断頭台のロクサーナ

さくたろう

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第五章 夢見る少女は夢から醒める

栄光の舞台に、わたしたちは背を向ける

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 ざわめきはさらに大きくなった。

 たとえわずかな間の王でも、クリフは常に誠実だった。クリフが王で居続けたのなら、反乱も収まっただろうと思われるほどに、今も民衆からも愛されていた。その彼を、レットが殺せと命じたのだ。

 ここへ来て、誰へぶつけていいのか分からずにいた人々の怒りは、一挙に対象が絞られた。

 ――思えばレット・フォードという人物は、まるで信用ならない。

 そもそもロクサーナの恋人だったはずだ。それがモニカが女王になった途端、そのロクサーナをあっさりと捨てた。宰相になってからはますますひどい。モニカに代わり表に出ては、逆らう者を次々に粛清していった。貴族からも財産を奪い、平民は命すら奪われていった。

 戦争の英雄か? それとも、この国を深淵の底へと引き摺り込もうとする悪魔か。

 そうだ、憎むべきは、この男ではないのか。
 王を守る兵士も、王を殺そうとしていた民衆も、皆が皆、憎悪をレットへと向ける。
 
 言い返す言葉がないのか、レットは黙って民衆を見つめていた。
 今にも誰かが撃ちかねない空気の中で、ロキシーはモニカの体を背負い、立ち上がった。もうここに、用はない。

「さあ民兵ども、なにをぐずぐずしている? ロクサーナに道をあけろ!」マーティーが言う。

「誠実な国軍さん方、あなたたちの真の女王を通しなさい! 道を譲らないのであれば、我がオッター家が承知しませんことよ!」レイチェルが言う。

 それぞれに言われた人々は、おずおずとロキシーへ道を開く。
 その中を真っすぐに進んで行った。

 広間を後にする間際、思い至ってロキシーは振り返る。
 困惑気味の視線が集まる中、皆に向かって小さくお辞儀をしてみせた。

「それでは皆さま、革命の続きをお好きにどうぞ。わたしとこの子は、一足早くおいとまさせていただきます。ごきげんよう。そしてさようなら」

 にこりと微笑むと、この場にいる誰もが同じ表情を浮かべた。面食らったような顔。

 ざまあないわね。おあいにく様。

 ロキシーとモニカをないがしろにし続けたこの舞台の上には二度と戻らない。
 真の女王。麗しの女王。約束の女王。その女王は、モニカではなく自分だった。

(だからなんなの?)

 どちらが女王かなど、そんな些細なもの、二人の価値には少しも影響しないのだ。

 マーティーとレイチェルの呼びかけにより、誰もロキシーを邪魔しなかった。行き先は決まっていた。


「……わたくし、地獄へ落ちるのかしら」


 朦朧としていたモニカが、意識を取り戻したらしい。背負う体から囁くような声が聞こえた。

 体から流れ出た血が、ロキシーの服を染め、床に流れ落ちていく。
 
「ねえ、ロキシー。あなたはきっと、わたくしを許さないのでしょうね」

「しゃべらないで、モニカ」

 やっと彼女はロキシーの側に戻って来た。もう、失いたくない。背負う手に、力を込める。
 
「……でも、それでもいいわ」

 モニカが口を開くと、ポンプのように血があふれ出していく。なのに彼女は話すのをやめない。

「あなたの心に、決して癒えない傷をつけられたのなら、そんなに幸せなことはないもの。
 ……だって、そしたらあなたは、わたくしをずっと覚えているでしょう? 永遠に忘れないでしょう?」

 話す度、吐息を首に感じていた。

「決してわたくしのことを忘れないで。一日中考えて。わたくしを思って嘆き悲しんで、後悔して、憐れんで、やっぱりわたくしが大切だったって、何度も繰り返し思って……。
 お願いロキシー、あなたの中に、わたくしを刻み込んで。そうしてずっと一緒に、生きるの。あなたの命が終わるまで――」

 それが願いだったなら、モニカはなんて愚かなんだろう。それを叶えるために、無茶を繰り返していたのなら。
 
「――馬鹿ねモニカ。だってもう……」

 言葉を返そうとして、詰まり、やっと絞り出した。

「……もう、ずっと、とっくに、そうなってるわ」

「そう」
 
 モニカは、笑ったようだった。

「それなら、いいの――」

 安心したような声が聞こえた刹那、ロキシーの肩にかけられていた手から力が抜け、だらりと床を向く。

「モニカ……?」

 背中の彼女から、急速に力が失われていく。

「それって、いつもみたいな嘘なんでしょう? だって、あなたは嘘つきだもの」

 返事はない。

「モニカ、大丈夫よ。もう少しで病院だから」

 やはり返事はない。

「優秀な看護師がいる病院を、知っているから。だから……」

 返事はなくとも、背中の熱に呼び掛け続けるのをロキシーは止めなかった。


 ◇◆◇


 ロキシーとモニカが去っても、誰も動けずにいた。ルーカスは、残されたレットを見た。

 彼は手元の銃をじっと見つめている。
 何事かを思案するかのような瞳に、今にも自分の額に銃口を当てて引き金を引くのではないかと思えた。

 だが彼は、静かに銃を床に置く。その瞳は思いがけず穏やかで、遠い誰かを懐かしんでいるようだった。

「ほらね、私にも、執着くらいあるんだ」

 目を伏せ、レットは呟いた。
 彼が話しかけた人物が誰かなど、ルーカスには分からない。だがようやく、膠着が解ける。

「手を上げて、壁を向くんだ」

 ルーカスは、レットに銃を向け命じる。彼は大人しく従った。

 背中に手を回し、拘束した。
 背を向ける彼の表情は伺えないが、ルーカスにしか聞こえないほどの声量で、呟く。
 
「……私を殺すべきだったと後悔しているか?」

「後悔なんてしてない」
 
 即座に返事をした。本心だった。
 
 地獄のような戦場で、誰よりも勇敢で清廉な彼に、誰もが励まされた。ルーカスでさえも、その一人だった。
 たとえもつれた糸の一因であろうとも、殺さなかったことに、後悔はしていない。

 だけど――。
 込み上げる思いに耐えようと、唇を噛んだ。
  
「だけどただ、悲しい。それだけだ」
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