上 下
9 / 9

わたくし、彼と心が通じますわ

しおりを挟む
 わたくしの体重を受け止めたウィルは腕の骨を折っていました。これではまるで、わたくしがガラス細工のように繊細ではないことが証明されてしまったかのようです。
 家で、お医者様の処置を受けた後、わたくしはウィルに言いました。

「魔法を使えばよろしかったのです。そうすれば怪我なんてすることはありませんでした」

「魔法を使って、制御を失い、万が一にでも間違ってあなたを傷つけてしまったらと思うと恐ろしかった」

 この数日、主にわたくしが流していた気まずい空気は、彼の負傷により払拭されておりました。

「痛いですか? わたくしにできることはありますか?」

「名誉の負傷です。メイベル様をお守りできたのですから。こうしてまたお話してくださって嬉しいですよ」

 打ち身もあり、いつものようには動けず、ソファーに寝転がりながら屈託のない笑顔を浮かべるウィルに、ほんの少しだけ心が揺らぎそうになったあとで、慌てて思い直しました。

「確かに、わたくしに何かあったら、あなたは叔父様から報酬が受け取れなくなってしまいますものね」

「違いますメイベル様。あなたに何かあったら、俺はきっと死んでしまう」

「どうして?」

 椅子から立ち上がり、わたくしはウィルに寄っていきました。わずかの期待が首をもたげます。
 しばらくの沈黙の後、やがて意を決したように、彼は言いました。

「俺はあなたが好きです」

 言って彼は目を閉じました。
 恋って素晴らしいものでしょう? 喜びに溢れた楽しいものです。なのに、彼はまるで言ってはならないことを言ってしまったかのような苦悶の表情を浮かべていました。
 そんな顔を見ると、わたくしも悲しくなってしまいます。

「それではなぜ、そのような表情をなさるのです」

 ウィルは黙っています。

「続きを、教えてくださいまし」

 再び開いた彼の目は、救いを求めるかのように揺れていました。そうして限界だったかのように、一気に言いました。

「メイベル様が、とても好きです。あなたは俺を覚えていないでしょうけれど、俺は小さい頃のあなたも、そうして成長したあなたもよく知っていました。気がつけばいつだって目で追っていた。身の程知らずと知っていても、憧れは止められなかった。結婚の話を受けた時、飛び上がるほど嬉しかった。でも、その思いを封じなければと思った。
 俺は親のない孤児です。あなたは同じだとおっしゃってくれたがまるで違う。俺には何もない。誇れるものも、広大な領地も、財産も教養も、愛の他には、何もない。それでどうして他の方を差し置いて、俺があなたを幸せにすると言えるでしょうか?」

 それは愛の告白でした。嬉しくて目も合わせられず、彼の手ばかり見ながら、わたくしはもじもじと答えました。

「それは女性が領地や財産や教養を男性に求めた場合でしょう? 愛を欲する女性には、夏の日差しのように愛を絶えず注いでくださる男性が一番いいのです」

「あなたがそういう女性だと?」

「はい、そう思います」

 ふいに彼は目を細めました。

「ここに来る二ヶ月ほど前でしょうか、一度城で会いましたよ。会話を数度、その時も、とても嬉しかった」
 
「ここに来る三ヶ月前です。あなたはメイドさんと結婚するとか言っていました」

 わたくしの訂正に、彼は目を丸くしました。

「覚えておいででしたか。ええ、そうです」

「彼女はわたくしとあなたの結婚に悲しんだのではありませんか?」

「誰かが俺との縁談を仕組みましたが、会ったこともない娘ですよ。今回の話で流れましたし、もう別の男と結婚したはずです」

 では彼の心に憂いはないはずです。わたくしはますます分からなくなってしまいました。

「あなたはわたくしが好きで、手の届く距離にいるのに、なぜその想いを伝えてくださらなかったのですか?」

「いつかあなたは、貴族の社会に戻っていかれる方です。誰か立派な金持ちと結婚するはずです。その時に、俺の存在が邪魔になりたくなかった。あなたの幸せの道の上に、俺は不要ですから」

「それではあなたは、わたくしを守るために手を出さないというの?」

 彼は無言で頷きました。

「どうして? 恋をして手を出さないということが、そんなことが殿方にできるのですか?」

「あなたを自分よりも愛している人間にならできます」

 本当なのかしら。
 お城にいる頃、口説こうと近づいてくる男性たちは、誰しもわたくしをものにしたがりました。大切だから手を出さないというのは、わたくしにはあまり分からないことでした。
 だけど、もしかすると本当なのかもしれません。だって彼は平民ですもの。わたくし達貴族とは考え方が違うのかもしれません。
 だとしたら彼の苦しげな表情も理解できます。わたくしが好きなのに、わたくしのために自分の望みを封じてきたのです。

