断頭台のロクサーナ

さくたろう

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第五章 夢見る少女は夢から醒める

望むまま、わたしは駆けだす

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 身を守る武器を身につけろという母の教えを、再び守るようになったのはいつからだったろう。
 十二歳の頃誘拐された時にも助けられたナイフを、また首から吊るすようになっていた。

「服に腕を突っ込むのよ!」

 ルーカスの顔は薄明りの中でもはっきりと分かるほど真っ赤だ。

「む、むりだ」

「照れてる場合!? 人に銃を向けるのは簡単なくせに、女の胸の谷間に手を突っ込むのは難しいわけ!?」 

「谷間なんてないくせに!」

「いいからやりなさい!」

 言うと、遂に諦めたように、しぶしぶと彼は頷いた。

「クールになれ、クールになれ」ぶつぶつと呪文のように繰り返しながら、かなり遠慮がちにロキシーの服に手を突っ込む。

 瞬間だった。

「何を、やってるんだ……?」

 いつの間にか扉が開かれていた。
 後ろ手でロキシーの服の中をまさぐるルーカスを見て、マーティーが顔をこわばらせる。

「違う、誤解してる」

 青ざめた顔でルーカスは言う。銃を振り回し啖呵を切った人間とはまるで別人だった。
 
「……流石、赤毛の騎士は凡人とは違うな……」

 妙な納得の仕方をした彼は完全に誤解をしている。
 逃亡していると思われるよりはましだが、ルーカスは死刑宣告された囚人のように、絶望の表情を浮かべていた。

「あなたは議会に行かなかったの?」

「良い子はお家でお留守番さ」

「なにしにここへ? 逃がしてくれるの?」

「様子を見に来ただけだ。……逃がすことはできない」
  
 水でも飲むかいと言う彼は丁寧にもグラスさえ持っていたが、とても気分ではなかった。彼を怒っても仕方がないが、湧き上がる炎を抑え込めない。

「……フィンは、モニカを殺すのね」

「ああ」マーティーは頷き小さく笑う。「フィンは阿呆だから」

「そう思うなら、わたしたちを逃がして」

「できない」

 静かな、しかし断固たる拒否だった。

「だって、僕はあいつが好きだから。尊敬しているんだ、これでもね」

 マーティーの瞳にもまた、静かな決意が浮かんでいる。

「……どうしてフィンが女王を殺したいほど憎んでいると思う?」

 ロキシーには答えられない。代わりに蘇るのは、幼い頃の幸福すぎる思い出だ。皆で手を取り笑い合った、あの日々だ。

「あいつは、君を愛してるんだ。だから君を、女王から解放してやりたいんだよ」

 ロキシーは目を見開いた。

「嘘だ」

 呟いたルーカスの言葉に、マーティーは首を横に振る。

「もうずっとガキの頃から惚れてる。でもそう言わないのは、ルーカス。君の想いにもまた気がついていたからだ。言ったろ? あいつは阿呆だって。義理立てしてるつもりなのさ」

 信じられなかった。フィンが、ロキシーを……?
 マーティはふっと、口元を緩めた。

「それでいてあいつは、同時にモニカにも惚れている。ああ見えて捻くれ者だから絶対に口にしないが、心の底から女王を大切に想ってる。だからあいつは、モニカを殺すんだ。愛する人が悪事を重ね、侮蔑の対象になるのを、これ以上見たくないのだろう」

 ロキシーは、言葉が紡げなかった。どうしたって胸をかすめるのは幸福だった子供時代の光景だ。何一つの謀りもなく、皆で笑い、過ごした愛おしい日々のことだった。

 ルーカスが縛られた手を自由にしたのはその時だった。
 手からは、血が流れている。

 だが痛みを気にする様子もなく、ロキシーの首に下げられたナイフを奪うと、素早く足を縛るロープを切断し、マーティーに真っすぐ突進した。

 勢いのまま、マーティーの首に刃を当てる。わずかの間動けない彼ののみぞおち目掛けて拳を突き立てた。

「殺しはしない」

 気絶したマーティーの体を、ルーカスは床にそっと横たえる。
 一瞬のことで動揺さえする暇がなかったロキシーに、灰色の瞳が向けられる。

 審判を待つ者のように、彼は黙ってロキシーの行動を待っていた。

(――ああ)

