止まない雨はない

結城りえる

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第七章 イルカの指輪

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 信号が変わるとどっと押し寄せ、行き交う人波。ギラギラしすぎるほどの原色のネオン街。その歓楽街の入り口辺りを、なにやら人の眼から隠れるようにしては、行ったり来たりしている男がいた。
 上杉タカシ。ホルターネックのバーテンベストを着たまま、何かに迷う人、ココに在り。
「何やってんだろ?アレ、マスターだよな?」 
 予備校からバイト先へ向かう佐屋と合流した鳴海は、遠くからでも奇妙な動きでアヤシゲに映り、周りの風景から完全に浮いた彼を見つけた。 
「……ホントだ。その店に入るつもりなんじゃない?」 
 タカシがなにやら入店を躊躇っているのは風俗店ではなく、明け方まで営業しているディスカウントショップだ。 
「買いたいものがあるんだったら、とっとと入ればいいのに…」 
 そんなタカシを遠くで見つめながら鳴海はじれったく思う。隣にいて鳴海の気持ちを察したのか、佐屋はタカシの後をつけてみては?と提案する。 
「…佐屋!目立ったらダメだからな?」 
「…わかってるよ。けど鳴海、わざわざスパイ映画みたいにコソコソすると、かえって目立つと思うけど…」 

 とにかく、自然にさりげなく…。

 タカシが遂に意を決したのか、背中を丸めて店内へ入っていくのを二人で確認すると、こっそりと後をつけていく。
 店内はこの店特有のディスプレイの為か、天井まで品物が無造作に積まれている。まるで、誰かの脳内の妄想世界のような…そんなエポックワールドな光景だ。 
「…くそッ!エレベーターに乗ちゃった!」 
 5人ほどしか乗れない少人数エレベーターにすし詰め状態になりながら、タカシは最後に乗ったようだ。
「どこに下りるかな?見失ったんじゃね?」 
「そうだね……あれだけ挙動不信だったから、大人のおもちゃコーナーの階?」 
 冗談なのか本気なのかどちらとも思えない佐屋の言葉に、鳴海はかなりドン引きした様子だった。 
「……佐屋が自分で行きたい場所なんじゃねーのかよ」 
 少し軽蔑しかけた眼でチラリと鳴海は彼を見る。 
「……え?ひどいなぁ…僕はちゃんと考えて推理したのに…」 
 とりあえず、自分たちは階段で先回りして、上の階から順番に下りてくることにした。電化製品の階………姿ナシ。衣料品の階………姿ナシ。ブランド、貴金属の階…………
「いた!いたぞ、佐屋!」 
「え?どこ?」
「ほら、ガラスのケースの前で、店員と話してる」
 なるほど、鳴海が指さした方向に、タカシと同世代ぐらいの店員の男二人が親しげに話しながら、まるで何かを探しているかのように、ショーケースに釘付けになりつつ腕組みをしていた。
「……鳴海、ショーケースの中って、時計とかジュエリーだっけ?」 
「オレ、前、階を間違えてここに来たことあるけど、そン時はあのケースの中って指環だった気がするっ…」 

 指環???

