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最終章 奇跡の世界でわたしは生きる
墓前で、彼は有りもしない世界に思いを馳せる
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木漏れ日の中に、ルーカスは一人佇んでいた。
戦場へ行ってからは、一度として帰っていない故郷に再び来ようと思ったのは、彼女と結婚したことを報告するためだった。朽ち果てた屋敷に妻を残し、一人両親の墓参りをする。
「ほったらかしにしていてごめん」
すっかり荒れ果てた墓を綺麗にした。仕事を探すために王都に行くまでの少年時代の日々は、今も温かな思い出として記憶に残る。
「だけどまたすぐに王都に戻らなきゃならない。……オレが国政に携わるんだ。信じられないだろ?」
女王の死後、レット・フォードが実権を握った。だがそれも、長くは続かなかった。
戦争で英雄になり、人々の心を勇気づけていた彼は、女王の死後宰相となり、恐怖政治を敷いた。幾人もの人が、あの刃の餌食になった。
立ち上がったのはフィンだった。偽りの女王を死へと追いやったのと同じように、レットを裁いたのだ。
政権はフィンを始めとする元革命軍が執ることになった。
怒涛の日々は過ぎ去り、ようやく平穏は訪れると思われた。
「彼女と、結婚することにしたんだ。二人みたいな家庭を築くよ」
墓石は静かにルーカスの言葉を聞いている。
と、背後で木の葉を踏む音がし、振り返ると、シャノンがルーカスを見て微笑んだ。
「ここがご両親のお墓?」
「来たのか、ここは冷えるぞ」
言いながら手を伸ばすと彼女もそれに掴まり、隣に立ち墓を見た。風が木を揺らし、いくつか葉を落とす。
「どんな方だったの?」
「父は太ってて赤ら顔」
意外ね、とシャノンは目を丸くする。それに笑った。
「実母は美人で有名だったらしい」
「前も聞いたけど、ベアトリクスさんは、養母になるのよね」
「ああ。継母だったけど、いつも優しく厳しく接してくれた。ただ時々、オレの向こうにどこか遠い、別の人間を見ているような、そんな瞳をしていた」
こんな田舎には珍しく、気品のある人だった。一人っ子のくせに墓を放っておいたなんて聞けば、あの養母なら怒るだろう。
シャノンは口を開きかけ、閉じた。いつも強気な彼女の、言葉をためらうような仕草を疑問に思う。
「……ねえ、ルーカスさん」
ようやく彼女は口を開いた。
「さっき、あなたを待ってる間、部屋を掃除していたの。そうしたらベッドの下に、この手紙を見つけて。読んではいけないと思ったわ。でも、偶然、文字が見えてしまって」
あて先は、オリバー・ファフニールとなっている。
「モニカ様の養父と母は友人だったらしい。手紙も書くだろう」
養母は病で死んだ。
出せなかった手紙が、床に落ちそのままベッドにもぐりこんでしまっていたのだろう。時が経つことを示すかのように黄変していた。
「そうだけど、それだけじゃないのよ」首を振るシャノンは、中身を取り出す。
「読んでみて?」
故人の秘密を知るようで気が引けたが、受け取り、目を通す。
読みながら、思わず息を呑んだ。
“オリバー・ファフニール様。
わたしはもう、あまり長くありません。病が進行しています。息子のルーカスを残していくのが不憫でなりません。
気がかりなことは、まだあります。もう一人の子供のことです。あの子は元気でしょうか。大層わがままに育っていると話に聞きます。モニカさんに、ご迷惑をかけてないとよいのですが。
どうかあまり甘やかさず、厳しく育ててください。あの子には、私のように、国に人生を奪わせたくはないのです。普通の少女として、普通の幸せを得てほしいのです。母と名乗り出ることも許されない身ではありますが、わたしが彼女を永遠に愛していると、どうか伝わっていてほしいと願っています。あなたの友情に感謝いたします。なにとぞ、ロクサーナを、頼みます”
紙を持つ手が震えていた。そこにシャノンの手が触れる。
「ねえ、ルーカスさん。オリバー・ファフニール中将は、昔の女王陛下の家臣だったんでしょう? あなたのお母様の名は……」
