雨とピアノとノクターン

結城りえる

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第九章 暗躍編 トラブルメーカー

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 新宿北山工業高校の坂下大我さかしたたいがは不良仲間のなかではかなり名の知れた生徒だった。いわゆる理由なき反抗を繰り返しつつ、特権を振りかざすエリートを憎んでいたりする。
 今日も学校の生徒指導の教師に頭ごなしに怒鳴られ、カッとなって暴れそうになった彼は危うく停学処分になりそうになった。もちろん、今の気分は最悪だった。
 そんな彼が仲間数人と一緒に繁華街の片隅で屯していたところ、突然目の前に見たことのない男が現れた。彼は自分を凝視する。
「あァ?なんだよ?なんか文句あんのかゴルァ?」
「ほぉ、君が坂下大我が?なるほどこれは傑作だ。まるで鳴海と双子のようだな」
 男はそう言うと、にやりと笑った。
「あァ?てめぇワケわかんねーことぬかしてんじゃねぇぞ?ぶっ飛ばされてぇのかよ、あァ?」
 虫の居所が悪い大我はいきなり男に殴りかかろうとしたが、素早く避けられてしまった。
「くそっ!舐めやがって」
「ははは…オレが貴様のようなゴミを舐めるだと?冗談だろう?」
「なにをっ!!」
 男は笑いながら大我の手を簡単に捻って伏せた。赤子の手をひねるように…とはまさにこのことだろう。
「てめぇ!離しやがれっ!ぶっ殺されてぇのかっ!」
「ぶっ殺すだと?冗談だろう?貴様は今、オレに抑えつけられてあきらかに分が悪いようだが?」
「くそーーーっ!」
「喚くな、ケダモノが!文句があるのなら、青葉学園に来い。貴様が毛嫌いしている学び舎だが、仕返し目的ならいつでも相手になってやる」
「ふざけるなっ!」
 大我は力任せになんとか抑えられた手を振りほどこうとするが、男の手は大して力を入れている様子もないのに頑として動かない。
「ああ、自己紹介をしておかないとさすがにサルでも顔だけではオレを見つけることは出来ないだろうからな」
 男は全く表情を崩さず、こう言った。
「オレの名は浦原誠二。いつでも相手になろう…」
 彼が大我の手を自由にしてやった瞬間を狙い、大我が浦原にこぶしを振り上げる。顔面に直撃しようとしたわずかな隙に、浦原は大我の足を蹴り払った。彼はバランスを崩し、無様に地面に転がり落ちたのだ。この瞬間、彼の面目は丸つぶれとなった。喧嘩や拳で築いた彼のプライドはズタズタになった。
 そんな彼に見向きもせず、浦原はゆっくりと立ち去った。去り際にこんなセリフを残して。
「身体だけの喧嘩で、オレに勝てるわけがないんだよ…」
 青葉学園から少し離れたいつものカフェ・黒猫。そこにはまた薬師寺がお気に入りの席でお気に入りの珈琲を満足そうに堪能している。
 そして時間差でふらりとやって来たのは、浦原だった。彼の姿が見えた途端、薬師寺はあからさまに眉間にしわを寄せた。
「………あまり頻繁に会いに来ないでもらいたいね」
 開口一番に文句を言う。
 浦原は無視するように通路を挟んだ別の席に座った。そしてダージリンを注文する。
「別にオレは副会長殿に会いに来たわけではない。一人で来て、独り言を言いに来ただけだ」
 ウェイターがしばらくしてダージリンの入ったポットと温めたカップ、砂時計を置いていく。
「美味いダージリンを飲むにしても、時間が必要なんでね」
「君はいちいちまわりくどいな!いつになったら佐屋輝を会長から失脚させられるんだ?」
「オレの独り言にいちいち返事などなさらなくて結構ですよ、副会長殿」
「返事ではない!抗議だ」
「…………」
「何故黙っている…?」
「……そろそろ仕掛けたものが動き出すと思いますので、オレは高みの見物です」
 浦原の言う“仕掛け”とは、大我を単純に煽って青葉学園で大暴れさせることだった。あれだけと瓜二つなら、全校生徒が大騒ぎすることになるだろう。ならば、鳴海を擁護し続ける佐屋の立場は悪くなることが確実視される。彼はそれを当初から狙っていたのだ。
「ずいぶんと自信ありげなようだね。期待していいのかな?」
 薬師寺はやや嫌味を込めて浦原に問いかけ、コーヒーを口にする。それに対してなんの返事もせず、浦原ただ、口の端を釣り上げてニヤリと笑った。