 二人は同時に顔を見合わせた。
「マスターのやつ、絶対怪しいぞ!ルカ先生って人がいながら、きっとキャバクラ・リーブスのおねぇちゃんか誰かにプレゼントするつもりに違いないって!?」
 鳴海はまるで自分の恋人に浮気でもされたような勢いで、商品の山に隠れながらタカシを睨みつけた。 
「…まだ、わからないんじゃない?案外、自分のかもしれないし」 
 佐屋はわりと冷静に事の次第を見届けようとしている。 
「…ったく、佐屋は育ちがいいからかお人好し過ぎるって!!ぜってー許さねーからな!オレが今から行って企みを阻止してやるっ!」 
 鳴海が飛び出して行こうとしたとき、佐屋が慌てて彼の襟首を掴んだ。
「シッ!静かにして、鳴海!もう少し近寄って何を話しているか、確かめてから問い詰めても悪くないよ?」
 二人はそっと物陰から物陰へと移動し、タカシと店員の会話が聞き取れる距離まで近づいていった。 
「……記念だってわかるような…ですか?タカシさんも難しい注文するんですねぇ」 
「…そこをなんとか頼むよー?オレが贈ったってバレない感じで、そんでもって≪ステディリング≫って判りそうなのがいいーんだよ…な、頼むよ青葉ちゃん」 
 ほら!やっぱり!!二人はタカシの≪ステディリング≫という言葉に敏感に反応した。
「……名前とかイニシャルがモチーフじゃダメなんですか?」 
「……そんな安直なヤツじゃセンスないでしょー?もー、直球なんだから、青葉ちゃん…」
 店員と話をしているタカシは心なしかとても楽しそうだ。指環を贈ろうとしている相手が、かなり特別な存在であることが想像できる。 
「も~我慢ならねーって!佐屋!今度こそ止めるなよ?行ってとっちめてやるって!」 
「…構わないよ、なんなら僕も加勢する」 
 二人はすぐにタカシの真後ろに回ると、両肩をそれぞれ叩いた。 
「ん?あれー?お前たち、二人揃って何してンの?」 
「何してンのー?じゃないって、マスター!ちゃらちゃら指環なんか買おうとして、一体誰にあげるつもりだってッ!?」 
「そうですよ、僕も幻滅だな…」 
 鳴海と佐屋の表情が引きつっていることにも気付くことなく、タカシはいつものとおりしれっとしている。
「え?聞きたい?聞きたいかー?うん、うん、そーだよな!!でも、アレだ。ナイショにしろよ?もうこの辺りではバレまくってるから、オレもなかなかプレゼント選びとかも出来ないわけ。わかってくれっかなー?」 
「わっかんねーよッ!!なんだよ、ソレ?オレはマスター、見損なったよ!大恋愛の末に付き合ってる人がいるってのに!!」
 鳴海にひどく責められていることに、タカシはまるで堪えていない。 
「大恋愛!!鳴海、お前もやっと人生の要っていうものが、理解出来るようになったのか?うん、うん。やっぱ、佐屋のおかげだな?佐屋、お前、いい仕事してるよ」 
 タカシはふざけているようには見えないが、そろそろ鳴海の苛立ちがピークを迎えそうだと悟った佐屋が、埒のあかない会話をやめさせることにした。 
「マスター、ルカ先生って人がいるのに、一体誰に指環を買おうとしていたんですか?」
「誰って…そんな今更…」 
「誤魔化さないで、ちゃんと教えてください」 
 二人の形相が段々険しくなってきていることにやっと気付いたタカシは、トーンダウンしながら答える。 
「……そう怖い顔するなよ、佐屋。もちろんルカにあげるに決まってるでしょー?」 
 えっ?佐屋は思わず鳴海の顔を見ると、申し合わせたかのように彼と眼が合った。 
「え?ちょっと、何、そのリアクション?オレがルカに指環贈るって、そんなにオカシイの?」
 変に慌てるタカシを見て、二人は噴き出して笑った。 
「マスターって、ルカ先生に指環してもらいたいんだ?」 
「…よほど心配なんだよ、鳴海。これだけこの界隈で男同士付き合ってるって有名なのにね」 
「……心配しすぎてハゲるって」 
「……だね?」 
「…つか、心配して損したって。確かにルカ先生がモテるのなら解るけど、マスターが浮気って、ぜってーありえねぇから!」 
 いきなり自分の背後に近寄ってきたかと思えば、好き勝手に言いたいことを言い始めた二人に対し、さすがにタカシも機嫌を損ねる。 
「あーのーねー?君たち。オレをどこまでコケにするつもり?勝手に人のプライベートにまで首突っ込んできて、それはないでしょー?怒るよ、オレ?」
「鳴海とマスターの会話って、本当に噛み合わないな…」 
 そんな二人をなんとなく、楽しげに佐屋は見つめる。
 結局、タカシは鼻歌交じりで量販店を出て行き、佐屋と鳴海はそのままタカシの店、BAR Lucasへと向かった。 
「思うんだけど、今日、マスター、店開ける気ゼロだと思う」 
 店のドアの取っ手に手をかけた佐屋に、鳴海は待ったをかける。 
「?」 
「診療所にそのまま居ついてルカ先生を困らせるって…」 
「……かもね?」 
 二人はそのまま開店させるのをあきらめ、家へと帰ることにする。 
「ねぇ…鳴海?」
 帰り道、佐屋はまたそっと鳴海の手を取る。 
「……マスターとルカ先生、幸せなんだね…」 
「……なーんか、もったいないけど、やっぱ、ルカ先生はマスターしかいないって」 
 少し、肌寒くなり始めた夜だった。幸せな二人を思うと、佐屋と鳴海の二人も、まるで我が事のように満ち足りた気持ちになれた。 
「…鳴海、ここでキスしていい」 
「えっ?…何いって……」 
 言うがはやいか、佐屋は道の電柱の影に隠れて、冷たくなった鳴海の頬に手で触れながら、そっとキスをした。 
「家まで待てねーのかよッ!せっかち!!」 
 真っ赤になりながら、鳴海は佐屋を照れ隠しで睨む。 
「…今日はマスターにアテられっぱなしだったからね…。僕、今夜は歯止め効かないかも…」 
「ば……バカやろう!」 
 笑いながら、佐屋はコツンと鳴海の額に自分のそれを当てて、嬉しそうに繋いだ手に力を込めるのだった。


