雨とピアノとノクターン

結城りえる

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第二章 出会い編 一年生の風紀委員長

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 浦原誠二…彼は鳴海と同じ学年で、やはり頭脳明晰な優等生だった。たしか、風紀委員の委員長という地味なポストに治まっていた。
 でも、僕は感じていた。彼が油断ならない男であること。これはあくまで直感だった。
 実際、彼は常に先回りして僕の行く手を阻むような妨害工作を得意としていた。
 風紀委員長という表向きの顔の裏に、少数の人間を使って心理戦に持ち込む戦法が実に上手かった。

…とにかく誠二君は油断ならないってことか。
 僕はラテン語の辞書を図書室に返却に行きながら、生徒会室へと向かうのだった。
********************************
 放課後、鳴海は校門の門柱に手持ち無沙汰な様子で凭れていた。今朝方、あんなふうに佐屋と別れたが、本気で怒っていたわけではない。いつの間にか…自分の日常のなかに自然と僕との位置は定まりつつあった。
 自分が過ごす時間のなかに、僕が存在しないこと事態に違和感が生ずるようになっていたのだ。
「…オレも、バイトすっかな…。いつまで後見人のアノ人に頼ってらんねーしな…」
 そんなふうに独り言をぶつぶつとつぶやいていると、鳴海の横に腕章をつけた生徒が数人、彼を取り囲んだ。
「…一年の鳴海悠生だな」
「…あァ?…んだよ?」
 鳴海はちらりと腕章を見た。

 ……風紀委員か…。またこの髪のことを言われんだろうな…。

「……相変わらず、校内での暴力的な態度を改める気はないのか?」
「…暴力的?どのへんが暴力的だよ?オレは最近、ケンカだってしてねー」
「…ケンカはしなくても、その威圧的な態度、そして髪型!我々の規定を大いに逸脱している…」
 まるで絵に描いたような連中だった。風紀委員のメンバー全員が眼鏡をかけ、似たような髪形で同じ黒髪だ。
「そろいも揃って、まるで虫みてー。うっとうしい…」
「なんだとっ!?我々が丁寧に君を指導しようとしているのに、その態度は…」

「…待て」
 風紀委員のメンバーの一人が鳴海に詰め寄ろうとしたとき、彼らの背後から声がした。
 …浦原誠二?
「…やめておけ。ソイツには構うな。ソイツに構えば…会長が黙ってはいないだろう…」
「…は…はい、でも…規則では…?」
「鳴海悠生!いつまでもオレたちが大人しく引き下がるとは思わないほうがいい。じゃあな…」
 浦原はその場にいた風紀委員たちを従えてその場を去った。
 一年生にして優秀な頭脳、統率力を買われ、唯一、委員長になっている生徒、それが浦原誠二であることは、鳴海もよく知っていることだった。
 佐屋と暮らす前までは、佐屋とこの浦原は自分には生理的には合わない人種だと、信じて疑わなかった。
「鳴海!」
 僕が呼びかけると、彼が振り向いた。
「…待っててくれたの?ありがとう。今朝はあんなに怒っていたから、今日は先に帰ってしまったと思っていたよ…」
 僕はからかったことを素直に鳴海に詫びた。すると彼は「気にしてない」と言ってくれた。
 他愛もない話をしながら、帰路を二人で歩く。そんなささやかな時間が、嬉しかった。
 そして、僕らに忍び寄る影が、刻一刻と迫ってきていることに、この時、僕らは気付くことはなかった…。
******************************
 今日は久しぶりに僕のバイトが休みだったこともあり、二人でゆっくりと夕食を食べた。
「なぁ…佐屋は、いつもバイトしてて偉いよなぁ…オレも…バイトしてぇんだけどさー」
「…意欲があるなら、やってみたらいいよ。努力して得られる報酬の楽しみって、鳴海は味わったことないのかい?」
「…ん、そーでもねーよ。昔、ガテン系で日当稼いだことあるし…。オレって体力には自信あんだぜ?」
 鳴海はご飯粒を飛ばすような勢いで笑う。
「鳴海ー!汚いよ!ご飯粒が飛んでくる!」
「あ、悪りぃ、悪りぃ!!」
 性格もまるで正反対の僕らなのに、何故、こんなに一緒にいて安らぐのだろう…。
 夕食の後片付けを済ませ、僕は母のベーゼンドルファーの前に座った。鳴海が何か弾いて欲しいとせがむので、ショパンのノクターンを弾きはじめた。
「…なんか、いい曲だな。オレも…こんな風に気持ちよく弾いてみたい」
 優しくて切ない曲想を彼は気に入ったという。あんなに暴れん坊な彼が、僕のピアノで大人しくなるなんて、ちょっと不思議だった。
「…自分で弾いてるみたいに、雰囲気味わってみる?」
僕は椅子から立つと、替わりに鳴海を座らせ、その背に回って僕は立ってピアノを弾きはじめた。
「…目を閉じてみて、鳴海…」
 
