雨とピアノとノクターン

結城りえる

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第七章 文化祭編 ラストダンス

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 青葉学園の副理事長クーデター事件から数ヶ月。季節は学園祭の時期となっていた。
 ここ数日、鳴海は佐屋とすれ違い生活を余儀なくされている。佐屋は言わずと知れた生徒会会長であり、学園祭の実行委員長でもある。こんな時期は修羅場というか、完全に公僕に徹する彼だった。
 そんな彼を労わりながらも、鳴海は重い溜息をついた。
「……なんか…こう、佐屋がそばにいねーといまいちだな」
 佐屋が精根尽き果てた状態で、いつも玄関に倒れ込んで帰ってくるので、鳴海はピアノバーのバイトを彼の分まで頑張っていた。
「…ごめんね、鳴海。しばらくマスターに休むって言っておいて」
「わかってるって!佐屋は気にしねーで夜ぐらいはゆっくり休まないとダメだって!しかも夜遅くまで勉強してるし…ホント、体もたねーって」
「…うん、ありがと…鳴海…」

 …ったく、佐屋は何から何まで一人でやろうってカンジだから、いいように使われるんだって…。

 鳴海はこんなボロボロ状態の佐屋の姿に納得などしていない。
「昨日も薬師寺のヤツを見かけたけど、副会長のクセにブラブラして、ぜーんぜん、働いてる様子がなかった…」
 人一倍権力に固執しているくせに、いざとなるとオイシイところしか持っていかない薬師寺に鳴海はムッとしていた。
 あれでは学園祭が終了するまで、佐屋はゆっくり出来そうにはなかった。

 なーんか、楽しみがあればいいのに…。

 鳴海は今日も昼休みに教室の隅で、窓からグラウンドを眺めていた。
「ねー、ねー?そういえば、学園祭のラストダンス、誰と踊るの?」
「えー!?今さらそんなコト、聞かないでくれるぅ?」
「やだーっ!!あはははは…」
 鳴海が座る席よりも、やや前方で、数人の女子生徒が楽しそうにおしゃべりをしていた。
「いいなぁ…女子は楽しみがあって」
 青葉学園の古風な恒例行事として、学園祭の後夜祭で、ファイヤーを囲んでダンスを踊るのだ。そのダンスに誘う相手は、自分が付き合っている恋人だったり、意中の人であったりする。
 ロマンチックな演出であるため、毎年このダンスでカップルが量産される…などと、揶揄されることもある。

 ふと、鳴海は想像してみた。
 佐屋のリードで踊る自分の姿…。

 …超、ありえないって。

 やっぱり、男同士では無理だな…と思う。佐屋とは公認の仲になりつつある自分ではあるが、こういった恋人間に許されるイベントに、ちょっとでいいから出てみたい…。
 そんな夢が最近芽生えつつある鳴海だった。

 そして今夜も佐屋が、ヘロヘロになって帰って来た。
「…しっかりしろー?佐屋ー?…ったく、玄関で寝るなー!起きろー!」
 よっこいしょ…と、佐屋の腕を肩にかけて彼を担ぎながら、鳴海は佐屋をソファーの上で横に寝かせた。
「…なぁ、佐屋?」
「……ん?………鳴海?…何?」
「…例えばさ、佐屋とオレがラストダンス踊るって、変かな?」
「…………」
「くそっ!……黙ってスルーするほど変なのかよ?佐屋なら賛成してくれるって思ったのに…」
 鳴海が佐屋の鼻を指で摘んだ。すぅ…と彼の静かな寝息が聞こえた。

 ちぇっ…また寝ちまいやがったか…。

**********************************

「…で?鳴海はアイツと踊りたいわけ?」
 バーLucusのマスター、タカシはグラスの輝きを確認しながら、洗って乾かしたそれを戸棚に片付けていた。
「……まぁ…そうかな」
 鳴海は恥ずかしそうに指でこめかみを掻いた。
「いいんじゃない?男同士、ばっちり目立つし♪」
 タカシの両目が弧の字型になって、さも可笑しそうだ。
「くそっ!!だからマスターに話すのってイヤだったんだ」
「まぁーまぁー、そう怒りなさんな!ダンスなんて自己満足なのっ!誰かに見られたいから踊るんじゃなくって、一緒に踊りたいから踊るんでしょ?」
 ふざけているようでいて、意外とタカシの言葉は的を得ている。
「…でもなぁ…。佐屋は誘ったら、踊ってくれんのかなー?」
 鳴海は未だに佐屋の性格を理解していないようだった。
「お前も随分鈍いっていうかだねー?ま、そういう頭のぬるいところも、佐屋のお気に入りなんだと思うけどね…」
「ダァーーーッ!アッタマぬるくて悪かったな!?」
「ほんっと、単純。さぁ、鳴海、簡単なカクテルの作り方ぐらいは覚えてくんないと!」
 タカシのその言葉に、鳴海は首をかしげる。
「なんで…?マスターが作らないの?」
「あー、のー、ねー?Lucusここは一応、ピアノバーで通ってるのっ!だから佐屋がいないならオレがピアノ弾かなきゃなんないでしょっ!?なんなら君が弾く?鳴海?」
「いや、いや、いや、わかったって!おれは、ねこふんじゃったも弾けねーし…カクテルの作り方を覚えます…すんません…っていうか、マスターって、ピアノ弾けるんだ!?」
 初めて知ったその事実に対して鳴海はオドロキを隠せない。
「そぉ?ふふふふ…。今日は診療が終わったら瑠加ルカが店に寄るって言ってたから、アイツの前でピアノ弾いてやるんだ♪」
 瑠加ルカはこの界隈で眼科を開業している医師でタカシとアメリカで知り合った彼の恋人だった。

