ある冬の朝

結城りえる

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Episode 6 おひとりさま 

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「……らっしゃい、あれ?いつもの相棒はどうした?」
 大して食欲もなくなってしまった優の足は、それでも鮮魚店&食堂にたどり着いていた。店先でねじり鉢巻き姿のおやっさんが少し元気のない優を感じ取ったのか、声をかけた。
「ああ、こんにちは、おやっさん。今日は一人なんです」
「そうか、だったらフルーツの小鉢をおまけに付けてやるよ、元気出しな」
 一人で来たことに敢えて理由を尋ねることもなく、おやっさんの気遣いは優しい。優は無理に笑って頭を下げた。そして二つの札をもってカウンターに出す。
「おう、来たな!………あれ?いつものがいないぞ?見えないくらいに縮んだのか?」
「智之……そんなのおやじギャグにもならないよ。高山君、いらっしゃい」
 相変わらずのコンビネーションに優はうらやましさを感じつつ、今はひとりがちょっと辛くなる。
「ははぁ…。そういうことか。またアイツが高山君にダダをこねてるんだろう?」
 概ね外れていなくもないが、オレ的にはその言い方はちょっと心外。
「いや、ちょっと…そうでもないというか」
 大きなため息をついている優に元上司二人も顔を見合わせてその重症さ加減を本気で心配しはじめた。
「浅野は何にへそを曲げてるんだ?」
 笹本課長はあまりにもストレートに優に疑問を投げてくる。
「と・も・ゆ・き!」
 趣きのある木の葉型の洒落た皿にいつもの金目の煮付けを盛り付けながら、武岡さんがたしなめる。
「変な聞き方をして話をこじらせるのは良くないぞ!」
「けどなぁ、シゲ。じれったいんだよなぁ、こいつら。指に刺さった魚の背びれのトゲみたいな…あーーーーやだやだ」
 選手交代といわんばかりに笹本課長と武岡さんが場所を入れ替わる。
「話せる範囲でいいから。オレたちは君たちが一緒にいられる関係が望ましいと思っているんだ。せっかくいろいろ乗り越えたのに、もったいないだろう?友情であれ、恋であれ」
 そのときの優の気持ちはどういったものだったのだろう。オレをどんなふうに考えていたんだろう。
 優は少し重い口調でいきさつを説明した。新入社員を迎え、慎太郎オレのモチベーションも上がり、今までの消極的で卑屈な性格が少しづつ変わりつつあること。そしてそれを優も好ましく思うこと。
 ただ、そんなオレを慕う後輩が増えたことで二人でいる時間が少し減りつつあり、ジレンマに思っていること。充実している慎太郎オレにはそれを感じているようには思えないこと…などなど。
「……ちょっとわかるな、ソレ」
 武岡さんは眼鏡の奥の目を細め、自虐を思わせるように笑った。
「……浅野君は、高山君の眼で見てる以上に輝き始めたというか…」
 すると笹本課長がまた口を挟んだ。
「アイツがかぁ?生意気いってしょーがねぇ野郎だ」
 口では悪く言っているようで、ちょっとうれしそうに思えたのは気のせい。
「……高山君は心配なんだね。本来の彼の良さが表に出始めたことで、皆が彼の良さに気づき始めた。ライバルも出現しかねないからね…」
「……………………」
 途端に黙り込んだ優を見て“図星か?”とお節介組な二人はため息をついた。
「思い当たる人がいるんだね?新入社員で?」
 武岡さんが尋ねれば優はゆっくりとうなずいた。
「……まさかと思うけど、今日、高山君が一人なのは、その新入社員と浅野君が一緒ということ?」
 なかなかに鋭い武岡さんの推測に優は驚きの表情を隠せない。むしろ第三者にあっけなく分析されるほどオレと優の関係が危うくなり始めていることに気付かされ、愕然としていた。
「……その相手、もしかして、女の子じゃねーのか?」
 また笹本課長が口を挟んだ。なんとも鋭いというか…。
「………どうして、ご存じなんですか?」
「……やっぱりなー。男だったら、たぶんここまで意地を張らないような気がするんだよな。ほら、アイツ、今まで人付き合いが苦手で自信がなかっただろう?それが今期になって後輩に頼られ、女の子に声をかけられるようになった。単純にプライドをくすぐられつつ、高山君をけん制してるなーと思ってさ」
 “こんなに想われてンのに、浅野は間抜けだよなー。たぶん、自分の方が高山君を好き過ぎてるとでも思ってるんじゃないか”などと笹本課長は優に聞かせるというよりは、独り言のように語尾を濁した。
「どうして…慎太郎はオレのことを解ってくれないんだろう」
 優は両手を組み、口をふさぐようにカウンターで考え込んでいた。