「嘘だ……」
――ごきげんよう。そしてさようなら、ルーカス・ブラットレイ。先に地獄で待ってるわ。
それがロクサーナの最期の言葉だった。
その姿に、敵であれど、束の間目を奪われた。誰よりも凛として美しく、そしてあまりにもあっけなく散った。
そうだ、あの瞳は、養母ベアトリクスそのものじゃないか。
「じゃあ、あの時、オレたちが首を切ったのは」
想像でしかない。もしロクサーナが養母の娘だったとしても、養母が女王だったという証拠はない。
ロクサーナは女王と偽り、国を混沌に陥れた。誰もがそう思っている。ロクサーナでさえも、そうだった。
オリバー・ファフニールは知っていただろうか。モニカは、レット・フォードは――……。皆、死んでしまった。真実は、誰にも分らない。
だが少なくとも。
「……姉弟でも、おかしくなかったのかもしれない」
ロクサーナはベアトリクスの実子だった。
もし、あの厳しい養母が彼女を育てていたら。そうだったら、彼女はあんな人生を、歩まずに済んだのだろうか。
あの美しい少年時代の隣に、無垢なロクサーナがいたかもしれない。共に手を取り合い、心の底から笑った未来があったかもしれない。今も生きて、ここに一緒にいたかもしれない。
あの気高さを、真っすぐに保つことができたのなら、彼女は幸せに生きていくことができたんじゃないのか。
馬鹿な考えだ。世界にもしもはありえない。
フィンが政権を執って、世界は今よりよくなるのか。
十年前よりも今が、今よりも十年後が、いい世界になっている保証はない。
「行こう、ここは冷えるから、腹によくない」
それでも、シャノンの肩を抱き、歩き始める。
今ルーカスの側には愛する妻がいて、あと数か月したら、新しい家族ができる。どの道不幸はあり、悲しみがある。どんな世でも人は死に、代わりに同じ分だけの命が配られる。
与えられた場所で生きていくだけだ。どうあがいても過去は変えられないのだから。
だけど考えずにはいられない。
首を切られた可哀想なあの彼女が、ルーカスがついに見ることのなかった笑顔を見せて、無邪気に笑う。もし、そんな世界があったら。
見てみたいな――……。
そう、有りもしない世界へと、思いを馳せた。
戦場へ行ってからは、一度として帰っていない故郷に再び来ようと思ったのは、彼女と結婚したことを報告するためだった。朽ち果てた屋敷に妻を残し、一人両親の墓参りをする。
「ほったらかしにしていてごめん」
すっかり荒れ果てた墓を綺麗にした。仕事を探すために王都に行くまでの少年時代の日々は、今も温かな思い出として記憶に残る。
「だけどまたすぐに王都に戻らなきゃならない。……オレが国政に携わるんだ。信じられないだろ?」
女王の死後、レット・フォードが実権を握った。だがそれも、長くは続かなかった。
戦争で英雄になり、人々の心を勇気づけていた彼は、女王の死後宰相となり、恐怖政治を敷いた。幾人もの人が、あの刃の餌食になった。
立ち上がったのはフィンだった。偽りの女王を死へと追いやったのと同じように、レットを裁いたのだ。
政権はフィンを始めとする元革命軍が執ることになった。
怒涛の日々は過ぎ去り、ようやく平穏は訪れると思われた。
「彼女と、結婚することにしたんだ。二人みたいな家庭を築くよ」
墓石は静かにルーカスの言葉を聞いている。
と、背後で木の葉を踏む音がし、振り返ると、シャノンがルーカスを見て微笑んだ。
「ここがご両親のお墓?」
「来たのか、ここは冷えるぞ」
言いながら手を伸ばすと彼女もそれに掴まり、隣に立ち墓を見た。風が木を揺らし、いくつか葉を落とす。
「どんな方だったの?」
「父は太ってて赤ら顔」
意外ね、とシャノンは目を丸くする。それに笑った。
「実母は美人で有名だったらしい」
「前も聞いたけど、ベアトリクスさんは、養母になるのよね」
「ああ。継母だったけど、いつも優しく厳しく接してくれた。ただ時々、オレの向こうにどこか遠い、別の人間を見ているような、そんな瞳をしていた」
こんな田舎には珍しく、気品のある人だった。一人っ子のくせに墓を放っておいたなんて聞けば、あの養母なら怒るだろう。
