橋の方向へと歩いて行った。
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