 オレは息が出来ないくらい、慎太郎のことが好きだというのに。


 そのもつれた糸をほどく努力を、ふたりの間で動き始めるには、まだまだ時間がかかりそうだった。


********* 

 キッチンカーの幕の内にさほどこだわる理由もなかったくせに、オレはなんだかとても自己嫌悪になっていた。エントランスで立って待っていた優の目をオレはまともに見ないで通り過ぎた。これじゃまるでガキみたいじゃないか。
「浅野先輩!さっき技術事業部の方からメール便来てましたよ?」
「ああ、サンキュ。イントラで添付してくれたらよかったのに」
「稟議承認要るみたいだから部署回覧みたいです。まぁ、私たちは目を通すだけですよねー」
 オレは言われた社内メール便で来た書類に目を通し、その内容に固まった。


 ボストン研究所 研修者一覧

 下記の者をマサチューセッツ、ボストンケミカルオブタケオカ研究所に於いて3年間の研修を命ず。

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        “技術事業部 高山 優”


 えっ??????????どういうこと??????
オレは思考が停止した。頭がその時になって真っ白になっていた。オレが意地を張って優を遠ざけた幼稚な振る舞いが死ぬほど恥ずかしい後悔となって自分を責めていた。

 優が………アメリカにいってしまう!?

 それは青天の霹靂の宣告だった。
 優のボストン研修チーム抜擢の知らせを目の当たりにし、オレは頭が真っ白になってそれ以降の思考が停止していた。
 もともと分かり易い性格が災いし、それが表面に顕著に出ていたせいか、営業部の皆がオレの顔を見て体調を心配して声をかけてくれた。
「浅野?なんだか顔色が悪いみたいだけど、大丈夫なのか?」
 部長もかなり本気で心配してくれたのだが、オレもちゃんと社会人の一人なのだから、プライベートのせいで仕事を疎かにするつもりもなく、笑って頷いて返した。
「浅野先輩、ちょっと苦めだけど給茶機の玉露、如何です?」
 西原さんが気遣ってオレのデスクに淹れたての紙コップのお茶を置いてくれた。
「……ありがとう」
「……もしかして、幕の内のせいで具合いが…?」
 彼女は責任を感じて消沈している。ああ、西原さんっていい人だよなぁ。オレは彼女を心配させては悪いと思い、なけなしの元気を振り絞る。
「大丈夫。昨日は遅くまでスマホ見てたから寝不足なんだ」
「……そうなんですか?でも、無理しないでくださいね。先輩にまだまだ教わることがあって頼りにしてますので」
「えー?ははは、西原さんは優秀だからもう一人前でしょ?」
「いえいえ、毎日失敗して凹んでます」

「家に帰ってから気づくこととか無いですか?ああしたらよかった、こうすればよかった、とか」
「ああ、うん、あるよね。オレも前の課長にしょっちゅう叱られた。言葉遣いも良くないし」
 すると西原さんは不思議そうに首をかしげる。
「先輩の言葉遣い、私は悪いと思ったことはないですよ?」
「まぁ…今はちょっとマシになったけれど。入社したての頃は上下関係とか忖度出来ないし、○○じゃん?とか平気で上司に言ってたから」
 それを聞いて西原さんは控えめに笑った。オレに気遣いながら、大笑いするところを控えてくれたような。
「先輩、アメリカにいらしてたんですよね。仕方がないと思います。横社会だから。学生のときの友達もそういう子がいて、初対面から打ち解けすぎというか、ひたすらピンポンラリーをしてるみたいな力関係だったから」
 それでなんだろうな。西原さんはオレの扱いが初対面から上手だった。どうしてもオレの態度に最初は違和感を抱く人が多いなかで、彼女は自然に振舞ってくれたというか。

 優も……オレをすんなり受け入れてくれたし。むしろ、優のほうがぐいぐいきてたよなー。

 スクランブルの交差点で出会った日以降のことを思い出し、オレは妙に寂しさを覚えた。

「………浅野先輩、やっぱり具合い、良くないのでは?帰られたほうがいいですよ」
 急に西原さんが慌てた口調でオレに言った。そう、そのときオレは、自分でも気づかないうちに、涙の雫をぽとりと零したのだった。




****************


 初めて社会人になって「早退」した。こんなに脆くて情緒不安定だったっけ?オレは空いた電車の椅子に腰掛け、車窓の景色をぼんやりと眺めていた。
 西原さんがオレの様子の異変を部長に知らせ、部長も慌ててオレに帰宅するように促した。“浅野、根をつめると良くないからな。最近、頑張ってるのをオレも知ってるから、無理をするなよ” 部長はオレを過労による欝か何かだと思って本気で心配していた。