 ちぇー!人がブルー入ってるときにのろけかよ…。

 そういいながら、鳴海はやれやれ…と苦笑するのだった。

 翌日、生徒会室で執務中の佐屋は後夜祭について各委員たちと協議をしていた。
「年々、派手になっているから今年はファイヤーストームは中止にするべきかと意見が出てますが…」
「中止ですか…。別に安全面など毎年問題もないですし、僕はダンスぐらいなら構わないと思いますよ?」
 委員たちは佐屋のその一言がよほど意外に思えたのだろう。驚いた表情を隠せないでいる。いつもの佐屋なら即座に中止の方向に意見が傾くと思われていたらしい。
「……会長がそうおっしゃるなんて、意外でした」
「そうかい?…うん、まぁ…僕も今年は個人的には参加…してみたいかな」
 少し照れを隠すようにして、佐屋は微笑んだ。
「むやみにせっかくの楽しみを中止にしては、全学園生たちが大いに落胆してしまうだろうからね。反対意見の諸君には、僕から説得しておきますよ…。では、皆さん、よろしく…」
 会議を終え、引き続き生徒会室を移動しようとした佐屋に、ふと物陰から手が延びた。
「………っ!」
 思わずバランスを崩しそうになった佐屋だったが、自分の腕に延びてきた手を掴むと、その感触だけで誰なのか判ってしまった。
「……嬉しいな、君からこんな積極的なアプローチがあるなんて、思わなかったよ」
「だってこうでもしなきゃ、家に帰ってきたら佐屋はすぐ疲れて眠っちゃうし…。まともに話も出来ないだろ!」
「…そうだね。最近はお昼さえもカフェテリアで打ち合わせをしていたから、鳴海とまともに話もしていなかった…。悪かったよ、ごめん…」
「べ…べつにいいって。佐屋のせいじゃねーし。しょ…しょうがねーじゃん、そんなこと」
 ほんのわずかだが、渡り廊下の立ち話でこんなに幸せな気持ちになれたのは、久しぶりだと思う鳴海だった。

 オレって…ホントに佐屋が好きなんだ…。

 佐屋の為を思い、自分はなるべく目立たないように気遣ってきた鳴海だった。頭髪や瞳の色など、生まれつきなものは仕方がないにせよ、着崩していた制服もきちんと着るようになったし、他校の生徒との暴力沙汰もなくなった。
 なにより、授業をエスケープしなくなったのも奇跡に近い努力だと我ながら思った。

 だけど…

 本当にすれ違いが多くて、淋しかった。我慢に我慢を重ねてきたが…今更のように気付いたことがある。もう、数週間も佐屋の肌と触れ合っていない。
 恋人として同じ家に住み、当然のように同じ褥で佐屋と肌を合わせて眠っていたというのに。
 恥ずかしくて時に佐屋を拒否せずにはいられないこともあったけれど…今思うと、その羞恥はバカみたいな意地だったと彼は思えてくる。
 鳴海は今更ながら自己嫌悪に陥った。

 佐屋が欲しい。佐屋に触れて欲しい。佐屋に包まれたい。
 待っているだけじゃダメなんだ…。
 たまには…自分から佐屋に甘えてみよう…。

 そんな気持ちだけが彼を動かしていたのだ。

 そんな鳴海の様子が伝わったのだろう。佐屋は優しく微笑みながら彼の耳元で囁いた。
「…あんまり僕にそんな可愛い顔を見せないでよ、鳴海。一生懸命我慢してるのに、襲いたくなっちゃうよ?」
 その途端、鳴海の全身がカーッと熱くなった。オレが思っていることが佐屋にバレてるってこと!?
「……そ…それ…オレ…別に」
「ジョーダンだよ!鳴海が嫌がることなんてしないから」

 ち…違う!違うって、佐屋!!

 学内で誰かに見られてはマズイのは充分解っていた。それでも…それでも、もう限界だ!!

 鳴海は衝動で佐屋の腕を引っ張った。衝撃で彼が持っていた数冊の生徒会資料とファイルがバサバサと落ちた。
 
 そんなもの、落ちたって構うもんかっ!!
 ガキだって言われたって、子供だって言われたって……。
 好きなものは好きなんだから、しょーがねーだろっ!!