 鍵盤をストロークする僕の指が奏でる音を、君は一番近くで聴いてごらん?
 優しい音がする?それとも切ない音?
 どんな種類なのかわからないけれど、僕は今、とても満たされた気持ちなんだ…。
 君に出逢えて…本当に良かった。
 そして…………

 嬉しい。

 僕は鳴海の背中に合わさるようにして、ピアノを弾き続けた。すると…彼が顔を真っ赤にさせて言った。
「…佐屋」
「…何?」
 僕は指を止めた。
「笑わないで、聞いてくれ。……オレ…なんか…なんかさ、変なこと、考えてた」
「…変?」
「ずっと、なんで佐屋と一緒に居たいと思ってたんだろう、ってもやもやしてた。確かに一人で暮らすより金だって節約になるし、メシだって一人で食べるより美味いし、ホントにそれだけなのか…って」
「鳴海……」
「…お…お…オレは、男なのに…なんでだろ……佐屋のこと……すっげー…気になって仕方ないんだ。気になるっつーか、好き…?かも」
 僕は鳴海を見つめた。そして、僕が彼と一緒にいるわけをようやく見つけたような気がしていた。
「……鳴海が変だっていうなら、僕はもっと変かもしれないね…」
「…なんで?なんで佐屋が変なんだよ?」
「だって……君に言われる前から、僕は君が好きだったみたいだから」
 赤い顔をして椅子に座ったまま見あげた鳴海を、僕は抱きしめた。
「…女の子でも、男の子でも…僕はたぶん、鳴海だから好きなんだと思うよ…」
 僕は迷わず目を閉じ、鳴海と唇を重ねた。
 静かな夜だった…。
 僕らはただ、互いの気持ちや心の声を探すかのように、何度も何度もキスをした。覚えたての恋やこの想いを大切に育てたいと自然に思えた。やがて、僕らはお互いといつか繋がりたいと思う日がくるだろう。たとえそうだとしても、今夜の恥ずかしそうに雲間に隠れる月と、たどたどしいキスの感触をきっと忘れることはない。今まで乾いていた心を潤すように、何度もキスをした。
 
 鳴海…大好きだよ。
 どうして君は…こんなにあったかいの?
 僕には余裕がなくて…
 この気持ちを…愛してるっていうのだろうか。

****************************

翌朝、満たされた気持ちで僕がベッドで目覚めると、横にいるはずの鳴海が居なかった。
「…鳴海?」
 僕が部屋中を捜すと、食卓に走り書きのメモがあり、朝食が用意されていた。鳴海の、少し癖のある字が並んでいる。

≪朝飯、作っておいた。
朝、すっげぇー恥ずかしいし、どんな顔してお前と会っていいか、わかんねーから、先に学校行く。温水プールでも行って、朝風呂っぽく泳いでくる。    =鳴海=≫

「…鳴海、卵、少し焦げてる。でも…」

 いただきます。

 僕はその手紙を読んで、また幸せな気持ちになっていた。僕らは自然に惹かれあって結ばれた。そしてそれはのちに罪深い秘密を抱えることになるとは、夢にも思わなかった。若さゆえの、衝動のために。







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