*************

 《山口クリニック》へと続く階段を上りながら、タカシはさっきまで歌っていた鼻歌をやめた。診療時間をとっくに過ぎても、まだ灯りがついている。 
 タカシは電子カルテの整理に夢中になっているルカの背を、パーテーション越しに想像出来た。

 熱心なお医者様だこと…。 
 
 タカシはプレゼントの入った小さな紙袋を無造作に手首に引っ掛けたまま、パーテーションからにょっきりと顔を出す。…未だ、ルカは自分には気付いていない。 
「先生!いい男を出前しに来ましたよー!」
 やっほー!などと、聞こえるように邪魔をしたタカシの声に、一瞬ビクリとしたルカが振り返った。
「やだなー、タカシさん。居るなら居るって言ってください」 
 驚きつつも、ルカは嬉しそうな顔をした。
「……ん、邪魔しちゃ悪いでしょ?」 
「……え?今のは邪魔したことになっていないのですか?」 
 コドモっぽいタカシのいたずらに、ルカは噴き出す。
「……なぁ、ルカ、オレ、渡したいものがあってさ…。その……笑わないでくれるかな」 
 緊張した面持ちで、タカシはそのまま小さな紙袋をルカにそっと渡した。
「頂いていいんですか?……嬉しいな、開けますね?」 
 ゆっくりとルカは包みを開いていく。少し細長い、深めのケースが包みから出てきた。そしてケースをそっと開けるルカ…。 
「………あ!イルカだ!可愛いですね!もしかして、コレ、オレに下さるんですか?」 
「……笑ったりしないの、ルカ?」 
「…笑う?何故です?恥ずかしがり屋のあなたが、オレのために買ってくれたんですよ?笑うわけないじゃないですか?それに…」 

 イルカ…って……。夏に海で過ごしたときのことをいつでも思いだせるから。

「……本当は、オレがルカを想う気持ちを表したくて、シンプルな指環とか考えていたんだ。でも、お前、診療中は邪魔になるだろうし」 
「…だから、ネックレスになるようにチェーンまでつけてくれたんですか?嬉しいです…」 

 ルカ………。どうしてお前はいつも、オレをこんなに幸せな気持ちにしてくれるんだろうな…。

「……今、付けてくれませんか、タカシさん?」 
「あ、ああ、ちょっと待って…」 
 ネックレスのチェーンにドルフィンリングを通すと、タカシはチェーンをつまみ上げ、ルカの首へ架けてやった。ケーシーのボタンを少し緩め、ルカはペンダントトップとなった、ドルフィンリングを手の平に置いて見つめる。「……やっぱり……タカシさんらしいな」 
「え?どうして?」 
「それは……オレ…だけの、タカシさんだから…秘密です」 
 ルカは両手を伸ばし、目の前の愛しい人の首をつかまえ、そっと引寄せた。
「………オレ、今からタカシさんに、永遠を誓うキスが出来そうですよ…」 
「……ルカ」
 お互いの顔の距離がそっと近づき、ゆっくりと唇が触れ合っていく。長く交わされる、優しいキス。タカシが愛して止まない彼は、瞳を閉じて、ゆったりと彼の胸の中へと、身を委ねるのだった…。
 窓の外は眠らない街。雑踏のざわめき、遠くで聞こえるサイレンとクラクション。歓楽街の片隅で、純粋な大人の恋はそっと今でも永遠を奏で続けているに違いない…。
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