雨とピアノとノクターン

結城りえる

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第三章 出会い編 罠

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僕はその日の朝、生徒会室に直接出向くつもりだった。
 今頃は鳴海は温水プールで気持ちよく泳いでいることだろう。うちの学園の競技用プールは50mもあり、最新の設備を誇っていた。
「確かに出入り自由だけれど…無断で入って水泳部に叱られなきゃいいけれどな…」
 ところが僕のそんな心配よりもはるかに想像を絶することが起きてしまったことを、僕はこのとき知る由もなかった。
 渡り廊下に差し掛かったとき、廊下の床材さえ削り取ってゆくような勢いで、大勢の人間が慌てて走って行く。
「大変だ!誰かプールで溺れたって!!」
「バカ野郎!今日はまだメンテの時間じゃねーだろう?」
「それが、生徒の利用時間外の方がいいからって、予定より早くなったらしく、それで排水始めたら、誰かが吸水口に足をとられて引きこまれたって!」
 走り去っていく水泳部の部長たちの言動を耳にした途端、僕は自分でもしんじられないほど動揺せずにはいられなかった。

 …まさか!?鳴海っ!?

 僕は我を忘れて走った。温水プールにはどっと野次馬が押し寄せている。
僕のすぐ後ろに、井野口が控えていた。
「佐屋様、鳴海様が…」
「排水作業を止めろ!!関係者以外は退避っ!会長命令だっ!!」
 僕は上着を脱ぎ捨て、井野口の制止を振り切り、救命用のロープのついた浮き輪を持って飛び込んでいた。
 競技用の飛込台の真下は水深が5m近くある。吸水口はその付近にあるはずだ。だとしたら…鳴海を早く引き上げないと、溺死してしまう!
 僕はプールの底で、すでに気を失っている鳴海を見つけた。泳ぎに衣服がことのほか邪魔になる。だが、脱ぐようなそんな猶予などない。
 僕は鳴海に浮き輪を固定すると水面に上がり、力いっぱい引き上げた。
「鳴海っ!しっかりするんだ!鳴海!!」
 口元に耳をつける。息をしていない…。
 僕はプールサイドの連中に大声で怒鳴った。
「AED持って来いっ!!更衣室にあるだろっ!早くっ!!」
 普段から大声を出したことのない僕の姿に、皆はさすがに恐れをなしたのか、茫然としていたがすぐに弾かれるようにAEDを取りに走った。

**************************

 緊迫した蘇生措置の最中、鳴海は息を吹き返した。チアノーゼを起こした彼の唇は、恐ろしいほどどす黒い紫色に変色していた。
「…鳴海、僕がわかるか?」
 僕の問いかけに、鳴海はコクリと頷いた。
 朝早くの出来事だったため、頼りになる教職員もまばらだった。もしもあの渡り廊下で、偶然僕がプール事故について聞かなければ、鳴海を失っていたかもしれなかった。
 彼はそのまま、救急車で病院に運ばれ、一日だけ入院となった。
 プールは午後、業者のメンテナンスが入ると言っていた。ところが予定が早まったことはごく一部の人間しか知らされていなかった。ならば、使用禁止の札や張り紙などがなされていたはずだが、それもなかったのだ。
 いくら鳴海でも、それを無視してまでプールに入水するだろうか…?僕は濡れた制服を更衣室で取替えながら疑問に思っていた。

 何者かが…仕組んだとしか思えなかった。
 僕のせいか…?
 どす黒い権力争いの陰謀に、僕が鳴海を巻き込んでしまったのではないだろうか…?
 僕はショックのあまり、しばらくその場で座り込んでいた。
更衣室から力なく出てくる僕に、背後から何者かが声をかけてきた。
「いやぁ…残念でしたね。もう少しで、学園のゴミ掃除が出来るところだったのに…」
 僕は全身の血液が怒りで逆流するのを抑えられず、振り向き様にその者を殴っていた。
 ……薬師寺だった。
「どういうつもりだ?君は僕に絡むだけじゃ不服なのか?鳴海は関係ないはずだろう?」
 薬師寺は僕の拳で口の端を切ったようだった。血がにじみ出ている。
「…やはり、鳴海君に揺さぶりをかけて正解だったか…。どうやら彼は君のアキレス腱のようだね、会長?」
「…だったらどうだというんだ?君のやったことは殺人未遂だぞ?」
「…やだな、証拠もないのに人聞きが悪い。僕はいわば、害虫駆除が出来たらいいな…と思っているだけだよ。彼がいなくなれば、現理事長も責任を取ってこの学園を去ってくれるしね…」
 そういうことか…。
「…この企みに、浦原誠二も絡んでいるのか?」
「…いいや、知らないね。彼がどうしようと、僕は知ったこっちゃないよ…」
 僕は彼の足元を思いっきり靴で蹴り上げた。騒音を立て、それと同時に彼も衝撃を隠せなかった。
「…いいか?今度鳴海に指一本でも触れてみろ?貴様を…殺してやる…」
 これから降りかかってくる火の粉をどうやって払うか?僕はそれ以上不快な彼を見ていることに我慢が出来ず、そのまま病院へと向かうのだった…。



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