シャノンは口を開きかけ、閉じた。いつも強気な彼女の、言葉をためらうような仕草を疑問に思う。
「……ねえ、ルーカスさん」
ようやく彼女は口を開いた。
「さっき、あなたを待ってる間、部屋を掃除していたの。そうしたらベッドの下に、この手紙を見つけて。読んではいけないと思ったわ。でも、偶然、文字が見えてしまって」
あて先は、オリバー・ファフニールとなっている。
「モニカ様の養父と母は友人だったらしい。手紙も書くだろう」
養母は病で死んだ。
出せなかった手紙が、床に落ちそのままベッドにもぐりこんでしまっていたのだろう。時が経つことを示すかのように黄変していた。
「そうだけど、それだけじゃないのよ」首を振るシャノンは、中身を取り出す。
「読んでみて?」
故人の秘密を知るようで気が引けたが、受け取り、目を通す。
読みながら、思わず息を呑んだ。
“オリバー・ファフニール様。
わたしはもう、あまり長くありません。病が進行しています。息子のルーカスを残していくのが不憫でなりません。
気がかりなことは、まだあります。もう一人の子供のことです。あの子は元気でしょうか。大層わがままに育っていると話に聞きます。モニカさんに、ご迷惑をかけてないとよいのですが。
どうかあまり甘やかさず、厳しく育ててください。あの子には、私のように、国に人生を奪わせたくはないのです。普通の少女として、普通の幸せを得てほしいのです。母と名乗り出ることも許されない身ではありますが、わたしが彼女を永遠に愛していると、どうか伝わっていてほしいと願っています。あなたの友情に感謝いたします。なにとぞ、ロクサーナを、頼みます”
紙を持つ手が震えていた。そこにシャノンの手が触れる。
「ねえ、ルーカスさん。オリバー・ファフニール中将は、昔の女王陛下の家臣だったんでしょう? あなたのお母様の名は……」
「嘘だ……」
――ごきげんよう。そしてさようなら、ルーカス・ブラットレイ。先に地獄で待ってるわ。
それがロクサーナの最期の言葉だった。
その姿に、敵であれど、束の間目を奪われた。誰よりも凛として美しく、そしてあまりにもあっけなく散った。
そうだ、あの瞳は、養母ベアトリクスそのものじゃないか。
「じゃあ、あの時、オレたちが首を切ったのは」
想像でしかない。もしロクサーナが養母の娘だったとしても、養母が女王だったという証拠はない。
ロクサーナは女王と偽り、国を混沌に陥れた。誰もがそう思っている。ロクサーナでさえも、そうだった。
オリバー・ファフニールは知っていただろうか。モニカは、レット・フォードは――……。皆、死んでしまった。真実は、誰にも分らない。
だが少なくとも。
「……姉弟でも、おかしくなかったのかもしれない」
ロクサーナはベアトリクスの実子だった。
もし、あの厳しい養母が彼女を育てていたら。そうだったら、彼女はあんな人生を、歩まずに済んだのだろうか。
あの美しい少年時代の隣に、無垢なロクサーナがいたかもしれない。共に手を取り合い、心の底から笑った未来があったかもしれない。今も生きて、ここに一緒にいたかもしれない。
あの気高さを、真っすぐに保つことができたのなら、彼女は幸せに生きていくことができたんじゃないのか。
馬鹿な考えだ。世界にもしもはありえない。
フィンが政権を執って、世界は今よりよくなるのか。
十年前よりも今が、今よりも十年後が、いい世界になっている保証はない。
「行こう、ここは冷えるから、腹によくない」
それでも、シャノンの肩を抱き、歩き始める。
今ルーカスの側には愛する妻がいて、あと数か月したら、新しい家族ができる。どの道不幸はあり、悲しみがある。どんな世でも人は死に、代わりに同じ分だけの命が配られる。
与えられた場所で生きていくだけだ。どうあがいても過去は変えられないのだから。
だけど考えずにはいられない。
首を切られた可哀想なあの彼女が、ルーカスがついに見ることのなかった笑顔を見せて、無邪気に笑う。もし、そんな世界があったら。
見てみたいな――……。
そう、有りもしない世界へと、思いを馳せた。
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