 ああ、みんな、なんだかんだ言っていいひとじゃん。

 自分が弱っているときに初めて周囲のやさしさに気づく瞬間ってあるな。オレも事故に遭って、優にいっぱい助けてもらって…。
「………優」
 またアイツのことを思い出した。思い出すと涙を心臓から絞り出すみたいにギュっと胸が痛くなる。
「……優はぜんぜん何も悪くないのに、なんでオレ、優に意地の悪いことをしたんだろう」
 ミントタブレットなんて、本当にくだらないことで優に腹を立てた自分が矮小すぎて恥ずかしかった。オレが勝手に交通事故に遭っただけなのに、優は自分のせいだから、とあんなに心配して支えてくれたのに。
 仕事のことだって、会社とオレをつなぐ役目をずっとしてくれていた。優がいたから、頑張れている自分がいるのに。

 ああ、オレ………ホントにバカだよ。消えてなくなりたいくらい。

 顔を覆って泣くにはちょうどいいくらい車両には人がいない。こういうとき、男のくせにめそめそ泣くな、なんて言われなくてよかった。そんなこと言われたら、余計に落ち込みそうだから。
「おやおや、アンタ、大丈夫かい?ちり紙あげるから、泣くのはお止めなさいな。アタシも悲しくなってきたよ」
 それでも、見ず知らずの知らないおばあさんがポケットティッシュをくれた。みんな優しい。そして自分だけが意地悪だった、そんなふうに思えた。


 ボストンケミカルオブタケオカ研究所の辞令に一番驚きを隠せないでいたのが、当の本人だった。こういった話は内々に話が出ていたりするものだが、優の場合は出向人員ということもあり、気分は外様大名だった。
「各部署で推薦を出してくれってことで話は出ていたんだが、そもそも君は学生時代にMITに招聘されているし、僕も高山君に助けてもらわないと困ることが多いから、正直どうかと思ったんだけれどね。君はボストンに行きたいかい?」
 林部長は例の辞令の稟議書を片手に優に尋ねる。林部長は相変わらず、保護猫の“おかっぱプゥ太郎”をひざの上に乗せたまま渋い顔をしていた。
「むこうの研究所は存じ上げませんが、MIT時代の友人とかやりとりをしている人間はいます。久しぶりに会いたいのはやまやまですが、僕もこちらのプロジェクトに関わり始めてやっと起動に乗ったところなので、何故こんなことになったのかちょっと困惑しています」
 優の返事に少し安堵しながらも、林部長はため息をついた。
「……たぶん、君が青芝出身だから何かと煙たいと思っている人間がいるんだろうね。ヘンに封建的なところがあるから……おっと、今の言葉はオフレコだよ。僕はタケオカの人間ではあるが、外部からせっかく来てくれた人材を外に出してしまうとか愚の骨頂だと思わざるを得ない人間なのでね」
(……勢力争いみたいなものかなぁ。たぶん、タケオカの内部で青芝をけん制している人たちがいるのはわかっていたつもりなんだけれど)
 優は困惑しながらも、林部長に尋ねる。
「仮に、この辞令を断ったらタケオカにはいられなくなりますか?」
「……なんともいえないね。そもそも君を推している人間をつきとめれば、答えが見えてきそうだけれどね。僕もそういう内部の人事には疎いから」

 “技術畑のヲタクで来てしまったから、しょうがないけれどね” 林部長は自虐的にそう言いながら頭を掻いた。
 自分がアメリカに3年間も行くことになったらどうなるだろう。優は仕事の事を考えつつも、真っ先に頭に浮かんだのは慎太郎オレのことだった。
(自分の気持ちに余裕がないときに限って…。慎太郎と離れてしまったら、全てが終わってしまいそうだ)
 優は慎太郎オレとは違ってとても冷静だった。うろたえて感情をコントロール出来ない単純な慎太郎オレとは違い、アメリカ行きを回避する方法と、それ以外を模索していた。
「やっぱり慎太郎と相談しなきゃなぁ…。まだ怒ってるのかなぁ。帰りは晩飯おごって仲直りするしかないか」
 ランチ時に宥めて背中を押してくれた、タケオカOBの二人の言葉も力に、優は慎太郎オレのスマホにメッセージを送った。

 to: 慎太郎
 今晩、飯食べに行こう。オレが奢る。定時過ぎに営業部のフロアーに行く。
 from:優

 そのメッセージに既読が付くのを心待ちにしながら、優は午後からの仕事に頑張っていた。


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