 ウィルを、以前にも増して愛おしいと思いました。

「ねえウィル。キスをしてもよろしいですか?」

 唇にキスをしましたが、抵抗はありませんでした。それをいいことに、再び唇を重ねました。

 砂糖菓子のように、甘い甘いキスでした。そのままゆっくりと、首筋に、そうしてシャツのはだけた胸元に、順にキスをしました。
 ウィルが呻きますが、痛みからの声ではありませんでした。彼の瞳が、熱を帯びてわたくしを見つめています。胸が高まっていました。

「わたくしを庇ってくださった姿、とても格好良かったです。怪我が治ったら、わたくしを本物の妻にしてくださいまし」 

 ウィルの温かな手がわたくしの頬に触れました。もう彼の目に迷いはありません。
 わたくしは、今まで全然知りませんでした。男性が、心の底から愛する女性にむける眼差しが、これほどまでに慈愛に満ちているものだとは。

「ウィル、わたくし、悪女でございます」

「知っています」彼は言います。「本当はそうじゃないことも」

「わたくし、処女ではありません。十四の時に、三十の男性と恋をしました」

 それは囁かれている噂です。噂を信じる方にとっては真実でした。

「問題ありません」彼は言います。「今、俺と恋をしていればそれでいい」

「わたくし、妹に毒を盛りました」

「それでもいい」わたくしの手を握りながら、彼は言います。固く固く、手が握られます。

「メイベル様。俺の妻になってください」

 世間で言われるわたくしの噂が、嘘でも事実でも、彼にとってはどちらでもいいのです。
 世界中に自慢したいと思います。
 世界で一番素敵な男性、それがわたくしの夫なのです。

「はい、喜んで」

 わたくしもそう、答えました。彼は幸福そうに微笑みました。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

冷徹公に嫁いだ可哀想なお姫様

さくたろう
恋愛
 役立たずだと家族から虐げられている半身不随の姫アンジェリカ。味方になってくれるのは従兄弟のノースだけだった。  ある日、姉のジュリエッタの代わりに大陸の覇者、冷徹公の異名を持つ王マイロ・カースに嫁ぐことになる。  恐ろしくて震えるアンジェリカだが、マイロは想像よりもはるかに優しい人だった。アンジェリカはマイロに心を開いていき、マイロもまた、心が美しいアンジェリカに癒されていく。 ※小説家になろう様にも掲載しています いつか設定を少し変えて、長編にしたいなぁと思っているお話ですが、ひとまず短編のまま投稿しました。

もう一度だけ。

しらす
恋愛
私の一番の願いは、貴方の幸せ。 最期に、うまく笑えたかな。 **タグご注意下さい。 ***ギャグが上手く書けなくてシリアスを書きたくなったので書きました。 ****ありきたりなお話です。 *****小説家になろう様にても掲載しています。

王女殿下の秘密の恋人である騎士と結婚することになりました

鳴哉
恋愛
王女殿下の侍女と 王女殿下の騎士  の話 短いので、サクッと読んでもらえると思います。 読みやすいように、3話に分けました。 毎日1回、予約投稿します。

【短編】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
 もうすぐ、赤ちゃんが生まれる。  誕生を祝いに、領地から父の辺境伯が訪ねてくるのを心待ちにしているアリシア。 でも、夫と赤髪メイドのメリッサが口づけを交わしているのを見てしまう。 「なぜ、メリッサもお腹に赤ちゃんがいるの!?」  アリシアは夫の愛を疑う。 小説家になろう様にも投稿しています。

私がもらっても構わないのだろう?

Ruhuna
恋愛
捨てたのなら、私がもらっても構わないのだろう? 6話完結予定

婚約者の番

毛蟹葵葉
恋愛
私の婚約者は、獅子の獣人だ。 大切にされる日々を過ごして、私はある日1番恐れていた事が起こってしまった。 「彼を譲ってくれない?」 とうとう彼の番が現れてしまった。

あの子を好きな旦那様

はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」  目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。 ※小説家になろうサイト様に掲載してあります。

【短編】婚約破棄?「喜んで!」食い気味に答えたら陛下に泣きつかれたけど、知らんがな

みねバイヤーン
恋愛
「タリーシャ・オーデリンド、そなたとの婚約を破棄す」「喜んで!」 タリーシャが食い気味で答えると、あと一歩で間に合わなかった陛下が、会場の入口で「ああー」と言いながら膝から崩れ落ちた。田舎領地で育ったタリーシャ子爵令嬢が、ヴィシャール第一王子殿下の婚約者に決まったとき、王国は揺れた。王子は荒ぶった。あんな少年のように色気のない体の女はいやだと。タリーシャは密かに陛下と約束を交わした。卒業式までに王子が婚約破棄を望めば、婚約は白紙に戻すと。田舎でのびのび暮らしたいタリーシャと、タリーシャをどうしても王妃にしたい陛下との熾烈を極めた攻防が始まる。

処理中です...