 キンモクセイの強い香りの生垣に佐屋を引っ張りこみ、鳴海は隠れて佐屋の唇を奪うようにしてキスをした。

 えっ?…

 目を見開いたまま、佐屋は鳴海にされるがままだったが、一度唇を離すと、今度は自ら彼を抱きしめ深くキスをした。
「……困るなぁ、鳴海。こんなふうに誘われたら、夜までいろんなことが手につかなくなりそうなんだけれど」
 佐屋は胸のうちの全ての熱を吐き出すように熱い溜息をついて苦笑した。
「……うん、悪りぃ」
 謝る鳴海の顔が本当に愛しく思えた。
「そうだね…。謝るのは、僕の方だった。大事なことを忘れていたよ。どんなに忙しくても…君のこと、忘れずにいたつもりだったけれど…それだけじゃダメだったよね…」

 本当はすぐにでも君のことを抱きたいけれど…。

 佐屋は散らばった生徒会のファイルと資料を拾いあげながら、微笑んだ。
「…大好きだよ、鳴海。先に家で…いい子にして待っててね」

 夜は僕にちゃんと付き合ってもらうからね…。

 その夜は佐屋の予告どおりの夜になった。予想だにしていなかった鳴海の情熱が、佐屋に火をつけてしまったようだった。
 家に帰ってくるなり、佐屋は鳴海のことを力いっぱい抱きしめた。普段几帳面な彼からは想像出来ないほど焦りながら、玄関の靴は脱ぎ散らかし、鞄も置いたまま、フロアを移動しながら、転々と服を脱ぎ散らかしていく。
 よくぞ今まで我慢していた…と佐屋は自分で思った。
 キスをしていないと死んでしまう…そんなふうに喩えられそうな勢いで佐屋は鳴海とキスをしながら寝室に移動する。
「……佐屋……腹減ってないのか?」
「……うん、ペコペコ」
「だったらさ、な?あとで…」
「…もうダメ。逃げたりしないでよ、鳴海。君がいけないんだよ?…あんなふうに学内でキスされたら…僕はどうにかなりそうだったよ…」

 ベッドに行くまでももどかしく思えてしまう。

 そんな風に自分を強く求めてくれる佐屋のことを、鳴海は可愛いと思えてしまった。
 これでいい…と鳴海も思った。自分たちは、うんと不器用な愛でしかお互いを繋げないのだ。気の利いた愛情表現も、何もないけれど…それでも、二人が一緒にいられるのなら、それでいい…。それが、全てでありたい…。
 力任せに抱きしめられて、愛されて、余計なものが引きちぎられてゆく。

 …オレ…佐屋が…佐屋が、すっげー好き。

 繋がりを求めてお互いを感じて貪るように口づけを繰り返す。鳴海の背にぴったりと自分の上半身を合わせ、佐屋が重なったとき、鳴海は満たされてゆく…。

「……まだだよ、鳴海。まだ離してあげない」
 何度か鳴海が佐屋の腕のなかでキスをしたあと、ようやく佐屋は鳴海を開放してくれた。
「佐屋…腹減った…」
「うん…僕もさすがに…。ピザでもとろうか?」
「やったー!オレ、テリヤキが載ってるチ-ズたっぷりなヤツなー」
「…わかってます、わかってます…」
 空腹はさすがに誤魔化せなかったが、今の二人は、とても満ち足りた気分だった。

 数日後、文化祭は無事開催することができ、実行委員は慰労の言葉を教師陣から貰っていた。そのなかで、一人、ソワソワとしている佐屋がいた。
 ファイヤーストームの点火が行われる時刻に、鳴海をとある場所に呼び出していたからだ。
「…なんとか、間に合うといいけれど。鳴海は待たせすぎたら怖いんだよな…」
 佐屋は困った顔をしながらも、とても嬉しそうだった。
 実行委員の解散宣言の後、彼は廊下を走っていた。
「なぁ?あれ、会長じゃね?」
「…ホントだ!廊下走ってるなんて…普段はクールなイメージだったけど、めずらしいじゃん?」
「実はオレさ…あの人、ちょっと完璧過ぎて苦手だったんだけれど…、なんか最近、変わったよな」
「やっぱそう思う?オレも思った…」

 なんていうか…今のあのヒト、すっげー人間っぽくて身近なんだよね…。

 そんな周囲の声など、佐屋は知る由もなかった。ただ、頭にあるのは、鳴海のことのみ…。
「…ごめん!待った?」
「おっせーよ!なんだよ、こんなとこ呼び出しておいて!しかも屋上って…」
「ここだと…誰も来ないし、建物が低いからファイヤーストームが意外と綺麗に見える場所なんだ。火が近くにないから…ちょっと寒いけどね」
 佐屋はうやうやしく右手を左胸にあてがい、左手で鳴海の手をとった。
「僕と踊ってくれませんか、鳴海悠生君…?」
「…佐屋」
 湧き上がるような喜びを、そのまま鳴海は笑顔で返す。ここは誰にも邪魔されないステージだ。佐屋のリードでダンスを踊る。自由自在にステップを踏みながら、静かに踊る。
「男同士で…変かな、佐屋?」
 そんな鳴海の問いに佐屋は首を横に振る。
「変じゃないよ…それに」

 ダンスは「踊りたい」と思うから踊るんじゃないかな…。

 どこかで聞いたセリフだな…と思いながらも、鳴海は佐屋といつまでも楽しそうに踊り続けていた…。

the ende

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