 佐屋輝の完敗した姿を眺めるのは、さぞかし気分が良いのだろうな。

 彼は心のなかでそう呟いていた。

**************

 そのころ、佐屋は井野口から今回の浦原の動きを既に情報として得ていた。
「なんだって…?浦原が?」
 自分に背を向けたまま、井野口は細やかに浦原が新宿北山工業高校の坂下大我を挑発した状況を説明する。
「このままでは、坂下大我は遅かれ早かれ、我が学園にやってくるでしょう。
短気でプライドの高い男ですから…」
「ああ、たぶんそうだろうな」
 佐屋は腕を組み、厄介なことになった…と思った。
「鳴海を……なんとかしなくてはならない。確かに停学処分になっているけれど、大我やつが襲ってきたら、鳴海と勘違いされても困るから…」
「なんとか坂下大我を足止めしなくてはならないな…」
「はい。私が接触してみましょうか?」
 一瞬、井野口の申し出に頷きそうになった佐屋は思いとどまった。
「いや、取り敢えず僕が新宿北山工業を尋ねてみようかと思う」
「佐屋様が?それはいけません!もしも何かありましたら…」
「井野口、心配ないよ。僕も武道の心得くらいはある。それに学校でおいそれと暴れることなど彼らにはないだろうから、大丈夫だよ」
 自ら出向くと言った佐屋の言葉に井野口はとても困った様子でいる。
「大丈夫。そんなに心配しないでくれ。そこまで言うならついてきてくれても構わないけれど、校門までだよ」
「……承知しました」
 佐屋は井野口の肩をポンポンと軽く叩く。それには“心配してくれてありがとう”という意味が込められていた。

***********

 佐屋は事前にトラブルが無いように青葉学園の指導部に生徒会としての交流を目的として、新宿北山工業高校にアポイントを取る許可を得た。指導部の教師は副校長まで掛け合って止めさせようとしたが、佐屋の申し出を許可せざるを得なかった。それほど佐屋は優秀で青葉学園開学以来の秀才で特別待遇であったからだ。
 そして数日後、佐屋は新宿北山工業高校に出向いていた。
「本当に校内までご一緒しなくてもよろしいのでしょうか?」
 井野口は未だに佐屋を一人にはさせたくないらしい。
「先日言ったとおりだよ、井野口。それに校内で暴れるようなバカなことは彼らもしないだろう?」
「ですが…」
「大丈夫だ。僕はちゃんと彼らと交渉出来る。もちろん、暴力ナシでね」
 佐屋はそう言って校内に堂々と入っていった。
 まずは新宿北山工業高校の職員室を尋ねる。正規にアポを取っているのだから、そこはスムーズに校内に案内してもらえることが出来た。もちろん、新宿北山工業高校ここの生徒会と交流というに則っている。
「ようこそ、青葉学園生徒会長さん。私は会長の田所礼音たどころれおんです。まぁ、親がDQNなんで女だか男だか判らない名前ですが、よろしく。あとは副会長の矢島と杁中と言います。それにしても何故わが校に興味を持って頂けたのですか?」
 生徒会室に通されると、そこには会長と副会長が2名、合わせて3人の関係者が佐屋を出迎えた。生徒会長らはやや茶髪でファンキーな風貌ではあるがこの学校では優秀なのだと井野口から伝え聞いていた。
「初めまして、新宿北山工業高校生徒会長殿。僕は青葉学園高等学校生徒会会長の佐屋輝です。突然押しかけた無礼をお許しください」
 佐屋は丁寧に敬意をもって田所たちに挨拶をした。
「早速ですが、僕が訪問した理由を申し上げます。うちの学園の生徒が新宿北山工業高校の生徒に双子かと見間違えるほどにている者がいるのです」
「……興味深い話ですね。自分にそっくりな人間は7人はいるだろうと現実に思っているのでそうなのかな、と」
 田所は面白そうな顔をした。
「で、その生徒が今、暴力沙汰を起こしたと近隣住人から写真を撮られて通報を受けたのですが、頭髪が金髪だったんですよ」
 佐屋のその言葉に新宿北山工業高校生徒会の三役の顔色が変わる。
「もしかして、お心当たりがありますか?」
 佐屋もその反応を見逃さない。
「ええ、まぁ…。ちょっと…だけお待ちいただけますか?」
 生徒会長の田所はすぐに席を立ち、生徒会室を出て行った。もちろん、佐屋には行き先がわかっていた。生徒指導部の教師に相談してを佐屋に突き出すべきか否か決めるのだろう。