 その瞳に、ロキシーは気がついた。いつだって、彼は待ってくれていたことに。

 神を信頼し、辛抱強く待ち約束の子を得た父祖アブラハムのように、根気よく、耐え忍んでいた。もうずっと、幼いころから、果てしなく長い時間を、孤独と寂しさを抱えながら、必死に待っていた。

 選択は委ねられた。
 ほんのわずかの間、二人は見つめ合う。だがすぐに、しっかりと頷いた。

「……行きましょう。きっと議会は始まってる」 

 地下から伸びる階段を見る。上に数人が残っている気配がした。

 ルーカスが先に昇っていく。

 随分前に背は抜かされた。本心も見えなくなった。知っていた彼とは、何もかも別人だ。それでも彼といると、ロキシーはいつだって安堵を覚える。

「ルーカス、わたし言わなくちゃいけないことが、あるの」

 薄暗い階段を進んで行くその背に、たまらず語り掛けた。

 なんだ、とでも言いたげにルーカスはちらりとロキシーを見る。その目は、上に残る人間たちをいかに通り抜けるかとでも考えているのか、ひどく険しいものだった。

「今話すべきことなのか?」

「うん。――ううん。本当は、もっと早くに、言うべきだったのよ」
 
 ルーカスは立ち止まって、数段上からロキシーを振り返った。その佇まいに、束の間、言葉が出てこない。
 それでも、言わなくてはならない。

「ルーカスはいつだってそこにいてくれたのに、なのに、わたしは、怖がって、怯えて、卑怯にも逃げて、知らないふりをして。
 でも大切なあなたをこれ以上、傷つけちゃいけないと思って。わたしの気持ちなんだけど……」

「ちょ……」ルーカスが声を押し殺そうとして失敗していた。「ちょっと待て!」

 驚愕の表情。
 そのまま、混乱したように頭を横に振る。

「ルーカス、わたし」

 一歩、階段を昇ると、後ずさるようにルーカスも昇る。逃すまいとロキシーは再び近づいた。彼の顔が期待と拒否で埋まり、堪えきれなかったのか、ついに叫ぶ。

「嫌だ! 聞きたくない!」

「ルーカス」

「よせ、絶対言うなよ!」

「ルーカス」

「だめだ、心の準備ができてない!」

「ルーカス!」

 ロキシーも叫んだ。

「後ろよ!」

 瞬時に反応したルーカスがロキシーの体を庇うように壁際に寄ったため、音もなく近づいていた男が階段を転げ落ちていく。階下で呻き声を上げ、男は伸びた。

 だが事態は収束しない。二人の逃亡に気がついた者たちが、捕えようと喚きながら襲い掛かってきたからだ。

 襲いかかった人間を殴り倒しながらルーカスは叫んだ。 

「さっきの話は、すべて終わったら、聞く!」

 また一人、彼は殴る。残る人が多くなかったのが幸いで、生じた隙を見逃さず、ルーカスはロキシーの手を引っ張り階段を抜け出し出口へと走る。

 ルーカスの言葉に、ロキシーは狼狽えていた。

 すべて終わったら、と彼は言ったが、本当に終わるのだろうか。
 糸はよじれもつれ、取り返しのつかないほどに絡まり合った。一思いに切断する以外に、終わらせる方法があるのか分からなかった。

 ロキシーは何も言葉にしなかったが、どういうわけかルーカスには伝わったらしい。
 思いがけず力強い声が聞こえた。

「そうだ。何もかも決着はつく、着けるんだよロキシー自身で」
  
 いつか、終わる時は来る。どう転ぶにしろ――。
 だが二人が出口までたどり着く前に、当然ながら追い付かれる。

 ルーカスはロキシーの手を離すと、男たちに向かい合った。

「行け、ロキシー! 誰にも構うな!」

 男たちをいなしながら、ルーカスはロキシーに道を作った。

「心の思うままに、進むんだ!」

 覚悟を受け取り、ロキシーは駆けだした。扉を開き、酒場を出て、振り返らずにひたすら進む。すぐに騒ぎは聞こえなくなった。

 心が向かう場所が、どこかもう知っている。あの、かけがえのないわがままな妹に、会わなくてはならない。
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