  その間、生徒会室で佐屋は待つことになった。しばらくして生徒会室のドアがノックされ、生徒指導部の教師らしき人物とが現れたのだ。
「……なんでオレがこんな辛気臭ぇとこに来なきゃなんねーんだよっ!」
「少しは大人しくしたらどうだ、坂下!お前にわざわざ会いに来て頂いているんだぞっ!」
「っるせーぞ!ぶっ殺されてぇのかよ?」
「教師に向かってその口の利き方はなんだっ!?」
 佐屋の目の前でその荒っぽい押し問答は繰り返される。これは自分が何か言わなければ延々と続きそうだ。
「すみませんが、僕に彼と話をさせてください」
「ああ、とんだ恥ずかしいところをお見せしてすみません。ほらっ、坂下」
 ふてぶてしい様子の彼は椅子に無理やり座るように促され、そっぽを向いていた。
「坂下大我君、初めまして…と言いたいが、実は僕は君に一度会っているんだ」
 佐屋の言葉に大我は顔を背けたまま、目線だけをちらりと彼に向けた。
「……知らねぇよ。てめぇなんか」
「まぁ、そう言わないで聞いてくれないかな。以前、君をつい凝視してしまった為に、僕は君に絡まれたことがあるんだ」
「……覚えてねーよ。ってか、青葉のヤツは気に食わねーんだよ。どいつもこいつも世間知らずのヤツばかりで」
「……まぁ、君が覚えていなかったとしても、僕は君に謝る必要があると思っていてね。あの時はすまなかった、許してくれ」
 テーブル越しではあるが、佐屋が深々と頭を下げる様を生徒会室の彼以外の人間全員が驚いた表情を見せた。よもや大我が謝る側だと予測していた出来事が真逆であったからだ。
「なんでてめぇがオレに謝るんだよっ!っつーか、キメーんだよ!」
 突然の出来事に居心地が悪くなったようで、大我は喚く。
「……君をじろじろと見てしまったのには、理由があるんだ。この写真を見てくれないか?」
 佐屋はスマホの画像ファイルにあった、鳴海の写真と、暴力沙汰の通報の原因になった、データ画像を両方見せた。
その途端、大我は驚いた様子でその写真にくぎ付けになっていた。もちろん、くぎ付けになった方は鳴海の写真の方だ。
「誰だよ、こいつ!?オレじゃねぇ。オレじゃねぇのにオレみてぇだ」
「僕が言っている意味が解ってくれた?つまり、そっくりなんだよ。僕の友人と君が」
 二人の会話に言われるまま、新宿北山工業高校生徒会室のほかの面々も
提示された写真とデータを覗き込む。
「えっ?」
「ほんとだ…よく見ると違う。けど、金髪だし、似てる」
「双子みたい」
「でも、青葉の生徒会長の友達が金髪!?」
 もしも佐屋に余裕があったのなら、彼らの各々の化学反応は興味深いものだったろう。
「彼の名前はね、鳴海悠生。青葉学園高校の1年生なんだ。実は見かけは粗暴に見えるけれどね、家族を早くに亡くして天涯孤独で寂しがりやなんだよ。今は僕と暮らしている。僕も…両親がテロに巻き込まれて亡くなっていてね」
 サラッと自分の壮絶な身の上話を語る佐屋に、そこにいた一同は思わず息をのむように黙り込んだ。青葉といえば常に裕福な家庭に育つエリートのイメージが先行してしまうのだが、そんな環境にこんな人間が二人もいたことが本当に信じがたいものだったのだ。
「……なんだよ……それ。嘘じゃねぇのか?お前ら青葉の人間はなんの苦労もせずにのうのうと生きて、オレらを上から見てバカにしてる連中だろうが?」
 大我は少なからず佐屋の境遇にショックを受けているようだった。それでも憎まれ口を叩かずにはいられない。そんな孤独にいながらも、友人のために奔走し、わざわざこんな高校にまで乗り込んできたのだから。
「君が僕らの学園をなんとなく気に入らないのは理解しているつもりなんだ。
実際、僕は生徒会長をやっているけれど価値観も意見もずれている人間はたくさんいる。たくさんいることで意見はたくさん生まれるし、ひとりじゃ思いつかないアイデアだってある。感じ方もひとりひとり違うからね」
「……わかった。お前らのこと、ちょっと勝手に妬むとかダセぇことして悪かったな…」
 大我は素直に頭を下げた。佐屋は解っていたのだ。彼の本質は悪くはないことを。現に彼を連れてきた教師のまなざしが優しかった。彼は粗暴に見えるが
意外に周囲に愛されている。自分と鳴海が恵まれなかった“良い人間との出会い”が彼にはあったのだ。羨ましいと思えるのはむしろ佐屋の方だった。
「いいんだ、謝る必要なんてないよ。それよりも、この画像を撮られた状況について教えて欲しいんだよ」
「……それは、仲間が一方的に他所の学校の連中に絡まれてボコられたから、助けに行ったンだよ。たむろってた公園だったかな…。あっちが先に手ぇ出して来やがった」
「わかった、大我君、有難う。今の君のこと、うちの教師に伝えてもいいかな」
「ああ、いいぜ。なんなら行ってやってもいいんだぜ?」
 大我は快くそう言うとニヤリと笑った。
 大我はふと思い出したように佐屋に尋ねた。
「ちょっと聞きてぇことがあるんだが…」
「なんだい?僕に答えられることがあるのなら、答えるけど」
「お前んちの高校に浦原ってふざけた野郎はいるか?」
 浦原の名前を聞いた途端、佐屋は真顔になった。
「ああ、いるよ。うちの風紀委員長だ。過激なところもある。浦原がどうかしたのかい?」
「……繁華街で連れと一緒にいたら喧嘩ふっかけてきたんだよ。文句があったら青葉に来い、って言いやがった」
 佐屋はしばらく考え込むようにして黙っていたが、何か案でも思いついたのか、口元だけを吊り上げた。
「少し懲らしめてやろうか、アイツのことを」
「ほんとうか?だったらついでにやっつけてやりてぇ」
「ああ、ここは任せてくれないか?後日連絡する…」
 こうして、佐屋が新宿北山工業高校に出向いたことはなかなかの収穫を得たといえるものだった。


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